残像
副題:ネガティブ視点。
もしくは、『すべては、さいごに』。
誰。誰なの、私を嘲笑う謎の声。煙のように消えた、その出で立ち――。
あれは確かに、私の『影』だった。
もう少しで冬も終わろうかという矢先。『そいつ』を目撃した。
手は3本、足は6本。
妖怪? ――私はそう疑っていた。本当にそうなのか?
そいつは歌を鼻にかけて歌うことができるし、人間の言葉も理解できるようだった。私の言葉を次々と受け入れてくれている――
……
南七斗未来は、捻くれていた。
親にも教師にも、反発していた。
何の力もないくせに。
……
「今度、保護者懇談会を行います」教室の指導者が私を含めた服従者全員に予定と書いてプログラムを。
「親御さんを交えての進路相談となります、今から配る用紙に各自記入して、明後日までに提出するように……」
進路希望の空欄には、私の望む理想か未来を入力せよと命を下す。
私という小動物生命体を保護者としての名目で取り囲み、監視し、特別なようにと舞台は用意される。
ああ、私って何て斜め方向な奴なんだ。真っ直ぐじゃない。
世界は私を中心に廻っている。それすらも傾いて。
もし私が倒れて入院しても決して見舞いに花など持って来ないでほしい。生花は枯れるから。
私は、空気になりたかった。
白い息を吐いて玄関を出たとき、門まで数メートル、真っさらな雪の絨毯が地面を覆い、汚い土を分け隔てなく隠してくれていた。私は1歩を踏み出すと、調子をとって2、3と歩幅を合わせて繰り返す。
地面はとてもぐちゃぐちゃだ。私が通ったあとには、形跡が残る。
思わずにやっと笑ってしまうくらいだ。
「南七斗さん、お届け物です」
すると私の前に、恭しくお辞儀する若い制服の男が現れる。「ありがと、郵便屋さん」私が封筒を1通、受け取ると安心を得た男は突っぱねた笑いを。「どういたしまして」
彼も帰れば態度も変わろう、うるさい制服という衣を脱いで。「おかえりパパ、今日は一体何処へ行ってきたの。何してきたの。……」
お前のために働いてきたのさ、と目は口ほどに物を言う。だから大きくなって。
私は捨てられない鞄を持って、朝の登校を開始する。ついてくるのは、『影』だけだ。
「どうしてついてくるのよ」
1ミリもズレない『影』は私に性懲りもなく、べっとりと繋がっていた。
私がジャンプしようと。私が、物の陰に飛び込もうと。
ひたすら『影』は、もれなく私という主に追従する。ああ正直うっとうしい。
「未来ちゃん、おはよう」
犬のように陽気な笑みを顔に表し私を誘う、元気で無邪気な友人、瀬ノ本カタコは、私の背後から忍び寄って肩を叩いていた。「おはよ、カタコ」ウェーブがかった横髪を垂らしたカタコは、私のなかではバタコと呼んでいた。バタバタ走る印象で。
「昨日の数学の宿題でさ……それとオリンピックの……」
ラジオのDJのように流暢にしゃべりまくるその仕草は、ポップビートではなく限定的な情報を私に提供した。私と彼女にしか解らない噂という名の悪ふざけ。数学とオリンピックは結びつかない。
「あれ、洗濯物が落ちてる……」
マンションの近くを通りかかると、身長の高さによく似た草木の下に洗いたてのマフラーが、ひとつ。
淡いピンクを目立たせた毛織物は、私と友人に自分の所在を知らせている。
「上の階から落ちたのかなぁ」
「そうだろうね。それっぽい」
「せっかく洗って干しといたのにね、残念だねえ」
友人はマフラーをつまみ上げて、草木の枝にぶら下げた。「こんでよし」
納得した友人は、何がよし、なのかを私に説明しようとはせず、当たり前のしたり顔で同志よ、我に募れと訴えかける。
「ま、そのうち気がついて取りに来るでしょ」
私の同意を買った友人は得意になった。「だよね!」始めから言うと、洗って干した物なのか、何が残念なのか、枝にぶら下げるに至った理由、など、一切教えてはくれていない。
みんな、友人の憶測によるものだ、そしてそれを私は拾う。
「あ、あれ。ブーツのバーゲン」
暫く歩いた小路を抜けると、繁華の手前の大通りに出た。友人が指したのは右方向に見えるショウウインドウと、赤く値引きや特価と書かれた値札をぺっとりと貼られた紳士と婦人もののブーツ。店頭に行儀よく並べられた商品たちは、対象となる私たちの目に我の存在をと浴びせてくる。
「安っ。半額で、さらにレジにて3割引だって。帰りに買って帰らない?」
友人は、選びもしないまま安さだけで私を誘った。「ま、売れ残ってたらね」私の口から出した意見は友人も同意する。
「そだねっ」同意には同意を。
