カルセリア国2
マッドとジルが戦いに行ってから半日が過ぎた頃、連絡が入った。
「キャロル、カルロから連絡が来たわ。魔法陣の破壊は成功して、皆無事だそうよ」
「良かった。本当に良かった」心から安堵の声が漏れた。
「よーた。よーた」
リアムが、私の言葉を真似するように一生懸命に話す。その姿に、張り詰めていた心が少しだけ和らいだ。
「ええ、リアム、良かったね」
「お母様、私とドナも今からでも行こうかと……」
そう言いかけたけれど、直ぐにお母様に話を遮られた。
「駄目よ、キャロル。勝手な行動を取ると困るのは、指揮官であるカルロよ。カルロの許可なく動けば混乱を招くわ。指示を待ちましょう」
お母様の言うことは最もだった。頭では理解できても、なぜか胸騒ぎが止まらない。体の中を冷たい水が流れるような、拭えない不安があった。
翌朝になり、マッドは戻ってきた。
私はマッドの姿を見かけると、我慢できずに彼の胸に飛びついた。彼の温かい腕に包まれ、ようやく少しだけ息ができる気がした。
「キャロル、ただいま」
そう言って頭を撫でてくれるけれど、まだ落ち着けない。何故か、これで全てが終わった気がしないのだ。
「キャロル、ミシェランに直ぐに戻ろうと思う。何か嫌な予感がするんだ」
マッドも同じように何かを感じ取っていたんだと、私は思った。
「もう市場は大丈夫なの?」
「ああ、市場は押さえたし、もう問題ない」
「分かったわ、では直ぐにミシェランへ向かいましょう」
「リアム、おいで。父さんと一緒にまた馬で走ろうな」
「うま――、はちる」
リアムが楽しそうに声を上げて喜んでいる。
「マローネ、また無理させて申し訳ないけれど、頑張ってくれる?」
私の愛馬であるマローネは、頭を下げてくれた。私の気持ちを分かってくれたのだろう。
ミシェランまではほとんど休まずに向かった。近くなるにつれて、どんどん不安が増していく。
ミシェランの屋敷に到着すると、私はマッドと共に、すぐさまお爺様のもとへ向かった。
「お爺様、ミシェランはどんな状況ですか?」
マッドが、焦りを帯びた声でお爺様に確認した。
「どうにもわからんのだ。ところどころで騒ぎが起きているが、マーカスたちが対応してくれているので直ぐに鎮まるんだが、鎮まった途端に別の場所で騒ぎが起こるんだ。ずっとその繰り返しだ」
「おかしいですね」マッドが呟く。
「それに騒ぎの度に怪我人も出ていて混乱が広がっている」
お爺様もかなりお疲れの様子だ。
すると、マッドは私をまっすぐ見て、言った。
「キャロルは危険だからリアムと一緒に屋敷に残ってくれ。ドナ、キャロルを頼んだぞ」
そう言うと、マッドはマーカスさんの元へと向かった。
彼の顔にも疲労が浮かんでいたが、その瞳の奥には、この不穏な状況を何とかしようとする強い意志が見えた。
「お爺様はどう思われますか?」
「争いとは些細な事が発端になって大きくなっていくものだ。カルセリア国はそれが狙いなのかもしれない」
「カルセリア国の国王は健在なのでしょうか?」
「カルセリア国の国王の姿は三年前から公の場に現れていないそうだ」
その日、マッドは戻って来なかった。私は一晩中、胸騒ぎが収まらなかった。
朝起きると、お爺様が私に頼んできた。
「キャロル、どうやら怪我人が相当数いるようだ。悪いがドナと共に教会に行って手当をしてやってくれないか」
私は、リアムを置いていくのがどうしても不安で、共に連れて行くことにした。ランランがいればきっとリアムを守ってくれるだろう。
教会には、お爺様が言うように、多くの怪我人が押し寄せていた。
私もドナも魔法学院で一通りの医術は学んだし、卒業後も病院の手伝いをしていた。今では治療スキルのレベルもかなり上がっている。怪我人の治療をドナと共に行い合間には薬膳料理も振る舞った。
見渡す限り、大怪我をしている者はいないので先ずは安心だ。
「奥様、ドナ様、ありがとうございます。本当に助かります」
多くの人が感謝の言葉を述べてくれた。
「いいえ、何かございましたら直ぐに呼んでくださいね」私は、そう言って患者さんの様子を伺った。
「ところで皆さんは、諍いに巻き込まれたのですか?」
私は患者さんに騒動について話を聞いた。
「はい、喧嘩になったので止めに入ったんですが……。逆に怪我を負ってしまいました」
「俺は近くで見ていただけなんですが、急に見ず知らずの奴に殴られたんです」
「その方は今どちらに?」私は聞いてみた。
「気づいた時にはもういなかったよ」
やはり誰かがわざと小さな騒動を起こしているようだ。しかし何故捕まらないのだろう。その不審さに、胸のざわつきが増した。
「キャロル様、少しお時間良いですか?」
シスターのシイラさんがそう声をかけてきた。シイラさんと別室に行くと、トムがいた。彼の顔には、どこか怯えの色が浮かんでいた。
「トム、夢の話をキャロル様にも教えてあげて」
「僕、夢を見たんだ。赤い髪のおじちゃんが教会の前で笑っている夢。何だかすごく嫌な感じだった。でも、そのおじちゃんは透けていて……。そして隣に立っていた大きな傷のある男が、しばらくすると母さんを……」
トムの顔は真っ青だった。その話を聞いて、私の背筋に冷たいものが走った。
「キャロル様、おそらくルートは遠くで見ていて、スタークが近くにいるのではないでしょうか?」
「スタークが教会にやって来るってこと?」
「トムが言うには夕方頃のようです。今日なのか明日なのか、それとも遠い未来なのかは分かりません」
「ありがとう、シイラさん。マッドにこのことは直ぐに伝えるわ」
シイラさんの言葉は、私の不安をさらに募らせた。
このミシェランに、いよいよスタークとルートがやってくるのだろうか?




