幼馴染がなんだか冷たい
俺は、栄恭太郎、高校2年生。趣味と言えるほど熱中しているものはなく、特技もない。見た目や能力も平々凡々…いや、普通より劣っているかもしれない。だが、そんな俺には同い年の幼馴染、南紗江がいる。
家が隣で家族ぐるみの付き合い、漫画やアニメで腐るほどみたような設定だ。
だから将来的にはテンプレ通り俺と幼馴染は結婚する運命さ。
「恭太郎。よくわからないこと言ってないで早く学校行きなさい」
しまった、口に出てたのか。
まあいい。幸い母には何を言っていたかまでは聞こえていないようだし、
「じゃあ、行ってきます」
そうして俺は玄関の扉を開けた。
すると、濡れ羽色の長い髪に吸い込まれそうな漆黒の瞳、その横には小さなほくろがあり艶めかしさを醸し出す制服の女の子が歩いていた。
「紗江..」
俺はそう呟いてた。
紗江は少し目を吊り上げた。
「なに?」
「あ、いや、、今日は一緒に学校行くか?」
「イヤ」
そう言って彼女は早足で歩いて行った。
…うん、いつも通り。
実はみんなに言い忘れていたことがある。
幼馴染と結婚する運命などと言ったが、最近、幼馴染がなんだか冷たい。
※※※※
「はぁぁぁぁ」
学校に着いて早々、俺は大きなため息を漏らしながら自分の席にへたり込んだ。
「どうしたん?恭太郎」
そこには栗色の髪をひとつ結びにし、くりくりとした大きな瞳を持つクラスメイトの弥生春代が隣の席に腰掛けていた。
「俺の幼馴染が冷たい」
「ほんと好きだねぇ〜、さえちゃんのこと」
「当たり前だ。結婚したい」
「どこがそんなに好きなの?」
「太もも」
「サイテー」
そうこうしていると担任がやってきて「ホームルーム始めるぞー」と言ったので俺達は会話を切り上げた。
学校いる間、俺はなぜ幼馴染である紗江に避けられているのか考えていた。
小さい頃の彼女は、体が弱くて家に引きこもりがちだった。そんな彼女の家によく遊びに行ったり、時にはこっそりと外に連れ出したりした。外に連れ出したことがバレた時は、大人達に怒られたりもしたが、俺達は楽しく過ごしてきた。
年々、彼女はクールになってきたが多くの時間を共にした。今朝は断られたが、学校だって毎日一緒に行っていた。小学校、中学、そして高校一年の時はずっと一緒に登校していた。いや、今年だって高校二年生になって最初の頃は一緒だった。GWゴールデンウィーク明けからだろうか?一緒に学校に行かなくなったのは、、、GW中に何かあったのか?
う〜ん。
GW一日目は紗江と一緒に遊んで、2日目も一緒に遊んで、「明日も遊ぼうな」って言うと、「私以外に遊ぶ相手いないの?」なんて悪態をつきながら、いつも俺の誘いにのってくれていた。だけど紗江のやつ、3日目はドタキャンしてきたな。
そこからGW中は紗江と一度も会わなかった。連絡をしても何も返って来なかったし。だから暇だった。ほとんどの時間はゴロゴロして、何度も眠りに落ちていたりもした。途中、救急車の音で目が覚めたりもしたが。おっと、話が脱線した。結局、紗江に避けられている原因はなんだろう?
