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第6話 わたくしの専属護衛騎士



 セラフィーナは、扉の前で静かに立っていた。


 耳元で、花の形をしたイヤリングが小さく揺れる。

 胸元の刺繍は、今も変わらず淡く光を宿している。



(……もうすぐ)



 そう思うだけで、胸の奥がきゅっと引き締まった。


 けれど、不思議と足は震えていない。



「セラフィーナ」



 静かに呼ばれ、彼女は顔を上げる。


 そこには、穏やかな表情をした母妃が立っていた。



「準備はよろしくて?」

「はい、お母様」



 答える声は、驚くほど落ち着いていた。


 以前なら、もう少し緊張がにじんでいたかもしれない。

 けれど今は、自然と背筋が伸び、言葉も所作も整っている。


 母妃は、ほんのわずかに目を細め、娘を見つめた。



「とても、立派よ。成長したわね」



 その一言に、セラフィーナは小さく息を吸い、うなずいた。


 扉の前に立つ近衛兵が、ゆっくりと取っ手に手をかける。


 重厚な音を立てて、扉が開かれていく。


 まぶしいほどの光とともに、大広間の空気が流れ込んできた。


 大広間には、色とりどりの装いに身を包んだ貴族たちが集っている。

 天井から下がる灯りは柔らかく、音楽が静かに流れ、祝宴の場であることをはっきりと告げていた。


 たくさんの視線が、一斉にこちらへ向けられる。


 セラフィーナは一瞬だけ息を整え、教えられてきた通り、静かに一歩を踏み出した。


 かかとを揃え、背筋を伸ばす。

 視線は伏せすぎず、真っ直ぐに。


 広間の中央まで進んだところで、セラフィーナの父である王が前へ出る。



「本日は、我が王城にお集まりいただき、心より感謝する」



 低く落ち着いた声が、音楽の上に重なり、広間を満たした。



「本日開かれたこの宴は、ただの祝宴ではない」



 父王は一度、セラフィーナの方を見てから、貴族たちへ視線を戻す。



「本日は我が娘の七歳の誕生日を迎えた日であり、王族の姫として、正式に皆の前へ立つ日でもある」



 ざわめきが、ほんのわずかに広がる。


 父王は静かに手を差し伸べた。



「セラフィーナ」



 名を呼ばれ、セラフィーナは一歩前へ出ると、ドレスの裾をちょこんと持ち、礼をする。


 顔を上げたとき、自身に集まる無数の視線をセラフィーナはきちんと見つめ返した。



「ごきげんよう、皆様。わたくしはセラフィーナ・エルバァニア・ルナンと申します。本日は、お集まりいただき、ありがとうございます」



 少し高いが、落ち着いた声。


 練習を重ねてきた言葉が、自然と口からこぼれ落ちる。



「まだ未熟ではありますが、王族の姫として、恥じぬよう努めてまいります。どうか、これからもよろしくお願いいたします」



 一拍の沈黙のあと。


 拍手が起こった。


 最初は控えめに。

 やがて、祝福の音として広間いっぱいに広がっていく。


 その音に包まれながら、セラフィーナは胸の奥でそっと息を吐いた。



(……できた)



 ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。


 父王は満足そうに頷くと、再び貴族たちへ向き直った。



「今宵は、どうか楽しんでほしい」



 そう告げると、音楽が少しだけ華やかさを増す。


 人々が杯を手に取り、広間は本格的な祝宴の空気へと移り変わっていった。


 その中で、父王はそっとセラフィーナに近づき、小さく声を落とす。



「よくやった。少し、こちらへ来なさい。紹介したい人がいる」



 促されるまま、セラフィーナは父の後を追う。


 ざわめく広間を離れ、別の部屋へと向かいながら。



 ***



 目的地にたどり着き、セラフィーナが足を踏み入れたのは、大広間よりも静かな小部屋だった。

 落ち着いた灯りがともり、厚い絨毯が足音を吸い込む。


 そこには、すでに二人の姿があった。


 部屋の壁際に、背筋を伸ばして立つ少年と見慣れた騎士団長がいる。


 その二人の姿はどこか似ていた。親子なのだろうか?


