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真面目すぎる彼女と、ロマンチストな彼が出会ったら

作者: 稿 累華

 「真面目だね」という言葉は、遠回しな悪口だと思う。真面目すぎて面白くない。つまり、そういうこと。


 齢23。彼女——ノイユ・サラヴァードンは、自分に対する評価を真面目すぎるゆえに、真正面から解釈していた。


 ノイユが真面目と称されるようになったのは、中等学院に在学していた頃からだ。10代前半を過ごす学院は、皆教師に反発したい年頃で、教師から言われることなされることに対して、反感を持つのが常だった。

 けれど、ノイユは、教師に言われたこと教えられたことを特に違和感を覚えることなく、淡々とこなす。おまけに成績までいいとなれば、同年代からは煙たがられる。


「サラヴァードンさんって、真面目なのね」


 腕組みとともに見下ろして言われれば、真面目、といういい意味のはずの言葉が、よく響くはずがなかった。


 それが、まず最初だ。


 貴族院に進学すると、ますますノイユは真面目と言われるようになった。

 かつては歴史もあり名もある貴族院を卒業することは、貴族の誉れとされてきた。80年前の革命以降、帝国の皇帝の権力は取り上げられ、現在は権威の象徴とされている。

 同時期に皇帝に追従していた貴族たちの特権も失速し、数十年前に魔鉱石と呼ばれる石が発掘され、それが産業に多大な影響をもたらせば、貴族の代わりに、資本家たちが台頭してきた。


 そうすると、貴族たちは自分たちの立場を脅かされるのではないかと結束を高めていった。貴族同士の縁が重視され、縁を作るのにちょうどいいのが貴族院となる。勉学よりも、社交界進出前の、派閥作りや婚約者探しの縁をつなぐ場という色合いが強くなり、貴族院はお見合い学校と成り果てていた。


 そんななかで、ノイユはいい縁談のための礼儀作法だけではなく、真面目に黙々と勉学に取り組んでいた。教師たちからは受けが良かったが、同世代からは、


「ああ、あの瓶底眼鏡ね」

「あー、三つ編みお下げの彼女か」

「あの……真面目な子ね」


 などと称されるようになり、勉強のしすぎで目が悪くなり、見た目に気を遣うこともできない真面目な令嬢、というノイユの像ができあがったのだった。


(失礼な話……)


 ノイユは過去を思い出しながら、はあ、と溜息をつく。

 溜息をつきながらも、上司から「サラヴァードンくんは真面目で助かる」と言って投げ出された書類の束を開いて、新しい紙面にまとめあげていく。


 給料が良いのだから文句は言えない。


 そうやって押し付けられた仕事を、ノイユは今日も黙々と淡々ときっちりとこなしていた。


 ノイユは別に真面目にやろうとか、教師に好かれようとか、頭が良くなろうとか、そんなつもりでこれまで振る舞ってきていない。ただ、やらねばならない状況だったから、やってきただけだった。


 ノイユは貴族であるものの、末端の末端の男爵家で、おまけに没落していた。もはや平民との境界線は、その歴史ある家系図くらいだろう。運営していた土地は、資本家と同様に頭角を表してきた大地主に取り上げられ、ジリ貧生活を余儀なくされていた。


 さらに言えば、ノイユの母は体が弱く、よく体調を崩し、治療のために金子が必要だった。父は議会の上院に属していたが、影響力は皆無であり強い縁もない。最低限の報酬のみだ。そうなってくると、母が体調を崩さないための食事や、崩した時の治療費を確保しておく必要があり、ノイユたちの生活は苦しかった。

 そのため、ノイユは中等学院で奨学金をもらわねばならなかったし、貴族院では奨学金に加えて、いいところに就職できるよう知識も溜めなければいけなかった。


 生きるために必死だった。


 だから、真面目と嫌味を言われ、付き合いが悪いとなじられ、面白くないと勝手に告白して勝手に別れを告げてきた恋人に言われたところで、ノイユはそうしなければいけなかった。


