02:天体観測部
午後の陽気と共に英語なる意味不明な言語を一方的に喋る英語教師を眼前に俺は大あくびをする。季節は五月の終日、そろそろ梅雨入りしそうなものだが太陽は顔を隠すことなく日々を過ごしている。英語教師が一方的に英語を喋りながら黒板に向かったので、俺はクラスメイトを見渡す。4月に入学したとはいえ人間の適応力は素晴らしく教室の大半のものがブレザーを着崩し、教科書の下には漫画が敷かれているという按配だ。
英語教師が振り返り、
「ここ来月のテストにでるぞ。しっかりノートをとっておけよ。」
その声でにわかに教室が忙しくなる。漫画を読んでいた者も漫画そっちのけでノートを取り始める。俺も意味の理解できていない文字をノートにつづる。英語教師が再び黒板に向かったのを見計らったように俺の背中をつつくのは一人しかいない。俺の席は教室の端の列の後ろから二番目、隣の列は人数の関係で俺の隣までしかいないので、”そいつ”であることはほぼ確実だ。俺は迷惑そうに振り返る。
「なんだよ。」
「ねぇ・・・天体観測部は入らない?」
「はぁ?また唐突だな・・・」
「まあ、そう言わないで・・・ね?」
”そいつ”こと”霧島美樹”は苦笑しつつ入部届けを押し付けてくる。俺は迷惑そうに受け取りながら
「そんなに部員足りてないのか?」
入部しないかと誘うのは大体が部員数不足に悩む部活ぐらいだ。そもそも足りてれば誘う必要は無い。無論、学校に非公式同好会として活動する部活もあるにはあるが数は少ない。
「うん・・・・今、部長の私だけ・・・」
「廃部寸前かよ・・・・。」
「だから助けると思ってお願い!」
俺は暫し思案し上手い逃げ口上をひらめく。
「じゃ、他に部員が三人集まれば入ってもいいぜ。」
この学校では部員五名以上・年五回の活動報告・担当顧問が存在することが部として成立させる最低条件である。そして、五人いればレポートは年に一回どんな形でも良いし、研究結果が出ていないと言う理由で適当に報告をでっち上げる輩も少なくはない。顧問は5人寄った時点で学校側から選出されるか、事前に教師にお願いするかであるが大半は前者である。
「うむぅ・・・・」
彼女は二の句が繋げないらしく渋い顔をしている。
「まあ、その三人を集めるのが難しいのだけどな。」
そう言って俺はノートを取るべく黒板の方を向こうとして彼女に引き止められる。
「じゃぁ・・・・入部届けの別枠に部員が四人になった時点で入部しますって書いてよ。それぐらいならいいでしょ?」
俺は眉をひそめつつ
「四人になったら確実に入ってやるって、まあ、入ったとしても幽霊部員だけどな。」
「でも・・・・今日、一回目の定期部活動報告会だよ?今日の午後五時までに部員が揃わないと・・・廃部なんだけど・・・・」
俺はその言葉に呆れ、美樹の悪あがきっぷりに希望の光を当ててやるべく入部届けに自分の名前と制約を綴った。
「ほい。これで問題ないだろう。」
彼女は満面の笑みで俺の入部届けを受け取り
「ありがとう!」
英語教師が渋い顔で振り返ったが何も言わず、また”あいつ”かと言わんばかりに黒板に戻った。
”霧島美樹”にはわずか在校一ヶ月で伝説がいくつも存在する。彼女は本校に新入生中最下位の成績で入学し、さして広くもない校内で迷い自力で教室に帰還できなくなったり、体育の授業に遅れまいと三階から飛び降りて平然としていたりと、とにかくクラスでも浮いた存在ではあるものの、元来の明るさかさして悲観しているようには見えない、というよりは気づいていないのかもしれないが・・・
美樹は口元を押さえ
「ごめん、入部届け書いてくれるのがあなたでようやく”4人目”」
俺は耳を疑ったが目の前で真実を見せつけられる。美樹の手には”本日付け”の入部届けが3通と俺の入部届けが握られていた。
天体観測部が廃部になると決め付けていた教師達にとっては、その事態はまさに想定外であり、元顧問の教師はすでに転勤していた為、天体観測部は顧問未定のまま現状維持となった。しかし、幽霊部員を満喫することを定期部活動報告会後、美樹に宣言していた俺は部室に行くことなく一週間が過ぎた。
午後の睡魔と格闘しながら英語なる理解不能な言語をひたすら書き写し、一人、絶対日本から出るまいと心で堅く決意した俺に美樹が声をかけた。
「ねぇ。部員と顔合わせしておきたいんだけど・・・・今日とか空いてないかな?」
「無理だな。」
俺は即答しておいた。
「んもぉ。昨日も同じこと言ってた。」
彼女は頬を膨らませながら俺を追及する体勢に入る。