 セラフィーナは、無意識に少年の方へ目を向ける。


 年齢は、自分より一つ上くらいだろうか。

 黒い髪は短く整えられ、視線はまっすぐ前を向いている。


 華美ではないが、どこか品のある服装。

 静かに立っているだけなのに、不思議と目を引いた。


 父王は歩みを止め、穏やかな声で告げる。

 セラフィーナは姿勢を正し、父の言葉にじっと耳を傾けた。



「彼は、エイン・フィヨルド。本日より、お前の専属護衛騎士となる者だ」



 父王の言葉に、エインは一歩前へ出た。


 迷いのない動き。

 床に膝をつき、騎士としての礼を取る。



「エイン・フィヨルド。王命により、セラフィーナ姫殿下の剣となり、盾となることを誓います」



 低く、落ち着いた声。


 その声音に、セラフィーナは思わず、彼の顔をしっかりと見た。


 視線が、初めて交わる。


 紫色の、淡い光を映した瞳。


 ほんの一瞬。

 けれど、確かに互いを認識した瞬間だった。


 セラフィーナは、小さく息を吸い、口を開く。



「……よろしくお願いします。エイン様」



 自然と、丁寧な口調になる。


 その声を受け、エインは顔を上げた。



「はい。必ず、お守りいたします」



 短く、しかし揺るぎのない返答。



 その言葉に、室内の空気がわずかに引き締まる。


 すると、隣で静かに様子を見守っていた騎士団長が、一歩前へ出た。


 重ねるように、ゆっくりと頭を下げる。


「セラフィーナ姫殿下。どうか、こちらからもエインをよろしくお願いいたします」


 父王の護衛騎士として知られるどこかエインに似たその人物の深く、礼儀正しい所作。


 セラフィーナは一瞬だけ目を瞬かせ、それから、ふわりと微笑んだ。



「ふふ、お互い様ですわ」



 この場で交わされたのは、ただの紹介ではない。



 これから先、同じ時間を重ねていくことになる――

 その始まりの、確かな一歩だった。



 ***



 小部屋を出ると、大広間へと続く廊下の向こうから、祝いのざわめきがかすかに聞こえてくる。


 笑い声、グラスの触れ合う音、音楽の気配。

 華やかな場が、すぐそこにあった。


 父王は、セラフィーナとエインの前に立ち、穏やかな声で告げる。



「今日は、お前の誕生日だ。いつもとは違うが、この祝いの場を、楽しんでおいで」



 その言葉は、命じるものではなく、送り出すためのものだった。


 母妃もまた、静かに微笑み、何も言わずにうなずく。

 その視線は、少し離れた場所から見守ると告げていた。


 セラフィーナは、胸元の刺繍にそっと指先を添え、静かに微笑む。



「……ありがとうございます」



 エインはセラフィーナの一歩後ろに控え、その様子を見守っている。


 廊下を進むにつれ、音ははっきりと形を持ち始める。

 笑い声は重なり、音楽は旋律として流れ込み、

 祝祭の熱が、空気に混じっていく。


 足を止めることなく、セラフィーナは前へ進んだ。



 小部屋を離れ、祝宴の場へ――

 姫として、ひとりの主役として。



 ***



 大広間の扉が開かれた瞬間、光と音が一気に押し寄せた。

 大広間いっぱいに広がる人々の気配。

 楽師の奏でる旋律。

 たくさんの視線。



 ――けれど、もう怯まなかった。



 セラフィーナは、教えられてきたとおりの歩幅で歩き出す。

 視線を伏せすぎず、上げすぎず。

 背筋を伸ばし、呼吸を整える。


 貴族たちが、次々と頭を下げる。



「セラフィーナ姫殿下」



 その呼び名が、波のように広がっていく。


 胸の奥が、わずかにきゅっと締めつけられる。

 それでも、セラフィーナは微笑みを崩さなかった。



(……これが)



 姫として、立つということ。


 そのとき、肩の近くで、白い気配がふわりと動いた。

 アウラが、いつものように寄り添っている。


 セラフィーナは、ほんの一瞬だけ、心の中で呼びかける。



(そばにいてね)



 返事の代わりに、やわらかな気配が揺れた。


 音楽に合わせ、杯が掲げられ、会話が交わされる。

 人々は祝福の言葉を惜しみなく向けてくる。



「お誕生日、おめでとうございます」

「素晴らしいご成長ぶりですな」

「ありがとうございます」



 一つひとつ、丁寧に。

 それはもう、練習ではなかった。


 この場で、姫として受け止める言葉だった。


 楽しさの中に、確かな重みがある。

 祝祭の光の中で、背負うものの存在を、はっきりと感じる。



 それでも――



 セラフィーナは、前を向いていた。


 胸元の刺繍が、灯りを受けて静かに輝く。

 花のイヤリングが、かすかに揺れる。


 この場所で、この時間を生きること。


 それが今の、自分の役目なのだと。



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