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第一部 一 リリエンタールの夢

 この物語は、一八九六年八月から始まる。

 物語の舞台は、北アメリカ中央部に位置するオハイオ州デイトン市。

 日本では日清戦争が終わり、ロシアの脅威を感じながら日露戦争へと向かっている頃である。

 物語の主人公はライト兄弟。この時、兄ウイルバーは二十九才、弟オービルは二十五才である。

 まだどこにでもいるような普通の青年に過ぎない。


 兄弟はデイトン市内の自宅近くに小さな店を借りて、数年前より自転車店を営んでいる。

 この時代、ヨーロッパやアメリカでは自転車がブームとなり、多くの人が自転車を楽しんでいた。そんな時代背景にあって、兄弟の店は地域でも評判の良い店で、二人は忙しい毎日を過ごしていた。この春には兄弟自身が設計した自転車ヴァン・クリーブ号を売り出し、好調な滑り出しを見せて、さらに忙しくなっていた。

 夏のこの日もきれいな朝日が、暑い一日を予感させるかのように、鋭い日差しを放っていた。

 兄ウイルバー・ライトはいつもより早めに起き、朝食のトーストとコーヒーを用意しながら新聞を開いた。二人だけで店を営んでいる兄弟にとって、学生が夏期休暇となるこの時期が書き入れ時であり最も忙しい頃である。しかし弟のオービルが風邪をこじらせて寝込んでいるために、ウイルバーは一人だけで店を切り盛りしなければならず、目の回るような一日になるはずであった。この日にするべき仕事のことを考えながら、新聞を見ていると気になる記事を見つけ、目をとめた。

 自作グライダーのパイオニアとして、この頃有名であったドイツ人オットー・リリエンタールが、死去したという記事である。

『八月九日、ベルリン郊外にて自分で作ったグライダーで飛行テストを行っているうちに、失速し墜落したオットー・リリエンタールは、そのために重傷を負っていたが、翌十日、収容先の病院で息を引き取った。享年四十八である…』

 新聞には大きな活字が躍り、リリエンタールの死亡記事と合わせて、飛ぶ機械に関する世界の動向などの特集記事も組まれていた。

「リリエンタールが死んだ?…」

 新聞記事を読んで、ウイルバーは思わずため息を漏らした。

 彼にとってグライダーに乗って実際に空を飛んでいたリリエンタールには、憧れに似た気持ちがあった。この時点では、まだ兄弟はグライダーや飛行機の開発には一切関わっていなかったが、それでもリリエンタールの活動には興味を持っていた。

 ウイルバーは、その特集記事を食い入るように読んだ。


 ドイツ人であるオットー・リリエンタールは、人が乗ってまともに滑空するグライダーを最初に作った人物で、自分で造った小山からグライダーを飛ばし、滑空テストを繰り返していた。人間が乗って空を飛ぶ機械の開発において、世界で最も熱心で、その方面での第一人者であった。空を飛ぶリリエンタールは、ライト兄弟からだけではなく世界の人々から憧憬を集める存在であった。

 まだ飛行機が発明されていないこの時代、空を飛ぶことは未知の領域である。それでもリリエンタールは、それに挑戦している一人で、それを実現するのに一番近い位置にいただろう。そのリリエンタールが墜死してしまったのである。これにより飛行機の時代の到来は、足踏みすることになった、と言えるかもしれない。しかしその代わりに、リリエンタールの夢が、海を越えてライト兄弟その他に伝染することになった。

 初期の頃オットー・リリエンタールは、弟グスタフと一緒に空を飛ぶことを目指して兄弟でグライダー作りに熱をあげていたが、このころは兄一人だけの活動になっていた。彼のグライダーは、現代でいうハンググライダーのようなものであるが、これをテストしたあとエンジンを載せて、飛ぶ機械の製作を目指していた。もともとリリエンタールは小型エンジンの製作などで生計を立てている技術者であり、それを活用するつもりであった。

 そんなオットー・リリエンタールは最初の飛行テストからおよそ五年、約二千回もの滑空飛行を繰り返しグライダーでの飛行はもうベテランのはずであった。

 ところがその日、いつものように滑空テストを繰り返していたとき、熟練の域に達していたリリエンタールが突風にあおられ失速し、十七メートルほどの高さから墜落してしまった。機体は大破し自身も背骨を折るなど重傷を負った。すぐさまベルリンの病院に収容されたが、しかし治療の甲斐無く翌八月十日息を引き取った。

