ルルソン村へ ジル視点
ジル視点
奴隷になったあの日、俺の人生は唐突に、そしてあっけなく終わりを告げた。心底そう思った。
祖父と祖母が横領の罪で捕らえられた、そのあまりにも残酷な日に、母さんは静かに息を引き取った。悲しみに打ちひしがれる間もなく、俺の心には貴族への憎悪が深く、深く刻み込まれていった。
祖父と祖母は、田舎の子爵家で身を粉にして働いていた。休みなんてものは、彼らの辞書にはなかったのだろう。母さんの薬代を借りるために祖父を訪ねた時、子爵家のお嬢様が俺をじっと見つめているのには気づいていた。でも、まさか俺をそばに置きたいなどと、そんな身勝手な欲望を抱いているとは夢にも思わなかった。お嬢様は「あの子が欲しい」と駄々をこね、祖父と祖母をどれだけ困らせたことか。
そして、しばらくして祖父と祖母は横領の罪で捕まり、奴隷にされてしまった。貴族相手の横領罪は、最悪の場合、死刑さえあり得る重罪だ。母さんを失ったばかりなのに、祖父たちまでいなくなるなんて、俺には到底耐えられなかった。彼らの罪を少しでも軽減するため、俺は自ら奴隷になる道を選んだ。だが、きっと最初から、彼らは俺にそうさせるつもりだったのだろう。全ては、あの貴族のお嬢様の思惑通りに。
俺は、全てを諦めた。もういい。もう、どうでもいい。この世に神なんて、どこにもいやしないのだ。
奴隷商会に連れて来られたその日、店の主である奴隷商人が俺に話しかけてきた。
「奴隷として店に出す手続きに一週間はかかるんだ。君は賢そうだから、店の帳簿付けでもしてもらおうか」
「俺は算術ができません」
俺がそう答えると、店主は朗らかに笑った。
「ハッハハ、そうかそうか、頭が良さそうなのにもったいないな。君ならすぐにできるようになるだろう。教えてやるからやってみろ」
そう言いながら、算術まで教えてくれるような、少し変わった店主だった。彼のおかげで、嫌なことを考える時間もなく、ただひたすらに数字と向き合う日々が続いた。それが、どれほど救いになったことか。
そして、奴隷になって七日後。店主が俺に、信じられないような話をしてきた。
「お爺さんとお婆さんが買われたよ。お爺さんは買われる時、『一生尽くすから』と土下座をして、奥さんと孫も買ってほしいと買い主に頼んだらしい。その後、お婆さんも一緒に買われることになってね。その買い主は、君も買いたいと言ってくれているんだ。君には他にも買いたいと言ってくれている人がいるが、君はどうしたい?」
「その方たちは貴族ですか?」
俺は震える声で尋ねた。
「そう聞いている」
貴族には、もううんざりしていた。だが、祖父と祖母にはもう一度会いたい。何よりも、あの子爵令嬢に買われるのだけは、絶対に嫌だった。あの女の顔を二度と見たくない。
「選ばせてもらえるのなら、爺ちゃんと婆ちゃんと一緒がいいです」
俺がそう告げると、奴隷商人は深く頷き、「わかったよ」と優しく囁いた。
しばらくして、店で聞き慣れた声が聞こえてきた。子爵家のお嬢様だ。その声を聞いただけで、俺の心はざわめいた。
「明日の何時から売るのかしら?」
「ああ、彼ならお客様の他にも買いたいとおっしゃられる方がおりますので、どうなるかはまだ分かりません」
「それは貴族なのかしら?」
「ええ、かなりの高位貴族だと聞いておりますので、お嬢様には申し訳ありませんが、その方たちを優先させていただきます」
「高位貴族って……家名を教えてくださる?」
「申し訳ありませんが、私もそれだけしかまだ聞いておりませんので、分かりかねます」
「どういうことよ!あの男は私のものよ!私の方が先だったわ!」
「私の力では何もできません。お嬢様の方で直接交渉をなさってください」
奴隷商は、冷静な口調でそう促した。
「な、なんですって!誰なのか教えなさいよ!」
お嬢様はなおも食い下がったが、奴隷商はそれ以上の情報を明かそうとはしなかった。
そんな、聞くに堪えないやり取りがずっと続いていた。本当に貴族は自分勝手だ。自分さえ良ければ、あとはどうでもいいのだろう。俺の人生を勝手に弄び、自分のものだと叫ぶ。怒りがこみ上げてきたが、俺にできることなど何もない。
次の日の夕方四時過ぎ、店に何人もの人が現れたようだった。店主から「準備をするように」と言われ、俺はドアの前で待機した。ドア越しに聞こえてくる話によると、どうやらご子息の側仕えを探しているらしい。でも、なぜわざわざ奴隷を選ぶのだろうか?疑問は尽きなかった。
