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第一部 六  風洞実験

 兄弟は、その表を作成するための実験方法を考え始めた。

 どのように揚力と抗力を測定すればいいのか、またどのような表に仕上げればいいのか、意見を戦わせ思案を巡らせた。

 しばらくはグライダーの製作は保留として、この実験に取り組むことになった。しかしこれがグライダーの性能に大きく影響する基本データとなるはずであるから、時間を取られることになったとしても、それは結局グライダーを製作するための遠回りではなく近道になるはずである。


 最初に考えた実験装置は、自転車を改造して作るもので、すこぶる単純なものであった。

 自転車の前輪のすぐ上にもう一つ車輪を水平に追加して、これを自由に回転できるように取り付けた実験装置である。この自由に回転する車輪上で時計の九時の位置に平板、十二時の位置に翼形をした板を取り付ける。この自転車を走らせて風圧を受けたときに、翼形に働く揚力の方が大きければ右に、平板に働く抵抗の方が大きければ左に回転して、バランスの釣り合った位置で停止する、という考えのもとの実験自転車である。

 兄弟は自転車店の片隅でこれを作り上げた。

「なんだか実験装置としてはみすぼらしいな」

「とにかくこれでテストしてみよう。良し悪しはそれでわかるだろう」

 兄弟は、実験自転車ができあがると店から外に出て、デイトンの下町を走った。

 道行く人は奇妙な自転車に特に注意を払うこともなく、兄弟も周囲を気にすることなく車輪の動きを観察した。

 まずは実験的に、リリエンタールの表の数値が正しいかどうかを確かめておこうと考えた。その表通りの揚力がもし翼に発生すれば、自由車輪が回転しないはずの抵抗となる平板を取り付けた。

 二人は実際に自転車を走らせて確認してみた。すると兄弟が想像していた通り、自由車輪は反時計方向に回り、ある範囲内で揺れ動いていた。つまりこれは想定した揚力がでていないことを示している。これを何度か繰り返してみたが結果は同じであった。このことから兄弟は、リリエンタールの表が正しくないもの、と改めて確信を持つことができた。ただ、これでは定性的な判断しかできないため、実験装置としてはもの足りない。

「実験はできたが、これでは数値データが取れないな。データが取れるようなものを考えないと…」

 数値データが取れなければ、揚力と抗力の新しい表を作ることはできない。

「それにこの自転車実験機では精度が悪すぎる。だいたい前からの風が不安定すぎる」

「そうだな…。そう言えば、風を安定させるものがあるぞ。風洞実験装置だ。あれがいい。あれなら揚力と抗力もしっかり測定できるだろう」

 風洞実験というのは、箱の中に一定速度の安定した風を流して、翼などの特性を測定するものである。閉じた空間の中で実験できるため空気の流れが乱れない、というのがミソである。それであれば容易に正確な翼の特性を測定することができるだろう。さらに好きな風速を好きな時に設定できる、という大きな利点もある。

 この風洞実験装置を最初に考案したのは、英国のフランシス・ウェンハムである。

 このころの米国ではまだ一般的なものではなかったものの、兄弟は実験装置を考えているうちにその装置のことを思い出した。そして文献を参考にしながら、簡単な風洞実験装置を作ることにした。簡単な装置とはいえ、実際に自分たちの力だけで作りあげてしまうところが、ライト兄弟の強みであった。


 ともかく兄弟は早速その装置を作り始めた。

 不用となったノリの木箱とファンを利用して、どうにか作り上げた。

 この簡易装置で実験したところ、自転車でのテストとほぼ同じ結果を得た。

 兄弟はこの装置での風洞実験を繰り返すうちに、この実験そのものが非常に有益なものであることにあらためて気がついた。

 キティホークでのグライダーや凧での実験では、安定しない風の中で適度な風を待ち続け、そして風向きを気にしながらテストしていた。さらに危険とも隣り合わせであった。それに比べるとこの実験では、好きな時に、好きな強さの、安定した風を作ることができる。そして何よりも身を危険にさらすこともない。さらに翼の模型を作るのも簡単である。薄い鉄板から好きな形のものを切り抜いて、好きな曲面の翼を作るのも、十数分もあればできてしまう。


 ウイルバーとオービルは、この風洞実験の有用性に気がつくと、もう少しまともな装置を作りたくなった。この装置では初めて作ったということもあり、まだ不都合・不十分なところがあって、もっと正確な実験データがとれる装置をもう一度作り直すことにした。