 残念ながら飛行機の開発を志半ばにして無念の死をとげた。

 リリエンタールは、のちに有名になる言葉を残してこの世を去った。

「なにがしかの犠牲がなければ、新しいものは生まれない」

 自分自身が犠牲となることを予感し、そして自分の残した業績が、夢である飛行機の実現に向けての礎となることに願いを込めた言葉であった。


 ウイルバーはこの新聞記事を読むうちに、子供の頃抱いていた空飛ぶ夢を思い起こしていた。

 ウイルバーの心の中で眠っていた何かが刺激され始めていた。

 兄がその新聞記事に刺激を受けている一方で、弟オービルは病気の床にあったために、しばらくはその事実を知らなかった。数日して元気になってからウイルバーが、弟にその新聞記事を見せた。

「オーブ、この記事を見てみろ。あのリリエンタールが墜落して死亡したと出ている」

 オービルは、びっくりしてその記事を読んだ。

「失速し墜落…か。気の毒に…」

 兄弟は、一年ほど前にリリエンタールについての特集記事を読んだことがあり、いくらかの知識があった。この頃の兄弟の興味は、ほとんどが仕事でもある自転車に向いていたが、もともと新しいもの、機械的なものに好奇心の強い兄弟は、空飛ぶ機械に関する記事には興味を持っていた。

 オービルは熱心にその特集記事を読んでいたが、新聞を手にしながら独り言のようにつぶやいた。

「どんな気分だろうね、空を飛ぶのは…」

 オービルは自転車を乗りまわすのと同じように、もしもグライダーに乗ることができるなら、それはどんな感じなのだろうと思いを巡らせた。

「自転車で坂を駆け下りるような爽快感があるだろうな…おそらく。…もしかしたらそれよりもっと刺激的かもしれない」

 ウイルバーは、弟が自分と同じように空を飛ぶことを想像していることがわかった。

 ウイルバーはそのことが嬉しかった。

 ライト兄弟は、今は自転車で商売をしているが、もともと二人とも趣味で自転車を楽しんでおり、自転車に乗る時の爽快感というものが好きであった。ウイルバーはサイクリングでの遠出が好きであり、オービルは自転車レースによく参加していた。二人には風を切って走る爽快感がよくわかるから、グライダーで空を飛ぶ気持ちもなんとなく想像することができた。

 二人の頭の中で夢が膨らんでいた。

 ウイルバーはまた、空を飛ぶこと自体に憧れるとともに、グライダーという全く新しい乗り物を創ってみたいという気持ちも、大いに刺激されていた。

 生来、新しい機構を考えることが好きであり、印刷機の製作でも自転車の製作でも従来とは違う新しいアイデアを付け加わえて作っていた。この春設計した自転車ヴァン・クリーブ号には、ハブ自動給油機能など兄弟が考案した機構が組み込まれている。この時代兄弟の住むデイトン市には、舗装道路がまだ二十キロほどしかなく、ほとんどが地道だったから、自転車のベアリングなどは消耗が激しかった。それを解消するために兄弟が考案したものである。

 とにかく子供のころより物作りが好きであった。

「リリエンタールは空を二千回も飛んでいる。それだけじゃない。機体も自分の手で作っている。とてもすばらしいことだ。羨ましい限りだな…」

 ウイルバーが静かにつぶやいた。これが兄の本音であった。

「羨ましい? ウイルらしくないな。これぐらいなら自分でもできるだろう?」

 オービルは兄の顔を見て笑みをこぼした。自分でも作ればいいじゃないか、と目が言っている。兄はそんな弟の目をじっと見つめ返した。二人ともお互いの気分がよくわかった。


 空を飛ぶ事に関して、二人には思い出がある。

 子供の頃、キリスト教の主教である父ミルトンは出張が多く、その出張先で目新しいものや子供の好奇心を刺激するようなものを探しては、おみやげとして買ってきた。

 ある日、フランス人アルフォンス・ペノウが考案したというヘリコプターのオモチャを買って戻ってきた。このオモチャは上下に一枚ずつプロペラがついていて、ゴム動力で上昇するようになっていた。

