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第一部 << ライト兄弟の挑戦 >> プロローグ

 飛行機の発明ほど、人類の歴史の中で人の生活に大きな影響を及ぼしたものは他にないだろう。飛行機は人類史上最も革新的な発明の一つといえるだろう。

 その飛行機を世界で初めて飛ばしたのは誰かと聞かれたら、

「それはライト兄弟である」と誰でも答えるだろう。

 わずか十二秒ほどの飛行により、兄弟のフライヤー号が世界で初めて飛んだ飛行機となった。

 二十世紀が始まったばかりの一九〇三年十二月、米国ノースカロライナ州キティホーク、大西洋に面した海辺にて、強風の中を初めての飛行に成功した。


 しかし『エンジンを積んだ飛行』ということであれば、それ以前に成功した人物がいる。

 ライト兄弟の初飛行よりほぼ三十年前にフランスのデュ・タンプル兄弟、二十年前にはロシアのモジャイスキー、十年前にイギリスでハイラム・マキシム、五年前にはアメリカのオーガスタ・へリング、そしてドイツのカール・ヤトーは三ヶ月前にそれぞれが数秒程度ではあるが、エンジン動力により地上を離れた。

 そういう前例があるにもかかわらず、ライト兄弟のフライヤー号が、世界で最初の飛行機と認められているのは何故だろう。

 それはライト兄弟の機体だけが、単に浮き上がるだけではなく、持続可能な飛行を成功させているからである。そのことによりライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばしたと認められている。

 しかしそれよりも見逃せない重要な事実がある。  

 それは、フライヤー号だけが飛行機としての機能を備えていたという事実である。

 つまり空の中で、自由に方向を変えて飛ぶために必要とされる三つの動き…ピッチング(上下)・ヨーイング(左右)・ローリング(回転・傾き)…をすることのできる機能を世界で初めて備えていた飛ぶ機械が、ライト兄弟が製作したフライヤー号だったのである。


 ライト兄弟が初飛行に成功する以前より、人々の空への憧れは大きく、特にヨーロッパでは気球が非常な盛りあがりを見せて、上流階級の間では空の散歩が楽しまれていた。

 しかし次第に単に気球などで空を浮遊するだけではもの足りず、鳥のように空を飛ぶことが人々の夢となっていた。つまりエンジンを載せた機体を作り、それで空を自由に飛びまわる、ということが夢となっていた。しかし当時の一般常識では「気球で空に浮かぶことは可能であっても、空気より重い機械に人を乗せて飛ぶことは、理論的に不可能なことである」と言われていた。

 感覚的にもそう思うのが自然であっただろう。 

 それでも多くの挑戦者が空を飛ぶ夢を抱き、その不可能と言われた課題に挑んでいた。

 この課題への挑戦者にとって、まずは機体にエンジンを載せて、その推力で空中に浮かせるということが最初の目標であった。ライト兄弟以外の多くの挑戦者は、エンジン推力で少しでも空中に浮くことを目指し、そして何人かは実際に飛ぶ機械を作り、わずかながらも地上を離れることに成功することができた。

 しかしそれだけに過ぎなかった。

 ところがライト兄弟のフライヤー号は、明らかに異なっていた。

 他の挑戦者の機体は舵を持っていないか、あるいは持っていたとしても上下と左右の動きをさせる二つの舵のみであったのに対して、ライト兄弟の機体は現代の飛行機と同じように三つ目の舵、つまり機体を傾かせるための舵を備え、それにより正しく旋回することができたのである。

 それはつまり、自分の好きな場所へ飛んで行くことのできる機能を世界で初めて有していたということであり、このことは重要なことであった。

 それまでの他の機体は、単に前方に進むだけか、あるいは曲がることができたとしても、横滑りのする無理な旋回しかできなかった。フライヤー号は初飛行の時点でこそまだ自由に飛べるほどにはなっていなかったが、この三舵を備えたことにより真の飛行機となっていた。 

 この三舵を備えて正しい旋回飛行ができるということは、当時として革新的なことであり、この事実によりライト兄弟が飛行機を発明し、そして世界で初めての飛行に成功したと広く認められ、歴史に名前をとどめることになった。


 それでもライト兄弟を長く否定し続けた権威があった。スミソニアン協会である。

 ワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館といえば、世界最大の航空関係の博物館であるが、当初世界で最初の飛行機として展示されていた機体は、ライト兄弟のフライヤー号ではなくエアロドローム号であった。

 エアロドローム号というのは、スミソニアン協会三代目会長のサミュエル・ラングレーが開発した機体で、ライト兄弟が初飛行に成功する九日前に、ワシントン郊外のポトマック川で飛行に挑戦し、それに失敗墜落した機体である。

 それがなぜ世界初の飛行機として展示されていたのか。

 それは飛ぶことには失敗したが、飛行機としては完成されていた、だから世界で最初の飛行機であるとして展示され続けたのである。しかし実際にはこれにも正しく旋回する機能はなく、飛行機といえるものではなかった。


 ライト兄弟が初飛行に成功した当時の本業は自転車屋さん(自転車の製造販売)である。

 つまり兄弟は、飛ぶ機械に関しては素人であった。

 それは当然のことで、飛行機のない時代だから飛行機に関してはみんなが素人同然であった。

 どのようにすれば空を飛ぶことができるのか。

 どのようにすれば飛行機を自由に操ることができるのか。

 その方法は未知のことであった。

 鳥のように自由に空を飛びたいと思ったのはライト兄弟だけでなく、世界中の人々の夢でもあり、そして実際に多くの挑戦者がいた。 

 その中でライト兄弟が、最初にその夢を実現させることになる。


 ライト兄弟が、他の挑戦者に先かけて飛行機を作ることができた理由は何だろう。

 それまで誰も気にしていなかった旋回機能に目をつけたこと、つまり三つ目の舵を初めて備えさせたという技術的な先進性があるが、そのほかにも兄弟独自の工夫がある。

 例えば風洞実験装置というものを自分たちで作り上げ、これを使って根気の必要な地道な実験を繰り返し、その結果に基づいて効率的な翼形状やプロペラ形状を設計している。また当時はまだ、飛行機に使用するには未熟であったガソリンエンジンを兄弟は独自に製作している。これらのことも他の挑戦者に比べて技術的な内容で進んでいたことである。

 兄弟には新しいものを作り出す知恵と努力が備わっていた。その結果として他の挑戦者に先駆けて世界最初の飛行機を作り上げることができた。


 ともかく飛行機に関して全くの素人であったライト兄弟。 

 その兄弟が本業である自転車店経営を行うかたわら、今日の人間社会にとって最も重要な飛行機という発明をわずか五年足らずの短期間で成し遂げることになった。

 彼らがどのような課題に直面し、どのようにその課題を乗り越えていったのか、その過程はとても興味深いことである。


 この物語の第一部は、ライト兄弟が空を飛ぶという夢に挑戦し、それを実現するまでの過程を描いたものである。

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