 最初は単純に揚力と抗力の表作成ためにこの風洞実験を始めたが、実験を繰り返すうちに、この装置で最適な翼の形状を探し出すことに使うことができることにも気が付いた。つまりそれは、キティホークへ行く回数が、はるかに少なくなることをも意味する。費用と時間の節約に、どれだけ大きな貢献をするか、測り知れないだろう。


 新しい風洞実験装置は、木製で長さ約二メートル、断面四十センチ角、空気取り入れ口は薄い鉄板で円形のものを作り、ファンの駆動軸には中古のグラインダーのものを利用した。これを作業場のエンジンとベルトで連結し、回転するようにした。これにより毎分四千回転でファンが回り、毎秒八から十一メートルの風を得ることができた。

 装置はちょうど腰ほどの高さになるよう脚の長さを調整し、上にのぞき窓を付けて、実験中の翼の状態を確認できるようにした。

 風洞実験装置ができると今度は翼の揚力と抗力を、どのように数値化するかを考えた。そのための器具の製作が必要となる。これについても兄弟は工夫をこらした。

 テストピースとなる模型の翼を取り付ける器具は、二種類作った。

 一つは揚力と抗力の比率を測るもので、平行四辺形のカド四点を自由に動くようにしたものである。この一辺に翼を取り付けて風洞実験装置の中に置く。そうすると平行四辺形がある角度で停止する。そこがその翼の揚力と抗力の釣り合ったところであり、この角度で揚力と抗力の比がわかる。この角度を読み取るために、分度器を底に取り付けた。

 もう一つは揚力の大小を判断するものである。翼がその風に対する角度の変わらぬまま、左右に動くようにしたアームをつくる。これに揚力が働くと右に動く。これと別に一定の大きさの抵抗板をつけたアームをつくる。この二つのアームを連動させておくと、これもある角度で停止して止まる。この角度を測定すれば揚力の大小を判断することができる。

 兄弟はこの装置を使って、揚力と抗力を測定してみた。

 するとこの装置がすこぶる有効なことがすぐにわかった。一回のテスト時間は数分で終わってしまう。しかも測定結果は安定しており、測定の結果を数値で読み取ることができる。これにより、定量的な測定が可能となった。考えられるありとあらゆる実験が、簡単に実施可能となった。


 兄弟はこの風洞実験を、仕事の合間を見つけては、自転車店の二階で実施した。

 自転車店はデイトン市西三番通りにあり、自宅から歩いて五分ほどのところである。

 店の入り口には番地を示す一一二七の数字とその上にライト自転車カンパニーと表示されている。間口は二間ほどの小さな店であるが、その奥に工作室、二階には作業場を備えていた。

 兄弟は二階での作業に集中できるように、店に呼び鈴を二つ設置していた。

 一つは店の入り口ドアが開くと鳴り、もう一つはドア近くに設置してある空気入れを取り出したときに鳴るようになっている。自転車店へは空気入れを借りるためだけで来店する客も多かった。ベルが続けて二回鳴るとそれは、ドアが開き空気入れを取ったことを意味し、兄弟が店に出る必要はない。一回だけベルが鳴った場合、それは店員の対応が必要であることを意味し、兄弟かまたはチャーリー・テイラーが店に顔を出す、という具合である。

 十一月にもなると自転車としてはオフシーズンで、一日の来店者数も三、四人程度となり、いっそう作業に打ち込めるようになった。風洞実験装置作りはオービルが主に担当し、ウイルバーは実験に使う翼の模型テストピース作りに精を出した。

 翼は厚さ〇.八ミリの鉄板を切り出し、ハンマーでたたいて翼曲面を作り出し、さらに翼の前縁に厚さを出すためにハンダやロウを使って肉盛りし、テストしたいと考える形状の翼を一つずつ丁寧に作っていった。


 風洞実験の検討項目は多岐にわたり、組み合わせは無限にあった。

 基本的には翼断面形状が主なテスト項目になるが、その前に翼全体の形、例えば兄弟が今まで作ってきた長方形の翼やリリエンタールのような木の葉形状の翼、あるいは楕円形状などの検討も行った。このとき比較できるように翼の面積は六インチ平方に統一していた。さらに単葉機、複葉機やラングレーのエアロドローム機のような、前後に翼を配置するタンデム型なども試験した。

