episode:07
会社への案内は明日――そう決まり、アシドはカリナと別れた。
宿屋のベッドに仰向けになり、天井をぼんやり見上げる。
指先を軽く払うと、宙に半透明のウィンドウが立ち上がった。連絡先と、簡単なプロフィール。
「カリナ・ハーバー……」
思わず、その名を口にしていた。
不思議な少女だ。
クロノスの力を使っても“歪み”が生じない――そんなことは、今回が“二度目“だった。
「なんじゃ。あの娘に惚れでもしたか?」
不意に、部屋の中で声がした。
「……誰だ!」
反射で上体を起こす。
視線を走らせた先、ランプの灯りの下に――白いボブカットの幼女が立っていた。
幼い見た目に似合わず、頭の両側には小さな角が二本、ちょこんと生えている。
「誰とは心外じゃな。――我じゃ、我」
「まさか……クロノスか?」
幼女はニヤリと笑い、得意げに頷いた。
「……お前。なんだ、その姿は」
「ふむ。娘と別れる前に、我の力で“分身体”を作っておいたのじゃ。貴様の中から、この身体を操っておる」
「分身体……?」
「姿を消して驚かしてやろうと思ったのじゃが――大成功じゃな!」
「勝手なことを……」
アシドは深く息を吐き、こめかみを押さえた。
長い付き合いだ。こいつに何を言っても無駄だと、骨の髄まで分かっている。
「それより、貴様よ。やはりあの娘の力が気になったのであろう?」
「ああ……まあな」
目を細める。
思い出すだけで、胸の奥が僅かにざわつく。
「世界に影響を与えずに、お前の力を使えたのは……あの日以来だ」
「あの“オーブ”を使ったときじゃな」
アシドは黙って頷いた。
五年前。――《環裂のコロニー事件》。
その時、かつて所属していた組織から、琥珀色に輝くオーブを手渡された。
あれを握っている間だけは、今日のようにクロノスの力を最大限行使しても、世界に歪みが残らなかった。
「だが……歪みが出るときと、出ないとき。違いはなんだ?」
「シンプルじゃ。おそらく“距離”と、“我の力の大きさ”じゃな」
「距離は……カリナに近いほど、ってのは分かる」
アシドは言葉を継ぐ。
「力の大きさってのは、世界に与える影響のことか?」
「その通り。貴様が我を強く引き出すほど、歪みも大きくなる。
あの娘から出るマナがその歪みを固定、抑え込んでいるように感じたのじゃ」
幼女――クロノスは指を一本立てた。
「つまり貴様が我の力を“最大限”使うには、娘が側にいる必要がある」
「……そもそも、カリナになぜあんな力がある」
「我の力による代償を抑えるほどの力が、なぜあの娘にあるのか我も知らん」
即答だった。だからこそ、背筋が冷える。
「ただ確かなのは、あの娘も“普通”ではないということじゃ」
クロノスは口角をつり上げる。
「それを確かめるために、会社に入る気になったのじゃろ?」
「……それもある」
アシドは、宙に浮かぶウィンドウを見つめたまま言う。
「だが、それだけじゃない」
「ほう? というと?」
アシドは、自身の手に感じた、カリナの手の温もりを思い出す。
「カリナとなら――今まで見えなかった“何か”が、見える気がする」
「えらく抽象的じゃな」
笑う声が、やけに近い。
アシドは答えなかった。
ずっと一人で戦ってきた日々が、変わる。
どこかに所属すべきではない――そう分かっている。
それでも、その“前提”を揺らがせたのが、カリナという少女だった。
――やはり、不思議な存在だ。