(人間って身勝手だな)


 こちらの事情も知らないで。


(……考えても仕方ないか)


 今と向き合わなければ。

 けれど、ノイユはそういった事情がなくても、元来現実的で真っ直ぐな落ち着いた性格だ。

 いかなる事情があっても、真面目と称されるのは想像に難くなかった。






 「ロマンチストだな」という言葉は、きれいな嘲笑だと思う。理想ばかりで、現実を見ていない。畢竟(ひっきょう)するに、そういうことだ。


 齢26。彼——ロマン・メローは、己の二つ名に対して陶酔するかのごとく、満足気に溜息をついた。


 ロマンだけにロマンチスト、と寄宿学校時代にからかわれたのは幾度と知れない。からかいもあったが、ロマンの家に対する妬み嫉みや、成り上がり者め、という嘲りも含まれていた。

 だが、ロマンは元よりひらりひらりとした性格で、そんなことを言う人間は歯牙にもかけなかった。寄宿学校を卒業すれば、嘲弄するものはいなくなり、付き合いやすい友人たちだけが残って、悠々自適に過ごしていた。


「お前、女に理想を求め過ぎだ。結婚できなくなるぞ」

「そうかな?」


 ロマンはのんびりと、友人であるベックにそう返した。

 ベックは寄宿学校時代からの友人で、親友と言われる部類に入るかもしれない。そのベックはすでに学校を卒業して良縁に恵まれ、妻とふたりの子がいる。事業の運営も上手くいっており、順分満帆と言われる街道を真っしぐらだった。


「なんとかなると思っているけれど」

「おい、金があってもお前の理想は成就しないぞ」


 ロマンは、この数十年で財を蓄えた資本家階級の出身だった。元はしがない商人の家系だったが、革命後の時勢を見て、「これからは金を持つ人間が力を持つ時代になる」という祖父の教えを律儀に受け継いだ父が、魔鉱石鉱山を発掘して巨万の富を得たのである。

 ゆえに、ロマンは一生遊び歩いて放蕩しても、食いっぱぐれることはない。


「まあ、それはそうかもしれない。ただ、なんとかなると思ってる」


「……現実を見ろ。お前の好きな詩歌や観劇に興味を示してくれる女なんて、上流貴族だけだ。その貴族だって腹の底は真っ黒だ。お前の理想とする女はどこにもいない」


「私はひとりくらいはいると思ってるけれど」


「そのひとりを探してるあいだに、じじいになるのが関の山だ」


「そうかな」


「ひとりだけで死にたくないなら、とっとと、適当な女と縁を結んだほうが身のためだぞ」


 忠告だけしておく、と言ってベックは帰っていった。どうやら子に何時までに帰ると約束しているらしい。子煩悩なことだ。


 ロマンには理想の女性像というものがある。


 穏やかでやわらかな笑みを浮かべ、流行りの詩や絵画を愛しているような女性だ。日々自分に愛を囁いてくれ、こちらも愛を囁やけば、うれしそうに笑顔を浮かべてくれる純粋な女性だ。


 そして、ロマンは運命の出会いというものを信じている。これまた流行りの、ボーイ・ミーツ・ガールではないが、どこかの社交場で出会って恋に落ちていく、ということにロマンは物語をたしなんで日々の出会いにどこか期待していた。


 父のようにがめつく金のことばかり考えるような現実主義者ではなく、たおやかで芸術を愛する女性との巡り合いを期待していたのである。






 そんな彼と、ノイユが見合いをすることになった。

 この縁談は、ロマンの父が持ってきたものだった。ふらふらしてちっとも婚約者を見繕ってこない息子に堪忍袋の緒が切れたらしい。貴族との縁も持ちたかったロマンの父が自らが運営する魔鉱石採掘場に、貴族の令嬢が働いているらしいと聞きつけてすみやかに縁談の場を整えたのである。