※※※※
キーンコーンカーコン
一日中考えてみたが分からなかった。紗江に男ができたのかもと思ったりもしたが、想像したくなかった。本人に聞くのが一番早い。
今日の授業は全て終わったし、紗江に「一緒に帰ろう」って言いにいくぞ。そして、俺を避けている理由を聞くんだ。って紗江のやつ、もう帰ったのか。早すぎるだろ。走って追いかけるか。
学校を出て少し走ったら、紗江の背中を捉えた。
「ハァ、ハァ、待ってよ〜ん。さえちゃ〜ん」
「キモいんだけど」
「ひどくね」
「ひどくない。変質者かと思った」
「ぐへへ」
「変質者だった」
「久しぶりに紗江と帰れると思って、嬉しくなった」
「あっそ」
紗江は、嬉しいような?悲しいような?いくつかの感情を混ぜた複雑な表情をしている。そう言えば、本題を忘れていた。
「なぁ、なんで俺のこと避けるんだ?」
急に不安になってきた。もしもこれで、嫌いだからとか言われたらどうしよう。悲しくて、泣いちまうぞ。
「それは、、栄くんのことが嫌いだから」
紗江はそうボソリと呟いた。俺のガラスのハートは砕かれた。また、最近は栄くんなんて他人行儀な呼び方に変わっていた。その事実が、俺の砕かれたガラスの破片を一つ一つ踏みつけられて粉々にされた気分になった。
「昔は『恭ちゃんと結婚するー』とか言ってくれてたのに」
「そんなこと言ってない」
「録音してあるぞ」
「こわっ。恭ちゃんその時まだ5歳くらいでしょ」
その後すぐに、紗江はしまったという感じで口を手で覆った。栄くんじゃなくて、恭ちゃんって呼んでくれた。久しぶりにそう呼ばれた気がする。
だから俺は嬉しくなって、
「ぶちゅぅぅ♡」
投げキッスをかました。
あれ、紗江が悲しそうな目でこっちを見てる。
「はぁ、ほんとに嫌いになりそう。‥こんな変質者の隣歩きたくないから、先行くね」
もしかして、俺の投げキッスに照れたのか?やれやれだぜ。
そう思いながら、俺は幼馴染の背中を見送った。
※※※※
今日は上手くいったな。紗江とあんなに話したのも久しぶりだ。しかも最後には俺の投げキッスに心打たれて、先に帰っちゃうくらいだし。明日はどうしようかな〜。俺は真剣に作戦を考えた。
5分くらい。
翌朝。今日も一緒に登校しようと待ち伏せをしていた。
そして、遅刻した。学校に着いた時にはもう一時間目が始まっていた。紗江の姿もあった。紗江のやつ来るの遅いなぁなんて思っていたが、先に行っていたらしい。
学校に着いて、何度か紗江に話しかけようとした。昨日そこそこ話したので、また話せると少しは期待していたのだが、やっぱり冷たい。いや、むしろ今までよりもっと冷たくなっているような気さえした。
そこで俺は昨日考えていた作戦を実行してみることにした。その作戦とは、ずばり、『ウィンク』だ。
紗江は昨日、俺の投げキッスにときめいていた。だから、俺がアイドル的な行動を取れば、あいつは俺に惚れるだろう。我ながら天才である!
幸い、紗江は授業中でも休み時間でも何故かわからないが、俺の方をチラチラ見てくることが多い。
その瞬間を狙うぜ。
しばらくしてその瞬間がやってきた。
今だ!
