子犬との再会
王都からミシェランにあるブライトン侯爵邸に到着すると、先に着いていたムッサリとジータが、孫のジルに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。ムッサリは、ジルの頭を優しく撫でながら、震える声で謝っていた。
「良かった、会えて本当に良かった……!ジルまで巻き込んでしまって、本当にすまなかった。ひどい目に遭わせてしまって……」
それを聞いたジルは、首をゆっくりと横に振りながら、静かに涙を流していた。その姿を見て、私も胸が締め付けられるようだった。
三人が再会できて、本当に良かった。私まで、じんわりと温かい気持ちになる。ムッサリ、ジータ、ジルをその場に残して、私たちはそっと屋敷の中へと入った。
お父様とお母様はまだミシェランで仕事があるので、ルルソン村に戻るのは七日後だ。ブライトン侯爵邸の敷地内には広い牧場もあるので、ここにいる間に乗馬の訓練をすることになった。ジル、ボンドン、ドナを含めた六人で、毎日特訓に励んでいる。
ボンドン以外はすぐに乗れるようになり、今では馬を走らせることもできるようになった。ボンドンも真剣に頑張ってはいるが、なかなか要領がつかめないみたいだ。リオはそんなボンドンに、根気強く、何度も手本を見せて教えていた。
「大丈夫だよ、ボンドン。いざとなったら、僕が後ろに乗せてあげるから」
リオはそう言って励ますも、ボンドンは納得しない。
「そんなのだめですよ、リオ様!僕、できるまで練習します。それに、いざとなったら構わず置いていってください!僕は足が速いから、必ず追いつきますから!」
ボンドンは誰よりも朝早く起きて、乗馬の訓練をしているのを私は知っている。きっと、時間がかかっても、彼は必ずやり遂げるだろう。
乗馬の訓練の後は、魔法学院の入学試験に向けての勉強も、皆で行っている。
ジル、ボンドン、ドナも、私たちと一緒に通うために勉強を始めてもらっているが、ボンドンとドナはあまり勉強が得意ではないみたいで、とても苦労しているようだ。
「ねえ、ドナ。無理して入学しなくてもいいのよ?送り迎えだけしてくれれば充分だわ」
私がそう言うと、ドナは決意したような強い眼差しで言った。
「とんでもないです、キャロル様!私は何が何でも合格して、一緒に通います!男子生徒から、必ずキャロル様をお守りしますから!何があっても、絶対に離れません!」
マッドやリオもいるから大丈夫だとは思うが……。でも、彼女のやる気が出たのなら良かった、と思うことにした。
夜にはジルが先生役になって、ドナとボンドンに勉強を教えている、とマッドが言っていた。ジルはマッドのように何でもこなせて、とても優秀だ。二人にしてみれば、兄のような頼れる存在なのかもしれない。
いよいよ、ルルソン村へ帰る日がやってきた。ムッサリ、ジータ、ジル、ボンドン、ドナは、中古の馬車を購入してルルソン村へ向かうことになり、私たちより数時間遅れて出発する。護衛を二人、冒険者ギルドで雇ったので、きっと問題はないだろう。
出発の準備が整い、私たちがお父様たちの馬車に乗り込もうとした時だ。
「ドナ!だから落ち着けって言ってるだろうが!」と、ジルの少し呆れを含んだ怒声が響いた。視線を向けると、どうやらドナが張り切りすぎて、馬車の荷台に積んであった小さな樽をひっくり返してしまったらしい。慌てて駆け寄るドナに、ジルが手早く中身を片付けながら、軽く頭を小突いていた。
「せっかくのお見送りなんだから、余計なことするなって言っただろう?もう、本当に手がかかるんだからな!」
「キャロル様をお見送りしようと、つい力が入ってしまったんだもん、仕方ないわ」
ドナは少しだけ肩をすくめた後、すぐにいつものきらきらした笑顔に戻り、反省の色はまるで見えない。ジルも、そんなドナに毎度のことだとでも言うように、小さくため息をついている。マッドとリオは肩を震わせて笑いをこらえ、お父様とお母様も顔を背けているが、きっと笑いを噛み殺しているのだろう。
ジルが兄貴分として、しっかりとドナを窘めている様子を見て、私は思わず笑みがこぼれた。まだ会って間もないのに、まるで昔から知っている兄弟のように、彼らが打ち解けているのが伝わってくる。こんなに早くみんなと家族のように馴染んでくれて、本当に良かった。心から安堵し、温かい気持ちになった。
一旦ドナたちと別れて、お父様たちと一緒にルルソン村に向かった。
馬車の中でぐっすり寝てしまい、目が覚めたら、夕焼けが綺麗な山小屋に到着していた。マッドは、黒豹のインディに会いに、少し小高い丘へ一人で駆けて行った。
インディのお母さんである黒豹は、傷が癒えるとインディを連れて山小屋から去っていったらしい。だけど、インディは度々山小屋へ戻ってきては、犬たちと戯れていたそうだ。今日はマッドが来るのを知っていたかのように、一時間も前から待っていたらしい。本当に賢い子だ。
マッドがインディを抱いて戻ってきた。少し大きくなったインディは、もちもちしていて、相変わらず可愛かった。
山小屋のご主人のブレンさんが、お父様に魔馬の報告をしている。どうやら種付けに成功したようで、お父様はとても喜んでいた。
私は、あの時の小さな子犬が気になって会いに行った。小屋の中を覗くと、子犬は母犬に寄り添って、気持ちよさそうに寝ている。最初に会った時は細くて小さかったのに、ずいぶん大きく、そして丸々としていて、本当に可愛らしい。触りたいけど、起こしちゃまずいと思い、じっと見ていたら、パチッと目が開いた。どうやら起こしてしまったようだ。
