第9話 水晶が映したもの
室内庭園で動物たちと触れ合っているうちに、やがて昼を告げる鐘が響く。
ほどなくして侍女が迎えに訪れ、名残惜しそうに小さな動物へ手を振ると、セラフィーナは城内へと戻っていった。
自室に戻ると、運ばれてきた焼きたてのパンの香りと温かな湯気が満ちている。
セラフィーナは侍女たちに見守られながらいつも通りに食事を終えた。
食後には温かな茶が用意され、窓の外に広がる冬空を眺めながら、しばし穏やかな時間が流れる。
そして、茶器が下げられる頃。
侍女が改めて丁寧に一礼した。
「午後からは、魔力についての勉学がございます」
「わかったわ」
素直に頷いたセラフィーナの隣には、当然のようにエインが控えている。
ふたりは侍女に案内され、王城の一角にある学習室へと向かった。
***
案内された部屋に入ると、そこには年配の教師が静かに待っていた。机の中央には、大きな水晶球がひとつ置かれている。
「お初目にかかります、セラフィーナ姫殿下。本日は、魔力の扱い方などについてお話しさせていただきます」
穏やかな声が室内に響く。
「まぁ。先ほどエインが、魔動物は魔力を持って生まれるため、火や水などを生み出す力があると言っていましたが……わたくしにも魔力が使えるのですか?」
首をかしげながら尋ねるセラフィーナ。
エインは一歩進み出ると、彼女の素朴な疑問にそっと耳打ちをする。
「はい、セラフィーナ様。だいたいの人は魔力を持って生まれてくるのですよ」
「そうなのね!」
その瞬間、セラフィーナの瞳がぱっと輝いた。
王族の姫としてではなく、年頃の少女のような無垢な好奇心が、そこにはあった。
教師は微笑ましい様子に小さく目を細め、ゆっくりと続ける。
「基礎となる属性は七つ。光、闇、水、火、雷、土、風でございます。そこから氷を生み出したり、複数の属性を組み合わせたりと、応用も可能でございます」
そう言って、水晶へ視線を落とす。
「属性は、水晶に触れた際に色として現れます。光は金色、闇は紫、水は青、火は赤、雷は黄色、土は黄土色、風は緑。色の濃さがそのまま魔力量を示し、濃いほど内に宿す魔力が多いということです」
室内の空気が、わずかに引き締まる。
「なお、光と闇は特に希少な属性にございます。持つ者は少なく、記録にも多くは残っておりません」
教師はそこで一拍置き、さらに続けた。
「そして、人が持てる属性の数ですが。多くの人はひとつからふたつ、属性を持っています。ごくわずかに、三つの属性を持って生まれる者もおりますが、それは歴史に名が残るほど珍しい例でございます」
「三つも……?」
セラフィーナが目を丸くする。
「はい。ですが、属性は生まれつき決まるものであり、後から変わることはございません」
教師は一通りの説明を終えると、再び視線を上げ、エインの方へ視線を動かす。
「では、お手本として最初はエイン様に行っていただきましょう」
「承知いたしました」
エインは静かに一礼をすると、水晶の前へ進み出る。
その横顔には、いつもの落ち着きがあった。
セラフィーナは興味津々といった様子で身を乗り出す。
「エインの属性、わたくし知らないわ」
小さくこぼれたその声に、エインはわずかに微笑んだ。
「セラフィーナ様にお見せするのは、これが初めてですね」
そして、水晶へそっと右手を触れさせる。
次の瞬間、透明だった水晶の内側に、ぱっと赤い光が灯った。
炎のように揺らめく赤。
それに重なるように、鋭い黄色の閃光が走る。
赤と黄色。火と雷を示す色だ。
ふたつの色が、水晶の中で混ざり合うことなく、はっきりと存在を主張していた。
しかも、その色は淡くはない。
はっきりと目にわかる濃さで、力強く輝いている。
「……火属性と雷属性。どちらも十分な魔力量をお持ちですな」
教師が感心したように頷く。
エインは静かに手を離した。
光はゆっくりと収まり、水晶は再び透明へと戻る。