 そうやって、ノイユとロマンは出会った。


 ノイユは、初対面のロマンの身なりを見て、


(……どう見ても、お金持ちの坊々ね)


己の境遇とのちがいにげっそりしそうになり、ロマンはノイユの姿を見て、


(私の理想と真反対だ……)


顔を引きつらせることになった。






 ふたりのはじめてのデートは、オペラ鑑賞であった。

 ロマンは、デートに事務職員のような格好で、厚い眼鏡とお下げでやって来たノイユに口角をぴくぴくとさせた。


「ちょっと君……」


 さすがにその格好はないだろう、というロマンの意図を組んだらしい。

 ノイユが至極真面目な顔をして言う。


「申しわけございません。あまり服がないもので……」

「……仕方ない」


 開演までにはまだ時間がある。優雅な時間をと思って早めに集まっておいて正解だった。どうせ、話題にも困る。

 こんな格好のノイユを連れて行ったら、ロマンの沽券に関わる。


 最近話題になっている既製服店に入り込むと、ロマンの美的センスでノイユに合いそうなものを適当に見繕った。

 目が悪いのだろう。その瓶底眼鏡もどうにかならないものかと口を滑らせたところ、


「あ、これは伊達ですので、ないほうが良ければ外します」


とのたまった。


「伊達にしてもなんでそんな……」


 ださいものを、という言葉を、ロマンはさすがに呑み込む。




「目を晒してあまりいい思い出がないもので」


 とノイユはきっちり返す。

 学院にいた頃、顔を赤くして謎に怒った男子から、


「お前の雰囲気にその目は合わねえんだよっ」


と言われたからだった。意味がわからないが、そう言うからにはそうなのだろう。ノイユは真面目に受け取って、それから淡桃色の瞳が隠れるような分厚い眼鏡をするようになった。

 外したほうがいいと言われるのであればしょうがない。

 ノイユは眼鏡を外して、用意してもらったバッグに入れる。


「……これからは、外したほうがいいと思います」


 言いようのない顔でコメントするロマンに、


「わかりました」


 ノイユは素直に肯くのであった。


 オペラ鑑賞がはじめてだったノイユは、興味深くしげしげと終始見ることになった。貴族とはいえ没落貧乏貴族である。家柄の良い貴族たちがたしなむ贅沢な趣味は経験したことがない。


 ノイユは真面目なのですべてを理解しようと、わからないことは幕間にすべて尋ね、のんびりとしたいロマンを辟易とさせたが、終わったあとにノイユが、


「おかげさまで、とても楽しく観ることができました。今日はありがとうございました」


 と興奮したような様子を見せつつも律儀に礼を言えば、ロマンは不思議そうな顔をしていた。






 次にふたりがデートをしたのは、美術館だった。

 これまでの貴族至上主義の社会で好まれてきた古典主義的なものに対して、前衛的な画風の絵画が集まる美術館であった。今日のために贈った外出着をまとったノイユは、特に異を唱えることもなく、ロマンの趣味に付き従って、あまつさえ好奇心に満ちた目で、ひとつひとつの絵を覗いている。


「……こういうのは好きなんですか?」


 ロマンが少しだけ期待を持って尋ねれば、


「いえ。今日がはじめてです」


 ノイユのいらえに、「ですよね」とがっくりくる。


 だが、ノイユの発言は続く。


「はじめてですが、面白いと思います。これまで神話を題材にしてきた絵は(貧乏だから実物を観ることはできずに教科書で)見てきましたが、ひとりの……それも、特別な地位にあるような人ではなく、日常の夢や儚さを切り取った画風は興味深いです」


 素直にきれいだなと思います、と締めくくられたノイユの感想に、ロマンはなんとも言えない気持ちを持て余した。


 帰りに、書店によった。工業化して盛んになった紙文化の影響を受け、都市を中心に書店が増えていた。

 ロマンは何とはなしに好みのコーナーに行き、いくつか歌集を手に取る。ノイユが実学書のところに足を運んでいるのを目にしてげんなりとしたが、なんだか面白くないので、すでに持っている歌集を購入する。


