06:変らざる日常
俺が目を覚ましたのは月曜日の午前七時半の俺の部屋のベットで、自分がいつ帰宅したのかまったく分からないまま、家を飛び出した。家族に聞いて、逆に追求されるのも嫌だったし、面倒だった。いつも通りに通学し、教室に入るとそこはスーパーのタイムセール並みの混雑が生まれていた。とてもじゃないが自分の席につけるとは思わなかった。
「いよう。」
そう言って背中を叩くのは一人しかいない。俺は面倒くさそうに
「惚気は聞かんぞ。それにしてもこの人だかりはなんだ?」
「ああ、舞浜乱舞が登校してきたから、それのファンクラブじゃないか?」
「ファンクラブ!?何でそんなものが?」
「おまえ、疎いからなそういうの。舞浜は日本舞踊古武術の家元ってのは、この前話したよな?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「日本舞踊古武術は元来、日本舞踊を舞う者が護身術として発展した武術で、その基礎として日本舞踊が舞えるというのが必須条件、つまり日本舞踊を踊れないと話にならない訳で、舞浜はその訓練として舞舞座で週3回、舞踊を披露している。」
「それで何でこんなに人気なんだ?」
「こっからは別料金だ。」
ニコニコしながら手を差し出す高島に、俺は渋々ながら一円玉を置いてやる。
「ちょ、これはないだろう。」
「俺の全財産だ。ありがたく受け取れ。」
「嘘つけ!財布から札が見えてるし。」
「これはミスト紙幣だ。」
「ミスト・・・?ゲーム雑誌の付録かよ!ってどう見ても日本銀行じゃねーか。」
「違う。日本子供銀行だ。」
などとくだらない押し問答の後、美樹のタイヤキの件と高島伸行惚気禁止委員会を自主謹慎することで合意を得た。
「まあ、人気の理由は・・敬老の日にある女生徒が祖母と二人で舞踊を見るために舞舞座を訪れ、舞浜の神々しいまでの舞踊に一目惚れ、それから口コミと舞浜のミステリアスな学校生活が話題を呼んで学年学校問わず大人気という訳だ。もちろん、男女両方から好かれる・・もといい、どちらにも見える中性的容姿も大きく影響しているらしいがな。まあ、かわいらしさは俺の彼女には劣るけどな。」
「最後の一言は減額対象として申請していいか?」
「だめだ。」
そんなことを話していると、丁度チャイムが鳴り怒涛の勢いで人が教室から出て行く。もちろん俺は数人の生徒にぶつかり教室の外まで押し出される。高島は器用に流れを縫って脱出していたが、自分も隣の教室だったことを思い出し、流れに加わった。
俺は呆然と立ち尽くした。なぜ乱舞が俺の隣なのか必死で思考を目ぐらし、ある結論に思い至る。今まで、自分の席の隣は机はあれど人は座っていなかったことを思い出した。
「おはよう。気絶していた割には元気そうでなによりだ。」
「ああ、心配してくれてありがとう。乱舞もあれだけ殴り合っていたのに平気そうでよかったな。」
「かなり不覚を取ったが・・・・お前の戦略の勝利というところかな。」
「そうだな。自分が考えていたのとは大分違ったが・・・勝てたことは正直良かった。そういえば・・・」
俺は『誰が俺を運んだのか?』と聞こうとして恥ずかしいのでやめた。
「そういえば、美樹は遅刻か?珍しいな。」
「いや、一度、伊予野先生の所に天体観測部がらみで用事があると言っていた。」
「それが長引いているのか・・・。」
「・・霧島に礼を言っておけよ。彼女はビショビショに濡れた制服のまま君をおぶって家に連れて行ったのだからな。」
「美樹が?そうか・・・知らなかった。」
「それはそうだ。あの一撃をもろに食らったんだ今来られているのが不思議なぐらいだよ。」
そう言って、昨日使った無残な扇子を俺に渡す。扇子はにわかに重く、取り落としそうになった。俺はまじまじと扇子を見る。扇子の木の部分、骨と呼ばれる部分に仕込みの金属が入っており、それを木で覆うという細工が施されていた。
「それを一撃でへし折ったんだ。あいつは・・」
俺は背筋に冷たいものを感じ、扇子を乱舞に返した。
「私も精進が足りないと、昨日のAria Warで思い知った。それまでは多少の相手には必ず勝てると思い込んでいた私が愚かに思えて仕方がない。」