 兄弟はこれがすぐに気に入り、何度も繰り返し飛ばして遊んでいた。

 兄弟が『コウモリ』と呼んだこのオモチャはすぐに壊れてしまったが、それでも自分たちの手で新しいものを作りあげ、遊び続けていた。友人にも作ってわけてあげた。

 ある時オービルが授業中にその内職が見つかり、先生から何をやっているのかと、とがめられたことがある。

「大きなコウモリを作って、空を飛んでみようと思って…」

 とうそぶいた。

 しかしこれは全くのホラではなく、その後実際に大きなものを作ってみた。

 しかし単純に大きくしただけでは、浮き上がるものはできずにほどなく諦めてしまった。

 それ以後、興味がほかに移り、すっかり忘れていた。


 ウイルバーはそのこと、子供のころ真剣に空を飛ぼうと考えていたことを思い出していた。

 リリエンタールの記事がその記憶を蘇らせた。

「オーブ、コウモリを覚えているか?」(弟はオーブ、兄はウイルとお互いを呼んでいた)

「ああ、もちろん。あの頃は楽しかったな。結局飛べなかったけれど夢があったよな」

「そうだな。しかし、人間は本当に空を飛ぶことができるのだろうか?」

「それはどうだろう…。しかしリリエンタールはそれに挑戦していた、ということだね…」

 そう言って二人は顔を見合わせた。二人ともすでに同じ事を考えているのがわかった。

 今は子供の時とは違う。

 兄ウイルバーは二十九才、そして弟オービルは二十五才になる。

 二人とも大人になり物作りの技術を身につけている。新しい機構を自分で考え、そして作り出すことが好きである。

 その気になればリリエンタールのようなグライダーも作ることができるのではないか、と思う。

 兄弟の好奇心はさらに膨らみ、その先にまで考えが及んだ。

「そのグライダー、操縦はどうやっているのだろう?」

 二人はリリエンタールがどのように機体をコントロールしているのかが気になった。

 彼のグライダーは鳥のような形をしており、両翼の中央にぶら下がるような形でパイロットが乗る。頭部を翼より上に出し、身体が翼より下に出ている状態で飛んでいる。

 二人はこの構造が気になった。

 兄弟は自ら自転車を乗りこなしている上に、自転車を製作し販売している。そこで最も重要になるのが自転車の運転のしやすさである。スピードを出すときも、コーナーを曲がる時も、自転車の安定性・操縦性が重要であることを、運転する立場からも作る立場からもよくわかっている。

 そういう観点から見ると、リリエンタールの機体に、少し疑問を感じていた。

「体重移動で機体をコントロールするように書いてあるけれど、本当だろうか?」

「それがもし本当だとすると、……操縦は難しいだろうね……」

 ウイルバーに飛んだ経験はもちろんなかったが、直感的にそう思った。自転車であれば体重移動でコントロールすることは多少可能だが、しかし飛行の操縦でそんなことができるのだろうか。

 また突風で失速し墜落、と記事には書かれている。これにもウイルバーは疑問を持った。

 風の息吹は、いつでもどこにでも存在しているものである。安定して飛ぼうと思えば、それに対応できなければならないだろう。リリエンタールの事故は突風が原因かもしれないが、それに対応しきれなかった、と言うこともできる。

 グライダーにも問題があるのではないか、なんとなくそういう気がする。

「自転車もその気になれば、手放しで運転することはできる。でも小石に乗り上げるとか何か咄嗟の時には、ハンドルでバランスをとらなければ転倒してしまう。安定した運転はハンドルなしでは無理だ。空を飛ぶグライダーだって同じだろう」

 リリエンタールの機体には、飛行姿勢をコントロールするものは何もついていない。その代わりに自分の体重を移動させて機体をコントロールするようになっていた。それでは、突風などの異常な空気の流れなどに対応することは難しいだろう。

 それでもリリエンタールのように、体重移動で操縦することに重点を置く考え方はまだまともであり、世界でその他の挑戦者たちは操縦を全く考慮せず、ただ強力なエンジンさえ積めば、飛ぶ機械が実現できるという考え方のほうがむしろ主流であった。まだ機械にエンジンを載せて空中に浮かぶこと自体が、不可能と思われていた時代である。とにかく浮くことが先決と考えることも、自然な考え方であった。