それが円滑に事を運ぶのだと半年前にテレビタレントは主張していた。
「もしお小遣い足りなかったら、貸してくれる?」
手の平を合わせた友人は、図々しくも13歳だった。何とかなると思っている。「ばあか。諦めなよって」「ぶうう」
批判には、批判しか返っては来ない。何処かの批判ブログは本のレビューの書き方で不特定レビュアーにそう豪語していた。
ああ、寒い。
信号待ちして立っていた足のつま先から、風を吹かれているようだ。女はスカート、誰がそう決めた。足の冷え症は女が持つと田舎のお婆ちゃんが教えてくれたのを覚えていた。今はそうとも限らない。
通りゃんせ、通りゃんせ。
楽しくもならないメロディ、歩行者に知らせることはひとつしかない。青なので渡りなさい、と。
白線の橋を渡り切る前に、スーツを着た商業人風の男が黒光りする携帯電話を私の前で滑り落としてしまった。屈んだ男はすぐに拾って、持ち上げた携帯を内ポケットに仕舞うついでに私と視線が重なってしまった。
私が見ていたのを否定するかのように、男は黙って横を素通りしていった。
橋も渡れば、次の方向が見えてくる。
店が並ぶ通りには、まだシャッターの下りている店がたくさんあった。庇のあった、宝石店の前に、襤褸の作業着を纏った垢まみれの男がシャッターにもたれかけて辺りの様子を窺っていた。
男の視線の先には何があるのだろう、私が確かめると、男の正面には片側2車線の道路を挟んで向こう側、パチンコ店があった。まだ私にはピンと来なかったが、朝10時の開店を待っているに違いない。それが分かるのは当分先のこと。
「ねえねえ、あの人、格好よくない?」
私とは全然、別の世界をお持ちのホンポウガール、友人は、ひそひそと音量を下げたトーンでまた同意を求めようと挑戦してきていた。「誰のこと?」
「ほら、コンビニの前で携帯いじってる……背の高い方の……」
友人が示した通り、通りの突き当たりにあるコンビニで、学生服姿の男子が2、3人でたむろしていた。そのうちのひとりは週刊誌にでも載ってそうな今時風の男の子で、明らかに私たちより年上だろうと思われる。
「何、ひと目ぼれ?」
「何言ってんの、よん!」
バシ。痛い。友人からの脇腹突きダイレクトプレッシャー(適当に命名)を一発受けてしまって、歪んだ顔がこぼれてしまった。
「いつかああいう彼氏が欲しいな……」
友人の口から一瞬のように儚い願望が語られる。
「ふうん」
真面目にも受けとれず、私は、三つ編みのおさげを左右に下げて、似合わないメガネに無理して買った偽ブランドの香水をつけている友人に返事で同意のような『拒否』を返していた。
私たちに与えられた鞄には、教科書がぎっしり詰まっている。捨てずに持って行かなくちゃ。残さずに。
これから行く所に必要なのだから。
帰り道。
部活でクタクタになった体は、一刻も早くに休養をと足を急いている。
「南七斗さんて凄いよなぁ。誰も勝てないなんて」
私の隣には数人の男女。私だけが体操着のままで、私を含め皆ヤッケを着ていて、手袋だのマフラーだのアレンジもした防寒着を着こなしていた。
「さすが部長、その貫禄、見習いたい」
「ババア扱いしないでくれる」
「南七斗さんて大人っぽいよねー、どうしたらそんな風になれるの、羨ましい」「知らんわっ」
どうでもいい会話は、商店街に差しかかっても途絶えず、むしろ興味のひくものには次々と手をつけていく仕方がない性分で、話題は盛り上がっていっていた。
「彼氏とかがいないのが不思議」
ひとりが呟くと、誰かが呟いた。
「近寄り難いっていうかさー」男子のひとりは、小川といった。
「南七斗さんのサーブって、鋭くって、……怖えッ」
本当にどうでもいい会話が続いていく。
「当ててほしいかえ」
……私の返しに皆は笑っていた。何だかムカツク、言葉で思いながら私はフフ、と自然に生じる感覚に任せていた。
「ちょっと君たち、アンケートにご協力願える?」
パチンコ店の前を通りすぎようとすると、女子大生らしき女性が長い髪を耳にかけながら、手に持った筆記具を掲げていた。そのボードにアンケートとやらがあるらしい。
「あ、先に急いでますんで♪」「俺たち、中学生ですし」
何でもいいからとつけた理由で、歩きを止めない私たちの集団は『拒否』をする。女性は「あ、そう」と、つまらなさそうにプイとよそへ向いてしまった。
「あれ、君、どしたの」
私たち集団のなかで、人よりも数倍、面倒見のよいタケフジは、駐輪の自転車が並ぶその間で泣いている小学生の女の子を見つけていた。背中にピンクのランドセル、残念ながら天使の羽は、ついてはいなかった。