「まあ、確かにあの二人は別格だとは思うが・・・」
俺と乱舞は思い思いに昨日のAria Warを振り返っていると、五分遅れで伊予野と美樹が教室に入室してきたので、思考は中断された。美樹が席に着いたのを見計らって伊予野が遅刻を詫び、朝のホームルームが開始される。
「今日、放課後あいてるよね?」
と美樹が俺と乱舞に話しかけてきたが、伊予野が私語をしている美樹に視線を飛ばしたので、俺と乱舞は頷くに留めた。
昼休み、中庭の外れにあるベンチで俺と高島伸行は昼食をとっていた。空は憎たらしいぐらい快晴で午後の体育の授業を憂鬱にさせたが、この場所は樹木がうっそうとしており幾分過ごしやすい。俺は昨日のAria Warの話を高島に聞かせてやり、その対価として高島伸行惚気禁止委員会を自主謹慎を解除した。高島が”焼き蕎麦パン”なる購買部の怪しげな食料を詰め込みながら聞く。
「その二人は歴史研究調査部の月夜と名乗ったんだな?」
「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」
「いや・・・歴史研究調査部とはまた厄介な所と絡んだなと思ってな。」
「何が厄介なんだ?」
「歴史研究調査部に関することでロクなことがないと大評判だからな。」
「例えばどんなロクでもないことなんだ?」
「部活動の買収や生徒会への献金、教師への脅迫、その他色々だな。」
「なんだその昼のワイドショー的展開は。」
「言うと思ったが・・事実だ。実際、科学部なんて完全に買収されてる。まあ、その分、派手に部費使ってるから少数派の科学部的には最高なんだろうけど。」
「ふーん。そんなに金があるなら天体観測部にも回してほしいもんだな。」
「マジで言ってるならやめとけ。奴隷に近いからな。」
俺はそんなことはないだろう。と笑って話題を転じる。
「所でそのいかにも不味そうなパンは美味いのか?」
「不味そうなモノに美味いか?と問うのはこれいかに。まずそうに思えるなら食べなくてよろし。っておばあちゃんに習わなかったか?」
「生憎うちの祖母はほとんど料理を作ったことがない。祖父が頑固板前だったからな。」
「それは幸せなことで。」
俺が教室に戻ると美樹はなにやらにやけ顔で手紙を読んでいた。俺は不吉な思いに駆られ美樹に声をかける。
「どうした?ニヤニヤして。」
美樹は満面の笑みを浮かべて
「オカミさんから手紙がきたの!」
「文通?珍しい趣味だな。」
「え~。そんなことないよ!」
普通今時の高校生ともなれば携帯の普及率は99.9%を突破しており、そのやり取りはメールを用いて送られることになる。手紙や紙でのやり取りは絶滅危惧種といっても過言ではないはずである。
「最近は携帯のメールでやり取りするのが普通だろ?」
「そんなことないよ!オカミさんだって手紙は”人の心の具現化”だって言ってたし。」
「”人の心の具現化”ねぇ・・・・それよりなんて書いてあるんだ?」
「手術日が決まったんだって。それでね、助かるかもしれないんだ。」
「助かる?そんなに重病なのか?」
「うん。なんでもココロノ病なんだって。」
「ココロの病?精神病か?いや、でも手術するんだから心臓病か。」
「とっても大変な病気で、手術費用一千万かかるの。そのお金私もちょっとは手助けしようと思って、募金活動とかやってるんだよ。でも最近忙しくて会えなかったんだけど・・・・元気そうで良かった。」
「それは良かったな。返事は書くのか?」
「うん。部活の話とか書くと喜んでくれるから、昨日のこととか書くつもり。」
「ふーん。それじゃ、俺の活躍っぷりをその人にも伝えておいてくれ。クールで二枚目のナイスガイの活躍をな!」
「えー。やだよ。というかオカミさん、あんたのこと知らないじゃん。」
「冗談だ。」
そう言って俺は自分の席に腰掛ける。
「そう言えば今日の放課後なにかあるのか?」
「うん。天体観測部の活動について伊予野先生からレポートの提出や注意事項等があったの。それを伝えることと、今後のAria Warについて少し話したいなと思って。」