 しかしリリエンタールは操縦を重視し、飛行技術を身に付けてからエンジンを載せて飛ぶ、という方針をとっていた。それはまともな考え方ではあったが、しかしそれでもまだ単なる体重移動でしかなかった。


 兄弟は、そんな世の中の動きは知らない。

 素直に疑問に思っただけである。

「鳥はどうやってうまく旋回しているのだろう? まさか鳥が体重移動で方向を変えているわけではないだろう。鳥の飛びかたがわかれば、飛ぶ機械でも同じ仕組みをつくればいい」

 この考えは、誰でも最初に思い浮かぶことである。リリエンタールもラングレーもシャヌートも他の誰でも同じ道を通っている。ただし観察した結果から得た答えは、それぞれが異なっていた。ライト兄弟だけがこの点を深く考えることになる。

 ウイルバーはこのとき教科書となるべき本が頭に浮かんでいた。

「マーレイ教授の『動物のメカニズム』を見てみよう。あれに詳しく書かかれているかもしれない」

 その本は子供のころから何度も見ている本である。

 ライト家には多くの蔵書があった。父ミルトンは子供に多くのことに興味を持たせるために、教養となる本を多方面に渡り、買い集めていた。ダーウィンの進化論やチャールズ・ディケンズ、六巻からなるジェームス・クーパーの『フランスの歴史』などもある。子供達もまた親の期待に応えるかのように、よく本を読んだ。特にウイルバーは本を読むことが好きであった。


 その蔵書の中の一冊が『動物のメカニズム』である。

 ウイルバーは、桜の木でできた古い本棚からその本を取りだした。

 鳥はどのようにして旋回するのか、そのメカニズムを知りたい。この本にその答えが書かかれているだろう。二人は期待しながら本を開いた。

『動物のメカニズム』はそのタイトルの通り動物の骨格や筋肉の動きなど、動作の原理などについてかなり詳しく科学的に記述されている本で、鳥の飛翔に関しては第三部の三章から六章まで七十ページに渡って解説されていた。

 二人は何度もそのページに目を通した。しかし翼の構造や飛翔時の動きに関して詳述されており勉強にはなったが、しかし残念ながら肝心の旋回のメカニズムについては書かれていなかった。どうやって鳥が姿勢をコントロールするのか、どうやって方向を変えて自由に飛びまわることができるのか、については説明がなされていない。

 二人はひどくがっかりした。

 その後も他の本を探して調べてみたが、結局その説明を見つけることはできなかった。科学的にはまだわかっていないのかも知れない、と思った。グライダーを自由に操る方法も本を調べれば簡単に見つかるものと思っていたが、どうもそう簡単なことではなさそうである。

「しかたがない。本に書かれていなければ、自分たちで鳥を観察するしかない」

 兄弟は鳥の観察をするのにいい場所を知っていた。

 晴れたある日曜日、そこへ出かけて確かめることにした。


 デイトンの町には、五大湖の一つエリー湖につながるマイアミ川が流れている。

 この川のおかげで、この町は発展してきた。

 デイトン郊外のこの川のほとりに、ピナクルと呼ばれている奇岩の多い場所がある。兄弟は以前よりここによくサイクリングに来ていた。ここであればトンビやタカなどが飛んでいるのを観察することができる。

 兄弟はいつものように、マイアミ川が見渡せるお気に入りの場所に寝転がって、透きとおるような青空を背景に飛んでいるトンビをじっくり眺めた。

「さてオーブ、どう思う?」

 旋回の方法についての質問である。

「そうだな、彼ら気持ちよさそうだな」

「……」

 期待した答えとは違ったが、確かにその通りだとウイルバーも思った。

 何ときれいに飛んでいることだろう。しかも極めて楽々と、優雅に飛んでいる。

 ウイルバーも、その自由に飛んでいる鳥を目を細めて見つめた。

 しかし飛んでいるところがどうも高すぎる。どのように旋回の向きを変えているのか、長く観察してもその動きを読み取ることができない。ただ旋回する時、体を傾けていることだけはわかった。しかしどのようにして傾けるのか、体、翼のどこをどう動かいているのかは見えない。