「大体、欠席の理由は?部員同士顔を合わせておくのは悪くはないと思うんだけど」
冗談ではない、あんな奇妙奇天烈を絵に描いた人物に会ってはいけないと俺の本能が警鐘を鳴らしている、と俺は確信している。
ことはほんの数日前の昼休み、両親が探偵社を営み小学校時代からの親友でもあり俺の隣のクラスにいる高島伸行に『天体観測部についての』調査報告を聞いていた。
「お前が言っていた天体観測部な。ありゃ、悲惨だな。」
そんな説明から入り、天体観測部の実態が明かされる。天体観測部は”天体観測研究部”という名称であったが元々仲良しグループが深夜に堂々と遊ぶ為の帰宅部であり、去年の報告はA4用紙一枚という壊滅的な報告量である。また、大晦日に酒を飲んで暴れていた一人が補導され、他の四人も芋づる式に責任を負う羽目になったという。また、排他的な部活であったようで入部希望者は数人いたようだがいづれも部長権限で握り潰した様子であった。そんな部活が長く続くはずがなかったのだが、一体何の神の采配か・・・部員0人で名前だけの天体観測研究部を目ざとく見つけ部長に就任した霧島美樹はまず部活の名前を天体観測部に変更、たった三日で部員を5人にし、定期部活動報告会を乗り切ったのはまさに伝説だといっても過言ではあるまい。
そんな概要を聞きながら親切な友人は部員についても調べていた。まず、一人目は森本 栞 図書委員に所属する大人しい娘であり、記憶力が抜群にいいらしい、なんでも一週間の図書室の作業で全ての目録とタイトル、整理番号・貸し出し記録全てを把握し、図書委員の全員の顔と名前を記憶しているらしい。二人目は舞浜乱舞、六月を過ぎたにも関わらず出席回数十二回というとんでもない人物であるが、成績は常に一位で全国模試もほぼトップテン入りする神童である。しかし、性別不明で日本舞踊古武術の家元というすごいんだか、すごくないんだか、よく分からない人物である。三人目、霧島甚五郎 一切が不明だがどうやら存在しない人物らしい。名簿も何者かに偽造された形跡が見つかっていた。
まあ、こんな情報が俺には伝わっていたので俺はとにかく関わらないように気をつけねばならなかった。
「こっちも色々忙しいんだよ。」
「忙しいってどんな用事?」
「だから色々だ。」
「色々って具体的には?」
「具体的に色々だ。」
「その具体的に色々な内容は?」
「具体的に色々だから内容も色々だな。」
「じゃ、具体的に色々な内容も色々なことはどんなことをするの?」
「そりゃぁ・・・具体的に色々な内容も色々なことを色々とするんだよ
。」
とりあえず意味が分からなくなった俺は黒板の文字をノートにつづる。その後、小声で美樹が何か言っていたが沈黙をもって返事とした。
六時限目が終了し、即行で教室を出た俺は高島伸行と合流後、近くのコンビニでアイスを買い公園のベンチで『天体観測部について』の続報を聞いていた。
「天体観測部は悪行の塊だな。例の仲良しグループは素行が悪いとかそういうんじゃなくて、知能的愉快犯みたいだったが。」
高島は天体観測部の過去に興味を持ち、あの”霧島美樹”が部長に就任したことで、今後の動向の注目株になったことから、過去の情報が高く売れるかもしれないなどと話していた。俺はそんな話は興味がなくあの”霧島美樹”からどうやって部活動の誘いを断るかを思案していた。
「ほほう。恋ですか?」
俺の横顔を見ながら不意に高島がそんな事を言ったので、俺は渋い顔をしながら、たとえ世界が滅亡しようとそれはありえない。と答えたが彼は取り合わずこんなことを言った。
「なんなら霧島美樹について調べてやろうか?好きな物とか好きな色とか誕生日とか?」
「調べられるのか?」
「当たり前だろう。人物調査はうちの会社のオハコだぞ?その技術を俺が使えないわけがない。」
などと大仰なことを言ってアイスの棒をゴミ箱に投げる。上手く棒切れはゴミ箱に吸い込まれたので彼は更に上機嫌になる。
「じゃ、頼むわ。」
その言葉に高島は驚き、
「本当か!?」
「ああ、頼む。しかし調べるのは『弱点』と『嫌いなもの』な。」
彼は呆れた表情を浮かべ、ベンチを立つ。
「まあ、いいか。一応調べといてやるよ。もちろん好きな物と誕生日もな!」
そう言って高島は走り出す。俺はゆっくりと立ち上がり手を上げて別れの挨拶を交わした。高島には中学時代からの彼女がおり、時間になるとダッシュでその娘の所へ向かうのは周知のことなので、俺は一人家に帰る事にした。
