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自殺願望委員会  作者: よしだちせ
【序章】 異世界なう、help!
2/2

02 自死



今。つまり俺がリオ山脈の崖の上で自殺を図ったこの日から約一週間前の朝。




俺が目覚めたのは見知らぬ部屋だった。




はねおきた瞬間に見たものすべてを、

俺は1つも覚えていなかったのだ。

付けっぱなしのテレビから

脱ぎ散らかしてあるスリッパまで

昨日の自分の行動が何一つ思い出せなかった。

ドレッサーの隣に置かれた説明書でかろうじてホテルであることは理解できたが、

ホテルに泊まった覚えすらない。

そこが俺にとっての最大の問題であったのか。

否。この際そこはどうでも良かったのだ。

1日泊まっただけのホテルを鮮明に覚えていることは、普通でもないかもしれない。

そう思ったのも一瞬で、俺はそれより重大な2つのことに気がつく。



1つ。

昨日の行動すべてではなく、昨日「まで」の行動すべてが思い出せなかったこと。

2つ。

自分が誰であるかも思い出せなかったこと。



「は!?」

思わずあげてしまった素っ頓狂な声が広い部屋に虚しくこぼれ落ちた。

今あげた声が間違えようもないような低いハスキーボイスであったことと、

鍛え上げられている筋肉質な腕を見たことによって

自分の性別が男であることを知った。

文字通り飛ぶようにベッドから立ち上がり、

ベッドルームにひとつしかなかった扉を叩くように開ける。長い廊下に並ぶ扉を一つずつ開けていく。

ダイニング、リビング、シアタールーム、トイレ。

なんて部屋に泊まってんだ、という思考より先に見つけ出したのはバスルーム。

駆け込むように入り鏡の前に立つ。

ー誰だよこれ。

鏡には金色の短髪美少年が映されていた。

普通だったら自分が美少年であったことに歓喜の表情を浮かべる場面であるが、

頬にある大きな赤い2つの切り傷によって

それは阻止されてしまった。

記憶喪失。脳裏によぎった4文字が頭の中で飛び跳ねる。

ここでやっと自分の置かれた状況を理解した。

記憶無いんだ。

頬の傷をなぞった指に視線をうつす。

今思えば俺はこの時、恐ろしいくらいに冷静だったように思う。

記憶が失われているというのにも関わらず、

むしろ俺はこの状況にワクワクしていたのかもしれない。

テレビや漫画でしか見たことのないようなことが今自分に起きているのだ。

一週間後に自殺スポットに足を踏み入れることになるだろうとは頭の端ですら考えていなかったと思う。





その後俺は素早くリビングに戻り見当たるところにある限りの荷物をまとめ、とりあえず外に出ることにする。が、しかし。

財布がないのである。部屋中どこを探しても。

「マジかよ~…。」

この広い部屋の中に一人でいると、どうしても独り言が多くなる。

頭をぼりぼりとかきながら思考を巡らせていると、重要なことに気がついた。

携帯電話。

連絡先から何やらそこに刻まれているではないか。

素早く鞄から携帯を取り出す。

が、連絡先どころかメールや着信履歴まで綺麗さっぱり消されていた。

ここでようやくことの重大さに気がつくのだ。

空白の携帯と消えた財布。



あれ、もしかして俺。

誰かに記憶消されたんじゃね?



誰が、なんのために、なぜ俺を。

浮かぶ疑問を解決するための手がかりなど無く、

俺はとりあえず携帯電話に記されていた家の住所に行ってみることにした。

家族が居れば何かしら自分の事がわかるかもしれないと思ったからだ。

但しそれが出来るかは不明だった。

こんな広い部屋に泊まっておきながら無一文なのである。

自分の家に帰る前に警察に逮捕される確率の方がはるかに高いだろう。

俺がこの場でどうやってそれを切り抜けるか少ない知識を寄せ集め考えた結果。

とりあえず部屋から出てみようという考えに至った。





荷物を持ってハンガーにかかっていたダッフルコートに身を包み扉を開けると、

ホテルの従業員らしき人が扉の近くを徘徊していた。

彼女は俺と目が合った瞬間、

掃除用具を持ったままバッと腰を45度折り曲げた。

「エリック様!おはようございます!」

「えっあっ、おはよう…?」

その清いまでの挨拶の仕方に間抜けな声をあげてしまう。

さすが高級ホテルといったところであろうか。

いや、にしても大袈裟すぎやしないか。

ここで一つ収穫があった。

エリック、という名前である。

自分の名前や顔、ホテルの外観を見るに

俺は北欧系の国で生まれ育っているようだ。

「本日の朝食はどのような形で?」

俺より数十センチばかり小さい彼女を見下ろすように

「あ、いらないです、すみません。」

とだけつぶやく。

と、彼女はその美しい顔を一瞬で蒼くした。

文字通り血の気が引いていくような。

「…すみませんなんか変なことしました?」

「つかぬことをお聞きしますがー…、ほんとにエリック様ですか…!?」

掃除用具を持つ手は震えている。

そのただならぬ様子に疑問を覚えた。

俺はよほどの食いしん坊であったのだろうか。

「じゃあ頂いてから行きますかね…」

「わ、私などに…けっけっ…敬語をお使いになるなんて…。」

そっちか。…え、ていうか。

こんな人として当たり前のことが前の俺は出来ていなかったのか!