「だめだな。ここからではわからない」

 しばらく眺めていたが、兄弟はあきらめて家に帰るしかなかった。


 結局、空を飛びたいという気持ちは再燃したものの、兄弟が初めて設計した自転車の製造販売を始めたばかりであり、経営する自転車店が忙しいこの時期、自然と兄弟は本業に専念することになった。

 ライト兄弟がこの時から飛行機の開発に向けて具体的な行動を始めるまで、しばらく歳月を待つことになる。ただ兄弟の内面的な部分では、空を飛ぶ夢に向けての意識が熟成される期間であったかもしれない。 

 もしも鳥の旋回方法がわかれば、グライダーも同じように旋回させることができると思い続けた。それがわかれば、リリエンタールのように、自分たちでも空を飛ぶ挑戦ができるようになるだろう。二人は機会があれば飛ぶ鳥の観察を続け、どのように自分の身体や翼をコントロールしているのか、という問題意識を持ち続けた。

 この問題が、兄弟にとって飛行機を作るための最初の課題となった。

 ライト兄弟は、リリエンタールの事故より三年の空白期間のあと開発に向けて動き出し、そして四年半ほどで初飛行に成功することになる。

 素人であった兄弟が、それほどの短期間で動力飛行を達成するには、それ相応の下地があった。

 その下地とは、兄弟の住むデイトンの町を含めた生活環境であり、また、彼らの職業経歴---印刷業、出版業、自転車業---などの技術的な経験を積んできたことでもある。


 デイトン市は、オハイオ州モントゴメリー郡の中心地である。

 ニューヨークから西へ九〇〇キロほどの位置にあり、この当時の人口は、七万人ほどの地方都市である。五大湖へ通じるマイアミ川の上流で三、四本の川が合流するところに始まった町で、その交通の便の良さから、交易、商業が盛んになり、馬車製造、材木曲げ業、大工、彫版、ガラス加工などのいろいろな職人や技術者なども集まる賑やかな町であった。店の中や道端、停車場などどこでも仕事の話がかわされ、現代でいう異業種交流が自然に行われる風土があって、情報、知恵を交換しお互いの技術を高めていた。兄弟がグライダー製作を行うようになった後、この町で静かに培われてきた木材加工技術その他が役立つことになる。

 兄弟が初飛行に成功し有名になった後年のことになるが、ウイルバーが新聞記者から青少年に対するアドバイスとして、人生に成功するための秘訣は何かと質問されたことがある。

「それは立派な父と母を持つこと、そしてデイトンに住むことです」と、即座に答えた。

 デイトンには新しいものを取り込もうとする息吹が、あちらこちらにあった。

 兄弟は生涯このデイトンの町を愛し続け、また両親が兄弟の子供の頃に好奇心や探究心を育む環境を整えてくれたことが、後の活躍の基盤になった、と感謝の気持ちを持ち続けた。

 兄弟の父は、キリスト教プロテスタントの一派米国同胞教会の主教として活躍し、かつ教育熱心でもあった。母も当時の女性としては珍しく大学を出ており、しかも数学では一番の成績をおさめるなど、教養のある人物であった。

 その母スーザンの父は馬車製造職人で、スーザン自身も父親ゆずりにカナヅチやノコギリを器用に使う人で、簡単な家の修理などは夫ミルトンではなく、スーザンが行うほどであった。兄弟もその母の血を引き、特にウイルバーは手先の器用さだけでなく性格もスーザンそっくりだと、よく言われたものである。


 また自転車との出会いも、ライト兄弟が飛行機を発明する上で大きな影響を持つことになった。

 ライト兄弟は自転車店で生計を立てていたが、初めからそれが仕事というわけではなく、最初は印刷機械を自作して印刷業で収入を得ていた。自転車は趣味であった。

 兄弟が本格的に自転車に興味を持ったのは、その印刷会社を経営していたときである。

 その当時、セイフティー(安全)自転車という前輪と後輪が同じ大きさの自転車が世界的な流行になりつつあるときで、好奇心の強い兄弟もすぐに飛びついた。

 この安全自転車が出現する前はオーディナリー(普通)自転車と言って、前輪がやたらと大きく、後輪が小さいものであった。そのため普通自転車でスピードを出した後に急ブレーキをかけると前のめりになりやすく、転倒してしまう事故がよく起きていた。安全自転車の「安全」はそういうことが起こらない、安全な自転車という意味である。 