「今日の思い出にどうぞ」


 書店を出たところで、ノイユに渡すと、きょとんとした。


「これは……?」

「詩集です」

「はじめて読みます」

「だと思いました。良ければどうぞ」

「……ありがとうございます。しっかりと読みたいと思います」


 しっかりと読むものではなく、味わって読むものだ、とロマンは言いたくなったが、なんとなくノイユの気質はわかってきている。内心で溜息をつきつつも、ロマンは肯いた。






「——この詩集ですが」


 ノイユはロマンに次にあった時、有言実行と言わんばかりに出会い頭に感想を述べはじめた。


「とても感銘を受けました」

「…………」


「少々わからないところもあって何度か読み返しました。読み返してもわからないところもあったのですが……」


「ほんとうに読んだんですね」


 ロマンは、ちょっとうれしかった。

 人から進められた本や詩集をすぐに読む人間はあまりいない。読んだとしても好みに合うのかわからない。


 ノイユは、感銘を受けた、という。

 それは、ロマンの心をくすぐるようだった。


「どの詩が良かった、というのはありますか?」

「そうですね……」


 ノイユは顎に手を当てて考えるポーズをする。真剣に黙考しているようだった。適当に思いついたものではなく、ロマンの問いに精いっぱい応じようとしてくれている態度に見えた。


「夜の……鳥の詩が好きでした」

「ああ、あの詩ですね」


 その詩は、特に叙情的でロマンも好きだった。


「静寂の表現がなんとも言えない哀愁を感じました。今まで夜とは夕餉を終えたら、勉強をし、眠る時間でしかなかったのですが、ああいうふうに表現をされると、今まで感じていた夜が一部分のように見えて、夜という世界が別の角度で切り取られたようで……、わたしも夜鳥になってみたい、と単純にそんなことを思いました」


「……わかります。私も、同じように思ったことがあります。あんなに短い言葉でしかないのに、見たことのない世界を見ている気分になります」


「はい。世界が拡張したように、感じました」


 ノイユはほんとうにそう思っているのだろう。あまり表情は変わらなかったが、目尻と口元がやわらいで見えた。


 そのあとも、ふたりでどの詩が良かったのか語り合った。


 ノイユはどれもひとつひとつ丁寧に味わったようで、感想はどれも異なっていた。わからなかったと言っていた箇所も、ロマンが解釈を伝えれば、自分で考えるきっかけになったようで、それであれば、とあとから感想を付け加えた。


 ロマンとしてはいつになく饒舌に語ることができ、満足だった。


「少し……現実を忘れることができる詩がいっぱいでした。病床の母にも読んであげたいと思います」


 最後にそんなことを言ったノイユの横顔に、ロマンは夜の鳥のような哀愁を帯びているのを感じた。

 この時、ロマンははじめて、ノイユ・サラヴァードンという人間に興味を持った。






 ノイユはノイユで、ロマンからさまざまな感想や言葉を聞くうちに、ロマンがただの金持ちの放蕩息子ではなく、感傷的な感情を、うまく扱いきれていないのだということに気付いていった。のらりくらりと見せかけているものの、感情の矛先が芸術になっているだけで、とても繊細な人なのだと感じた。


 だから、ノイユは、ロマンと会ったり話したりする時は、いつになく真面目に丁寧に接することを心がけた。きっとこの人は、目の前の人がいい加減に接してくるのを見抜いてしまう。見抜いてしまうと、途端に表面的には傷ついていないように見せかけて、かわしてしまうのだと思った。


