表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

婚約破棄された悪役令嬢は、そんなことより歯が痛い

作者: 江葉

歯の神経を抜きました。一か月ほどずーっと歯が痛くて、薬飲んでごまかしていたのですが耐えきれなくなりまして。歯医者には定期的に行っているので虫歯はなく、レントゲンもした結果、原因は食いしばりでした。神経を抜くのがまぁ痛いのなんの。神経を直接触られる痛みってこれかあ!と納得しつつ、これネタにしないとやってらんねーと思ったので書きました。

痛い描写があるのでご注意ください。

「クローディア・ブラック! 貴様の卑劣なふるまいは公爵令嬢として、なにより王太子妃として、とうてい受け入れがたい! よって私、フューシャン・アンベールの名において、貴様との婚約をたった今! 破棄する!!」


 王宮での夜会。


 貴族たちが入場し、国王と王妃、そして二人の王子が姿を現したところだった。

 国王が夜会の開会を宣言しようとしたまさにその時、第一王子であり王太子のフューシャンが前に進み出たかと思ったらいきなりそう叫んだ。

 いつのまに近づいたのか、フューシャンの隣にはプリンセスラインのドレスを着た令嬢が寄り添っている。


 両親、兄と共に会場入りをしていたクローディアは、ぎりりと奥歯を嚙みしめた。


 父ユーイェン、母ローゼリア、兄シュヴァルツ以外の――いや、国王と王妃を含めた国の重鎮以外の面々は、さもありなんとばかりにうなずき拍手している。


「そして私はこのルージュ・ブリュノー伯爵令嬢と結婚する!!」


 フューシャンがさらに言うと、周囲の人々がわっと歓声を上げた。が、


「何を世迷言を! フューシャン、そなたは王命に逆らうか!?」


 国王が怒りの声を上げると一瞬で静まり返った。


「お言葉ですが、陛下。クローディアの悪逆非道はもはや周知のこと。彼女を王妃にするなど国を不幸にすると同じでありましょう! 陛下は王妃にクローディアがふさわしいと、本気でお考えかっ!?」

「黙れ、何も知りもせぬ小童が! そなたはクローディアの背負う運命を知らぬからそんなことが言えるのだ!!」


 王太子が王命に逆らうなど、本来ならあってはならないことである。それをあえて行った、それも貴族たちの集まる、王宮の夜会でだ。

 さらに先程の、貴族たちの拍手喝采。フューシャンはすでに根回しを済ませていたのだろう。


 怒りに顔を赤くする国王。蒼褪める王妃。弟王子は白けた目でそんな両親を眺めている。クローディアが義姉になるのに反対なのは弟王子も王子も同じだった。


 クローディアを王太子妃に、と推した面々だけが、何も知らずにいたわけだ。こんな時でなければあっぱれ見事なりとその手腕を褒め称えていただろう。


 固唾を呑む会場に、ギリギリというクローディアの歯ぎしりだけが響いていた。フン、とフューシャンが嘲笑う。


「いかに聖女の娘といえど……凶暴な癇癪持ちではな。いずれ王妃となるには人がついてこないだろう」


 そこにローゼリアが進み出た。


「だから断ったのに~。クローディアちゃんはぁ、クローディアちゃんを愛してくれる人じゃないと、めっ、って言ったでしょ~?」


 おっとり間延びした口調で、ふわふわした雰囲気のままに、公爵夫人らしからぬことを言い出した。


 今代の聖女・ローゼリア。

 この国のみならず、世界中から愛され、崇拝されている。

 なにしろ世界を震撼させた魔王を封印した聖女だ。その後も世界を巡り、魔物や魔族と戦う各国を支援し続けている。


「そうだな。必ずクローディアを大切にする。国を挙げて愛するとまで言うから婚約を受け入れましたが……クローディアにこれほどの苦痛を与えておいてその元凶がクローディアを責めるとは」


