表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

第7話 少しだけ、あの日のように



 朝の光が、白いカーテン越しにやわらかく差し込んでいた。


 目を覚ますと、まず天井の装飾が視界に入る。見慣れたはずのそれが、今日は少しだけ違って見えた。



(……昨日のこと、夢じゃなかったのね)



 セラフィーナは小さく息をつき、身を起こす。

 胸元に手を当てると、まだかすかに残る緊張の名残が感じられた。


 ほどなくして、扉が静かにノックされる。



「お目覚めでいらっしゃいますか、姫様」



 侍女が入室し、手際よく身支度の準備を始め、セラフィーナは鏡の前へ移動する。



「本日から、少しだけ日々の過ごし方が変わります」



 その言葉に、セラフィーナは鏡越しに侍女を見る。



「変わる……?」

「はい。お披露目会が無事に終わりましたので、これまでよりも、午前中に自由なお時間を取っていただけるようになりました」



 自由、という言葉に、セラフィーナは小さく目を瞬かせた。



「午前中だけ……なの?」

「ええ。午後からは、これまでどおり勉学のお時間でございます」



 侍女は穏やかな声で、続ける。



「三年後、姫殿下が十歳になられましたら、貴族学園へ入学なさいます。そのために、礼法や歴史、そして魔力の扱い方など、基礎となる学びを少しずつ進めてまいります」



 貴族学園――



 国中の貴族の子どもたちが集い、学び、将来の立場を定めていく場所。


 セラフィーナは、まだ見ぬ学び舎を思い浮かべる。

 知らない同年代の子どもたち。

 新しい決まりごと。

 そして、自分に求められる「姫」という立場。


 どれも、まだ少し遠い話のように感じられた。


 セラフィーナは、鏡に映る自分を見つめながら、静かに耳を傾けていた。



「決して厳しいものではございません。ですが、学園での生活に戸惑われぬよう、今から慣れていただく必要がございます」

「……そうなのね」



 三年後。

 その言葉を胸の中でそっと繰り返す。



(わたくしが、学園に……)



 まだ遠い未来のはずなのに、不思議と現実味を帯びて感じられた。



「ですから、午前中はお庭へ出られてもよろしいですよ。気分転換も、大切ですから」



 その言葉に、セラフィーナの表情がふっと和らぐ。



「本当? お庭に行ってもいいの?」

「はい。ですが最近、空気も冷えてまいりましたので、城内にあるお庭へご案内いたします。動物たちも、すでに集まっている頃かと」



 くすりと微笑む侍女に、セラフィーナも自然と笑みを返した。



 ***



 身支度を整え、朝食を終えるころには、胸の奥に残っていた緊張はすっかり落ち着いていた。

 代わりに、静かな期待が、そっと芽生えている。



(お庭……久しぶりね)



