ブレイブス港街4日目 ピピ島
ジルとレティが役所から戻って来て、物件の購入手続きが無事に完了した事を報告してくれた。
「二人ともギルド登録がまだしていなければしてやるぞ」
マーカスさんがジルとレティに尋ねた。
「かなり前に済ませています」
「私もです」
いつの間に登録をしたんだろうか。本当に2人はしっかりしている。
「明日は島に行く予定だったよな」
マーカスさんの質問にマッドが答えた。
「はい、何処の島にするのかはまだ決めていませんがその予定でいます」
「実は陛下から贈り物がある。ピピ島と言う王家が管理している無人島が近くにあるんだが今回は特別に陛下が許可して下さったので1日だけ滞在出来るぞ」
「聞いた事があります。神の寝床と言われる小さな島ですよね」
マリアの説明では15年ぐらい前に突然出来た島で王家が魔道具を使い結界を張っているらしい。神の寝床と呼ばれる理由は分からないがいつの間にか人々はそう呼ぶようになったそうだ。1日あれば島の周遊も可能らしい。
「では明日はピピ島で決まりで良いですよね。行き方などはレティと一緒に調べておきます」
ピピ島か、楽しみだわ。
宿に戻ると、私は一人、静かにテラスに出た。昼間は活気に満ちた港街も、夜には波の音だけが響き、深く落ち着いた表情を見せている。空を見上げれば、無数の星が瞬いていた。まるで、遥か遠い神々の世界から、私をそっと見守ってくれているようだ。
私は、今日見た物件のことを考えていた。高額な購入費、貴族としての振る舞い。平民だった頃とは全く違う世界の常識に、心臓が締め付けられるような戸惑いを感じていた。お金は、平民の人たちが汗水流して必死に得た、大切なものだ。それを軽々しく使うことなんて、私にはできない。
だけど、マッドとリオは、貴族としての覚悟を決めた。彼らの強い決意を目の当たりにして、私だけが立ち止まっているわけにはいかないと思った。
星空を仰ぎ見ながら、私はそっと呟いた。「貴族としての振る舞いって、どうするのが正解なんだろう……」。私にできること、私が果たすべき役割。考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐるする。私一人、まだ何もできていないような気がして、少しだけ不甲斐ない自分を感じてしまう。
マッドが私の傍らに来て、そっと手を握ってくれた。彼の温かい手に触れると、少しだけ心が落ち着く。
「キャロル、今はあまり考えなくていいからな。いろいろ学ぶために、俺たちは学院に行くんだから」
「うん、分かっているんだけど、何だか私一人が幼く見えてしまって……」
「キャロルは今のままでいいと思う。面倒なことは俺とリオが引き受けるから、キャロルはそのままでいいよ」
「駄目よ」私は首を振った。「私だって、いろいろできることを増やしていくわ。だって、マッドを将来支えるのは私でしょう?」
私がそう言うと、マッドは優しく抱きしめてくれた。彼の腕の中は、まるで太陽のように暖かく、心地がいい。
「キャロル、ありがとう。学院を卒業したら、できるだけ早く結婚しよう」
突然の言葉に驚いたけれど、私はマッドとずっと一緒にいたいから、とても嬉しかった。だからだろうか、目から温かい涙が溢れてきた。いつものようにマッドは私の頭を優しく撫でてくれた。
翌朝、目が覚めたら、横にはマッドが穏やかな顔で寝ていた。どうやらあの後、彼の腕の中が心地よすぎて、そのまま寝てしまったようだ。
「キャロル、おはよう」
「おはよう、マッド」
マッドに頭を撫でられて、何だか恥ずかしくなって俯いてしまった。そんな私を見て、マッドが楽しそうに笑っている。
今日はピピ島に行くので、ジルは中型の20人乗りの船を手配してくれた。
「行きはドナで、帰りはリオ様の操縦で登録しておきました」
ジルがそう言うと、リオもドナも嬉しそうな顔をしている。リオはこの日のために、中型までの修了証書を頑張って取得したらしい。
「ジルとレティも小型修了証は取るの?」
リオが何気なく尋ねると、レティが答えた。
「小型まででしたら、私もジルも既に取っております」
えっ、いつの間に? それなら、持っていないのは私とマッドだけだ。
「大丈夫だよ。俺とキャロルも帰るまでには取れるよ」
マッドは簡単にそう言うが、私は本当に大丈夫だろうか?
