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ごぽり、と音がした。そうだ、わたしは水の中に落ちた。
その日は明け方に海が荒れた。だから夜中に港を出たわたしたちの漁船は帰り道、海に襲われた。
激しい波がわたしの体の自由を奪う。目が開けられなくて視界はまっくらだ。お父さんの悲壮な顔が頭に浮かぶ。これは直前に見たお父さん。わたしの頭に手を置くお父さん、これは今日の出航前にみたお父さん。お誕生日席でスピーチするわたしに対して惜しみない拍手を送る漁師さんたち。これは昨日見た漁師さんたち。わたしの制服姿を見て酒瓶片手に涙するお父さん。これは2年前。ランドセルをしょったわたしの写真を撮りまくるお父さん。これは、もう何年前だろう。慈愛に満ちた顔でわたしをのぞきこむお父さん。たぶんこれはわたしが生まれたときのお父さん。
それが走馬灯だと気が付いたとき、わたしの意識は真っ暗になった。
「けほっ、え、けほ」
「よかった!目を覚ましたぞ!」
え、なに、まぶしい。それに全身が濡れててきもちわるい。あとなにか野太い声でさわいでいるのは何?
「体を起こせるか?」
背中に手が添えられた。それにぐっと押されて上半身を起こしていく。まぶしさにもだんだんと目が慣れてきた。大きな呼吸をひとつする。呼吸ができる。それは、わたしが生きているということ?いや、わたしは海に落ちて死んだはず。それとも手遅れになる前に助かったのだろうか?
考えていると肩にタオルがかけられた。ふわふわのタオルだった。それが実際にどんな匂いなのかと聞かれると困ってしまうが、そのタオルからは異国の匂いがした。
「体をしっかりと拭いた方がいい、あいにく着替えが無いんだ」
上から降ってくるように聞こえた声で、まだ背中に添えられた手が支えてくれていることに気が付いた。声のした方を見てみるとそれは怖い顔をした、おじさんともお兄さんともいえない男性だった。
その稲穂のような黄金色した目を見ていると、わたしは変なことを思うのだった。
「な、なんだ?そんなに見るな、恥ずかしいだろ」
わたしはわたしとして2度目の生を受けたのだと思った。