 ブラック公爵ユーイェンも妻に加勢する。


「ディア、大丈夫だよ。お兄様が守ってあげるからね」

「シュヴァルツちゃん~お母様もいるわよ~」

「お父様もだぞ、クローディア!」


 なんとなくそこだけほのぼのとした空気になった。ただ一人、クローディアだけがものすごい形相で歯ぎしりしている。


 歯が痛いのだ。


 クローディアは長年、この歯痛に苦しめられてきた。


 虫歯ではない。親知らずが生えてきたわけでもない。

 どんな歯医者にかかっても、治癒術師に診てもらっても、いつまでたっても治らない。


 悪逆非道と言われるほど凶暴にふるまい、癇癪を起すのも、すべては歯痛のせいだった。


 愛娘の様子に気づいたローゼリアがそっと、左の頬を撫でる。左奥歯が痛みの元だ。


「大丈夫よクローディアちゃん~。お母様がついてるわ~」


 唯一効くのが母である聖女の癒しだった。痛みの薄れたクローディアは、泣き出しそうになった。


「お母様……お父様、お兄様、申し訳ありません……」

「クローディアちゃんが謝ることじゃないわ~」

「そうだ。クローディアはいつも頑張って耐えてきたものな」

「ディアの愛らしさを理解せぬ連中が愚かなのです」


 歯痛はたしかに辛いだろうが、他人にやつあたりするのはクローディアが悪いだろう。耐えていようとなんだろうと、耐えきれない時点で駄目である。

 シュヴァルツの不敬すぎる発言に、フューシャンが引き攣った。家族には愛らしく見えるのだろう。だが、顔を合わせればしかめっ面、ろくな会話はなく歯ぎしり、王宮のメイドや教育係に当たり散らしておいて、何が愛らしさだ。たしかにクローディアは目の覚めるような美少女だが、愛らしさなど吹き飛ぶわ。


 おまけにフューシャンの愛するルージュに暴力まで揮っている。怒りの形相で怒鳴られ、頬を打たれたのだ。日によっては足をヒールで踏みつけられたこともあるという。か弱いルージュはどれほど恐ろしかったことだろう。


 他の、主に令嬢たちが大なり小なり被害に遭っている。こんな女が未来の王妃では、とても貴族たちを統率などできまい。


 悪役令嬢。聖女の名を汚す悪逆非道の娘。国を挙げて愛するなどとんでもない話だった。


「聖女様はご存じないのかもしれませんが、その女は……!」

「その女ぁ? 誰のことかしら~?」

「クローディア、嬢は、私のみならぬルージュや令嬢たちに言いがかりをつけ、酷い扱いをしてきたのですよ! それも、さも当然のように!」

「クローディアちゃんがそうしたのなら~されるだけの理由があったのよ~」

「な……っ!」


 罪のないルージュや令嬢を虐げておいて理由があったなど、それが聖女の言うことか。フューシャンは憤りのあまり絶句した。


「ねぇ陛下~。もうこれ以上は秘密にしておけませんわ~」


 やはりのんびりと、ローゼリアが言う。国王は溜息と共に同意した。


「是非もない。フューシャン、他の者たちも聞くが良い」


 にっこり。笑ったローゼリアがフューシャンに向き直った。


「あのね~、聖女の力の源がぁ、愛だってことは知ってますわね~?」

「……それは、もちろん」


 だからこそ、ローゼリアは誰よりも彼女を溺愛するユーイェンと結婚したのだ。


「じゃあ~、魔王や魔族の力の源が憎悪や恐怖だっていうのは~?」

「知っている! 常識だろう!」


 そうなのだ。


 魔王と魔族は人間の憎悪や恐怖、負の感情を糧にして生まれ、力を揮い、魔物を生み出している。

 ゆえに魔王、魔族を浄化するのは聖女の愛の力なのだ。


「ならどうして~聖女であるクローディアちゃんに悪意をぶつけたのぉ~?」


 あっけらかん、と言ってのけたローゼリアに、フューシャンたちの時が止まった。


 

