王女ですが敵対貴族から国を救うため、軟派な執事と怪盗になります~本当は硬派な騎士と恋がしたいのに!~
星がひときわ輝く夜空の下。とある屋敷では怒号が飛び交っていた。
「そっちに行ったぞ!」
「今日こそ捕まえるんだ!」
「もっと走れ!」
バン!
屋敷の二階にある窓が開き、華奢な体がテラスへ踊り出る。高い位置で一つにまとめたピンクゴールドの髪が軽やかに揺れ、スカートの裾がひらめいた。
「追い詰めろ!」
「あら、あら」
涼やかな声とともに長い脚がテラスの柵を蹴り、ふわりと三日月を飛び越える。その美しさに追いかけていた男たちの動きが止めた。
軽やかに屋根の上に着地した少女は唇の端をあげ、右往左往する男たちを見下ろす。顔の上半分を仮面で隠し、満月の逆光で目の色さえも分からない。
視線が集まる中、少女が細い指を空へ掲げた。
「“流れ星の雫”たしかに、いただしましたわ」
海よりも濃い青の中心で交わる三本の光条。まるで星を閉じ込めたような宝石、スターサファイア。これだけ大きいものは非常に珍しい。
我に返った男たちが口々に宝石を返せと叫ぶが、少女の心に響くことはない。むしろ、冷えた目で残念そうに見下ろしている。
「……今日も外れですわね」
『遊んでいないで、早く撤退してください』
「わかりましたわ」
脳内に直接聞こえた声に少女は、はぁとため息を吐いて軽く膝を折った。
「みなさま、ごきげんよう」
優雅なカーテシーとともに風が舞い上がり屋根から姿が消える。
「クソッ! また魔法で逃げられた!」
「阻害魔法は発動しなかったのか!?」
「それが、邪魔が入りまして……」
「使えない魔導師連中め!」
男たちの歯ぎしりだけが残った。
※
翌日。王城では怪盗の話で持ちきりだった。
「今度はモンテスキュー伯爵家だったそうだ」
「なんでも家宝の宝石が盗まれたとか」
「たかが小娘の一人も捕まえられないとは、警備兵は何をして……あぁ、失礼」
雑談をしていた男たちがニヤニヤと不躾な笑みを浮かべながら少女に道を譲る。本来なら黙って頭を下げ、道を空けなければならない相手。
国王の娘であり第一王女であるコーラル・ベリファイド。
小さな顔にブルートパーズのような淡い水色の瞳。高すぎない鼻に瑞々しく潤った唇。凛とした顔立ちの後ろでは、床を鳴らすヒールに合わせて長いピンクゴールドの髪が揺れる。
下卑た視線の浴びながらコーラルは悠然と進んだ。付き従うべき侍女の姿はなく、他の使用人からも見下げた視線が向けられる。
それでも毅然とした態度のままコーラルは一人で近くの部屋に入った。
「お疲れ様です、コーラル王女」
若い執事が頭をさげて迎える。
漆黒よりも暗く艶やかな黒髪が揺れ、切れ長の目が臥せられる。朝焼けより濃い深紫の瞳は一度みたら忘れられない輝き。
端正な顔立ちながらも、口元にあるホクロが色気を漂わす。執事服の上からでも分かるほどの逞しい体は、社交界に出れば注目の的になる秀逸な容姿。
その外見と洗礼された所作に初対面の人は目を奪われるが、慣れたコーラルは綺麗な眉をひそめた。
「ジェット、どういうことですの?」
「どういうこと、とは?」
ジェットと呼ばれた執事が頭をあげて首を傾げる。
コーラルはドレスの裾を翻してソファーに腰をおろすと、どこからか一冊の本を出した。
「ぜんっぜんっ! 運命の騎士様と出会いませんことよ!?」
本の表紙には『華と剣』というタイトル。
市井で若い女性を中心に流行っている小説で、内容は王女と騎士が互いに想いを寄せ合いながらも身分違いに苦しむ恋愛物語。
本を抱きしめたコーラルが熱に浮いた目で呟いた。
「私も運命の騎士と身を焦がす恋がしたいですわ」
「それならば、私と恋をするのはいかがでしょう?」