横でリオが笑いながら、私に言った。
「妹よ、いざとなれば僕が兄としてしっかりと教えてあげるよ」
「それでは皆さん、そろそろ出航しますよ――」
ドナの元気な声と共に、船が滑り出した。
リオは早速、船の上で海釣りを始めたが、こんなに速い速度でも釣れるのだろうか。私が心配するのも気にせず、釣りスキルが高いリオにはどうやら問題ないようだった。
ピピ島に着く前に一度停止させ、釣りや素潜りの時間を2時間ほど設けることになった。皆の潜る服は既に全員分作り終えているから問題ない。笛もジルが全員分揃えてくれている。
船が停止するとすぐに、マッドと私は海へ潜り始めた。
リオとマリアは船の上で仲良く釣りをしていた。ボンドンは潜って小さな網を使い甲殻類を捕まえると言っていて、レティはどうやらボンドンに付き合うようだ。船長であるドナは船に残らないといけないので、ジルと一緒に留守番をしてくれている。
私はマッドと一緒にどんどん深くまで潜っていく。まるで魚になったみたいに身体が自由に動き、とても気持ちがいい。マッドは貝や海藻を拾っているようだ。
水底には、まるで星屑を散りばめたかのようにキラキラと輝く岩があった。私はピッケルを取り出し、その岩から採掘を始めた。赤、青、黄色、緑……様々な色の、宝石のようなカラフルな石がいくつも手に入った。一つ一つが小さくても、その輝きは息をのむほど美しい。加工しなくても、そのまま可愛いアクセサリーになりそうだと思った。
しばらくすると、大きな魚の魔獣が襲いかかってきたが、マッドが簡単に仕留めてくれた。そんなことを繰り返していると、あっという間に時間が過ぎていき、私たちは船に戻ることにした。
きっかり2時間で戻ってこれたので良かった。
「マッド様もキャロル様もすごいですね、僕なんか30分潜るのが限界ですよ」
「正確には25分です」
ボンドンの言葉をばっさりと否定するのはレティだ。
「ああ、俺とキャロルなら3時間は潜れそうだぞ」
マッドがそう言うと、皆が驚いていたが、実は私たち二人には『素潜り』という新たなスキルが表示されている。だから本当に3時間くらいはいけそうだと私も思う。
リオを見ると、大量の魚を釣ったみたいで、様々な種類の魚が桶いっぱいに詰まっていた。
「キャロル、保管してもらってもいいかな」
私はすぐに時間停止のアイテムボックスに保管した。
そして、ついにピピ島に到着した。
「今から上陸許可証を渡しますので、持った状態で上陸して下さい」
ジルが言うには、上陸許可証を持っていない者は島に入れないように魔道具で設定されているらしい。全員に今日のみ有効な許可証が配られた。
「無人島だが何があるか分からないので、単独行動はしないように四人以上で行動してほしい」
マッドがそう言うと、皆が頷き、まとまって歩き出した。
人間がいないからか、ここは自然が豊かで静かだ。
『神の寝床』と呼ばれるのも納得できる。木々のざわめき、鳥のさえずり、そして遠くから聞こえる波の音。それら全てが、この島の神聖な空気を創り出しているようだった。
30分ほど歩くと、私とマッドとリオは、見覚えのある光景が目に飛び込んできて、思わず足を止めた。それは、以前、女神イシス様と男神アマス様にお会いした、小さな白木で作られた小屋にそっくりだったからだ。三人でそこへ行き扉を開けると、扉と同じくらいの大きさの丸い窓があり、そこから差し込む光が室内を幻想的に照らしていた。そっくりと言うより、そのものだと私たちは確信した。