 聖女。

 愛を力の源にして魔を浄化する。その愛とは男女のそれだけではなく親愛や友愛、人形やペットを可愛がる愛情でも良いし、もっと広く喜びや楽しみ、感動なども愛となる。ようするに、他者と接することで得られた正の感情が聖女に力を与えるのだ。


 聖女は世界に一人だけ。今代の聖女が死亡や力を喪失すれば次の聖女が生まれる。

 二人の聖女が同時に存在するのは前代未聞だった。


「な、なにを馬鹿なっ! クローディアが聖女など、ありえない!!」

「聖女よぉ~。だってぇ、クローディアちゃんが魔王を封印しているんですもの~」


 今度こそ。フューシャンは固まった。

 知っていた国王たちが沈痛な面持ちでうなずいている。


「は……?」


 掠れた吐息を漏らしたのはクローディアだった。


「どういうことですのお母様……。わたくしが、魔王を?」

「そうよぉ~。だからクローディアちゃんを一番愛してくれる人と結婚してほしかったのに~」


 聖女ローゼリアが魔王を封印した時、彼女はすでにユーイェンと結婚し長男シュヴァルツが生まれていた。

 そしてその胎に、クローディアが宿っていたのだ。


 ローゼリアもユーイェンも気づいていなかったそれに、魔王が気づいた。そして己が滅びんとなった瞬間、クローディアの体を乗っ取るべく胎児の体に入り込んでしまったのだという。

 聖女から魔王が生まれる。聖女を絶望に落とす、魔王なりの復讐だったのだろう。


 だがローゼリアも負けてはいない。そうはさせじとそのまま魔王を封印したのだった。


「クローディアちゃんはとっても可愛いし~、そのまま愛されていれば魔王は消滅するはずだったのよ~」


 むろん、魔王の抵抗も強かった。クローディアに自我が芽生え始めた頃、魔王の気配が表に出始めたのだ。


 聖女の愛娘であり家族に溺愛されている。公爵令嬢という身分もある。誰もが認める愛らしい容姿を持って生まれた。

 周囲に羨ましがられ、妬まれる条件が揃いすぎていた。

 そこへきて王太子フューシャンとの婚約である。事情を知らない人から憎んでくれといっているようなものだった。


 公爵令嬢クローディアの周囲は貴族で囲まれているため、あからさまな攻撃はなかった。

 だが、悪意や憎悪、妬み嫉みは防ぎようがなかった。


 せめて公爵家にいる間は家族使用人一同心を合わせてクローディアを守った。ローゼリアもできる限り帰ってきた。

 ところが外部から来た家庭教師や茶会、王宮で出会うメイドや友人たちはそうはいかない。

 さらにフューシャンはどうもはじめからクローディアのことを気に入らない様子だった。


 婚約が決まる前からフューシャンはルージュ・ブリュノー伯爵令嬢と親しくしており、幼いながらもいずれ彼女と、と思っていたのだ。いわばぽっと出の女を愛せよ、と親に命令されたようなものである。引き裂かれた初恋は、フューシャンを傷つけた。割り切ってしまうには彼は幼かったのだ。傷の痛みは恨みに変わり、クローディアを嫌悪させた。


 まだ幼いからこそそのうち愛が育つだろう。そう軽く考えられたのもつかの間、魔王は確実に、クローディアを蝕み始めた。


 そう、歯の痛みとして。


「なんで歯……?」


 全員の心を代表するようにフューシャンが聞いた。そこは目だろう。いや声だ。けっこう想像を膨らませている人がいたりする。


「ちょうど乳歯が抜けて大人の歯に生え変わる頃だったし~。それに歯ならぁ、食べたりしゃべったりする時に噛むから、おしおきよぉ~」


 意外と考えてのことだった。


 ただし、悪意や憎悪という、力の源を得た魔王により、クローディアが苦痛を味わってしまうのは、ローゼリアにも予想外であった。

 一番頑丈で、よく噛むように躾けていたから食事をするごとに魔王は擦り潰されることになる。しかし歯痛というのは人間にとって、途轍もない痛みでもあったのだ。


 家の外に出ると奥歯が痛むとなれば、しかめっ面になってしまうのも致し方ないことであろう。


 