流し目とともに紅茶をカップへ注ぐ。眉目秀麗で男らしい色香を漂わす姿は普通の淑女なら心を奪われる。
だが、コーラルはキッと睨んだ。
「私は硬派な騎士と恋をしたいのです。軟派な執事が相手ではありません!」
「おや、お気になさるのはそこですか? 身分差はよろしいのですか?」
「身分差はあればあるほど、二人で乗り越える愛となりますわ」
夢心地な顔でうっとりと話した後、水色の瞳を鋭くした。
「そもそも、怪盗をすれば運命の騎士と出会えるという話でしたのに、まったく出会えないというのは、どういうことですの?」
「城内では護衛騎士からも距離をとられて恋に発展しないと嘆いておられましたので、怪盗をすれば城の外で騎士との出会いがあるかもしれませんよ、と助言しただけです」
「……嘘つき」
拗ねたようなコーラルの声にジェットの口元のホクロがあがる。流れるような仕草で紅茶が入ったカップを差し出した。
「私たちはたまたま利害が一致しただけの関係。そこをお忘れなく」
「わかっておりますわ」
カップを手にしたコーラルにジェットが淡々と説明をする。
「国王が原因不明の体調不良で臥せられて数年。反国王派の貴族たちは賄賂と不正を蔓延らせて好き放題。しかも、コーラル王女の弟君であり跡継ぎであるラリマー王太子は幼く、病気で……」
カチャン!
コーラルが会話を遮るようにカップを置いた。
「このままでは国が弱体化して、魔族に侵略されるのも時間の問題。だからこそ、勇者の末裔であり王女である私自ら動いております」
「はい。表向きには怪盗として貴族の屋敷にある秘宝を盗み、その裏では不正や賄賂の証拠を入手して騎士隊に密告、捕縛という地道な活動を……いえ、腐った貴族を刈り取るというお勤めを……」
コーラルは再びどこからか別の本を取り出して言った。
「勧善懲悪! ですわ!」
バン! という音とともに『暴れん坊陛下』というタイトルの本が押し付けられ、美麗なジェットの顔が歪む。
身分を隠した王がお忍びで下町を訪れ、民を苦しめている悪人を退治する話。昔から人気があり、舞台化され複数回上演されている。
ジェットは本をずらすとコーラルに現状を話した。
「ならば、予告状を出すのを止めませんか? 警備が厳重になり盗みにくくなります」
「あら、それは譲れませんわ。こういうことは派手であればあるほど民の注目を集め、期待となり、娯楽となります。腐敗した治政が蔓延しているからこそ、民に少しでも光を見せたいのです」
「ですが、今回も話題は盗まれた宝石のことだけ。モンテスキュー伯爵が捕縛された様子はありません」
「そこが問題ですのよ。ジェット、ちゃんと賄賂の証拠を騎士隊に届けました?」
疑いの眼差しを涼しい顔で受け流した軟派な執事がフルーツを差し出す。
「私の仕事は完璧です」
無言で見つめるコーラルにジェットが誘惑するように微笑む。
「なにか?」
「運動音痴でスキップもできない人に完璧と言われても信用できかねますわ」
「スキップと仕事は関係ないかと」
軟派な執事が微笑みの表情のままこみかみを引きつらせる。どうやら触れてほしくない話題らしい。
コーラルが真っ赤に熟れたイチゴを手に取って話を戻した。
「ですが、これで三回目ですよね?」
「はい。ですので、情報がどこで握り潰されているのか調べてまいりました」
「早いですのね。反国王派で目立った動きをしているサボット侯爵あたりでしょうか?」
「いえ。情報を握り潰していたのは警備隊の騎士隊長でした」
「騎士隊長!? 警備隊……そういえばお会いしたことがありますわ!」
国王が臥せる前。国の警備の責任者として騎士隊長が国王に謁見していた。
