第2話 半径十メートルの罪
放課後の教室は、もう誰もいなかった。
結城シンは窓際の席で、ぼんやりと外を眺めていた。
昨日のペナルティがまだ残っている。膝の奥が重く、時々ズキンと痛む。
医者に行けば「成長痛」とか言われるんだろう。笑える。
「結城先輩!」
ドアが勢いよく開いて、小柄な少年が飛び込んできた。
昨日助けたタクミだ。制服のネクタイが曲がったまま、目はキラキラしてる。
「やっぱりここにいた! 昨日のはマジで何だったの!? あれ、ゲーム? VR? それとも超能力!?」
シンはため息をついた。
「……黙っててくれないか」
「え? なんで? 超カッコよかったじゃん! あれ、名前あるの? ドメイン? フィールド? バリア?」
「審判の円環、らしい」
タクミの目がさらに輝いた。
「やべぇ! 厨二病全開で最高! で、どんなルール? 俺も参加できる?」
シンは眉を寄せた。
「参加させたくない」
「えー!」
「巻き込まれたら、死ぬかもしれない」
タクミは一瞬黙った。それから、小さく笑った。
「……俺、昨日震えてたけど、怖くはなかったよ。
先輩がいたから」
シンは言葉を失った。
そんな顔をされると、逃げられない。
そのときだった。
教室の窓が、突然真っ暗になった。
まるで外に巨大なシャッターが下りたみたいに、光が消える。
次の瞬間、教室全体が真っ白に塗り替えられた。
【領域《審判の円環》展開】
【参加者:結城シン/他4名】
【課題:30秒以内に“正しい鏡像”を選べ】
淡い電子音が響く。
床に、五枚の鏡が浮かび上がった。
それぞれ違うポーズの「自分」が映っている。
鏡A:右手を上げている
鏡B:左手を上げている
鏡C:両手を上げている
鏡D:手を下げている
鏡E:鏡自体が割れている
タクミが叫ぶ。
「え、どれ!? 俺、鏡とか苦手!」
教室の隅に、もう一人いた。
制服じゃない。黒いコート。
二十代半ばくらいの男。無表情で、こちらを見ている。
敵だ。
男が静かに口を開いた。
「……正解はE」
瞬間、シンの胸に鋭い痛みが走った。
【対象者より先に解答が出たため、ペナルティを付与します】
膝が崩れる。視界が歪む。
タクミが慌てて駆け寄る。
「先輩!?」
男は淡々と続ける。
「割れた鏡だけが、本当の姿を映さない。だから“正しい”」
【正解確認。領域終了】
白い世界が溶けるように消え、元の教室に戻る。
窓の外は、もう夕暮れだった。
男はシンを見下ろしていた。
「結城シン。君の“円環”は、もう封印の外郭に過ぎた。
次は、もっとちゃんとした“審判者”を送るよ」
男はそう言うと、教室を出て行った。
まるで最初からいなかったみたいに、静かに。
タクミがシンの肩を掴んだ。
「先輩、今の……敵だよね? やばいよ、マジでやばい!」
シンは震える手で額を押さえた。
「……俺のせいで、お前まで巻き込んだ」
「違うよ!」
タクミが強く首を振る。
「俺が勝手に近づいたんだ。
それにさ、さっきの鏡の謎、俺にもわかったよ」
「え?」
「割れてる鏡が正しいって、あれ嘘だよ」
シンは顔を上げた。
「鏡が割れてたら、映ってる“自分”も割れてるはずじゃん?
でもEの鏡に映ってる先輩、ちゃんと全身映ってた。
つまり、あれは“鏡じゃない”。最初から映ってないんだ」
シンの目が見開かれる。
「……お前」
「だから本当の正解は――」
タクミがニヤリと笑った。
「鏡D。手を下げてるやつ。
だって先輩、さっきからずっと手を下げてたもん」
シンは、呆然と自分の手を見下ろした。
確かに、ずっと机について手を置いたままだった。
「……遅すぎたか」
「でも、次は俺がいるじゃん!」
タクミが拳を握る。
「俺、謎解きなら負けない自信ある。
一緒に戦おうよ、結城先輩」
シンは、長い沈黙の後、小さく息を吐いた。
「……巻き込むなって言っただろ」
「聞こえなーい!」
タクミが笑う。
その笑顔が、なぜか少し眩しかった。
シンは立ち上がった。
膝の痛みはまだ残っている。
でも、確かに――
少しだけじゃなくなった。
夕陽が教室を赤く染める中、
シンは静かに呟いた。
「……次は、俺が先に解く」
その言葉は、誰に向けたものなのか。
封印した誰かにか。
それとも、自分自身に、か。
──第2話 終──
(第3話に続く)