そっと手を差し出すと、クンクンと匂いを嗅いで、また目を閉じて寝てしまった。残念だけど、また明日の朝に会いにこよう。そう心に決めて、「おやすみ」と小声で言って、私は小屋を出た。
もう夜だが、馬車でぐっすり寝たせいか、まだ眠くはない。リオはきっと釣りをしているだろうし、マッドはインディとおしゃべりしている。ピッピはもう寝ちゃったし、どうしようかな~、と思いながら、一人で空に広がる星を眺めていた。
すると、先ほどまで寝ていた子犬が、私の足元にちょこんとやってきた。驚きながらも、優しく声をかけてみた。
「起こしちゃってごめんね。可愛いワンちゃんね。お名前なんて言うの?」
「うん、まだないの~。キャロルが可愛い名前、つけてくれる?」
子犬が、まるで私の考えていることを読んだかのように、おしゃまな声で答える。私は驚きで目を見開いた。
「えっ、そうなのね!?だったら、早く決めてもらわないとね。どんな名前がいいかな……」
「うーん……可愛いのがいいな。私にぴったりなのがいい!」
「そうよね!女の子はやっぱり可愛い名前がいいよね!」
「だから、キャロルが可愛い名前を考えてよ!えへへ」
上目遣いでお願いされて、私はますますドキドキする。
「可愛い名前だと、例えばだけど、チェリーとか、ピーチとか?」
「その名前も可愛いけど、私、果物じゃないから~。それに、食べられちゃいそうじゃない?」
口を尖らせて言うので、私は思わず噴き出してしまった。
「ふふ、それなら、『ランラン』っていうのはどう?」
「『ランラン』?うん、可愛いね!『ランラン』にする!」
子犬が嬉しそうに尻尾を振る。そして、私がようやく気づいたことに、彼女はとっくに気づいていたかのように、とびきりの笑顔で言った。
「ねえランラン、私たち、もしかしておしゃべりしてるの?」
「キャロルとはさっきからずっと、ずーっと一緒におしゃべりしてるよ!キャロル、やっと気づいたの?」
「やっぱり、そうだよね!私、動物と会話ができるようになったのかな!?」
「そうなの?良かったね、キャロル!これで寂しくないね!ね、ね、今度はいつおしゃべりできる?」
「うん!でもそうなると、もうお肉とか食べれなくなっちゃうなー……。それにしても、ランランって生まれて間もないのに、おしゃべり上手ね!」
「聖獣はね、お母さんの知識も生まれた時に引き継ぐの。だから会話もすぐにできるんだよ!私、賢いでしょ?キャロルみたいにね!」
ランランに「賢い」と言われて、私はちょっと照れてしまう。
「なるほどね!それはとっても便利だわ!」
「私、まだお母さんとは離れられないから、もう少しキャロルのお世話をするのは待っててね!」
私に向かって小さな手でお願いポーズをするランラン。なんだか、ちょっぴりわがままな妹みたいで可愛らしい。
「うん?どういうこと?」
「もう少し大きくなるまで待っててね。インディと一緒に、キャロルのところに行くから!そしたらたくさんお世話してあげるんだから!」
「うん、よく分からないけど、またおしゃべりしようね、ランラン!」
「うん!じゃあまたね、キャロル!おやすみなさい!」
「うん、またね、ランラン!おやすみなさい!」
朝起きたら、ベッドの中だった。マッドが運んでくれたのだろうか。
なんだか夢を見た気がする……。とても不思議な夢だったが、心の中は温かい。
今日は朝ご飯を食べたら、準備ができ次第出発する予定だ。
マッドは朝早くから起きて、インディと戯れていた。リオは出発するまで釣りをすると言って、元気に出かけて行った。
私はランランに、可愛らしい首輪を編んでいた。調整しやすいようにリボン結びするだけの簡単な物だが、結構可愛く仕上がったので、きっと喜んでくれるはずだ。早速会いに行くと、また気持ちよさそうに寝ていた。
「たくさん寝て、たくさん食べて、大きくなるんだよ」
私はランランに小声で言って、起こさないようにそっとリボンを置いて小屋を出た。
出発の準備も整い、ルルソン村に向けて馬車は走り出した。私は馬車の中で勉強を少しだけした後に、古代語の本を読んでいた。
「キャロル、ランランとはしっかり挨拶してきたか?」
マッドにそう聞かれたが、なぜマッドが、私が夢の中で勝手に付けたワンちゃんの名前を知っているのか分からず、私は「……」と、考え込んでしまった。
「インディが言っていたぞ。ランランって名付けたんだろう?」
「えっ!?」
「マッド、キャロルはきっと、まだ理解していないんじゃないのかな?」
リオが面白そうに言った。
「おいおい、一体どういうことだ!?」
お父様の声が、馬車の中に響き渡る。
「キャロルはそういえば、寝言で『ランラン』って言っていたわよね」
お母様にも寝言を聞かれていたなんて……!もう恥ずかしくて、顔が真っ赤になるのを感じた。
「マッド、実はね、私、動物と会話ができるようになったかもしれないの……!どうしたらいい?お肉食べれなくなっちゃう!」
私の必死な訴えに、マッドとリオは声を上げて大笑いした。
「キャロルはランランと契約したんだよ!ランランは子犬だけど聖獣だから、会話ができたんだ!」
マッドが笑いながらそう言うと、リオはお腹を抑えながら私に言った。
「キャロル、面白すぎるよ!勉強はあんなにできるのに、どうして……!」
その後も、馬車の中で皆に散々笑われた。どうやら私はみんなを笑わせる能力があるみたいだ。