 精霊とも、動物ともつかない、あのあたたかな気配を思い出しながら。

 セラフィーナは、午前の光に満ちた時間へと心を向けていた。


 そうして朝の支度が一段落ついた、そのとき。



 ――コンコン。



 控えめなノックの音が、部屋に響いた。



「セラフィーナ姫殿下。朝のお支度が整いましたようなので、お迎えにあがりました」



 扉の向こうから聞こえたのは、静かで落ち着いた、騎士の声だった。


 扉が開かれると、そこに立っていたのは、端正な立ち姿の少年だった。


 背筋をまっすぐに伸ばし、立ち居振る舞いが洗練されたその姿は、年齢以上に落ち着いて見える。


 エインだった。


 彼は一歩下がり、胸に手を当てて、丁寧に一礼する。



「本日より、護衛を務めさせていただきます。エインと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」



 あらためて名乗られ、セラフィーナは小さく目を瞬かせた。


 昨夜のお披露目会では言葉を交わしたものの、こうして静かな朝に向き合うのは初めてだった。



「こちらこそ、よろしくお願いします。エイン様」



 そう答えると、エインはわずかに表情を引き締め、もう一度頭を下げる。



「ありがとうございます、セラフィーナ姫殿下。本日は、午前中に自由時間が設けられていると伺っております。もしお望みでしたら、お庭までお供いたしますが」



 その言葉に、セラフィーナの顔がぱっと明るくなった。



「ええ。ぜひ、お願いします」



 そう答えた声は、穏やかで、どこか楽しげだった。



 ***



 部屋を出ると、朝の光が差し込む静かな回廊が広がっている。


 セラフィーナは、きょろりと周囲を見回した。

 歩調を合わせて進む足音が、静かな廊下に控えめに響く。


 少し前を行く侍女の足取りは迷いがなく、その後ろを、エインが騎士としての位置を崩さずに歩く。

 視線は前へ、けれど意識は常に、セラフィーナの動きに向けられている。


 廊下を進むにつれ、空気がわずかに変わっていく。


 冷えを含んでいた城内の気配が、次第にやわらぎ、ほのかに草と土の匂いが混じりはじめた。


 やがて、天井の高い区画へと足を踏み入れる。


 壁際には蔦が這い、石造りの柱が並ぶその先に、大きな扉が静かに佇んでいた。


 侍女が静かに扉を開けると、あたたかな空気がふわりと流れ込んでくる。


 そこに広がっていたのは、城の内に設えられた庭園。

 高い天井には透明な装飾窓がはめ込まれ、やわらかな光が、室内いっぱいに降り注いでいる。


 冬の訪れを忘れさせるほど、瑞々しい緑。

 整えられた芝と花々は、外気にさらされることなく息づいていた。


 城の中でありながら、確かに庭である場所。


 寒い季節でも庭を望んだ彼女のために、父王が設けさせた、特別な空間だった。


 足を踏み出すと、柔らかな土の感触が靴越しに伝わる。


 芝の上では、小さな動物たちが思い思いに身を寄せ合っている。

 鳥の羽音がかすかに響き、草の間を駆ける気配が伝わってきた。


 セラフィーナの表情が、ふっとほどける。


 その肩口で、白い気配がそっと揺れた。

 アウラが、いつもの位置に戻るように寄り添う。


 そのときだった。


 芝の上にいた小さな影が、ぴたりと動きを止める。

 耳を立て、鼻をひくつかせ――次の瞬間、ぱっと顔を上げた。


 一匹、また一匹と、視線が集まっていく。


 鳥が短く鳴き、羽ばたきながら低く旋回する。

 草陰にいた小動物たちが、恐る恐る身を乗り出した。


 気づいたのだ。

 この庭に、彼女が来たことを。


 セラフィーナは、驚いたように目を瞬かせ、すぐに小さく笑みを浮かべる。



「久しぶり、みんな」



 呼びかける声は、無意識のうちに柔らかくなっていた。


 すると、緊張が解けたように動物たちが一斉に動き出す。

 芝を踏み、花の間を抜け、彼女のもとへと集まってくる。


 その様子に、セラフィーナは思わず膝を折った。


 手を伸ばせば、温もりが返ってくる。

 小さな体温と、規則正しい鼓動。


 気づけば、背筋に残っていた緊張は、すっかりほどけていた。


 少し離れた場所で、その光景を見守るエインは、静かに息を吐く。


 姫としての立ち姿ではない。

 礼儀や作法も、今はどこにもない。



 そこにいるのは──年相応の、穏やかな表情をした少女だった。



 理由は分からない。

 けれど、この場所では彼女は守られている。


 そうとしか思えなかった。


 光が、やわらかく揺れる。

 視界の端で、何かがきらめいた気がして、エインは思わず目を向ける。



 ――だが、そこにはただ春のような暖かい空気が満ちているだけだった。



 それでも。


 胸の奥に残る感覚だけは、確かだった。


 少し離れた位置で控えていた侍女は、その様子を静かに見守っていた。


 セラフィーナがすっかり庭に溶け込んだのを確かめると、侍女はその空間を邪魔しないよう、音を立てずにそっと一歩下がった。



「……では、お時間になりましたら、またお迎えに参りますね。エイン様、あとは頼みます」

「わかりました」



 その二人の会話は最低限の声量で抑えられ、ほとんど風に紛れるほどだった。


 侍女は一礼すると動物たちを驚かせぬよう慎重に足を運び、庭園へと続く扉の向こうへ姿を消した。


 室内庭園には、穏やかな気配だけが残される。


 柔らかな光の中で、草の匂いと動物たちの息づかいが混じり合い、時間がゆったりと流れていた。


 セラフィーナはその中心に立ち、まだ言葉にならない安らぎを胸の奥で静かに受け止めるのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