次週の金曜日、俺はクラスの担任に呼び出された。特に身に覚えがないが、ドキドキしながら担任の待つ進路指導室に入った。担任の名は『伊予野 凛』という女性教師で黒髪短髪で名前の通り凛とした女性だ。
「きたか。待っていたぞ。」
普段の丁寧な口調とは違い、少し砕けた口調で椅子を勧める。
「まあ、座れ。」
「あの、俺なんかしました?」
「心当たりがあるのか?なら言ってみろ。」
「いえ、ないので聞いています。」
「そうか、ならいい。まず、こちらから伝えることがある。私が天体観測部の顧問となった。大体の状況は部長の霧島から聞いた。成り行きとはいえ、入部したからには、部活動を行なう義務があると私は考えている。よって今日の午後から天体観測部に行き、部員達と共に部活動をしてもらいたい。私からは以上だ。」
「はぁ・・・ってえええええええええ!」
「何だ。突然大声を出して、問題でもあるのか?私が確認した所、他の部活動やアルバイト・塾等にはいっていない様だが他に用事があるのか?」
「いえ・・・、でも部長があの”霧島美樹”ですよ?そして悪評しかない天体観測研究部、に奇天烈な人物が集まっている天体観測部ですよ!?」
伊予野は不敵な笑みを浮かべて
「なんだもう知っているのか、意外と情報通なんだな。確かに普通から程遠い生徒達だが、個性的と言う範囲内でどうにか我慢してくれ。」
「無理です!」
「ほう。会ったこともないのに完全否定か。若いのにそれでは苦労するぞ。一人一人生き方が違うのがこの世の常、それを理解し歩み寄るのが人というモノのあり方ではないかな?」
俺は返答に詰まりいい言葉を探すが見つからず目が泳ぐ、それを伊予野は見逃さず畳み掛ける。
「まあ、そういうことでひとつ頼むぞ。私からは以上だ。退出してよし。」
俺は何もいえぬまま進路指導室を出る。出た先には霧島美樹の笑顔が広がっていた。
はめられた!などと、あがいた所でどうにもならないので俺は素直に霧島美樹に従い天体観測部部室に向かう。部室は東京の小さいワンルームアパート並みの狭さにロッカー三個、テーブルと付属する4つの椅子、ホワイトボード、パソコンセット、天体資料と週間プレイボーイを収めた棚が一つに、犬の置き物、教室と同じゴミ箱、4人入ればかなり狭くなるのは目に見えている。
「まあ、どうぞ。」
そう言って美樹は入室を勧める。中にはすでにメガネ娘の森本と人形の様な顔立ちで男女不明な袴姿の舞浜がいた。俺は二人と距離を取りながら座る。美樹は楽しそうにホワイトボード前に立つと宣言した。
「ではこれより、天体観測部年間部費の割り当てについて話合いたいと思います。」
「ちょっと待て、まず自己紹介だろう。普通!」
「でも全員一年生だし、そんなに気兼ねすることないから後回し。」
「後回しって、おい!」
「大丈夫だ。名前なら分かる。」
そう言ったのは舞浜だった。ハスキーな男の様な声に聞こえるがボーイッシュな女性の様にも聞こえる。なんとも不思議な声だ。
「いつも、部長の霧島さんが話していた。我々四人もつい先日顔を合わせた程度だ。」
「ちょっと待て。今ここには四人しかいないはずだが・・・」
そう言って、首筋をべチョリと舐められる。俺はなんとか首を動かすと置物だと思っていた犬が俺にもたれ掛かり、首筋を舐めている。
「甚五郎!大人しく座ってなさい。」
そう言って犬は最初いた位置に戻り、再び動かなくなる。首輪には霧島甚五郎と達筆な文字で彫られたドックタグがぶら下がっている。
「これでようやく五人揃ったんだから、早く議題を終わらせたいの。だって天体観測部だけよ?年間活動とか年間部活動費内訳とか決まってないの。」
俺はもはや眩暈がしてきた。部員が奇人変人かと思えば人ですらなかったのだから俺のこの時の精神的衝撃は計り知れない。もはや頭が真っ白だったに違いない。
舞浜は時間を気にした様に入り口の真上になる時計を確認し、
「そうだな。そうして貰えるとこちらも助かる。後、一時間もすれば稽古があるのだ。それまでに決めれることは早く決めてしまいたい。」
「乱舞ちゃんもそう言ってるんだし!早く議題を進めよう!」
「わかった。時間が決まっているんじゃ仕方ないな。」
「年間部活動費は三万五千円と決まっていて、使用できる条件は機材の購入、交通費、施設の使用料金、消耗資材など。それでこれが見積もり。」
そう言われ三人にプリントが配られる。俺はその内訳を見て驚愕する。
