第11話 王家の習わし
手紙の内容は、短いものだった。
“本日の午後、わたくしの部屋へいらっしゃいな。
二人きりで、お話がございます。”
それ以上は記されていない。
(何のお話かしら?)
小さな疑問を胸に抱えながら、セラフィーナは指定された時刻になると、侍女とエインを伴って母妃の私室へと向かった。
***
「王妃様、セラフィーナ姫様をお連れいたしました」
「入ってちょうだい」
扉の前で侍女が到着したことを告げると、すぐに許可の声が返ってくる。
侍女が扉を開けると、厚手の絨毯が敷かれた静かな部屋が姿を見せた。大きな窓の向こうでは、庭一面をやさしく包んでいる。暖炉の火が穏やかに揺れる。
丸いテーブルには、すでに二人分の茶器が整えられており、甘い茶葉のほのかな香りが漂っていた。
だが、部屋の中には席に座っている母妃とそのすぐ後ろに立つ騎士団長だけ。
給仕の侍女も、側仕えの者もいない。
(どうして……?)
「いらっしゃい、セラフィーナ」
母妃は穏やかに微笑む。
「お招きありがとうございます、お母様」
セラフィーナは丁寧に一礼し、目の前の席へと腰を下ろす。
礼をとると、母妃はゆっくりと視線を室内へ巡らせた。
「本日は、大切なお話がございます」
その声音は柔らかいが、揺るぎがない。
「人払いをいたします。外で控えていなさい」
セラフィーナたちを案内した侍女は一礼し、退室する。
エインはその場に留まった。
護衛として当然の判断だったが、母妃と騎士団長は、それを許さない。
「エイン。申し訳ありませんが、しばしの間だけ席を外していただけますか」
「護衛騎士として今の判断は正しいが、王妃様がこうおっしゃっているのだ。退室しなさい」
一瞬の沈黙。
護衛として姫の傍を離れることは本来許されない。
だがここは王妃の私室。
さらに、王妃自らが命じている。
「……承知いたしました」
低く応じ、エインは一礼する。
退室する直前、ほんの一瞬だけセラフィーナへ視線を向けた。
その目は、“何かあればすぐに”と語っている。
扉が閉まると室内には、母妃と騎士団長とセラフィーナの三人だけが残った。
暖炉の火がぱちりと弾け、静寂が落ちる。
母妃はゆっくりと向き直った。
「……さて」
母妃は茶器へと手を伸ばし、静かに紅茶を注いだ。湯気がふわりと立ちのぼり、甘い香りが漂う。
「そんなに身構えなくても大丈夫よ。叱るために呼んだわけではないの」
くすりと笑う声に、セラフィーナはわずかに肩の力を抜いた。
(……叱られるわけでは、ない?)
騎士団長まで同席しているのだから、もっと重々しい話かと思っていたのだ。思わず胸の内で小さく息をつく。
母妃は紅茶のカップを手に取り、セラフィーナにやさしく声をかけた。
「最近、魔力の訓練を始めたのでしょう?」
「はい。先生に基礎を教わっております」
「どう? うまく扱えそうかしら」
問われて、セラフィーナは少し困ったように視線を落とす。
「それが……まだ、よく分からなくて。魔力の感覚というのが、つかめないのです」
正直にそう答えると、母妃は穏やかに頷いた。
「最初は皆そうよ。いきなりできたら、誰も苦労しないわ」
そう言って、紅茶を一口飲む。
「きっと、セラフィーナは自分の魔力量に、まだうまくついていけていないのかもしれないわね」
「ついていけていない……ですか?」
「ええ、たまにいるのよ。力が多い子ほど、最初はうまく扱えないものなの」
母妃は紅茶の水面に映る自分の姿を一瞬見つめ、
セラフィーナへ視線を戻す。
「そんなときに大切なのは、無理に魔力を動かそうとすることではないわ」
「では、どうすればいいのでしょう?」
「感じるのよ」
「感じる……?」
「そう。まずは、誰もいない静かなところで深呼吸をしてみなさい。今みたいに、ゆっくり息をして……自分の中にあるものに意識を向けるの」
優しく諭すような言葉だった。
セラフィーナは心のなかで母妃の言葉を復唱し、小さく頷いて母妃に向き直った。
母妃はその様子に満足そうな顔をしてうなずき返すと持っていた紅茶のカップをそっと置く。