「——君は……真面目な人ですね」


 ただ、正直ロマンからこういうふうに評されるのは、ノイユはちょっとこたえた。

 つまらない人ですね、面白みのない人ですね、と聞こえてしまったからだ。

 ノイユは言われた言葉を真面目に受け止めてしまって、胸の内に突き刺さるようだった。心臓がじくじくと痛い。


「そう……ですね」


 ノイユは黙る。考える。たしかに、自分はつまらない人間だ。今まで現実しか見てこなかった人間だ。


 詩歌管弦にも疎い。ロマンから教わってばかりだった。教えてもらったことや、薦めてもらったことは、ノイユの世界を広くしたが、ノイユはロマンになにも貢献できていない。ただの没落貧乏貴族だ。これから魔鉱石の需要は拡大していくなかで、ロマンにはいくつもいい縁談や出会いが来るだろう。それこそ、詩歌管弦を心から愛する公爵令嬢のお相手も夢ではないはずだ。


 そんな可能性が見えると、ノイユの気持ちはすーっと定まった。

 真面目なので、いつまでも未来ある人の人生を奪ってはいけない。早めに決着をつけなくては、と気持ちに区切りをつけた。


「——わたしたち、お別れしましょう」


 ロマンの目をしっかり見て、いかに真面目な気持ちで言っているのか伝わるように、ノイユは痛む胸を感じながらも、そう言い切った。




「——ノイユ! ノイユ・サラヴァードン!」




 そんなふうに別れた一週間後、ロマンは突然、ノイユが働く、魔鉱石採掘場の事務所に現れた。

 なぜか手には、赤い薔薇の花束がある。百本くらいありそうだ。


 ノイユは、心底びっくりして、口を呆けたように開いた。

 ちょうどいつも仕事を押し付けてくる上司から、


「真面目すぎるお前は、仕事のなんたるかがわかっておらん! 今すぐクビだクビ!」


と怒鳴られて失職し、絶望を極めていたところだったので、その薔薇の赤色と、タキシードがあまりにも場ちがいすぎて、喫驚してしまったのである。

 怒鳴り散らかしていた上司も、口をあんぐりと開けている。


「こんな不甲斐ない私を許してほしい」


 跪いて、そんなことを言ってくる。

 いつだったかのオペラのシーンのようだ。


「君がいなくなって見て、別れてみてわかった。私は君のことを真面目だなどと思っていない!」


「……それは、ありがとうございます。少し、うれしいです。ちょうど真面目と言われて、クビになったところなので」


 ノイユが真面目にそう返答すれば、ロマンはきーっと上司を睨んだ。


「お前のほうがクビだ!」


 ひーっ、と上司が馬車に轢かれた蛇のような声を出す。まさか鉱山を経営している事業主の息子が、こんなところに来るとは思っていなかっただろうし、自分がクビになるとも思っていなかっただろう。

 ご愁傷さまなことだ、とノイユは思った。


 だが、ロマンのほうはダメ上司の泣き声など一顧だにせずに続ける。


「ノイユ、ほんとうに申しわけなかった。私は君に……色んなことを期待しすぎていた」


「期待することは悪いことではありません。人間とは他者に期待するものですから。期待されることでできるようになることもあります。ピグマリオン効果というそうです。もちろん、その逆もありますが……」


 どうぞお気にせず、とノイユが律儀にいらえると、ロマンの首は振られる。


「ちがうんだ。そうではなく……その、私は……」

「はい」


「私は期待というか、その……」

「はい」


「君を真面目と思っているのではなく……」

「それは聞きました」


「……君が、私のことを好いてくれているものだと」

「……はい?」


 目が点になるという事象だ。ノイユは固まる。


「君が私のことを好いてくれているから、一緒に趣味を共有してくれるのだと思っていたんだ。だから色んなことを期待してしまって……その、まさか、ふられるなんて思っていなかったんだ」


