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夕方になると、わたしはお夕飯のために豆腐を買いに港の方へ出かける。
ボウルを入れて、布でふたをしたかごを持って港の傍の豆腐屋さんへ向かうのだ。同時に駐在さんもまたマグロ号に乗ってパトロールへ出かける。
「いってらっしゃい、駐在さん」
「ああ、いってくる」
マグロ号で走り去る駐在さんを見送ってからわたしも港の方へ歩き出す。町の人ともすっかり仲良くなって、会えばあいさつをしてくれる程だ。しかし何人かの方から「マーリンさんをよろしくね」と言われるのはむずがゆい。お世話になっているのはわたしの方なのに。でもそれは駐在さんが愛されてるからだよね。
愛されているといえば、駐在さんはこの港の漁師さんたちにも愛されている。港へ行けば、駐在さんを慕っている漁師のおじさんたちにいつも囲まれるのだ。実はこの時間はわたしにとって特別な時間でもある。懐かしいから。あまりの懐かしさに泣きそうになることもあるけれど、その時はお夕飯の準備があるのでと逃げる術を覚えたので今は平気だ。
「よう嬢ちゃん、今日もお疲れ!」
「はい、みなさんもお疲れ様です」
今日も漁師さんたちがあいさつしてくれる。日に焼けた肌、たくましい腕、ちょっと立派なお腹。そんな顔ぶれはやはり懐かしい。
「マーリンさんとはどう、うまくやってる?」
「おかげさまで、良くしてもらってます」
漁師さんたちとの会話はだいたいこのやりとりから始まる。毎回同じことを答えられるのって、よく考えれば幸せなことだよね。改めて駐在さんに感謝しなくちゃ。
「うんうん、これからもマーリンさんをよろしく頼むよ」
「いやー心配してたけどやっぱ出会いってのは来るもんだね」
おじさんたちも、マーリンさんをよろしくねみたいなことをいつも言う。だからお世話になっているのはわたしなのに。そういう旨を告げると、おじさんたちはなにか複雑な表情を浮かべる。それから、まあ、まあこれからだからね、野暮はよしたほうがよかったかな、なんて曖昧な言葉を口にする。
「おいお前にもチャンスがあるのは今のうちだぞ」
「うっうっせーよクソ親父!」
とあるお父さんなんかは息子の肩を抱いてそんなことを言う。にまにましてるから絶対からかってるんだなと思う。わたしと同じくらいの年の息子は顔を真っ赤にしてお父さんに怒鳴っている。そんな息子にお父さんが怒って怒鳴り返すからあの親子はケンカが絶えない。
「こらこら、嬢ちゃんの前でみっともねーだろ」
「ジョーさん、あんたがセイくんからかったのがいけねーよ」
でもそんなときにはいつもほかのおじさんたちが仲裁してくれるから親子のケンカは見ていてもあまりはらはらしない。むしろ微笑ましいと思う。
チリンチリン、と音がした。これはマグロ号のベルの音だ。音のした方を見ると、駐在さんが遠くでマグロ号に乗ったまま手を振っている。
「アカネ!一緒に帰るか!」
こっちまで聞こえる声で駐在さんは言った。わたしは返事の代わりに大きく手を振った。そんなわたしたちの様子を見て、おじさんの一人がぽつりとつぶやいたのが聞こえた。
「いやあ、こうして見てるとまだ嬢ちゃんが来てからふた月とは思えんな」
いつの間にか、駐在さんと過ごした日々はふた月にもなっていた。