俺は紗江に向かって『ウィンク』をした。
紗江は最初、不思議そうな顔をしていたが、俺が何度も『ウィンク』を繰り返すうちに蔑んだ目を向けてくるようになった。
そして、紗江は顔を背けた。すると、隣の席の弥生春代が話しかけてきた。
「恭太郎。何でさっきからまばたきしてんの?」
「え?」
そうして俺の作戦は失敗に終わった。
※※※※
そんなことを毎日続け、日差しが厳しい季節になっていた。そして、今日も今日とて紗江に話しかけていた。
「今日も紗江は可愛いな」
キメ顔で言ってみた。
「なんで変顔してるの?」
「ぐはっっッ!!」
相変わらず厳しい一言に胸を抑えていると、紗江の方から話しかけてきた。
「なんで恭ちゃんは、こんなにも私に構うの?」
彼女の表情からは緊張感が漂い、本気で疑問を感じているようだった。
「それは紗江が好きだからさ!」
キメ顔で言ってみた。紗江は少し冷たい目で俺を射抜き、スゥーと息を吐く。仕切り直して、再度質問を投げかけてくる。
「...私こんなにも冷たくしてるのに?」
彼女の問いへの回答は変わらない。
「それでも好きだからな」
そう、俺は紗江のことが好きなのだ。小さい頃は何も考えず、ただ楽しいから一緒にいた。それが変わったのは中学に入ってからだ。
中学に入学した当初、俺は自信に満ち溢れていた。口では普通がいいと言いながら、自分は人にはない何かをも持っていて、有名人や大金持ちになるつもりでいた。何でもできる、何にでもなれると、根拠もなくそう思っていた。
しかし、現実はそんなに甘くはなかった。自分より勉強のできるやつ、運動のできるやつ、容姿のいいやつ、身長の高いやつ、コミュ力の高いやつ、親が金持ちのやつ。自分が他人より劣っていることに気が付いた。
その差を埋めようと努力をした。けれど、自分が努力して出した結果を他人に簡単に超えていく。頑張れば、頑張るほどつらくなった。自分には何もないと思い知らされた。
そうやって思い悩んでいる時に、紗江に励まされたのだ。
「恭ちゃんは足るを知るべきだよ」
「足るを知る?」
「現状に満足するべきってこと」
「そんなこと言ったって、俺にはないものばかりで、、、」
「現状に満足できなきゃさ、恭ちゃん今求めてるもの手に入れたとしても、また足りものを見つけて苦しむと思う。全てを手に入れるなんて無理だよ」
「それは、、、」
言葉が続かなかった。そんな俺の様子を見て紗江は言葉を発する。
「ないものじゃなくて、あるものについて考えようよ。例えばぁ、可愛い幼馴染とか」
そう言いながらはにかみ、紗江は自分を指さした。
何言ってんだと思った。
しかし、言われてみると紗江が可愛いことに気がついた。健康的な太ももに目を奪われた。鼻血がでていた。
「これが恋!!」
「ん??」
※※※※
「そこまで言うなら、恭ちゃんには今まで通り接するよ。、、、でも後悔しないでよね」
「後悔するわけないだろ」
何を言ってんだかな紗江は。
それからというもの紗江は今まで通り俺に接するようになった。今まで通りとは言っても、俺を避けるということをしなくなっただけだがな。クールな紗江は健在である。
それから少しして、もうすぐ夏休みという時期になっていた。
「今からテスト返すぞー。赤点のやつは夏休み補習だからな」
半袖のワイシャツを着た教科担任がそう言った。俺は普段、神様を信じないがこういう時だけは神頼みをしている。そしてテストが返される。
「おい、栄。お前は赤点だ」
そんなバカな!
「リクエストを使います」
俺は両手で長方形を描くジェスチャーをした。
「そんなことをしてるから、お前は赤点を取るんだ!!」
怒られてしまった。
「しょぼーん」
俺は机に突っ伏していた。
「しょんぼりしてるね。恭太郎」
隣の席の弥生春代が話しかけてきた。
「お前は赤点あったのか?」
「あるわけないじゃん」
「裏切り者め!」
「ちゃんと勉強してないから駄目なんだよ。」
