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私にとっての論理的整合性とは

作者: ぽぴ
掲載日:2026/04/16



 最近、私の書いたエッセイには、人間のエゴやノイズが足りないとAIから分析された。


それが足りないから、淡々とした冷たい印象になるらしい。


その指摘を受けて、「そもそも、私はなぜ論理的整合性にこだわるのか?」という疑問が湧いた。



それについては、まったく考えてこなかった。



 私の状況を整理し、関係してそうな要素をピックアップしてみると、「変な問題を見つける」、「大学にいけなかった」という2つの要素が見つかった。


 「変な問題を見つける」というのは、臭いと水溜りの変色から下水道管の腐食を見つけたり、現代の制限なき自由を擁護してしまう誤った自由論の問題や、転売問題における公平な観察者を欠いたアダム・スミスへの死体蹴りなど。



「個人では解決できない問題を見つける癖」のことを言う。



 「大学にいけなかった」というのは、大学に行きたかったが、パーソナリティ障害者の両親から逃れるために、実質的に16歳で家を出ていたという話だ。


つまるところ、私は大学で学んでいないために、「問題を提起し、解決する」といった教養が身についていない。



だから私は、論理的整合性にこだわる。



 感情を廃した文章で、かつ論理的にある程度の整合性があれば、そういった問題に関心があり、教養がある人間の目に止まるかもしれないからだ。



「教養なき私が見つけた問題を、社会に提示するために感情を廃し、論理的整合性にこだわる。」



つまり、私にとっての「論理的整合性」とは、教養なき私が見つけた問題を、社会に提示するときに着るドレスコードのようなものである。






【あとがき】


 感情が多く入った文章は、社会を見る限り、問題の提示として不十分らしい。



 私は、「臭いと水溜りの変色から下水道管の腐食を見つけた」と言った。これは実際にその通りだったようで、その場所では下水道管の補強工事が行われる。



 下水道管の腐食を見つけたとき、国土交通省にメールで通報した。


そのときに、自分の感情ではなく、事実に則した内容を書く必要が強くあると考えた。


「人通りの多い場所で、陥没の危険性がある」と感じていたために、必ず担当者の目に止まってほしかった。

 

個人の不安や私情を多量に交えた話では、「よくある通報」として、流されてしまうかもしれない。



(担当者が不真面目と言っているわけではない。人間の脳機能の観点から、脳のバグの話をしている。)



だから、「晴天時に臭いがキツくなること」と「数年前から、雨が降ると必ず、特定の場所にオレンジ色の水溜りができる」という具体性と危険性を訴えた通報を行った。



もし私が、「クサイ臭いがして、道路が陥没しないか心配です」と通報していたら、担当者はその訴えを拾ってくれただろうか?


たぶん、スルーされていた、と私は思う。



だから私は、問題の提示を行うときには、論理的整合性というドレスを身にまとう。場合によっては、人の命が失われるかもしれないからだ。



このドレスはみすぼらしいものなのか?

そもそも「ドレス」と言えるのか?

上手く着こなせているのか?


そういった疑念は相変わらず消えないが、それでも信じて進み続けようと思う。




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― 新着の感想 ―
 多分それはコンプレックスだけでなく社会に適応する努力だと思いますよ?  社会は不条理に溢れている、法や倫理を理不尽に降り翳し他者を支配下に置こうとする。こうして秩序は成り立っているものですし。  い…
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