「レポート・・・また、厄介なものが増えたな。」
「でもA4用紙一枚に観察記録を書くだけだからそんなに大したことはないって言ってたよ。」
俺は眉間に皺を寄せ
「それは伊予野先生が言ったのか?」
「そうだよ?」
伊予野は過去のオリエンテーリングで『たいした事ではない。』と言いつつ男子全員に早朝マラソン12キロを命じた過去があるので俺は暗澹とした気持ちになった。まあ、大半の男子はバスに乗り距離を稼いだ挙句、蜜柑畑に侵入し蜜柑を食べて時間を潰していたのだが、もちろん伊予野に見つかった者は容赦なくボランティア活動として残りの時間全てを蜜柑農園の草むしりという重労働を命ぜられ、学校に帰ってからも草むしりの重労働と反省文1000枚による誓約文まで書かされてしまったのだ。この事件から男子生徒の間ではシベリア送りならぬ”伊予野送り”なる言葉が生まれたのは言うまでもない。
「伊予野送りにならない様、気をつけるとするか。」
「伊予野送り?なにそれ?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ。」
六時限目が終了し、俺は図書室に向かっていた。なんでも阿呆の美樹が手紙に夢中で森本に天体観測部に集まる事を伝え忘れたらしい。美樹は六時限目後に再び伊予野に呼ばれてしまったし、乱舞は乱舞で三十分ほど所用で抜けると言い出したので仕方なく俺がこうして図書室を訪れたしだいである。図書室というのは元来、おかっぱ頭のビン底メガネでやたら背の低いコロロボックルかと言わんばかりの小柄な少女がいるという偏見が俺にはあったがどうやら違ったらしい。
図書室に入るなり椅子を並べて、文庫本を顔に乗せ昼寝をしている髪の長い女子生徒と俺より更に長身の女子生徒が悠々と最上段に本を戻して整理していた。俺は森本の姿を探して見たがどうやらいない様である。そんな事をしていると長身の女子生徒がこちらに気づき声をかけた。
「あ、今整理中で図書室使えないんだけど・・・表に立ち入り禁止のプラカード立ってなかった?」
俺はしばし思案し、入り口に戻って確認してから
「たってないっすよ。」と答える。
彼女はため息をつきながら
「漆原。立てといてって言ったじゃん。もぉ。」
などと言いながら図書準備室から『ただいま整理中です。入室できません。』
のプラカードを持ち出し俺に渡す。
「悪いけど出る時に立てといてくれる?入り口の扉にフックがあるから。」
「ああ、いいっすけど、森本さんいませんか?」
「裏館長?」
「裏館長?なんですかそれ?」
「ああ、ごめん。あの子のアダ名なんだけど、裏図書館長、略して裏館長って言われるぐらい有名なんだけど知らない?」
「全然。それは図書館の裏番長みたいなもんですか?」
「う~ん。ちょっと違うかもしれないけど・・・・あの子さ、寡黙で真面目で超が付くぐらい記憶力がいいんだけどね。何でも2~3日で図書室の全ての蔵書目録暗記したんだって。すごくない?私なんて1年かかっても覚えられないのにさ。」
「お前の記憶の悪さはクラス一だからね。」
そう言って今まで寝ていた漆原が欠伸をして起き上がる。
「クラス一じゃないもん!」
「悪かった。学年一だったね。」
「違うもん!」
へらへら笑いながら漆原と呼ばれた女子生徒は俺を見ると
「少年。森本女史に何か用なのか?」
「部活の伝達なんすけど、部長が伝え忘れてたみたいで代わりに俺が・・」
「つまり君は天体観測部部長のパシリで森本女史に用件を伝えにきた訳だな。」
「ええ、そうです・・・・・ってなんで天体観測部って分かったんですか!?」
「霧島女史は超有名人なんだよ。それの部活に入っている人も同様にね。おっと帰ってきた様だ。森本、君に霧島女史のパシリ君が用があるってさ。後は我々に任せて二人で部活に行ってきなさい。」
森本は一礼して俺に視線を送ると俺も森本に続いた。
俺と森本は図書室を出るとプラカードをフックに掛け天体観測部部室を目指した。俺が何か話そうか迷っていると先に森本が口を開いた。
「う、漆原先輩と・・・・な、仲がいいのですか・・・」
「いや、今日はじめてあった。」