「まあ私の場合、親が厳しいからね。学年10位以内に入ってないと怒られるの。今回はギリギリ大丈夫だったけど」
下から数えた方が早い俺からすると雲の上の話だな。
というか、
「なんでお前、夏でも長袖なんだ?」
「それは、、、あれだよ。日焼け予防?」
「なんで疑問系?」
そんなこんなで駄弁っていると、教科担任が口を開いた。
「他の教科の先生からも聞いていると思うが、夏休み明け初日にテストがある。夏休みだからと言って、勉強を怠らないように。結果も張り出すからなー」
俺の夏休みがどんどん削られていく。憂鬱だ。
夏休みが始まった。しかし、今日は赤点の補習がだった。紗江と遊びたかったのに。
「疲れたー」
「あら、恭太郎くんじゃない」
自分の家の前まで来たところで、隣の家のおばさんに話しかけられた。
「こんちわ、紀美子さん」
この人は南紀美子。紗江のお母さんだ。久しぶりに見た気がする。なんか老けたか?失礼なことを考えていると、紀美子さんから嬉しい知らせが舞い込む。
「今日は補習だったんでしょ。紗江が恭太郎くんと遊べなくて寂しがってわよ」
「本当ですか!?」
紗江のやつ実は俺のこと、、、
「恭太郎くんの前だと素直になれないのよ。、、、先は長くないかもしれないけど、紗江のことよろしくね」
「先は長くない?」
俺は続く紀美子の言葉を聴いて、愕然とした。
「紗江!」
その後、すぐに紀己子さんとの会話を切り上げ、紗江と会うことにした。
「恭ちゃん、急にどうしたの?」
「余命宣告されたってどう言うことだよ!」
そう、彼女は余命宣告をされていたのだ。患っているのは、治療方法が確立していない不治の病。俺はまだそのことを飲み込めず、嘘なんじゃないかと考えている。とにかく本人に確認してみないと始まらない。
紗江は俺の言葉を聞いた瞬間、綺麗な瞳を見開く。少しの沈黙の後、伏し目がちに言葉を紡いだ。
「、、、聞いちゃったんだ」
彼女の紅色の唇からは、否定の言葉が出てこなかった。だからと言って、明確に肯定したわけではない。俺はかすかな希望に賭けて、再度問いただす。
「嘘、、なんだよな?」
乾いた口から、少し声を震わせた俺はさぞ滑稽だろうなと、自分を客観視できるように頭の中で反芻する。紗江が質問に対して答えるまでの時間、緊張で押し潰されないように。
「本当だよ。お医者さんが言うには、あと3年らしい」
彼女は簡単に肯定をした。さっきまで伏し目がちだった瞳は、俺をまっすぐと捉えていた。
「お前、今まで元気だっただろ!」
はっきりと肯定する彼女に対し、俺は余命宣告されていることを否定するため、矛盾を探した。
「まだある程度の体力はあるから。でも、体育の授業はもう参加してない。」
簡単に返された。そして、あれだけ紗江のことを好きと言っておきながら、体育の授業を休んでいることを知らなかった。余命宣告のことも知らなかった。気分が沈む。悪い想像が溢れてくる。
ダメだ。ダメだ。
そんな後ろ向きな考えを頭を振って消し去っていく。まだ彼女の余命宣告を否定したい。だが、俺の足りない頭では余命宣告に異議を唱える材料が出てこない。俺がなかなか喋り出さないのを見て、紗江の会話のターンは続く。
「そんなに信じられないなら、診断書見せてあげるよ」
そうして鞄の中から一枚の紙を取り出す。否定のできない決定的な証拠。それを提示してきた。それでも俺は認めたくなくて、全部嘘だって言ってほしくて、無様にも食らつこうとする。
「そ、その診断書が偽物かもしれないだろ?本物だとしても、その病院の先生がヤブ医者の可能性だってある。そもそも余命宣告されたって、それよりも長く生きてるってやつをこの前テレビで見たばっかりだ。他にもさ‥」
「私、帰るね」
俺の言葉は遮られた。これ以上話しても無駄だと思われたのだろうか。彼女は何事もなかったような顔で去っていく。そこからは、何の感情も読み取れない。能面のような表情だ。だけど、幼馴染の俺は知っている。彼女のその表情は、泣くのを必死に我慢してる顔だってことを。