『天体望遠鏡十二万八千円、星図一万八千円、六文儀四万八千円、天体観測用野外テント十八万二千円、地方遠征観測費、十五万・・・・』ずらりと並んだ高額商品に目が点になる。
「っとまあ、天体観測をするのにもお金がかかるの。もちろん部費は三万五千円しか出ないわけで・・・」
「自腹とか言わないよな?」
俺は確認の為、美樹に問いただすと、美樹は笑いながら
「まっさか~。私だって持ってないよこんなお金。」
俺はほっと胸をなでおろし安堵する。
「でもまあ、当てがないわけではないんだけど・・・」
そう言ってもう一枚プリントを配る。プリントには『サバイバルゲーム感覚!君もエリアウォーに参戦せよ!賞金一万円 参加費五千円』とパソコンで適当に書いた文字が並んでいる。俺は怪しいを通り越して詐欺ではないかと思ったが、審判はどうやらうちのボランティア部が行なうらしい。
「どう?やってみない?三万五千円は使えるから7回はチャレンジできるし、勝てば五千円増える!そして総合的に勝ち越せば一攫千金も夢じゃない。」
「そう。上手くいくはずがないだろう?金がかかっているなら相手も必死になって来るぜ?」
「フフゥン。それなら大丈夫!負けそうになったら逃げ続ければいいの。そうすれば、再試合になるわ!」
「なんだそのルールは?」
「勝利条件っていうのがあって、それを達成するか敵陣営を全滅させれば勝利。つまり全滅させれなかった。もしくは勝利条件を達成しなかった場合は再試合となるの。だから引き分けが結構多いんだって。」
「それはどこからの情報だ?」
「ボランティア部の審判の人から話を聞いてきたの。ボランティア部に助っ人をたまに頼まれるんだって。」
「なんでまたボランティア部が?」
「さー。私には分からないけどボランティア部の人が奉仕作業として行ってるのは確かだよ。」
「ふーん・・・・話は戻るが勝利条件があるんだろう?それの有無はどうなってるんだ?」
「えっと・・・形式と勝利条件があって形式は公正な立場にある運営が決定するの。そして、勝利条件は連続勝利数の少ない方、もしくは実力が劣っている方が決定できるの。でも形式が決まっているから、形式に則した条件を選ぶってわけ。」
「つまり、初めての俺らは自分達に有利な勝利条件を選べるわけか。」
「んーまあ、そうね。自分達が一番やりやすいのを選べるわね。」
「武器っつーか、道具?はどうするんだ?」
「それなら心配ご無用、ボランティア部に借用の道具があるそうだから、それを借りるの。」
俺は怪しさの権化と化したエリアウォーの危険性を探るべく、英語の授業より、当社比300%ほど思考をフル回転しながら追求したが、なかなか尻尾を出さないうちに一時間が経過してしまい、多数決による採決を取ることとなった。
「それじゃ。民主主義的に多数決で決めましょうか。それじゃ反対の人~?」
なにがなんでも、天体観測部のイベントは避けねばならないし、本音を言えば一秒でもこの場にとどまっていたくはなかったが、霧島美樹の暴走はなんとしても阻止せねばなるまいと、俺は走れメロスがごとく紳士的に手を挙げた。しかし、ここで俺の想像を絶するまさに想定外の事態が発生した。
「あれ?一人?他の人は賛成?」
「私は棄権だ。実際、顔を合わせて二日目の新参者の私が意見するのも気が引けるので意見を見送らせてもらう。一度、エリアウォーをやって見てからでも意見を言うのは問題ないだろう?」
舞浜乱舞は落ち着きを払った台詞を言うがごとく発言し、メガネ娘の森本 栞も伏目がちに
「わ・・・私も・・・き・・棄権・・します。」
「じゃ・・・・エリアウォーは参戦ってことで決定ね。」
「ちょっと待て、なぜそうなる!?賛成1・反対1・棄権2のはずだが、この場合少し様子を見てもいいんじゃないのか?」
霧島美樹はキョトンとした顔でこういった。いや・・・言いやがった。
「賛成2・反対1・賛成よりの棄権2で賛成じゃないの?」
「賛成2?なぜだ?」
そう言って、犬がハァハァ言いながら、俺の首筋を舐める。
「甚五郎?あんた賛成よね?」
「バウ」
「賛成だって。」
「ちょっと無理があるだろ。」
美樹は首をかしげ、どこが?といいたげだが、ここを引いてはならないと俺の本能が激しく警鐘を鳴らしている。と思い反論を加えようと口を開く。
「いや・・・」
「申し訳ないが私は稽古があるのでこれで失礼する。エリアウォーの詳細が決まったら教えてくれ、それでは。」
そう言って乱舞は部室を去っていく。これが完全なダメだしとなり、俺の抵抗むなしくエリアウォーなる意味不明な騒乱劇の幕開けとなってしまった。