鉱山島への視察のお供
魔法学院の入学試験も無事に終わり、ルルソン村へと戻ってきた私たち。
今度は、お父様たちの鉱山島視察に同行するための準備に取り掛かっていた。当初、私たちは皆が騎乗できるようになるのが条件だと聞かされていたため、馬に乗って行くものだと思っていた。だが、それはどうやら、私たちが早く騎乗に慣れるようにというお父様の配慮だったらしい。
「父さんたちの馬車も、もっと速く走れるように改造してもいいですか?」
マッドが尋ねると、お父様は即座に答えた。「マッド、可能ならぜひそうしてくれ。」その会話を聞いていたお母様が近寄ってきて、マッドにお願いした。
「それならついでに、トイレも付けてくれないかしら?」
お母様の気持ちは痛いほどよく理解できた。私にとって、もうトイレのない馬車など考えられないのだから!
マッドはすぐに大きめの中古馬車を買い求め、お母様の要望通りに改造に取り掛かった。彼の表情は、まるで新しい魔法の術式を編み出す魔術師のように真剣そのものだった。内装は私とリオが協力して頑張り、出発の3日前に全ての準備が整った。
私たちの馬車にも、マッドが施した空間魔法によって内部が格段に広がり、もう一つトイレが追加されたことで快適さは一層増していた。この天才的な改造によって、長時間の移動も苦にならない最高の旅の環境が完成したのだ。御者はジル、ドナ、レティ、マッド、そしてリオが交代で担当する。ボンドンも以前よりは腕を上げたが、今回は長距離の旅なので補欠要員となった。
いよいよ明日、早朝4時の出発だ。この特別に改造された馬車ならば、天候にもよるが6日あれば到着するだろうとマッドは算段していた。
当日朝、ドナに起こされて馬車に乗ったのは覚えているが、その後の記憶がない。きっと馬車に揺られる心地よさに、また眠ってしまったのだろう。目が覚めるとすでに8時で、窓の外には見慣れない景色が流れていた。ドナは立派に御者を務めているのに、寝てばかりの自分が情けなくて仕方がなかった。そんな私に気付いたマッドが、「大丈夫だよ」といつものように頭を撫でてくれた。彼の優しい眼差しに、心が安らぐ。
馬車は以前よりも格段に速くなっている上に、全く揺れない。マッドの改造技術の高さには改めて驚かされるばかりだ。彼はまるで、馬車に生命を吹き込むかのように、あらゆる改良を施している。
どれくらい進めるか分からなかったので宿は事前に取っていなかったが、この分だと5日で着きそうだ、とマッドが教えてくれた。彼の計算はいつも正確で、頼りになる。
12時頃に昼休憩を取り、ジータが作ってくれたお弁当をいただく。食後は採集などもして、2時には再び走り出した。馬たちには疲労軽減のお守りが付けられているので、まだまだ大丈夫だろう。
夕方5時頃、トフカ村に到着。
宿の空きがあるかを確認に行くと4部屋しかなかったので、やむなくジルとボンドンには我慢してもらい馬車で眠ってもらうことになった。
馬を十分休ませたかったので、出発は明日の昼過ぎに決め、私たちものんびりと身体を休めていた。トフカ村はルルソン村より少し小さな村だが、土は肥沃で自然が多く、空気がとても美味しい。
お父様が、「リオにはこの辺りの村が与えられるんじゃないか」と話しているのが聞こえてきた。リオは、お父様の言葉に少し真剣な顔をした後、マリアに向かって嬉しそうに言った。
「ここは自然が多くて理想に近いからすごく嬉しいよ、マリア。一緒に頑張ろうね」
リオがそう言うと、マリアは顔を真っ赤にして頷いている。リオはもう、自分の領地のこと、その未来を真剣に考え始めている。彼の成長と、それに寄り添うマリアの姿が微笑ましい。
魔法学院では授業が選択制になっている。
マッドとリオは、お父様から領主の授業を選択するように言われていたので、きっと選ぶのだろう。私も選択した方がいいのかお父様とお母様に聞いてみると、「やってみたいと思うんだったら選択すればいいけど、マッドにはジルがいるから無理して選択する必要はない」と言われた。
お母様が仰るには、領主の仕事は女性には難しいと思うとのことだった。
「レティのような娘だったら男性に混じっても言い負かすことができるだろうけど、キャロルには無理よ。適材適所だから、違うことでマッドを支えれば良いわ」と優しく諭してくれた。
気になったのでマリアに聞いてみると、お母様と同じようなことを言っていた。リオは、ボンドンに領主補助をしてもらうと言っていたようだ。ボンドンは努力家で粘り強くて、自分より遥かに大きい人間だとリオが自慢していたと、マリアが教えてくれた。レティも出来そうだと私が言うと、マリアは笑いながら同意してくれた。皆がそれぞれの役割を理解し、お互いを信頼し合っているのがよく分かる。
長時間御者をしていたドナに、少しでも疲れを取ってもらおうと私はマッサージをした。温かく湿らせた布でまずドナの首筋を拭うと、凝り固まっていた首の力が少し和らいだのが見て取れた。次に、小瓶に入ったラベンダーのエッセンシャルオイルを数滴手のひらに取り、ゆっくりと擦り合わせて温める。甘くも爽やかなラベンダーの香りがふわりと部屋に満ち、たちまちリラックスできる雰囲気に包まれた。
「うーん…いい香り…」
ドナが気持ちよさそうに目を閉じる。私は、温かくなった手で優しくドナの腕を包み込み、ゆっくりと揉みほぐしていった。
常に手綱を握り続けていたであろう筋肉の張りを感じながら丁寧に圧を加えていく。次に、長時間の御者で疲労が溜まっているであろう脚も、滞りがちなリンパの流れを意識しながら優しく撫で上げた。
ドナは「あぁ…そこ、そこが凝ってたんです…」と、至福の表情で小さく呟いた。その言葉に、私はマッサージの強さや場所が適切だったことに安堵し、心の中で『良かった』と呟いた。
その様子を、近くで見ていたマリアとレティも興味深そうに真剣な眼差しで眺めていた。彼女たちの目には、まるで新しい魔法を見ているかのような輝きが宿っていた。
レティが「私もマリア様にしてあげたい!」と言うので、今度教えてあげることになったのだが、なぜかドナも「私も覚えたいです!」と言い出し、私が驚いていると、レティが冷静にドナを諭した。
「ドナのマッサージでは力が強すぎてキャロル様が死んでしまいます。まずはジルで試した方が良いと思います」
「それを言うならレティも力持ちだからマリア様が失神するわ。まずはボンドンで練習すべきよ」
ドナがレティを相手に言い返しているが、なぜドナはジルで、レティはボンドンなんだろうか。私が不思議に思っていると、マリアが横で微笑ましそうに笑っていた。
私たちのはささやかな日常に、また一つ、温かい笑い声が加わった瞬間だった。