紗江視点
私は栄恭太郎が好きだ。いつからだろう。気がつくと好きになっていた。彼とは、いつものように一緒にいた。一緒にいるだけ幸せだった。こんな毎日がこれからも続いてほしいと思っていた。
ある日から、いつも通りがいつも通りじゃなくなった。余命宣告を受けたのだ。治らない病だと知った。頭が真っ白になる。急激に血の気が引いていくのを感じられた。私は家に帰って人知れず泣いた。
「何で、何で私なの!」
思い浮かぶのは、お母さんの顔、お父さんの顔。そして、恭ちゃんの顔。
「恭ちゃんには、なんて説明しようかな、、」
彼はおそらく、悲しむだろう。自惚れじゃないが、自分のことのように思ってくれるだろう。彼が私のことを想ってくれるのは嬉しい。でも、だめだ。彼は弱虫だって知っている。人一倍傷つきやすいんだってわかってる。ただ、それを隠すため、常におどけているのにも気がついている。だから恭ちゃんには伝えない。彼が悲しむと、私は泣きたくなるから。逆に彼が楽しそうだと、私は笑顔でいられるから。
それからは、彼を避け続けた。胸がチクリと痛んだ。ちょっぴり泣いた夜もある。そんな私に、彼は愛想を尽かさなかった。喜んじゃいけないのに、顔が綻びそうになる。突き放しても、突き放しても彼は絡んでくる。彼はずるい。こっちの気も知らないで。そして、根負けしてしまった。いや、我慢できなかったのだ。今まで通り、一緒に過ごしたいと、自分に甘えてしまった。恭ちゃんと一緒にいれるのは楽しかった。ただ、その分辛くなった。いつかは終わりがくる。少しでも長引くことを願った。
ついにバレてしまった。隠し通すつもりだったけど、いつかはバレると思っていた。
「これからどうしよ」
夏休みは、恭ちゃんとたくさん遊ぶつもりでいた。でも、彼は私の秘密を知ってしまった。今まで通りに接するなんて無理だと思う。
「しばらくは様子を見ようかな」
そうして夏休みの一日目は終わった。
次の日、私は彼にスマホで連絡をしてみた。いつもならすぐに来る返信がこない。私はスマホの画面と何時間もにらめっこした。結局その日は、彼からの連絡はなかった。
朝起きて、すぐにスマホを見る。それが、日課になってきた。顔を洗い、スマホの確認。お手洗いに行き、スマホの確認。朝食を済ませ、スマホの確認。歯を磨き、スマホの確認。今まで、こんなにもスマホを見ることはなかったのに。
スゥーと息を吐く。雑念を払うように。そして机に向かう。机上には、英語のテキスト、お気に入りのシャープペンシル、ハガキサイズの写真立て。写真中には、小学生時代の彼と私。無邪気に笑う少年の横に、少し頬を赤く染めた少女。
「この頃は楽しかったな」
不安なんてなくて、ただ毎日笑って過ごしていた。あの頃に戻れたら、、、。昔を思い出し、溢れ出る感情。それに首をブンブンと振って対抗する。さらに息をスゥーと吐き、雑念を払う。最近はこれがルーティンになっているな。などと俯瞰をして、写真の中の彼にデコピンをした。
「早く返信してこい、ばか」
デコピンをした指の痛みが、胸の奥まで響いた。
夏休みが明けた。始業式を終えて、今からテストが始まるというところだ。彼の姿はまだない。結局、夏休み中はあれ以降会うこともなく、連絡が来ることもなかった。彼の家を訪ねてみても、失敗だった。
「私のことなんか諦めちゃえばいいのに」
そうしたら、楽になれる。足るを知れと教えたはずなのに。現状に満足しろと伝えたはずなのに。
教師の手からプリントが配られ始めた時。教室の扉が勢いよく開いた。
「すみません、遅れました!」
息を切らしていた。ネクタイは曲がり、ズボンの中にワイシャツがきちんと入りきっていない。髪もボサボサ。目の下にはくまができている。久しぶりにみる彼は、なんだかボロボロだった。
目が合った。彼はサッと顔を背ける。
「栄、初日からたるんでるぞ!早く席につけ」