 ローゼリアがずっとクローディアについて守ってやれれば良かったが、封印された魔王を取り戻そうとする魔族がいる以上、そうもいかない。母恋しさと歯の痛みに泣くクローディアを置いて世界を巡らなければならないのは、ローゼリアにとっても苦渋の決断だった。


「クローディアちゃんが、よその令嬢やそこの小娘に卑劣なことをした? 自分を攻撃した者に反撃して何が悪い! 自分の身を守るのは当然です!!」


「ひぃっ」


 聖女の怒りに触れたルージュが腰を抜かした。


「ローゼリア」


 ユーイェンが妻の肩を抱いた。


 聖女であるローゼリアは、憎悪や怒りなど負の感情を抱かぬよう、常に自分を律している。おっとりと間延びした口調も自分を落ち着けるためだった。


「あ……。ごめんなさ~い。でも私ぃ、クローディアちゃんを虐めた連中を許せなくて~」

「それは私も同じだ。各家にはクローディアへの態度を改めるよう通達していたのだが通じなかったようだしな。だが、彼らを懲らしめるのは私たちに任せてくれ。君にはいつも笑顔でいてほしいんだ」

「懲らしめる必要なんてありませんよ、父上。こんな国など捨てて、ディアと一緒に母上の巡礼についてゆきましょう」


 ぎゅうぎゅうとクローディアを中心に抱きしめ合いながら、わりと物騒なことを言っている。


 ブラック家にとって家はローゼリアの拠点にしているだけであって、爵位を親戚に譲っても国に返上してもかまわなかった。

 困るのはむしろ国だ。公爵領の民は聖女信者で、聖女のいる国にしか安寧はないと信じている。ローゼリアが家族を連れて国を出るというなら自分たちもと言い出すだろう。すでに聖女の国ということで公爵領に移住してきた者がいるほどなのだ。数万人が国から流出する。それすなわち労働者の消失であり、大損害となる。

 もちろんシュヴァルツはわかって言っているのだ。公爵領の広大な土地に人をいれるにしても、王太子と貴族がローゼリアの大切な娘を迫害したという事実がある以上そう上手くはいくはずがない。下手をすれば民衆による反乱だ。フューシャンだけではなく彼に味方した貴族たちまで蒼褪めた。


「……いいえ」


 歯を食いしばっていたクローディアが顔を上げた。


「クローディアちゃん~?」

「いいえ、お母様、お父様、お兄様。たとえこの身に魔王が封印されていようと、歯が痛かろうと、それをやつあたりしてしまったのはわたくし。わたくしの罪ですわ」


 きっぱりと罪を認めたクローディアに、フューシャンに喜色が戻る。


「そうだ! だいたいそのように重要なことを秘匿しておくほうが悪いではないか!」

「馬鹿者! クローディア嬢に魔王が封印されているなどと公表しては、魔族はこの国目指してやってくるだろう!!」


 思い至らなかったのか、フューシャンはあっという顔をした。


 そうなのだ。


 せめてフューシャンには教えておくべきか、国王と王妃は悩んだのだ。しかし、魔王を封印しているクローディアを愛せるか、むしろ忌避する可能性が高いのではとためらった。ただでさえルージュとのことでフューシャンはクローディアを嫌厭している。

 それに愛によって浄化されればクローディアの奥歯から魔王はいなくなる。それを待ったほうが良い、と判断された。


 結果、愛によって浄化どころか婚約破棄などと憎悪で魔王の力が増し、よけいに歯が痛くなっただけだったが。


 クローディアが魔王を封印していると魔族に知られたら、まちがいなく魔族はクローディアを狙ってくる。首を刎ね、奥歯を抜き取るだけで良いのだ、簡単なことだろう。


 それだけで済むとはどんなに甘く考えても思えないのが魔族である。国を囲み、人間たちの恐怖を煽り、人間の手でクローディアを殺させようと、人間の敵だと標榜するかもしれない。国に攻め入り阿鼻叫喚の地獄を作り、クローディアを絶望させることで魔王を復活させようとするかもしれない。