ここは本当に神様の島なのかもしれない。光の差し込む窓辺に立ち、神聖な空気を全身で感じながら、私たちは感動に打ち震えた。三人で手を取り合い、喜びを分かち合う。そして、心からの感謝を込めて、アマス様とイシス様に祈りを捧げた。その瞬間、私たちと神々との絆が、より一層深まったような気がした。
それからさらに30分ほど歩くと、遺跡のような物が目に飛び込んできたので行ってみた。古そうにも見えるし、そうでもないようにも見える。いつの時代の物なのだろうかと見ていると、古代語らしき文字が刻まれていた。
『女神イシスは……』、うーん、これ以上は読めない。これは古代語よりさらに古い文字なのかもしれない。私の加護神は女神イシス様だから、なんだかとっても気になった。私はすぐに紙とペンを取り出し、見える文字を書き留めておいた。
マッドに「ここも頼む」と言われたので、見える限りの文字を書き写した。
「この島は、女神イシス様と男神アマス様の縁のある島なのかもな」
リオがそう呟いていたが、確かに私もそう思う。
男神アマス様はマッドの加護神だ。
さらに20分ほど歩いた所の海岸沿いで休憩を取ることにした。先ほどリオが釣った魚を焼いて、皆に振る舞ってくれた。
「リオの魚料理の腕はまた上がったんだな。すごく美味いよ」
「海に来てから、ガンガン上がっているんだよね」
「本当にリオ様の魚料理は最高です」
マッドやボンドンが言うように、リオの焼いた魚はとても美味しい。これを食べた後は、普通の魚料理では満足できなくなりそうだ。
食事の後は全員が潜るための服に着替えた。
リオは「潜って魚を取る」と言ってマリアと潜りに行き、追いかけるようにボンドンとレティが行った。
私はマッドとジルとドナの四人で海に潜った。
ドナは海の中でも元気にどんどん潜っていき、ジルがその後を追いかけているようだ。私たち四人とも、お互いが見える範囲で好きなように海底散歩をするかのように遊んだ。ドナとジルが1時間ぐらいで酸素を吸いに水面に向かったので、私とマッドも追いかけた。
「素潜り最高! また来たいね、マッド!」
「ああ、この街にも魔法陣を頑張って描くから大丈夫だよ、キャロル」
マッドはそう言うと、私の顔にそっと手を添え、優しく口づけをした。海の塩の味がする、少し長いキスだった。
陸に上がると、既に皆も上がっていた。
リオがマッドに「1時間も潜れなかった」と嘆いていたので、マッドがリオを慰めていた。
「リオ、新しいスキルが目覚めそうだぞ」
「えっ、僕にはまだ見えないけど……どんなスキル?」
リオは身を乗り出すように尋ねた。
「操縦だよ」
その言葉を聞いたリオは、目を輝かせ、「大型船を買おう!」と意気込み、張り切っていた。
ジルたちが帰り支度を始めたので、リオは船を出して「次は僕が操縦士だ」と言い、準備を始めた。全員乗ったのを確認すると、出航した。
行きと同様に、帰りも2時間停止させている。
水平線が燃えるようなオレンジ色に染まり、その色が海面を照らし、まるで巨大な宝石が水面に溶け込んだかのようだった。刻一刻と表情を変える空と海のグラデーションは、この日の最高の思い出として、私の心に深く刻み込まれていった。
船で夕焼けを見ながら軽食を食べた後は、好きなように過ごした。
私とマッドは夜の海を潜りに行くことにした。ドナとジルも行くようだ。ボンドンとレティも網を持って、海に入る準備を始めた。
リオは船からは離れられないので、マリアと一緒に釣りを楽しんでいる。
こうしてピピ島での楽しい一日が終わっていった。