 そして主なテスト項目である翼断面形状については、キャンバー、翼厚さ、翼前縁形状、迎え角、アスペクト比などについて数値を変えて実験を行った。迎え角(空気の流れに対する翼の角度)については〇度から九十度まで変えデータを記録した。

 これら基本的なテストで二百以上の翼形状について膨大な実験を行い、一区切りついたところで、シャヌートに実験結果の中間報告を行った。


 その報告を見たシャヌートは、この兄弟の実験内容と豊富なデータに驚いた。

「彼らの本業は自転車店のはずだが、まるでこのほうが本業のようだ。彼らは飛行テストに関して実行力があるだけではなく理論的な検討もできている…」

 今までこれほど多岐にわたる実験結果を見たことがなかったから、兄弟の進取性を改めて認識することとなった。今まで兄弟の翼を捻るというアイデアに感服していたが、今度は系統的な実験まで行う分析力のあることを知り、驚きを禁じ得なかった。シャヌートはこれらの実験は有意義なデータの蓄積になる代わりに、かなり根気を必要とする作業であることを承知していたから、がんばって継続するよう激励する手紙を書いた。

 実際この作業が、兄弟の実力を向上させ、夢実現に向けて大きく前進させることになった。


 兄弟は根気よく二百以上の翼形状の実験を行い、十一月下旬にもなるとその中から四十八個の翼形状に的を絞ることができた。その次にその翼形状につき詳細のデータ取りを行った。一つずつ迎え角を〇度から四十五度までを十四段階にわけ、二つの器具を使って測定を繰り返した。

 兄弟は膨大な実験データをまとめてみると、意外なことに気がついた。

 いままで誤ったデータであると考えていたリリエンタールの表が、正しかったことが判明したのである。これまでリリエンタールの表と実際が合致しなかったのは事実であるが、その理由が二つあった。

 一つはリリエンタールの表が、木の葉形状の翼に対する表であって、兄弟が採用している長方形の翼には適用できないということである。

 もう一つは揚力を計算するときに、リリエンタールの表にスメートン係数を乗ずるのであるが、この百年以上使われてきた係数が実は誤っていたことである。

 兄弟は風洞実験の結果からこの係数を0.0033と設定した。これは従来のスメートン係数0.0054より約四割も小さい値である。

 これらの事実により、兄弟が過去に製作したグライダーが、計算通りの揚力を得られなかった理由がはっきりとわかった。


 またこの実験の中で、もう一つ重要なことに気がついた。

 それはキャンバーが大きいと、揚力中心が変動しやすいということである。

 一九〇一年のキティホークでの飛行テストで、キャンバー十二対一で飛行が安定しなかったのに対し、二十対一に変更したあとに、まともな飛行ができたということを経験した。その理由が揚力中心の不安定さにあったことを、この風洞実験を通じて確認することができた。これも兄弟にとって大きな収穫であった。根気強く時間をかけて実験を繰り返しただけのことはあった。

 ただ、兄弟はまだ気がついていなかったが、この実験自体にも誤差が含まれていた。それは風洞実験での翼が模型であり、現物よりも小さい翼であることが関係している。この場合空気の粘性の関係で、模型と実機では結果が異なってしまう。縮尺した模型での実験は風速を実際よりも大きくする必要があったが、それが広く認識されるのはずっと後のことである。ただし兄弟にとって幸いだったのは、実機での飛行速度が遅かったことである。飛行速度が遅いためにその誤差も小さくなり、実機でのテスト結果へは小さな誤差ですんでいた。


 兄弟がこのとき行った風洞実験は単調かつ膨大な実験の繰り返しで、とてつもなく大きな忍耐力が必要な作業であった。この点ライト兄弟の強みは、同じことを目指す人間がすぐ目の前にいたことである。二人がいつも一緒にいれば、忍耐力をあまり意識することもなく、苦労や疑問を共有することができ、思う存分に議論を重ねることができた。

 実際二人は何か検討項目があると、よく白熱した議論を繰り返していた。

 さて根気よく実験を続けた兄弟は翼形状四十八個のうち、十二番目の翼形が一番よいとの結論を出した。翼長六インチ翼弦一インチの長方形の形状で、キャンバーは二十四対一のものである。