 クローディアを守るためには秘匿しておくしかなかったのだ。


「たった一人の少女が世界の命運を背負っておるのだぞ! それを守れずして何が国だ! 知らなかったとはいえそなたは王太子、クローディア嬢は守るべき民であろう! ただ怒り憎悪をぶつけるのではなく、婚約者として宥め教え諭し、周囲の悪感情を払拭させるのがそなたの役目であった!!」


 愛せなくてもせめてクローディアと親しくしていれば、ユーイェンがそれとなく教えていただろう。婚約に反対していても強引に解消しなかったのは、フューシャンがどう出るのかを確かめていたからだ。

 その間に水面下で貴族たちをまとめあげ、断罪と婚約破棄という最悪のコンボを決めてしまったのだからどうしようもない。


 ブラック家の中ではごく普通のやさしい貴族令嬢でいられたのだから、どういう環境であればクローディアが穏やかであれたのか、何をされれば歯が痛いと癇癪を起すのか、知ることはできたはずなのだ。



 

「お前の……っ」


 ガギン!


 すさまじい音が響いた。


「クローディアちゃん!?」


 なんと決死の形相をしたクローディアが歯を食いしばっている。痛いのだろう、涙を零しながら、それでも止めない。


「……っ、せいでっ!!」


 何をしようとしているのか、一目でわかった。


 バキッ!!


 ものすごく痛い音がして、クローディアがペッ! とそれを吐き出した。


 血まみれになった奥歯――魔王である。

 禍々しい黒い靄が滲み出ていた。


「っ、お前のせいで!!」


 ドレスの裾を持ち上げ、血を吐きつつクローディアが奥歯を踏んづけた。


「お前がっ、お前のせいでえぇぇぇい!!」


 癇癪を起したように何度も踏みつけ、細いヒールで砕いていく。クローディアにやられたことのある令嬢はその時のことを思い出し、ふらりと倒れかけた。


「愛ですって!? そんなものでちまちま浄化するくらいなら、今ここで! わたくしが滅ぼしてやりますわっ!!」


 まさかの聖女否定発言である。飛び散る血のせいで誰もクローディアを止められなかった。お前が魔王だろと言っても信じられる姿だった。


 クローディアにしてみれば長年の恨みである。あの痛みを受け続けていた原因がこの奥歯の魔王であるなら躊躇など必要なかった。

 愛なんて甘っちょろいことを言って許すことはとうていできそうにない。本当に、本当に痛かったのだ。いっそ死なせてくれと何度思ったことだろう。


「魔王ごときが! わたくしに! 勝てると! 思って!?」


 ガン! ガン! ガン!


