episode:03
アシドは杖をオーガへ向けた。
――《エクスプロージョン》アクティブ――
キィィン……
ズドォン!!
巨大な炎の柱が、視界いっぱいに立ち上がる。
熱気が肌をじりじり焼き、息を吸うのも苦しいほどの爆炎。
次の瞬間、オーガは――消えた。
跡形もなく、文字通りの“消し炭”になっていた。
「うそ……魔法系アーツまで、この威力……」
信じられない光景に、カリナは言葉を失う。
だがすぐに我に返り、アシドへ詰め寄った。
「てか、それより! あんた身体いったい――」
――《スリープミスト》アクティブ――
言葉を遮るように、アシドはアーツを放つ。
カリナの身体からふっと力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「おっと」
倒れかけた身体を受け止め、ゆっくり木にもたれさせる。
寝息を立てる顔は、なぜか安心しきっていた。
アシドは状況を整理するため、意識を内側へ落とす。
(クロノス。説明しろ)
内面のさらに奥。
寄生する巨大な闇――最強のアビスの一柱へ語りかける。
(貴様が死ねば我も消える。だから力を使ったまでよ。
それに、お主があそこまで弱れば、我を抑え込めぬようだな)
愉快そうな声が、頭の奥で響く。
(そうじゃない。あれほど“時を戻す”力を使えば、また世界に歪みが出るはずだ)
(そのことか。おそらく、その娘が原因であろう)
(ますます意味が分からない。ちゃんと説明しろ)
(我もよくは分からぬ。こんなことは初めてだ。
我が力を使った瞬間、確かに世界は歪み、亀裂が入った。
だが――その娘から溢れたマナが、亀裂を塞いだのだ)
アシドはカリナを見る。
だが、彼女に特別な力があるようには見えない。
(彼女が何かしたようには思えなかったが)
(娘の意思ではあるまい。今も、亀裂を塞いだマナが身体から溢れておるぞ)
(試しに、その娘の“眠っている時間”だけ先へ進めてみるとよい。
このまま起きるのを待ってはおれぬであろう)
(……だが)
迷いはあったが、クロノスの提案にも一理ある。
反射的に眠らせたのは失策だ。彼女をこのままにはできない。
この間にも周囲の“アビス濃度”は上がっていく。
(どちらにしろ、確かめる必要があるか)
アシドはカリナへ手を翳す。
《クロノス》の力を、ごく一部だけ――慎重に行使した。
(ファストクロック)
その瞬間、カリナの身体が灰色の膜で覆われた。
――時間だけが、彼女の周囲で早回しになる。
木陰の影が、地面を走るように移動する。
葉先についた露がみるみる蒸え、土の匂いだけが濃くなった。
やがて、カリナはゆっくりと目を開けた。
「ん……」
(歪みが……ない)
(だから言ったであろう。理由は分からぬが、娘の近くでは問題が起きぬようじゃ)
今まで、こんなことはなかった。
少しでも《クロノス》の力を使えば、因果のズレから世界に歪みが生まれる。
歪みが大きくなれば亀裂となり、その向こうから未知の強大なアビスが現れる。
だからアシドは、武器の切り替えやアーツ短縮など、限定的な使い方に留めてきた。
――だが、彼女がいれば。
その力を、際限なく使えるかもしれない。
もし、昔……彼女がいたなら――
忌まわしい記憶が浮かびかけ、アシドは頭を振って追い払った。
今は考えるな。
先にやるべきことがある。
「……あれ? あたし、なんでこんなところで寝てるの?」
カリナは上体を起こし、周囲を見回す。
記憶にわずかな混乱がある様子だった。
「オーガが飛びかかって、あんたがアーツで倒したとこまでは覚えてるんだけど……」
「その時、後ろに倒れて気を失っていた」
「そっか……。ねぇ、それじゃ、その前のは……夢じゃないんだよね?」
――忘れていてくれた方が都合がいい。
そう思った、その瞬間。
(話してしまえばよかろう。我の力――クロノス様の力で時を巻き戻した、と)
(バカなことを言うな。お前の存在を口にできるわけがない)
「時を戻した? それに……クロノスって」
カリナの呟きに、アシドは目を見開いた。
「お前……聞こえるのか?」
「う、うん。あんたの声じゃないよね、これ……。頭に直接、聞こえてくる」
(ふははは、これは愉快だ)
クロノスは、カリナに向かって語りかける。
(娘よ。我はこの者の中に宿る、原初のアビスの一柱だ。
お主をかばって死にかけていたこの者の傷を癒やしたのは、我の力よ)
「おい! 勝手に喋るな!」
アシドはこれまで見せてこなかった感情をあらわにする。
カリナは僅かに驚きつつアシドを見た。
「それが……なんで、あんたの中に?」
(それはだな――)
「クロノス、いい加減にしろ!」
(ふむ。これ以上は黙っておくとしよう)
クツクツと笑いながら、クロノスは悪びれもせず言った。
アシドは息を吐き、言い捨てる。
「とにかくだ。俺はこの“よく分からん化け物”のおかげで生きながらえた。
……俺自身も、普通じゃない」
そして、突き放すように続ける。
「分かったら、さっさと引き返せ。――他言無用だ」
こんな秘密を知れば、怖くなる。
そう思っていた。
カリナは一瞬だけ、唇を結んだ。
目が揺れる。――怖い、のだ。もちろん。
けれど彼女は、視線を逸らさなかった。
「……びっくりはした。正直、一瞬怖いって思った」
言ってから、カリナは小さく息を吐く。
それでも、まっすぐ続けた。
「でも、あんたはあたしを守ってくれた。――それだけで十分」
アシドは仮面の下で目を見開く。
――お前は私の最高傑作であり、欠陥品だ。正真正銘のバケモノだ――
かつて、自身に向けられた言葉が甦っていた。
「どうしたの? 急に黙って」
カリナが首をかしげて見つめてくる。
「アシド……アシド・クルーガーだ」
「え?」
「まだ、自己紹介していなかったからな」
今度はカリナが目を見開く。
そして満面の笑みを浮かべる。
「うん! よろしくね、アシド! あとね、あたしも言い忘れたんだけど」
カリナは一歩距離を詰めて、アシドの手を取る。
「ありがとう、アシド。あたしを守ってくれて」
最後に人と触れあったのはいつだっただろうか。
握られた手から、心地よい暖かさがじんわりと広がっていくように感じた。




