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 駐在さんが神妙な面持ちでわたしに暖炉の前へ座るよう言ったのは、その月の終わりごろのことだった。



「どうしたんですか駐在さん、怖い顔して」

「アカネ、落ち着いて聞いてほしい」

「はい」


 駐在さんは眉間にぐっとしわを寄せていて、これは何か思いつめている時の怖い顔だと思った。

 その怖い顔をしたまま、駐在さんは口を開く。


「実は、騎士団本部の方からお前に掃除の依頼が来た」

「…え」

「本部敷地内の建物の掃除を、依頼したいそうだ」


 怖い顔の駐在さんから告げられたのは、仕事の依頼。それもどうやら大口の依頼らしい。そんな大きな仕事が舞い込んできたことを、わたしは掃除代行業を営む者としては喜ばなければならない。なのに駐在さんは思いつめたような怖い顔でこの話を切り出した。おそらく、なにかわたしにとって不都合なことがあるのだ。

 不安に、胸がドキンとなった。



「そのためには、2週間単身赴任というかたちになる」


 駐在さんは、まっすぐにわたしを見てそう言った。


 2週間、単身赴任。それは、わたし一人で騎士団本部に2週間寝泊りしながら仕事をするということ。

 駐在さんから、離れて。


「2週間、ですか」


 泣き虫なわたしが耐えられるはずはなかった。自分の頬を涙がぼろぼろと流れていくのがわかる。それを駐在さんが手のひらでぐいと拭いてくれる。駐在さんが大丈夫か、と言ったのでわたしは、大丈夫です聞いてますと返事をした。


「正直なところ、断るのは難しい」


 駐在さんはやはり怖い顔をしたままそう言った。たぶんこれが駐在さんをいつも以上の怖い顔にさせている理由なのだと思った。泣いているわたしの手前、難しいなんてオブラートに包んでくれたのだろうけれど、本当は断れないのだと思う。


「それは、わかり、ます」


 しゃくりあげながらもなんとかそう訴えると、駐在さんは少しだけほっとしたように見えた。

 わかってはいるのだ。騎士団に所属する駐在さん、その駐在さんにお世話になっているわたしが騎士団の依頼を断ることはできない。そんなことをしては駐在さんの立場を悪くしてしまう。それは理解している。

 ただ、泣き虫でどうしようもないわたしがわがままを言うのだ。駐在さんのもとを離れたくない。ひとりでなんて行きたくない。困らせるだけとわかっているのに。


「わかります、でも」


 今のわたしはどうしてもわがままを言ってしまう。


「アカネ」


 駐在さんがわたしの目じりにたまった涙をを親指でぐいと拭いた。


「今すぐというわけじゃない、いつ行くか、それはお前が決められる」


 駐在さんの言葉に、わたしは徐々に冷静を取り戻していく。猶予は与えられる、そのことに少しだけ安心したのかもしれない。



「わかり、ました」


 駐在さんに頼らず、自分で涙をぬぐった。力をこめて目元をこすってしまったので痛かった。


「わたしに、時間をください、ちゃんと、気持ちの整理を、つけます」


 なんとか言葉を振り絞り駐在さんにそう伝えることができた。駐在さんは、わかったとだけ言ってわたしの頭に手を置いた。駐在さん、そういうことされると、決意が揺らぐんですけど。


「駐在さ、わ」

「すまない」


 頭の上に置かれた手がすぐ後頭部にいったかと思うと、いきなりぐいと引き寄せられた。何度目だろう、おでこに駐在さんの胸が当たる。駐在さんの心臓がドキドキとしているのがわかる。


「俺も、2週間もお前を目の届かないところへやるのはつらい」


 駐在さんはそんな告白をした。だから、駐在さんそういうこと言うのはずるいです。抗議のつもりで駐在さんの胸板を叩いてみる。駐在さんは、すまないと言いつつも後頭部の手をはなしてくれなかった。


「気持ちの整理が必要なのは、俺もだな」


 駐在さんが自分に呆れたようにそうつぶやいたのが聞こえた。

 駐在さんに触れられるとはなれたくない気持ちが強くなる。けれど、駐在さんの手が触れているところが温かくなると不思議と安心も感じる。駐在さんの心臓の音をおでこで感じると、不思議と安らぐ。

 わたしはそっと目を閉じた。


 もう一度駐在さんの胸板を叩いて、駐在さん、と呼びかけると駐在さんは、すまないが俺の気持ちの整理にもう少し付き合ってくれと言った。駐在さんは、暖炉の薪が燃え尽きるまで気持ちの整理を続けた。







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