先生が一言の説教をし、それからすぐにテストが開始された。私は恭ちゃんの様子を伺おうとした。でも、テスト中にキョロキョロするわけにもいかないし。とりあえずテストに集中しよう。間の休み時間に話しかければいい。脳内会議を終え、シャーペンをグッと握り直した。
一時間目のテストが終わり、私はすぐ席を立ちあがる。恭ちゃんの席に向かうためだ。しかし、彼は机に突っ伏して寝息を立てていた。疲れていたのだろうか。眠りの邪魔をするわけにもいかないし、、、
「恭太郎ってば、夏休み中に昼夜逆転しちゃった?ゲームのやりすぎは良くないぞ」
そう言ったのは、弥生春代だ。恭ちゃんの顔を覗き込み、恭ちゃんの寝ぐせを直すようにそっと頭を撫でた恭ちゃんと日頃から仲の良い女の子。
「、、ずるいよ」
その日は、結局、彼と話すことはできなかった。休み時間のたびにすぐに睡眠に入っていたからだ。そのくせ、テストが始まりそうになれば、しっかりと起きる。体内時計が素晴らしいなと少し関心してしまったくらいだ。
※※※※
今日はテスト返しの日だ。私たちの学校では、テストの順位が廊下に貼りだされる。廊下の人だかり。その隙間から自分の学年順位を確認する。
「、、、1位か」
いつも通りだ。自分で言うのは、少し憚られるが私は勉強ができる。入学してからずっと1位だ。さて、教室に戻ろう。だけど、今回の順位発表はいつもより騒がしい気がする。なんでだろう。順位表の前からの去り際、横目で再度、順位を確認する。
2学年テスト結果
1位 南紗江
2位 栄恭太郎
・
・
・
「紗江!」
名前呼ばれ、振り返るとそこには
「…恭ちゃん」
栄恭太郎。その人がいた。
「夏休み中は、避けてごめん。紗江の余命があと少しだって知って、落ち込んじまった。でも俺、気づいたんだ。現状に満足することは努力をしない理由にはならないって。楽して、逃げて、それを肯定するための言葉じゃないって。…だからさこれからもっと勉強して医者になる。そんでもって紗江の病気は俺が絶対治す。それまで…待っていて…ほしい」
開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だろう。必死に勉強したんだね。でも、、、、、
「待てないよ」
恭太郎視点
「待てないよ。恭ちゃんはバカなんじゃないの!私の寿命は3年なんだよ。間に合わないよ。もしも、それより、少しだけ長く生きられたとしても、恭ちゃんがお医者さんになれる保証なんてない。ましてや、私の病気を治すだなんて、、、」
「そうだとしても、俺は勝手に紗江を救うよう努力する。必ず治す」
そう宣言した俺の言葉に、紗江の表情が一瞬凍りついた。そして次の瞬間、彼女は強く首を振り、涙を滲ませながら叫んだ。
「そんなこと言わないでよ!淡い希望なんて持たせようとしないでよ!最初から諦めていた方が楽なの!」
その言葉には、今まで紗江が抱えてきた痛みや絶望がすべて詰まっていた。彼女は俺から顔を背け、拳を握りしめる。
「私はもう……覚悟を決めたの。未来なんてないって、わかってるの……だから、恭ちゃんに希望なんて持たせてほしくない!」
「…嘘つくなよ」
俺は思わず呟いた。紗江が驚いたように俺を見上げる。
「何が楽だよ。諦めた方が楽だって? そんなのただの言い訳だろ」
「っ……!」
「本当は怖いんだろ。死ぬのが、未来がなくなるのが。それなのに、楽だなんて嘘つくなよ」
彼女の目が揺れた。唇が震えた。何かを言おうとして、でも言葉にならないようだった。俺はそっと紗江の肩を掴み、まっすぐに見つめる。
「俺は諦めない。お前がどんなに拒んでも、俺は勝手に努力する。勝手にお前を助ける方法を探す。これは俺の自己満足だ。だから、紗江、お前が希望を持とうが持つまいが、関係ない。俺がやりたいからやるんだよ。」
しばらくの沈黙の後、紗江は涙を流しながら、小さな声で呟いた。
「……ほんと、恭ちゃんはバカ。」
そして、そのまま俺の胸に顔を埋めた。俺は静かに彼女の頭を撫でながら、心の中で誓った。
絶対に、紗江を救う。