「……なるほど」


 ノイユは、真面目で律儀で、そして感情も基本的に落ち着いている。一瞬取り乱しそうになったが、ロマンの言葉を真剣に受け止めて、考えて、得心した。


 ひとつ、肯く。


「なるほど」


 道理で胸が痛いわけである。

 好きな相手に真面目だつまらないと言われて、うれしいわけがない。


「……それで私はふられて見てはじめて、自分の気持ちを省みたんだ」


「そう……なんですね」


 叙情的な人だから、なんだか少し意外だった。


「そうしたら、考えてみたら、君はいつも……私に、誠実だった。誠実で真っ直ぐで純粋で、私の趣味や考えを一度も笑ったりしなかった」


 人の趣味を笑う悪趣味な人間なんているんだろうか、とノイユは語られる言葉を真面目に考えながら、続きを傾聴する。


「君を、真面目なんて言葉では言い表せない。君は、誠実な人なんだ。そんな君に……私は、深い愛着を覚える」


 一瞬、頭がぱんっと弾けて理解に困った。なんと文学的な表現だろうか、とノイユは思う。

 だからその、とためらいながらもロマンは赤い薔薇の花束を差し出した。



「——私と結婚して欲しい……!」



 ワタシトケッコンシテホシイ。


 ノイユのなかで音声情報が認識できず、音として聞こえる。


「君は誠実だから……たとえ君にその気がなくても、私の求婚に対して誠実に答えてくれるはずだ。だから、その……」


 返事をもらえないだろうか、と乞われてやっと、ノイユは音声認識が再開された。

 ゆっくりと言われた言葉を噛み締め、自分のなかの感情とマッチングさせ、答えを出す。


「——わかりました。よろしくお願いします」


 ぺこり、と深々と頭を下げるノイユに、ロマンが驚愕の声を出す。


「えっ?!」


 ちょっと待って、と突然プロポーズしてきたのは向こうなのに、ひどく慌てはじめる。

 まさかどっきり企画だろうか。巷では、どっきり企画を取材した新聞記事が出回っている。もしかしたらそういう可能性もあるかもしれない、とノイユは見当違いにもそう思う。


「えっと、その……了承してくれるんですか? ふったのに?」


 どうやらどっきり企画ではなかったようで、ロマンが慌てたせいでずれたクラヴァットを直しながら、尋ねる。


「はい。そのわたしも……ロマンさまに、深い愛着を感じていますので」


 こういう文脈で合っているだろうか。何せあまり文学には詳しくないノイエである。文脈ちがいだったら、さすがに恥ずかしい。


 聞いたロマンはまたもや驚いて、花束を落としそうになる。

 ノイユはそれが落ちないようにそっと手を差し出した。


「いただいてもよろしいでしょうか?」

「え? あ、はい、もちろん」


 ロマンからおずおずと百本の花束が差し出される。

 薔薇の良い香りが鼻腔をくすぐる。

 ノイユは思わず微笑む。


「こんな素敵な花束と、素敵なプロポーズをほんとうに……感謝します。夢のようです」


 笑みを浮かべるノイユに、ロマンがぽかんとする。


「ロマンさまは、とても夢のある方ですね。きっとわたしは、今一番誰よりも尊い夢を見ています。こんな理想的なプロポーズをしてくださって、ありがとうございます」


 ノイユが言葉を終えると、ロマンはそのままその場に蹲った。

 蹲って、何ごとかを言う。


「どうかされましたか?」


 ノイユが心配になって尋ねれば、くぐもった声が答える。


「……い、です」

「はい?」


「……うれしいです。とても」


 恥ずかしがっているようだ。恥ずかしがっている人をつつくのはよろしくない。

 そっとしておこうとノイユは思う。けれど、同じ気持ちであることは真面目にきちんと伝えたかった。


「——はい。わたしも、うれしいです」


「……っ」


 それからロマンは感極まったように泣いたが、そんな姿もノイユは愛おしくなってしまう。


 自分のことを真面目と称するのではなく、誠実と言ってくれたロマンに、ノイユは死がふたりを分かつまで誠実に関わりつづけようと心に誓う。


 ロマンはロマンで、ロマンをすべて受け止めて行うことを否定しないノイユに、生涯愛を抒情詩のように語り、記念日のたびにロマンチックなサプライズをするのであった。


 おしまい。

お読みいただき、ありがとうございました!

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