「さすが、エインね」
素直な称賛に、エインは少しだけ視線を伏せる。
「護衛騎士として当然の力でございます。セラフィーナ様」
その声音は穏やかだったが、どこか誇りも滲んでいた。
そして教師は、改めてセラフィーナへ向き直る。
「では――姫殿下。お手を」
水晶が、静かに待っている。
セラフィーナは、ほんのわずかに息を整えた。
そして、奥にある水晶へと視線を向ける。
透明なそれは、何も映していないはずなのに、どこかすべてを見透かしているようだった。
ゆっくりと、水晶へ白く小さな指先が触れると透明だった内部に、淡い青がにじんだ。
澄んだ湖面のような青。
静かに広がり、やがてはっきりとした色となる。
色は決して薄くはない。年齢を思えば、十分に濃い青だった。
「水属性でございますな。魔力量も平均より少し上ぐらいです」
その言葉にセラフィーナはほっと息をつく。
──だが、それだけでは終わらない。
青の奥で、もうひとつの光が目覚める。
それは、太陽のような金色の輝きだった。
はじめは、ほのかな揺らぎ。
次の瞬間、それは静かに、けれど確かな存在感をもって広がっていく。
室内に、小さなどよめきが走った。
青と金。
二色は混ざることなく、層を成すように重なっている。
「……光、でございますか」
教師の声は落ち着いていたが、その瞳には明らかな驚きが宿っている。
室内は、誰も声を上げぬまま静まり返った。
セラフィーナは、水晶の中に重なる二色の光を見つめたまま、小さく息を整える。
──光属性。
希少であると、先ほど教師から説明を受けたばかりの力。
知識として理解していたはずなのに、それが自分の中に存在しているという実感は、どこか遠い。
「光属性は、わたくしが生きていたなかで初めてお目にかかりました」
そう言うと教師は深く頭を垂れ、慎重に言葉を告げる。
その声音には敬意と、隠しきれない感嘆がにじんでいた。
隣に立つエインもまた、水晶から視線を離さない。
護衛騎士として冷静に在ろうとしているが、わずかに息を呑んだ気配だけが残っている。
青と金の光は、互いを侵さず、静かに共存していた。
争うことも、混ざり合うこともなく。
まるで最初からそこに在るべき形であるかのように。
セラフィーナは、その輝きをしばらく見つめ続ける。
知らなかった自分の一部に、初めて触れたような感覚だけが胸に残る。
やがて、セラフィーナがそっと指先を離す。
すると光は静かに揺らぎ、余韻を残すように淡くほどけ、水晶はゆっくりと透明へ戻っていった。
部屋は再び静けさを取り戻す。
水晶の光が完全に消えたのを確認し、教師はざわめく興奮を抑えるように深呼吸をすると、セラフィーナの方へ向き直る。
落ち着いた声が、静かな室内に穏やかに響く。
「姫様が有しておられる属性は、水属性と光属性の二つ。いずれも安定しており、魔力の流れにも乱れは見られません」
教師は卓上の記録紙へ丁寧に筆を走らせながら続けた。
「属性は生まれつき定まるものであり、後天的に変化することはございません。ですが魔力量は成長とともに増してまいります。ゆえに、本日の測定は“現時点での基準”となるものです」
セラフィーナは、教師の言葉に小さく頷く。
これから先の学び方や訓練、そのすべての基礎になる数値なのだ。
「次回からは、魔力のコントロールの仕方について学びましょう」
セラフィーナへ向けられた視線は、厳しさではなく、静かな期待を含んでいた。
「今すぐ特別な訓練を行う必要はございません。まずは基礎を学び、うちに秘める魔力の流れを感じ取る感覚を身につけることが何より大切でございます」
教師は最後に静かに一礼する。
「姫様の年齢でこの安定は、非常に良い結果と言えるでしょう」
その言葉は誇張ではなく、学びを導く者としての率直な評価だった。
セラフィーナは小さく息をつき、胸の奥に残る光の気配をそっと抱きしめた。