森本は立ち止まり大きく目を見開く。俺がどうしたのか尋ねると
「い、いえ・・・・う、漆原先輩があんなに会話している所は高井先輩、以外
はじめてみました。」
「そんなに無口な人には見えなかったな。」
「む、無口ではないんですけど・・・・・なんていうか毒があるというか・・・棘があるっていうか・・・・とにかく近寄り難い人なんです。本当は。」
「そうなのか・・・ところで本当に図書館の蔵書目録全て覚えてるのか?」
「そ・・・・それは・・・・本当です。へ・・・変ですよねでも覚えちゃうと逆に忘れられなくって・・・だから皆、”裏館長”なんて呼んでるし・・・・」
「いや、まあ、俺からしたら円周率100桁暗記してる奴とそれほど変らないと思うぞ」
「わ、私・・・1000桁まで暗記してます・・・・」
「・・・・まあ、記憶力がいいにこしたことはないって。」
などと俺はフォローにならないフォローを続け不毛という境地に到達したころに部室に着いた。
部室にはすでに全員が揃っており森本を先に座らせ、自分の席に着こうとして甚五郎のよだれが大量に付着しているのに気づいてやめた。
「よし。これで全員集合ね!では本日の天体観測部会議を始めます。」
一同は霧島に視線を集め、俺は阿呆の権化たる部長こと美樹にヌルイ視線を送る。
「今日は天体観測部の天体観察の記録について話します。伊予野先生から定期部活動報告会用の観察記録を作成しておく様にと各自にバインダーを貰いました。」
ちなみに用紙はこちら。と言いながら美樹は三人に一枚の紙を渡す。用紙はテンプレート化されているようで、観察した星座や星の名前等々いくつかの欄があった。
「これを基準に書けばいいのか?」と俺
「うん。一回の部活動で一人最低三枚だって」
「三枚!?そんなに書くのか!?俺が分かる星なんて月と太陽ぐらいだぞ!」
「うーん。でもまあ3枚なんてすぐだよ。」
美樹はかなり余裕そうだがこの阿呆がまともに宿題をこなしているとは思えないので俺は更に追及することにした。
「簡単っつっても一応、レポートだぞ?感想に『星が綺麗でした。』で終わるわけには行かないんだぞ!?」
「え!?ダメなの?」
「ダメに決まってるだろ!」
どうやら本気で『星が綺麗でした。』で終わらせる気だったらしい。俺は更に追及すべく前に乗り出したが、ここで意外な助け舟が出た。
「あ、・・・あの・・と、図書室に毎月の星座の本が・・・あります。よ、良かったら借りてきましょうか?」
「そうね。その本を借りて調べればいいじゃない♪」
さすがに俺もこの提案には賛同するしかなく、とりあえず本を借りて今度のAria Warで試してみようという事になった。
「それで次のAria Warはいつなんだ?」
「えっと・・・二日後の水曜日、午後八時から。場所は前回と同じ公園。」
「二日後!?もうちょっと期間を空けた方がいんじゃないのか?週一回とか。」
「うーん。今は次の試合を自動的に組むように申請してるんだけど、一週間に一回に申請し直した方がいいかな?私としてはこのペースでもいいと思うんだけど。」
乱舞は腕を組みながら
「私は今の状態でもかまわないが、前回の様な戦いが続けばいずれは万全を期す為に、休まなければならない日が出るだろう。」
「た、確かに厳しい戦いでした・・・・」と森本
「それじゃ、今週は今のペースで行って来週からは週一回に申請してみましょうか。それならいいよね。」
「私はかまわない。現状でもいい稽古になっている。」
「わ、私は皆さんみたいに上手くできないけど・・・・できるだけがんばります。」
二人の意見を聞き最後に俺に視線を向ける。俺の天体観測部内での地位はそれなりに向上していたが三人が支持している意見を覆せるほど俺に力はなく、俺は沈黙をもって返答とした。
そう。この沈黙が決定的にいけなかった。沈黙はあくまで沈黙であり、そこに意見や意思があるわけがなく。あの阿呆の代弁者たる霧島美樹はあくまで自分の都合のいいように過大解釈し、しなくてもいいこの戦いを激化させたのは言うまでもなく。その大罪は今後の天体観測部の部活動によって支払われることになろうとは今の俺には夢にも思わなかったのである。