 ウイルバーは、まとめ上げた実験結果をシャヌートに手紙で報告した。

 シャヌートは中間報告でも感心していたが、この最終報告の内容をみて改めて感銘を受けた。それと同時に、この研究結果は価値の高いものであると評価した。そしてこの研究はさらに継続する価値がある、と思った。しかしその為には手間や時間がかかり過ぎるため、経済的な支援がないと継続することは無理だろうと憂慮した。そこで思量を巡らせ手紙でウイルバーに一つの提案を行った。

「この研究は是非とも続けるべきだと思う。そのために必要な資金として一万ドルの寄付を受ける意志があるかどうか、貴兄の意見を聞きたい。もしもその意志があるならば、私はアンドリュー・カーネギーに掛け合ってみようと思う」

 アンドリュー・カーネギーというのはカーネギー鉄鋼会社などを創業し大成功を収めた実業家である。巨万の富を持つ彼は「裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきである」との考えの持ち主で、実際次の年一九〇二年一月末に一億ドル以上を投じて、社会福祉を目的としたカーネギー財団を設立しようとしているところであった。

 ライト兄弟は、まったく思いがけないシャヌートの申し出に驚いた。

「ウイル、これを受け入れたら俺たちは、まるで研究者だな。それは魅力的じゃないか?」

「ああ、そうとも言えるな。研究者というのには魅力を感じはするが、しかしどうだろう。人の資金で研究するというのは、なんというか、荷が重くなるような気がする」

 二人でよく考え話し合った結果、断りの手紙を出すことにした。

 一万ドルは確かに魅力的ではあるが、もしこれを受け入れてしまえば、それが足かせとなってしまう。さらに研究に打ち込むために結果として、自転車店を手放す必要が生じるかもしれない。二人の人生が経営者から研究者に変わってしまうことに多少の魅力を感じつつも、今のまま自分たちの意思で自由に実験に打ち込むほうがよい、という結論に落ち着いた。


 年が明けると兄弟は新しいグライダーの設計に本格的に取りかかった。兄弟は膨大な風洞実験をするうちに、グライダーの設計に関して自信を持てるようになっていた。グライダー製作は時期的に遅れることになったが、しかし二人の意気込みは大きなものになっていた。

 今度は今までとは違い、しっかりした実験の裏付けの上に設計を行うことができる。

 新しいグライダーは風洞実験結果から翼の縦横比・アスペクト比を六対一、翼断面深さキャンバーを二十四対一とした。これにより揚力中心も安定するものができると自信があった。そして昇降舵を長方形から木の葉型に変更し、同時に操縦性をもっと容易になるように工夫を施した。


「オーブ、あの問題を解決しよう。そうでないとまた事故が起こってしまう」

 兄弟は新しい機体を設計する前に、昨年のキティホークで未解決となっていた大きな問題点を解決する必要があった。

 問題の現象は二つあった。一つは傾いている機体を元に戻そうと操作した時、さらに傾きが大きくなったこと。もう一つは水平飛行から機体を傾かせた時、翼捻りと反対の方向に機首が向いてしまうことであった。

 この問題につき兄弟はもう一度整理し考え直した。二人で議論を重ねた結果、その原因について一つの解釈に落ち着いた。つまり次のような解釈である。

 下がった翼を水平に戻す操作をすると、それは即ち下がった側の翼端が捻れて迎角が大きくなる。この時揚力が大きくなる以上に抗力が大きくなってしまい、そのためにさらに翼端の速度が遅くなり、その結果機首がさらに旋回方向に振られてしまう。そしてまた二つ目の機首が急激に反対に向いてしまう場合も、同じように捻り上げた側の翼端の抗力が大きくなり過ぎて機首が反対に振られてしまうからである、と考えた。

「そうだとすると、その対策は機体後方に固定の垂直尾翼をつけるのはどうだろう。そうすれば、機首が振られる力に対する抵抗となって、安定感がでるのではないか」

「なるほど、それはいいかもしれない」

 結局、二人は昨年の問題の対策として、後方に垂直尾翼を付けることにした。この対策をシャヌートに相談したところ賛同を得ることができた。兄弟はこの考えに基づき、新しい機体の設計製作を開始した。

 この垂直尾翼を付けるという対策は、結果として兄弟に三つ目の翼をつけさせた。

 つまり主翼、水平尾翼、垂直尾翼であり、これが三つの舵を備える伏線となった。

 風洞実験で翼形状を理論的に選定したことと合わせて、この年が大きな変換点となり、兄弟のグライダーは本物の飛行機へと大きく近づいていた。

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