すると部屋の空気がわずかに変わった。
穏やかな母の顔から、王妃としての落ち着いた表情へと戻っていた。
「……では」
ゆっくりと口を開く。
「本題に入りましょう。ローレンツ」
「はっ」
ローレンツとは、後ろに控えている騎士団長の名だ。
ローレンツは一歩前へ出て口を開く。
「セラフィーナ姫様」
低く落ち着いた声だった。
「現在、エインが所持している剣についてお話しなければなりません」
思いがけない話題に、セラフィーナは小さく首を傾げる。
「エインの……剣、ですか?」
「はい」
ローレンツはわずかに頷いた。
「今あの者が使用している剣は、仮のものです」
静かな言葉だったが、その意味は決して軽くない。
「仮……」
「騎士が主を守るとき、最も重要になるのは自分に合った剣です。合わぬ剣では、守れるものも守れなくなる」
淡々とした説明だったが、その声には騎士団長としての確かな重みがあった。
セラフィーナは思わず背筋を伸ばす。
すると、母妃が静かに言葉を継ぐ。
「そして王家には、ひとつの習わしがあるの」
「習わし……?」
「ええ」
母妃は優しく微笑んだ。
「王家に最も近く仕える騎士――フィヨルド家の者には代々、王家から剣を贈ってきたのよ」
それはただの武器ではない。
信頼の証であり、主従の絆でもある。
母妃はまっすぐセラフィーナを見つめる。
「本来ならば、その剣を用意するのは主であるあなたの役目なのです」
思いがけない言葉に、セラフィーナは目を瞬かせた。
「……わたくしが?」
思わず問い返すと、母妃は穏やかに頷く。
セラフィーナは戸惑ったままローレンツへと視線を向けた。騎士団長は静かに一礼する。
「姫様の護衛を務める騎士は、姫様の剣によって守られる――それが我らフィヨルド家と王家の古い習わしにございます」
「ですが……」
セラフィーナは小さく言い淀む。
「わたくしは、剣のことなど詳しくありません」
正直な不安だった。剣など、訓練で少し見たことがある程度だ。
するとローレンツは静かに首を横に振る。
「問題ございません。鍛冶師もおりますし、私も協力いたします」
低く落ち着いた声だった。
「姫様が選ばれること、それ自体に意味があるのです」
その言葉に、セラフィーナは少し考えるように視線を落とす。
エインの姿が、ふと頭に浮かんだ。
いつも自分のすぐ後ろに立ち、静かに周囲へ目を配っている少年騎士。
(エインの……剣)
守るための剣。
自分を守るために振るわれる剣。
その剣を、自分が用意する。
そう思うと、不思議な感覚が胸の奥に広がった。
「……分かりました」
セラフィーナはゆっくりと顔を上げる。
「わたくしにできることがあるのなら、ぜひ」
その言葉を聞くと、母妃は満足そうに微笑んだ。
「ええ。きっとエインも喜ぶわ」
そして、少しだけ声を落とす。
「もっとも――」
意味ありげに視線をローレンツへ向ける。
「この話は、あの子にはまだ内緒よ」
セラフィーナは瞬きをする。
「内緒……ですか?」
母妃はくすりと笑った。
「ええ。完成してから渡した方が、きっと驚くでしょう?」
思わず、セラフィーナの顔にも小さな笑みが浮かぶ。
確かに、驚く顔が目に浮かぶ気がした。
その様子を見て、ローレンツが静かに口を開く。
「エインはしばらくの間、私が訓練に連れ出すことにいたします」
「訓練、ですか?」
「ええ。あれはまだ若い。鍛える理由はいくらでも作れます」
淡々とした口調だったが、その目にはわずかな厳しさが宿っていた。
「その間に、準備を進めればよろしいかと」
母妃は満足そうに頷く。
「頼りにしているわ、ローレンツ」
「お任せください」
短い言葉だったが、そこには揺るぎない確信があった。
「作るときになったらまた詳しく説明するわ。まずは、目の前の課題に集中なさい」
「はい、お母様」
暖炉の火は静かに揺れ続けていた。
この時のセラフィーナは、まだ知らない。
自分が贈ることになる一振りの剣が、どれほど大きな意味を持つことになるのかを。