ノックをして部屋に入ると、今まで見たこともないような、威厳に満ちた人々が、一斉に俺を見てきた。立派な旦那様と、天女のように美しい奥様、威厳のある初老の男性、そして天使の彫像のように整った顔立ちをした、俺と同じくらいの年の三人の子供たち。
俺はあまり緊張しない方だと思っていたが、この場では無理だった。心臓が早鐘を打ち、口から出るのは、簡潔な挨拶と感謝の言葉が精一杯だった。
俺の購入が決まると、もう一人のご子息のために奴隷を購入することになり、何名かが部屋に入ってきた。見目の良い奴もいたし、頭の良さそうな奴もいた。しかし、ご子息が選んだのは、パッとしない、ごく普通の男の子だった。
その日は、子爵家のお嬢様は来なかった。店主に聞いてみると、侯爵様たちが来られている時に、店の前に馬車が止まっていたそうだ。
「子爵家の令嬢が侯爵家の当主と交渉できるはずないから、諦めたんだろう」
その言葉は、俺の胸に去来した、言いようのない感情を代弁していた。
次の日から、俺たちはご子息たちと共に過ごすことになった。驚くべきことに、彼らは俺たちを全く奴隷扱いしてこなかった。食事も同じものを食べ、乗馬の訓練も同じようにさせてもらえる。何より、学校にも一緒に行くつもりらしく、勉強までさせてくれるのだ。しかも、ご子息たちはとても勤勉で、俺たちの勉強にも根気強く付き合ってくれる。俺は、まるで夢を見ているようだった。
祖父と祖母にこの話をすると、二人は顔を見合わせて笑いながら答えてくれた。
「本当にお優しい方たちだよ。彼らは、私が何かをするたびに必ず『ありがとう』と言ってくれるんだよ。奴隷なのに、以前よりも充実した生活をさせてもらっている。だからジルも、いろいろ学んで恩返しをするんだよ」
二人の顔は、以前よりも血色が良く、少しふっくらしたように見える。その笑顔を見るたびに、俺の心は温かくなった。
そして何日か過ぎ、俺たちはルルソン村へ向かうことになった。旦那様たちより少し遅れて出発することになるが、そろそろ準備を始めなければいけないと俺は思っていた。しかし……。
マッド様は買ってきた中古の馬車に、何やら手を加えられている。リオ様は馬力のある馬を選んで、二頭も連れてきてくれた。キャロル様は、朝から手作りのお弁当を作ってくれている。それって、俺たちの仕事じゃないのか?戸惑いを隠せない。
「真面目でしっかりした護衛を二名手配しといたから問題ないとは思うが、くれぐれも気をつけてルルソン村へ向かってくれ」
そんな優しい言葉を下さったのは、旦那様だ。奥様は、俺たちにクッキーを差し出し、優しく微笑まれた。
「私はこれしか作れないんだけど、味は美味しいと思うから、みんなで召し上がってちょうだい」
どれも、俺たちの仕事のはずなのに。どうすればいいのか、俺には分からなかった。ドナは「ありがとうございます!」と叫びながら、もうクッキーを頬張っているし、ボンドンはお弁当の味見をしてきたと楽しそうに笑っている。どうするんだ、俺は。
祖父と俺が交互に御者をするつもりだが、ボンドンにも途中で覚えさせようと思っている。可能であれば、ドナだって覚えた方がいいだろう。あとは、二人には馬車の中で勉強もしっかりしてもらうつもりだ。
マッド様たちが出発した数時間後、俺たちは出発した。リオ様が「足が速く馬力のある馬を選んできた」と言われた通り、本当に素晴らしい馬だ。馬車も中古とは思えないほど快適だし、何よりも速度が速い。この分だと、予定よりずいぶんと早く着きそうだ。天候にも恵まれ、俺たちはかなり早く野営施設に着いた。夕飯の準備は、祖父と祖母が笑顔で引き受けてくれた。
俺とドナは、冒険者の一人と狩りに出て、角ウサギを捕まえてきた。ボンドンは薪を集めてくれたようだ。出来上がった料理をみんなで囲み、楽しい時間を過ごすことができた。
奴隷になった時は、ひどく落ち込み、死ぬことさえ考えた。だが、今はこうして、心の底から笑っている。それに、俺は自分の境遇を憐れんでばかりいたが、ボンドンやドナだって負けてはいない。彼らもまた、それぞれの苦しみを乗り越えようとしている。
明日には、ルルソン村に到着するだろう。ルルソン村でも、俺たちはきっと毎日笑っているんだと思う。
ボンドンには御者は無理だったが、ドナは非常に上手かった。