確かに金を持っていることをいいことに偉そうにする奴はいる。まさにそれだったのではないか。

ほんとですか。すみません、と頭を下げると彼女はととととんでもない!と掃除用具を地面に落とした。

「ま、いいや。そういえば昨日俺が寝てからこの部屋に誰か入りました?」

「いいえ…エリック様の部屋は外側からだと登録されている指紋認証を受けないと入れない仕組みになっていまして、従業員ですら入ることはできません。」

従業員が入ることが出来るのは俺が自ら指紋認証を解いた後からだと言う。

確実なセキュリティに頭をかかえる。じゃあなんで記憶ないんだよ。新手の認知症だろうか。俺のどこへ向けるべきかわからない怒りは従業員の心配そうな顔を見て収まってしまった。

「英雄様…なにかあったんでしょうか?」

まだ困惑した様子の彼女の言葉には、なにか引っかかるものがあった。




… 英 雄 ?




「ちょっと待ってください、英雄って、え?」

「…やっぱり長旅でお疲れになっているのですか?」

いや記憶喪失だよ!と言いたくなるのを堪える。

ここで記憶喪失であることを打ち明けるメリットはあるだろうか。

身内でもないいちホテルの従業員に『英雄』とまで呼ばれているほど有名な俺が記憶喪失であることが世間に知られれば、

英雄の座(?)を奪うべく地方から屈強な戦士達がこの場に集まるのではないだろうか。

この時点で自分を多大評価しすぎていた俺は

言葉を飲み込み、そーなんですよぉと声を漏らした。

「もちろんこのホテルでもエリック・ベルガー様はこの世界で『唯一』魔法が自在に扱える英雄として讃えられていますよ。」

「まほう!?」

魔法。まほう。マジック。

RPGのようなゲームなどのファンタジー世界でよく耳にする異能力に、俺は目を見開いた。

世界で唯一魔法が使える英雄。

スゲエ!記憶なくなる前の俺スゲエ!

まあもちろん記憶喪失したことによって魔法を使う方法なんかも綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだが。

謎に興奮しだした俺を可哀想なものでも見るような目で従業員が一瞥した。

「でも思ったよりフレンドリーな人だったんですねエリック様ってー。昨日とは別人みたいです。」

彼女がそう言って本日一番の微笑みを見せたところで、俺はこの無一文警察署直行ルートの打開策を思いついた。

「すみません、今日このあとすぐに行かなくては行けない場所があって…いつ戻ってこれるかわからないのですが急ぎなので今日の部屋代はその時でも大丈夫でしょうか?」

「それは困ります!いくら英雄様でも…。」

「本当に急いでるんです!」

ビリ、と俺の迫ったような声に従業員は身を震えさせた。

そう。この英雄という立場を使い、俺は逃亡を図ろうとしているのである。

彼女は少し考える素振りをした後、決意したように頷いた。

「上には私から言っておきます。そこの非常口からお出になってください。」

鍵はあいてますから、とつけたす。

いや信用されすぎでしょ。

記憶を失う前のじぶんに感謝しつつありがとう、とだけつぶやき廊下を駆け出す。

記憶がないにも関わらずその足取りは軽かった。






それから一週間後。

つまり今。リオ山脈の崖の上。

あの時の俺とは対象的に俺の足取りは重かった。

空気を斬る音が耳を劈き、

体を揺らす風が後ろから吹き付けるようなこの地になぜ俺が至ったのかというと。

この一週間のうちにおきた様々な出来事が俺を自殺に追い込んだからである。

まあそれはのちのち天国で語るとしよう。

「…なんでこんなことに…。」

記憶を失う前の俺は『英雄』と讃えられそれはそれは豪華絢爛な生活を送っていたに違いない。

記憶を失ってしまったばかりに…。

すでに流しきったとばかり思っていた涙が右目からこぼれ落ち、肌を濡らす。

息を大きく吸い込み、下を見た。

広がっているのは黒い空間。

底が見えない高さに生唾を飲み込んだ。

でも自然と怖くない。

それが「自殺をすることを肯定しているような」気がしてきたのだ。

文字にすれば変な感じだが、なかなか的を得た表現だったと思う。




目をつむる。

俺は押される風に身を任せるように、その身を奈落の底に投げた。

落ちている間は空気を斬る音も体を揺らす風も全部静止しているかと思うくらい静かだった。





数十秒経っただろうか。

まだ地面に体がぶつからない違和感に目を開くと。







「は?」

そこにあったのは奈落の底ではなく。

目を丸くしたままおよそ10mくらい下で訝しげにこちらを見る数人の人間だった。

そう。俺は体を地面に叩きつける前に。

浮いてしまっていたのである。



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