 大理石でできた王宮の床まで粉砕しそうな勢いである。魔力を込めた一撃は確実に歯を砕いていった。



 ―――アァァァァァァァ……。


 微かな雄叫び――断末魔が聞こえて、黒い靄が霧散していった。


 しばらく、クローディアの荒い息遣いだけが会場に響いていた。誰も何も言えなかった。怖くて。


「す……すごいわ~クローディアちゃん~! 魔王を消滅させちゃうなんて~!!」


 ローゼリアが喝采を上げてクローディアに抱き着いた。張りつめていたものが切れたのか、クローディアが母に縋って泣き出す。


「おかあさま~!」

「クローディアちゃん~!」

「おかあさま、いたい、いたいの~!」


 クローディアはわんわん泣いている。


 それはそうだ。


 歯の痛みはれっきとした大人であっても耐え難いものである。出産に比べれば、というが、つまり命がけの痛みと比べてしまうほどの痛みということなのだ。

 奥歯を自分で噛みしめて砕いたのだから、よくやったと褒めるより、治療が先である。


「大変~! 今治しますからね~。え~い!」


 ローゼリアが治癒の魔法をかける。血の痕は消えないが痛みは消えたのか、ようやくクローディアが泣き止んだ。


「お母様、わたくし頑張りましたわ~!」

「よしよし。クローディアちゃん偉いわ~! よく頑張りました~!」

「わたくし、わたくしお母様がだーいすきですの! お父様とお兄様と、お家のみんなもよ!」

「そうね~、私たちもクローディアちゃんが大好きよ~!」

「フューシャン様たちはどうでもいいけど、国のみんなも好きなの~!」


 感動のシーンであるが、さりげなくフューシャンを落としてくる。


「だから、みんなを苦しめる魔王をめっ! してやりましたわ~!」


 たしかに滅していた。


「ルージュ・ブリュノー伯爵令嬢、ならびに他の令嬢のみなさま!」


 クローディアは母の抱擁から放れると、名前を呼ばれて思わずフューシャンにしがみついたルージュと、二人を囲んでいた令嬢たちに頭を下げた。


「魔王が原因であったとはいえ今までのこと、誠に申し訳ありません。心よりお詫びいたしますわ~」


 それから僅かに顔を上げたクローディアは晴れ晴れと笑っていた。ただし口元にこびりついた血のせいで、明るいはずのその笑みは「次はお前がこうなる番だ」と言っているようにしか見えなかった。絶妙な角度で上げられた顔に影が差しているのもよりその思いを強調させている。


「え、ええ……謝っていただけたら、わたくしたちはそれで……」


 相手は魔王を倒した女である。ここで許さないとなったら後が怖い。


 クローディアの後ろには彼女を溺愛する聖女の母と父、兄がいるのだ。クローディアの事情を知る国王と王妃、それに重鎮たちもクローディアの味方である。圧がすごい。

 なにより目の前で魔王を滅したことで、クローディアの評価はひっくり返ってしまった。


 本当なら婚約破棄の後に鞭打ちして国外追放するはずだったが、鞭で打とうものなら聖女と家族が黙ってはいない。国外追放などはい喜んでー! とばかりにさっさと出ていくだろう。公爵家ごとどころか公爵領ごと。


 フューシャンの恋人であるルージュは、クローディアに対してたしかに悪意を抱いていた。

 でも、そんなの当然だろう。

 初恋なのだ。恋人なのだ。愛しい人と結ばれて幸せになる、その邪魔者に悪意を抱くのはどうしようもないことではないのか。

 わたくしからフューシャン様を奪ったのだから、悲劇の恋人たちを気取って味方を作るくらいいいじゃないの。


 それが魔王に力を与えていたなんて言われても、どうしろっていうのよ。ルージュは内心憤懣やるかたなかった。


「ありがとうございます、ブリュノー嬢。わたくしも、通りすがりに「ブス」「ブサイク」「あんたなんてフューシャン様にふさわしくない」と言われたり、ドレスの裾を踏まれて転んだり、さりげなく振り返りざまに扇子で叩かれたくらいで、背後から蹴り飛ばしたり、髪を引っ張って倒したり、馬車で轢かせようとしたりなんて、大人げなかったですわ」

「馬車の暴走ってあなたの仕業だったの!?」

「ええ。フューシャン様と何時から何時までどこにいるのか、ワンパターンすぎて把握しておりましたので。辻馬車に急ぐように頼みましたの」


 公爵家の馬車を使わなかった当たり巧妙である。


「良かったわ~許していただけて~。ね、お母様~!」

「そうね~。これもクローディアちゃんがきちんと謝ったからだわ~。偉いわクローディアちゃん~」


 いやここでローゼリアを出してくるのはズルいだろ。ルージュは思ったが「許す」といった手前、そしてローゼリアとユーイェン、シュヴァルツが「許すんだよな?」とばかりに見ている以上、文句を言うことはできなかった。


