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第10話 触れられぬ力



 ──翌日の午後。



 今日もセラフィーナは侍女に案内され、エインと共に場内にある訓練場へと向かう。


 石造りの回廊を進む窓の外では、静かに雪が降り続いている。白く霞む庭や塔の屋根を眺めながら、セラフィーナは小さく息を吐いた。


 本来、騎士たちの訓練は屋外で行われることも多い。向かう先が学習室ではないのは本日の授業内容が魔力を扱うからであり、長時間に及ぶ可能性があるため、王城内に設けられた訓練場が使用されることになっていた。


 また、幼い姫の体調を考慮し、冷え込みの厳しい外気に晒さぬよう配慮された結果でもある。


 厚い扉の前に立つと、先導していた侍女が静かに足を止めた。



「こちらでございます、姫様」



 扉が静かに開かれると、外の冷たい空気とは対照的に、ほんのりと温もりを帯びた空間が広がった。広い石床の訓練場は高い天井に支えられ、壁面には魔力の暴走を防ぐための淡い紋様が刻まれている。王城内に設けられたこの場所は、騎士だけでなく、王族が安全に力を学ぶためにも使われていた。


 中央には、昨日と同じ年配の教師がすでに立っていた。背筋を伸ばし、穏やかな表情で迎えるその姿は、変わらぬ落ち着きを感じさせる。



「お待ちしておりました、姫殿下。本日もよろしくお願いいたします」



 丁寧な一礼に、セラフィーナも小さく裾を持ち上げて応える。



「ええ、よろしくお願いいたしますわ」



 隣ではエインが一歩後ろに控え、周囲へ注意を向けながらも静かに様子を見守っていた。


 教師はセラフィーナに向かって微笑むと、口を開く。



「本日は、魔力の制御について学んでまいりましょう。難しいことはいたしません。まずは感覚を知るところからでございます」



 その言葉に、セラフィーナは小さく頷いた。


 教師はゆっくりと歩み寄り、訓練場の中央へと二人を導いた。



「昨日は魔力というものがどのような存在かを学びました。本日は、それを正しく扱うための第一歩でございます」



 そう言いながら、教師は足元へ小さな器を置く。中には澄んだ水が満たされていた。



「魔力は、力で押し出すものではございません。まずは――思い描くこと。形を想像することが何より大切なのです」



 セラフィーナは真剣な表情で耳を傾ける。



「想像……ですか?」

「はい。水であれば、水の重さや冷たさ、揺らぎを思い浮かべるのです。魔力は、そのイメージに応える性質を持っております」



 教師はそう言うと、静かに片手を掲げた。


 次の瞬間、器の水面がかすかに震える。


 水が糸に引かれるように持ち上がり、教師の掌の上で丸く形を成した。小さな水球だった。揺らぎながらも崩れることなく、静かに宙へ浮かんでいる。



「これが、最も初歩的な制御でございます」



 やがて水球はふっと力を失い、音もなく器へ戻った。


 セラフィーナの瞳が、きらりと輝く。



「……すごいわ」



 その呟きに、教師は穏やかに笑みを浮かべた。



「わたくしが今お見せしたのは、水に自身の魔力を流し込み制御するというものですが、慣れてくると魔力だけで水を生み出すことも可能でございます」



 そう言うと、今度はエインの方へ向く。



「続いて、別属性の例もお見せいたしましょう。エイン様、お願いできますか?」

「はい」



 名を呼ばれたエインは一歩前へ出る。軽く息を整え、指先へ意識を集中させた。



 次の瞬間――



 彼の指先に、小さな火が灯る。


 激しく燃え上がるものではなく、蝋燭の火のような穏やかな炎だった。揺れながらも安定し、熱だけが確かに存在している。


 炎はやがて静かに消え、訓練場には再び落ち着いた空気が戻る。


 教師は改めてセラフィーナへ向き直った。



「姫様も、試してみましょうか。もちろん、成功する必要はございません。感じることが目的でございます」



 そう促され、セラフィーナは少しだけ緊張した面持ちで頷くと水が入った桶に向き直った。



 ***



「そこまでにいたしましょう」



 侍女の声で、セラフィーナははっと我に返った。


 伸ばしていた指先から、意識していたはずの感覚がすり抜けていく。



 ――やはり、何も感じない。



 あれからずいぶんと時間をかけ、水を思い描いていたはずなのに、掌にはただ空気があるだけだった。


 ゆっくりと手を下ろしながら、セラフィーナは小さく息を吐く。疲れではない。体は少しも重くない。


 それなのに、何度試しても水球ができるどころか自分の魔力の感覚すらつかめないのだ。


 顔を上げると、訓練場の壁面に埋め込まれた魔導時計が淡く光を放っている。示されている刻は、いつもよりわずかに早い。



「……もう終わりですの?」



 思わず零れた問いに、教師は穏やかに頷いた。



「はい。本日はここまでにいたしましょう。無理に続けても、感覚は掴めませんから」



 責める響きはまったくない。それでも、胸の奥が少しだけちくりと痛んだ。


 できなかった、という事実だけが静かに残る。


 周囲では騎士見習いたちが木剣を収め始めていた。剣の触れ合う乾いた音が、広い訓練場に響く。


 魔力は誰もが持っている。


 昨日、そう教えられた。


 魔力は確かにあると示された。


 それなのに、自分では何ひとつ感じ取れないかった。



「セラフィーナ様」



 振り向くと、エインが一歩近づいていた。



「焦る必要はありません。感覚は突然分かるようになることも多いと聞きます」



 慰めというより、静かな事実のような言葉だった。



「……ええ。わかっていますわ」



 小さく頷いたその時、そばに控えていた侍女が前へ進み出た。



「姫様」



 侍女は静かに一礼をすると、両手で一通の手紙を差し出す。



「こちらを」

「手紙?」



 セラフィーナは思わず首をかしげた。


 上質な封筒には、王家の紋章を象った封蝋が丁寧に押されている。



「王妃様より、お預かりしております」

「まあ……お母様から?」



 表情がわずかに明るくなる。


 両手で手紙を受け取ると、指先にさらりとした紙の感触が伝わった。


 セラフィーナは手紙を胸元へ引き寄せ、そっと封蝋を見つめる。



「……なんでしょう?」



 小さな呟きは、誰に向けたものでもない。


 中には、どんな言葉が綴られているのだろう。


 セラフィーナは、ゆっくりと手紙の封を開けた。



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