episode:05
(しまった――やられる)
迫り来る“死”を、アシドはただ見ていることしかできなかった。
漆黒の刺が、視界を塗りつぶしながら迫り来る――
その刹那。
目の前の空間が、紙を揉むように僅かに歪み。
金髪の少女が、あり得ない距離から“滑り出る”ように現れた。
「――間に合え!」
――《サンクチュアリ》アクティブ――
カリナを中心に、やわらかな光が花のようにひらき、二人を包み込む。
直後、黒い刺がぶつかる音がした。
ギィ……ッ。
光の膜が、漆黒の殺意を受け止める。
膜の表面が波打ち、花弁の縁にひびのような歪みが走った。
「カリナ!」
「くっ……守りは、あたしに任せて!」
額に汗を浮かべ、歯を食いしばるカリナ。膝がわずかに沈む。
テレポートとサンクチュアリ――どちらも発動に時間がかかる高位アーツだ。
それを彼女は、二つ同時に“待機”させたまま、いざというときに備えていた。
待機中は無防備になる。自分に危険が及ぶかもしれないのに。
「……バカなやつだな」
口元に、一瞬だけ笑みが浮かぶ。
だがすぐに、アシドの表情は締まった。
起動したアーツは、簡単には止められない。
カリナが防いでいるとはいえ、アビスは攻撃の手を休める気配がない。刺が次々と生まれ、光膜を軋ませる。
(アシド、歪みが……既に消えておる!)
クロノスの声に、はっとする。
意識を周囲へ向けると、確かに――さっき生まれた“歪み”が、もう消えていた。
(今なら大丈夫なはずじゃ。使え、アシド!)
アシドは一瞬だけ、目の前で光を支える少女を見た。
迷いはある。だが、やるしかない。
「……行くぞ」
(クロノ・ゼロキャスト)
その瞬間。
想像を絶するマナが、アシドの内側で噴き上がった。
心臓が一拍、“遅れた”気がする。血の温度が、刹那だけ引く。
次の瞬間、膨大なマナは圧縮され――アビスの足元に、白金の紋が“円環”を描いた。
密度が異常だ。
空気が透明になる。匂いが剥がれ落ちる。
音すら薄くなっていく。
白金の輪が、完全にアビスを捉える。
「な、なんだ!? これはッ!」
人型のアビスが逃れようとする。
だが、円環の内側に立ち上がった光の壁が進路を塞ぎ、無言で押し戻した。
「あ、あれは……」
カリナが息を呑む。
――視界の端で、記憶が灼ける。
五年前。《環裂のコロニー事件》。
見たこともないアビスが顕現し、コロニーが落ちた夜。空を縫った“あの円環”。
本来、長い詠唱と十数人分の力。
一対一の実戦では、まず使い物にならない代物。
それでも、威力は絶大。
あらゆるアビスと、その“由来”すら、完全に葬り去る魔法系アーツ。
――オルビス・ルーメン――
光が、アビスの身体を削るのではない。
“アビスとして成立している理由”そのものを、現実から奪っていく。
「今度こそ、終わりだバケモノ!」
円環が収束する。
白金の輪が、中心へ向かって狭まる。逃げ場の概念ごと圧し潰すように。
パキン。
アビスのレンズが割れた。
中身は空洞だった。空洞のはずなのに、そこには“闇”だけが詰まっている。
闇が叫ぶ。
音にならない叫びで、現実を掻きむしる。
その叫びを――光が上書きした。
天蓋が裂ける。落ちてきたのは雷でも炎でもない。
純度だけで世界を圧する、一本の光。
光はアビスを貫き、円環を伝い、糸を一本残らず洗い流す。
黒は煙にも灰にもならない。
ただ、意味を失って崩れていく。存在が――“成立しなかったこと”にされていく。
最後に残ったのは、黒い雪のような粒が、さらさらと落ちる光景だけだった。
……円環が消える。
黒い雪が止み、戦場には巨大な円の焼き跡だけが残った。
そこにはもう、アビスの気配すら――ない。
その余波が、アシドの仮面の術式を焼き切った。
黒い靄のように、仮面はゆっくりと霧散していく。
この魔法系アーツを、たった一人で発動できる人物は、一人だけ存在する。
カリナは、その素顔を見つめ。
喉の奥で、名前を転がすように呟いた。
「七英雄……零劫」