 元はといえばルージュが先導してクローディアをいびっていたのだが、倍になって返されている。

 ルージュと令嬢たちはばれないよう陰湿だったが、クローディアは隠そうともしなかった。


 悪役令嬢――そうクローディアは呼ばれていた。


 苛烈で非道な行いは魔王のせいだといえなくもない。だが確実に、彼女の性格もあったのだろう。


 では今回の、夜会での婚約破棄という、令嬢にとって最大で最悪の攻撃には、どんな報復が待ち受けているのか。


 謝れば許してくれますわよね。


 そんなわけがなくともさも当然のようにそう言って笑うクローディアが、容易に想像できてしまった。


 絶対に敵に回してはいけない女を敵にしてしまったことに、ルージュは笑う聖女と愛娘につられたように笑うしかなかった。



 

 さて、その後クローディアは聖女の母ローゼリアと共に、魔族と魔物の被害に苦しむ各国を巡る旅に出た。

 ユーイェンとシュヴァルツは国に残ることにした。やっぱり拠点があったほうがいいし、みんなを連れての旅は危険が大きいしね。そう笑うシュヴァルツは、自分たちがいたほうがルージュとフューシャンの()()()()()とわかっているようだ。

 

 魔族は人間の悪意、憎悪や恐怖、怒りなど負の感情を源として生まれてくる。どうあがいても防ぎようのない感情が餌なのだ。

 魔王はその最たるもの、絶望が極まると誕生するという。


 そしてそれを浄化するのが聖女である。聖女は愛でもって世界を救う。


 そう、浄化なのだ。清らかなものでゆっくりと、悪意を憎悪を絶望を癒してゆくのだ。癇癪を起して泣く子どもを抱きしめるように。


 クローディアは魔王を消滅させてしまった。人間の感情を糧とする魔族の王を、爆発的な怒りと力でもって黙らせた。


 どうかクローディアが、次の魔王になりませんように。


 とうてい勝てそうにない女だ。クローディアは、そう、愛で包み込んでやさしく甘やかすくらいがちょうど良い。ローゼリアの性格がどうなのかは知りたくないが、よく考えたらあの公爵と結婚しあの長男を生み育てた女だ、クローディアと似たり寄ったりである確率が高い。むしろそれくらいでなければ魔族との戦いの前線に立てないだろう。聖女が戦うのなら愛の鞭とか言い訳ができそうだ。





 結果オーライとして結婚を認められ、後に国王と王妃になったフューシャンとルージュは、愛溢れる国にしようと善政を布き、賢王・賢妃として讃えられることになる。


 クローディアは巡礼の途中で出会った騎士と恋に落ち、結婚した。ローゼリア亡き後の聖女となり、やはり世界を巡り人々を救ったという。

 時折ブラック家に帰っては疲れを癒していたようだ。親友だという国王夫妻にも帰国のたびに会い、その時は王宮に笑いが絶えなかった。


 ただ、クローディアの日記にはその時のことが詳しく書かれているのに対し、フューシャン王・ルージュ妃のどちらの日記にもただ一言「クローディアが来た」としか記載されていないのだが。


 その理由は永遠の謎である。








書き終わって気づいたんですけどこりゃ魔族がいなくならないわけだわ。世界中で誰かが怒ったりするたびに魔族が魔物を生む。悪循環。そして聖女は一人。ただクローディアは魔王を倒した女なので魔族が大人しくなる可能性大。

クローディアはローゼリアを見習っているのでローゼリアの性格もたいがいだったりします。


今回の名前は色です。気づいてくれたら嬉しい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かったですー。 私は神経やられて麻酔かけて歯の神経抜いた事あります。 コロナまえかなー? 痛いのは我慢するタイプなので違和感感じていたくらいですが。
まともに考えもできない男と、陰湿ないじめやっておいて自分は謝罪もしないで被害者ヅラ女かー?こいつらのどこに価値があるのか。傀儡か?
恐怖と憎悪を力に変える魔王、歯痛への憎悪を力に変えた聖女に粉砕されるwww ……大丈夫?既に魔王の能力手にしてない? 王太子も貴族も、お前等利敵行為してたのわかってんの?感が残るけど、うっかりざまぁ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