第三部 十二 それから
ワシントンの夏は暑い。日差しも強くカラッとしている。
フォン・ブラウンは、妻マリアを伴いアーリントン国立墓地を訪れた。
大きなリンカーン像が座るリンカーンメモリアルからまっすぐポトマック川を渡ると、緩やかな上り坂の先にアーリントン墓地がある。
ケネディ元大統領はこの広大なアーリントン墓地の中に埋葬されている。
ジョン・F・ケネディの眠る墓は小さい。
その墓標からわずかにずれた位置に『永遠の炎』が灯らされている。これは、ケネディ夫人が強く希望し、埋葬の直前に急遽作られたものである。ジャックリーン夫人は、夫とパリの無名兵士の墓を訪れたとき、『永遠の炎』を見て夫とともに深く感銘を受けたことがあった。それと同じものを夫の墓に作ることを望んだのである。
フォン・ブラウンとマリアは、ケネディ元大統領の墓に静かに献花を置いた。
「大統領。アポロ11号の飛行士は無事帰還しました。我々はあなたの約束した通り、七〇年になる前に人を月に送り、そして無事に帰還させることができました。みなの夢を叶えることができました。これはあなたの功績です。大統領、安らかにお眠りください」
フォン・ブラウンには万感胸に迫るものがあった。
ケネディ元大統領がいなければ月着陸は実現しなかっただろう。この世紀のプロジェクトを立ち上げた勇気ある大統領に心から感謝した。そして人類が月を歩く姿を見ることなくこの世を去った大統領を不憫に思いながら冥福を祈った。
目から静かに涙がこぼれ落ちた。
この涙の意味は自分でもわからない。自然に頬を伝わり落ちた。
三人の宇宙飛行士は、その年の秋にフォン・ブラウンを表敬訪問した。
フォン・ブラウンの事務所は、マーシャルセンターの新しいビルの九階にある。陰ではフォン・ブラウン・ヒルトンと呼ばれた豪華な部屋である。部屋の片隅にレッドストーンから始まる歴代のロケットの大きな模型が整然と直立している。一番大きなサターンV型ロケットは天井の一部をわざわざ繰り抜いて飾られている。
月着陸という人類の夢が実現したあと世間の注目は、それを成し遂げた飛行士三人に注がれた。誰がアポロ計画を推進し、誰がサターンロケットを作り、誰がアポロ宇宙船を作ったかなどということは国民にとってはどうでもいいことであった。
当時の米国は、ベトナム戦争の泥沼に入り込み抜き足ならない状況になっており、そのほかにもキング牧師暗殺や暴力事件など米国民にとって暗い材料が多かった時代である。明るい話題が渇望されていた。そんな中で歴史的な月着陸を成功させたアームストロング船長らは、まさに米国民が待ち望んだスーパーヒーローであった。三人はどこに行っても持てはやされ憧れの的になっていた。
今や国民的英雄となっている三人であったが、彼らを英雄にした月着陸の実現にはNASAをはじめその他に約二万の民間会社、そして約四十万人が関わったことを知っている。その多くの組織と多くの人々の努力によって、人類初の月着陸が実現できたということは三人にもよくわかっていた。その多くの人々の中でも特に大きく貢献した一人、サターンV型ロケットを開発したフォン・ブラウンに報告にやってきたのである。
月着陸の本『月面への最初の一歩』がすでに出版されており、フォン・ブラウンへその本を贈呈した。その裏表紙には三人のサインと一緒にフォン・ブラウンへの感謝の気持ちを込めた言葉が書き込まれていた。
『夢を語り、実現できると公言し、先頭に立って皆を引っ張り、リーダーシップを発揮し、ついに最初に私たちを月に送り出した人、ウェルナーへ』と書かれてあった。
ウェルナー・フォン・ブラウンもまた実際に前人未踏の月へ現実に行って帰って来た彼らの業績を高く評価し、畏敬の念を持って迎えた。
「私も月へ行きたかったよ。この身体とこの歳では無理だけどね。生まれるのが早すぎた」
「おかげで、我々が月へ行くことが出来ました。感謝しています」
「子供の頃読んだSF小説では、月の表面が底なし沼のようになっていて、身体が沈み込む場面があったが、どうも大丈夫だったようだね」
「月の表面は塵が積もっていますが、地球の大地と同じようにしっかりしていました」
「私でも大丈夫かな?」。フォン・ブラウンは体格がよく太り気味であった。
「ええ、たぶん…」。アームストロングは笑って答えた。
フォン・ブラウンにとって、人間を月に送ることのできるロケットを作ることも子供の頃の夢であったが、同時に自分自身が月旅行することが本当の夢であった。それができないことは悔いの残ることであった。しかし、一般人も月旅行ができるようになれば自分も月を歩くことができるだろう。それを次の目標にすればいいと思った。
しかしそれにしても、夢見ていた月旅行を実際に成し遂げた三人を目の前にすると、人生をかけて自分の好きなロケット開発を続けてきて、本当によかったと思った。それと同時にサターンV型ロケットの技術的問題に苦労してきた多くの出来事が脳裏に蘇っていた。
そういった苦労も今や過去のことである。
この三人が本当に目標を達成してくれたことに、あらためて感謝の気持ちで一杯になった。
米ソ宇宙開競争は、ソ連が人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げて幕が開き、米国がソ連を追い越すために月着陸という目標を立て、それを実現させてその幕が閉じた。関係者にとってはこの十二年は駆け足のような歳月であったが、しかし歴史が用意してくれた最高の舞台でもあった。
アポロ計画はその後アポロ17号まで継続され計六回の月着陸を行い、十二人の飛行士が月面を歩いた。一方ソ連は一九七〇年九月、ルナ16号で月の石の回収に成功し、無人でもそれが可能なことを世界に示した。
フォン・ブラウンとセルゲイ・コロリョフは、月着陸の他に宇宙ステーションの建設も夢見ていたが、米ソそれぞれがその計画を進めたあと協力するようになり紆余曲折を経て、現在は国際共同の宇宙ステーションISSが運用されている。
また二〇〇四年、当時のジョージ・ブッシュ大統領は月探検の再開を宣言し、月面に再度人を送り込み、二〇二〇年までに月面基地を建設する計画を発表した。
NASAは月面生活可能な移動車「月面ローバー」や遠隔操作で作業を行うことのできる「ロボノート」、月の砂から酸素を取り出し水素を加えることで水を作りだす装置、あるいはスリムで機能的な宇宙服の開発などその基地建設に向けて研究を継続していた。
しかし二〇一〇年二月一日、オバマ政権は予算教書の中で、前ブッシュ政権から続けられてきた米国の月面探査計画の中止を発表した。莫大な予算を必要とする宇宙開発を進めることはいつの時代でも容易なことではない。関係者の落胆は大きなものがあったに違いない。
ところが再び、月着陸へ向けて事態は動き始める。
二〇一七年十二月トランプ大統領が月探査計画を承認し、二〇一九年五月再び人類の月着陸を目指すアルテミス計画が発表された。
当初の計画では、二〇二四年までに実施することを目標にしていたが、諸般の事情により二〇二六年九月以降まで月着陸の実施は延期されている。
その時、日本人宇宙飛行士二人も月面に立つことが計画されている。
ともかくこれが実現されれば、アポロ計画が二十世紀最大の出来事のひとつであったように、アルテミス計画も二十一世紀最大の出来事の一つとなることだろう。
人の夢は、いまも続いている。