「お腹が痛くて……」
「そりゃ大変。おウチは何処? 近いの?」「南庭園2丁目……」「遠いね。電車に乗って通っているの」「うん」「仕方ないな。親に迎えに来てもらおう」
タケフジはちょうど近くにあった電器屋のオヤジに電話を借りに走って行った。
一時間近くも待たされて、女の子の母親が迎えに来る。
「ありがとうございます。ほんと、もう……どう言ったらいいのか……」
私たちひとりひとりにお礼を言ってまわる母親が、私には哀れに見えた。
「いえ、それじゃ。俺らはこれで」
「バハハーイ」「じゃあねー」
母子2人に見送られて、私たちは、明るさが薄くなってきた空を見上げる。
「とんだ時間食わされちゃったな」「まーいいんじゃない」
「そうだね。暇だし」「ヒマヒマ」「マントヒヒ」「ヒ……光源氏」「そういや古典の授業でさ……」
突如、有名プロデューサーが手掛けた宣伝文句を飛ばしに飛ばしている、ヒットソングが大手ばかりのショッピングモールから流れてくる。探しものは何ですか……
「校長の頭ってカツラらしいぜ」「何で知ってんだ」「掲示板に書き込みが」「いっちょ試しに取ってみねえ?」「ハゲなんか見てどうすんだよ」「ありきたり。つまんない」「中からヘソクリが見つかるかもよ」「“あ、こんな所に!”」「失くしたと思っていた写真とか」
見つけにくいものらしい。
横断歩道を渡り切ると、私たち集団は2手に別れ、それぞれ手を振って左右へと帰って行く。会話という繋ぎは、一度切れると、暫く黙ったままになってしまった。
「あ」「何?」
「いや、何でも」
つい出してしまった私の声に、せっかく反応してくれた友人たちだが、私には答えて会話を続ける自信はなかった。
朝に見たブーツのバーゲンは、跡形も無くなっていた。恐らくは全て売れてしまったのだろう、まるで始めからなかったかのようで不気味、と私は判定を下した。きっと目当てにしていた友人が知ったら、凄くガッカリするだろう。それと同時に少しだけ安堵した。
もうじき、日が暮れる。
私たちが公園で遊んでいたら、お迎えが来てくれるのだろうか。
「じゃあね、未来ちゃん」「それじゃ」「うん。また明日」
友人たちと別れを告げ、私はひとりで公園の横を歩き出していたのだ。マンション沿いを通り抜けると、もうすぐ。
影は伸びる。私は前だけしか見ていない。
「南七斗さん、待って」
声をかけられて、私は音もなく振り返った。それを待っていたのは、私を近寄り難いと言っていたクラスメイトの小川くんだった。別れた後、引き返してきたというのか、彼はひとりだった。
「どしたの慌てて」
「いやその。実は」
彼は汗っかきなのか、こんなに寒いというのに、腫れぼったく顔が蒸気している。
「南七斗さんに聞きたいことがあって」
「はあ。何ですか」
「もしクラスの誰かに告白されたら、OKしますか!?」
息荒く、彼はそんなことを私に投げかける。「うーん。相手によるし」私からは真っ当とも言える返事しか浮かばなかった。
「そ、それもそうだよね……あ、はは、ははは……」
彼の照れ笑いは、こちらにも伝わってきた。しかし私にはどうしたらいいものやら判断できないでいる。いっそ彼は何者なのだと、問いかけたくもなるだろう。
「私さ、時々だけど……」
私が話しかけると、「は、はい?」と彼は姿勢よく耳を傾けていた。
「妖怪が見えるんだよね。手は3本、足は6本」
「はあ……」
「人の形をしていない。これは何?」
遠目に見えた草木の上に、洗濯物がかかっていた。
あれは、今朝に見たものと同じものだ。何ひとつ変わってはいない。マンションの住人は誰も気がつかずに、洗濯物は放置されている。
なあんだ、その程度か。
凍える風が、私の頬と、彼の頬に叩き吹けた。
「南七斗さんて」
「はい?」
今度は私が聞き直す番だった。
「霊感があるんですよね。妖怪が見えるだなんてさすがだなぁ」
……
私が歩いた後ろに道ができ、それを辿って人が歩いてくるように。
私も人が辿った道を、歩いて行きたかった。楽して行けたなら。
世界は私を中心に廻っている。
私は空気になれなかった。皆のものにはなれなかった。
私から伸びた『影』が、からかいのように嘲笑いながら、それでも私をちゃんと受け入れてくれる。
なんかようかい。
《END》
ご読了、ありがとうございました。
あとがきブログ→http://ayumanjyuu.blog116.fc2.com/blog-entry-190.html