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 今日は、とても充実した1日だった。今日も掃除屋さんのことをたくさん知ることができた。

 掃除屋さんは右利きで、海が好き。だから肉よりも魚が好きで、焼いた魚ならアジが好き。そして大好物は、イワシのハンバーグ。タネにしっかり味を付けて何もつけずに食べるのも好きだけれど、味噌だれをつけて食べるのも好き。

 ああ、そんな大好物のイワシのハンバーグを目の前にした時、掃除屋さんは、いったいどんな顔で喜ぶのだろう。想像するだけで、俺まで嬉しくなってくる。


 そんなことを考えながら、俺はベッドに入るまでの自由な時間を過ごしていた。そうしているうちに、俺はうとうととしていたらしい。頭がふわふわする、まぶたが重い。



「……ス、ラン…」



 なにか、声が聞こえる。これは夢の中で聞こえているのだろうか。



「ランス!」



 ぺちん、と頬を叩かれてはっと目が覚めた。


「えっうわっ!マリィ様!」

「わたくしの顔を見てなんでそんなに驚くのよ!失礼ね!」

「マリィ様がいきなりいらっしゃるからですよ!いきなり部屋に現れるのはやめてくださいと何度も言ったでしょう!」



 ああ、びっくりした。驚いたせいで完全に目が覚めてしまった。

 マリィ様は俺の願いを聞き入れてくれる様子はなく、ぷいとそっぽを向かれてしまった。この態度には慣れたものだけれど、いきなり部屋に現れるのは慣れない。それに、なんだかもうマリィ様が騎士団本部の敷地内にあるこの宿舎に忍び込むことも当たり前になってしまっているけれど、本来良くないことなのだから。



「夜分遅くに失礼いたします、ランスリッド様」

「しかし少々、急な用事でして」



 左右から交互に声が聞こえた。これも、慣れた声だった。



「アブロさん、ディットさん、こんばんは、急な用事とは?」

「ええ、実はこちらなのですが」



 そう言ってアブロさんがすっと差し出してきたのは、白い布のようなものだった。カーテンだろうか、それとも。



「掃除屋が来ていると聞いたわ、その者のところに案内してほしいの!」



 その白い布のようなものの正体がわからないまま、マリィ様がそう言った。マリィ様の険しい表所からすると、詳しく聞くなということらしい。これも慣れたことだし、そうでなくとも、今にも泣きそうな顔をしているマリィ様を追及することなど俺にはできない。俺は「わかりました」と答えて、アブロさんから白い布を受け取った。






 掃除屋さんの部屋にて判明したことは、この白い布はマリィ様のお母様のドレスだということだった。マリィ様はお母様への憧れからこっそりとそのドレスを着たのだけれど、その際に汚してしまったそうで、それをキレイにしてほしいというのが掃除屋さんへの依頼だった。

 マリィ様から事情を聞かされた掃除屋さんは快くそれを引き受けてくれた。曰く、「あんなに悲しそうな顔でお願いされたら断れませんよ」とのこと。掃除屋さんが優しいというのもあるのだろうけれど、やはりマリィ様にはそういう魅力があるのだ。



 そしてその翌日、掃除屋さんは熱を出した。





「すみません…ご迷惑をおかけしてしまって」

「いえ、こちらも掃除屋さんが疲れているのに気が付かず、申し訳ありません」



 ベッドの中から俺を見上げる掃除屋さんの瞳は、とても弱弱しい。そしてとても申し訳なさそうな表情をしているのがわかる。無理をさせてしまったのは俺かもしれないのだから、そんな、申し訳なさそうな顔をする必要はないのに。



「アンさんにおかゆを用意してもらいますね、他に何か欲しいものはありますか?」



 ベッド脇で濡れタオルを用意しながらそう聞くと、掃除屋さんは目を伏せて、なにかためらっているような表情をした。きっと、遠慮しているのだ。こんな時まで、掃除屋さんらしいな。



「こんな時にまで、遠慮はしないでください」



 そんな掃除屋さんを安心させたくて微笑んでみせると、掃除屋さんは目だけをこちらに向けた。少し恥ずかしそうなその仕草は、こんな時に不謹慎かもしれないけれど、魅力的だった。いや、違うな、こういう時は、かわいいと表現するのだとアンさんに教えてもらった。



「あの、じゃあ、アイスを」



 どこか恥ずかしそうにそう要求する掃除屋さんは、かわいい、のだった。



「アイスですね」

「その、あったかいメープルシロップをかけたアイスを、熱を出したらいつも用意してもらってるんです、わがまま言っちゃいますけど、お願いして、いいですか」



 そんなかわいい掃除屋さんに「わかりました」と返しながらその額に濡らしたタオルを当てた。掃除屋さんは安心してくれたのか、表情が少し柔らかくなった。それから、うとうととしてきたのだろうか、掃除屋さんのまぶたがだんだんと閉じていく。

 いよいよ眠りに落ちるという時、掃除屋さんがつぶやいたのが聞こえた。



「…駐在さん」



 その瞬間、胸がぎゅうと締め付けられた。

 また、あのわがままな感情が湧き上がってくる。掃除屋さんの目に、俺は、映らない。俺を見てほしい。掃除屋さんにも、俺が掃除屋さんを想うように掃除屋さんにも想われたならどんなに嬉しいことだろう。

 けれど、それは叶わないのだ。改めて思い知らされた事実が俺の胸を、頭を、ギリギリと締め付ける。

 掃除屋さんはすっかり眠りに落ちたようだった。まだ寒いのか、少しだけ辛そうな表情をしている。

 ああ、この瞳は、俺を映すことは無い。

 無意識に手が伸びていた。濡らしたタオルの乗せられた掃除屋さんの額に。掃除屋さんは目を覚ましそうにない。

 叶わない恋をしてしまったときどうしたらいいのか、姉さんは教えてくれなかった。だから、俺は今どうしたらいいのかわからない。姉さん、どうして教えてくれなかったんですか。姉さんは、俺なんかよりもずっと恋というものを知っているのに。

 アンさんは。

 アンさんは、どう言ってたっけ。



―あたしはね



 アンさんは。



―恋はたしかに人をわがままにするけど、それだけじゃないと思ってるんだよ



 俺に、こう、教えてくれたっけ。



―恋は人を優しくもするんだよ、相手を幸せにしたい、幸せになってもらいたい



 少し照れたように笑いながら。



―心からそう思える相手に恋をしたなら、幸せな事だよ、たとえそれが叶わないものでもね



 すうと、心が軽くなった気がした。胸も、頭も、締め付けから解放されていた。

 そうしてもう一度見た掃除屋さんの寝顔はとても穏やかに見えて、それを見た俺の心も、先ほどとはうってかわって穏やかでいられるのが自分でもわかった。

 ああ、アンさんにおかゆを用意してもらいにいかなくては。それとアイス。

 あったかいメープルシロップのかかった、冷たいアイスを。

 それをほおばる掃除屋さんを想像して、俺は思わず、一人笑みをこぼした。








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