カフェップル
「いいな、美紀の匂い」
「やだー、タッくんてばやめてよー」
「なんだありゃ…」
俺は今カフェにいるんだが、どう考えても場違いなバカップル。とても見ていられないなと自然とその目を細めてしまっていた。
「そんなこと言っちゃって。実は羨ましいとか思ってるんじゃないの?」
「……それは本気で言ってるのか?」
俺の正面の席に座っている数少ない女友達であるなつみが信じられないことを言い出した。
何事も一生懸命で真面目だけど、男女の境なく話すような子で、俺としては好印象。だからこうしてカフェに来てゆっくりとした時間を過ごすことも多くなっていたのだが。
まさか、こんなあからさまにイチャついているカップルを肯定するような言い方をするとは思っていなかった。
「本気で、ってなにが? 私が思ってるわけじゃなくて、ヨウくんがそう思ってるだろうなってことを代弁しただけだけど」
「バカな。なつみは俺がそんなこと思うように見えるか?」
「そうだね」
あっさりと答えやがった。
「だいたい男の子ってそういうことばかり考えてるんじゃないの?」
「なつみからそんなことを言われるとは思わなかったな」
なつみとの仲が心地よかったのは、今まで恋愛の話とか変に突っ込んだ話をしてこなかったからだ。突然こんな話を、しかもカフェの中でするとは思っていなかったから、整理もつかないというものだ。
「うん、今までしなかったからね」
まるでこれまでわざと封印してきたかのような言い方だ。
「なつみでもそんなこと考えることがあるんだな」
「なんか失礼な言い方だけど……気にしない方がいいのかな」
「ぜひそうしてくれ」
「むっ、軽く流された」
「そりゃ流すわ。どう答えればいいって言うんだ」
「……俺もなつみの匂いをかいでみたい、とか?」
「どうせ言うんだったら思い切って言うべきだな」
なつみの顔は俺の方を向いていなかった。あからさまにわかりやすい、そして珍しい、照れのポーズだ。下を向いて小さく口をとがらせているところなど、レア中のレアと言っていい。
「そんなの、照れずに言える方がおかしいでしょ」
「なら無理して言うなよ」
「しょうがないでしょ、あんな……見ないもの」
途中がよく聞き取れなかったが、なるほど。今日のなつみがおかしいのはそのせいか。
「要するに、なつみはこの光景に動揺していると」
「改めて言葉にしなくてもいいから」
どうやら正解だったようだ。
「俺は大人だから、このくらいなんてことないぞ」
「さっきドン引きしてたじゃない」
「言うなよ」
なつみが口元を上げ、眉がわずかながら下がる。わかりやすくはないが、笑っている証拠だ。だいたいこんな表情をするときは、たくらんだことが成功した時のものだというのがしゃくなのだが。
でも、こんなゆるい付き合いが心地良かった。
「じゃあ……」
ようやくカフェらしい雰囲気が出来上がったというときに、なつみが立ち上がる。
「なんだよ?」
トイレにでも行くのか? そんなの恥ずかしがらず言ってくれりゃ良いのに、と構えた俺だったが。
なつみは俺の方に向かってきて、ゆったりとした一人用の椅子が急に狭くなった。
「あ……えっ!? なっ……なつみっ!?」
自分でも信じられないくらい、裏返るような声がついて出た。
「なに?」
冷静を装っているような言い方だが、そこそこの付き合いでもわかる。俺と同じく一段階声が高くなったなつみが、俺のすぐ横に座っている。
「何やってるんだよ?」
周りの視線やら俺の心臓やらが痛くてどうしようもないが、なるべくそこには気を向けないようにしないように、なつみに話しかける。
このままなつみの方を向いてしまうと、キスでもしてしまいそうなほどの近さになってしまう。顔は正面を向いたままという不格好な体勢だ。
「隣に座ってる」
「それはわかるが」
近すぎて、顔を背けていても匂いがはっきりわかる。シャンプーの香りだろうか、それともなつみの匂い? とにかく鼻孔をくすぐりまくって、このまま気絶してしまいそうだ。
「……だって匂いかぎたいって」
「言ってない」
ちょうど匂いの話になったので急に正気に戻った俺は即否定してしまう。我ながらバレバレだと思った。
そんな俺の気持ちを見透かしているのか、それとも遊んでいるのか。なつみはそのまま動いてくれない。
「やだー、ヨウくんってばやめてよー」
どうやらなつみは遊んでいる方だったらしい。
「棒読みで言うなよ」
「感情こめればいいの?」
「できるんだったらな」
さっきのカップルのマネをするだけでも棒読みになるなつみが、そんなことできるわけない。そう踏んで、いい加減あきらめてもらおうと賭けに出てみる。
「そっか……」
俺のもくろみが成功したのか、今までより声のトーンが下がったように聞こえた。
相変わらずイスは狭いまま、周りの視線も痛いままだが。
というか、このままでいると本当にいけない。どんどん変な気分になっていく。なつみの香りは俺の鼻を容赦なく刺激していく。気のせいか今この瞬間、さらにその香りが強くなったような……
「って」
気づくと俺の右に座っていたなつみに左手をひかれ、俺の頭がなつみのひざあたりにダイブしそうになっていた。
パニックというのはこのことを言うのか。明らかなツッコミどころがあるのに、何も言葉が出てこない。
「んっ……くすぐったいっ。ヨウくん、やめてっ」
なつみから離れようと、自然と起きあがる格好にしていたらしい。なつみの言葉に一度正気になった俺は、なつみの胸元あたりに触れていた。
それだけでも再び頭が混乱しそうになるには十分なのに、ついさっきできないと踏んでいた感情込めての言葉が追い打ちをかける。次の行動をどうすればいいのかさえ見えないほどになる。
完全にあのバカップルと一緒、いやむしろ越えている。その考えが、なんとか俺の意識をキープしていた。
「バカ、何考えてるんだ」
「だって悔しかったから」
「悔しいって何がだよ」
「知らないっ」
間近で見るなつみの目を閉じて横向くふくれたしぐさに、俺はどうかしてしまったのか。今思う素直な気持ちをそのまま言葉に出してしまっていた。
「なつみってそんなにかわいい感じだったか?」
「いまさら気づいたの?」
やっぱりかわいくない。それでこそなつみなんだけど。
なつみが横向くのをやめないので俺も追ってみると、そこにはさっきのバカップル。
気のせいか、目配せしているように見えた。
「まさか、なつみ……」
俺の問いかけになつみは答えず、口元を上げ、眉を下げるだけだった。