 普通自転車の前輪が大きいのは、スピードを出すことを目的としているからである。

 当時の自転車は実用のためというよりも、スポーツとして上級階級の娯楽の道具という色合いが強かった。その娯楽の中でも自転車レースが最も盛んで、スピードを出すことを競いあっていた。車輪を大きくすると大きくしただけ一回転で進む距離がのびる。つまりペダル一回転での進む距離がのびて、スピードが早くなるというわけである。安全性や安定性を犠牲にしてでも早く走りたかった、というわけである。しかも、車輪は鉄板にゴムを貼り付けただけのものであったから、乗り心地はすこぶる悪かった。

 そんな中で英国のジョン・ケンプ・スターレーが、一八八五年にローバー安全自転車の販売を開始し、八八年にジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを実用化するに至り、乗り心地が飛躍的によくなった。それと同時にスピードも速くなり、しかも安全な自転車となった。そのためにこれが高価であったにもかかわらず飛ぶように売れ、ヨーロッパやアメリカで一大ブームを引き起こしていた。


 一八九二年の夏、弟オービルが新型コロンビア号という安全自転車を初めて手に入れた。価格は一六〇ドルである。この当時普通の人の年収は五〇〇ドルほどというから、かなり高価な買い物である。続いて数週間後兄ウイルバーが中古の安全自転車を八〇ドルで購入した。

 安全自転車を購入した兄弟は、地元のYMCA車輪人クラブに入会しサイクリングを楽しんだ。オービルは自転車レースに参加しよい成績を収め、また兄は健康上の理由もあってレースには参加しなかったが、それでも長距離のサイクリングを楽しんだ。

 このクラブで楽しむ間、兄弟はその器用さを生かして自転車の改造やメンテナンスを行っていたが、それが評判となりクラブ員から修理や調整などの依頼が来るようになった。これをきっかけとして、印刷業を行う傍ら自然な成り行きのように、自転車修理業を始めるようになったのである。そのうちに修理やメンテナンスだけでなく、自転車用品の販売から自転車そのものの製造まで手がけるようになり、印刷業より忙しく収益もずっとよいものとなった。そして自転車業一本に絞ることにし、印刷屋を高校時代からの友人に売却することになる。


 趣味と実益を兼ねた自転車に熱中し楽しんでいる。

 リリエンタールの事故はそういう時期の出来事であった。

 ともかく兄弟は、空を飛ぶということに大きな魅力を感じていた。兄弟はその気になれば自分たちにもできるかもしれないと思った。兄弟の心に火がつき歴史の歯車が動き出そうとしていた。

 ライト兄弟は、空を飛ぶために必要な課題---鳥はどのように向きを変えるのか---の答えを見つけるまでにこの時から三年の歳月を要することとなった。

 実際にグライダーの開発に取り組み始めるのは、その答えを得た一八九九年になってからである。


 ところでリリエンタールの事故のあった一八九六年は、そのほかにも飛ぶ機械の開発では大きな動きが二つほどあった。

 一つは米国スミソニアン協会のサミュエル・P・ラングレー会長(六十一才)が、ワシントンで無人ではあるが、蒸気エンジンを載せた機械での飛行を成功させたことである。無人とはいいながらも大きな翼を持った機械が、空を飛ぶ姿を見た人々に、人間が乗ることのできる空飛ぶ機械が本当に実現できるのではないか、と期待を抱かせる出来事であった。

 ラングレー会長は、実際にそれを目指し開発を続けるが、ガソリンエンジンの開発に時間を要し、エアロドローム号を作って有人飛行を試みるのは、ライト兄弟が初飛行に成功するのと同じ年まで待つことになる。

 そしてもう一つは、オクターブ・シャヌートが、シカゴのエリー湖畔で複葉グライダーでの滑空飛行を成功させたことである。米国内でもリリエンタールと同じようにまともに飛行するグライダーの登場であり、関係者に大きな刺激を与えることになった。

 この二人は、後にライト兄弟とも大きな関わりを持つことになる。

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