短く刈り上げたくすんだ金髪。太い眉に鋭い眼光を放つ青い瞳。真横に閉じられた口に鍛えられた体。隙のない立ち姿は理想の騎士そのもの。
しかも二十代後半という若さでの出世。将来を期待されている有望騎士。
期待に顔を輝かせて腰を浮かせたコーラルに対してジェットが深紫の目を細くする。
「騎士隊長の大切なお方が人質に取られているようで、そのお方の安全と引き換えに情報を握りつぶしているそうです」
「大切なお方……つまり恋人ですのね」
落胆した声とともにソファーが揺れる。コーラルは崩れるようにクッションに身を臥せ、諦めたように呟いた。
「やはり硬派な騎士にはすでに恋人がいるのですね。もう少し早く出会っていれば……いえ。過ぎたことを嘆いても仕方ありません。それよりも」
体を起こしたコーラルはジェットに指示を出した。
「人の恋路を邪魔する者は許せません! その人質が捕らわれている場所と、捕らえている人物を調べなさい。そのようなことをする輩ですから、他にも悪事をしているでしょう。私が人質と悪事の証拠を盗みますわ」
「かしこまりました」
優美に一礼をした執事が素早く踵を返す。大股で歩き、ドアノブに触れたところでポツリと呟いた。
「……人質が騎士隊長の恋人とは一言も申しておりませんが」
「なにか?」
聞き取れなかったコーラルが小首を傾げる。
ジェットは悠然と振り返って微笑んだ。
「いいえ。お気になさらず」
楽しげに口角をあげたまま退室する執事。ここでコーラルはずっと持っていたイチゴをようやく口に入れることができた。
※
数日後。
サボット侯爵の屋敷は厳重に警備されていた。わらわらと集まる警備兵。その中には数人の騎士の姿も。
その光景をコーラルは隣の屋敷の庭にある高い木の上から眺めていた。長い髪を一つにまとめ、顔の上半分は仮面で隠した怪盗の衣装。
ようやく城以外の場所で見ることができた騎士の姿にコーラルがうっとりと声をこぼす。
「あの中に私の運命の騎士がおりますのね」
『寝言は寝てからおっしゃってください』
頭に直接響くジェットの声にコーラルが頬を膨らます。
「もう。どうして、そう簡単に夢を壊しますの?」
『今は夢より現実ですから』
ジェットが調べた結果、人質はサボット侯爵が客人として軟禁状態にしていること。侯爵という高位貴族のため騎士隊長は内部告発もできず、渋々従っていること。
しかもサボット侯爵は贈賄、恐喝、偽証、強盗などなど探ればいくらでも悪事が出てくる。
『人質は別塔の最上階におります。不正の証拠となる書類はサボット侯爵の寝室の隠し金庫の中です』
目を閉じたコーラルが神経を集中させる。予告状には『サボット侯爵の家宝である“夜空の虹”をいただく』と書いたが本当の狙いは別。
長い睫毛が揺れ、水色の瞳が月光を弾く。
「では、手筈通りにまいりましょう」
一陣の風が舞い上がり、コーラルの姿が消えた。
※
突如、サボット侯爵の屋敷内が騒がしくなる。
金庫が置いてあるサボット侯爵の執務室に控えている魔導師が叫んだ。
「屋敷内で魔力を検知! 来ます!」
サボット侯爵家の家宝である“夜空の虹”が入った金庫を守る兵たちに緊張が走る。全員が金庫を背にして隙間なく囲む。
ジリジリと流れる時間。兵たちの気配がピリピリと鋭くなっていく。
「どこだ? どこから……」
これ以上、怪盗の好きにはさせられない。地に落ちた威信を回復させるため、なにがなんでも捕まえなければならない。
後がない警備兵たちが待ち構える中、怪盗姿のコーラルは別の部屋にいた。
誰もいないサボット侯爵の寝室。
誰にも見つかることなく部屋に入ったコーラルが豪華な寝台と家具を抜け、ズラリと本が並んだ本棚の前に立つ。目的はこの裏にある金庫の中身。
「まずは、こちらからいただきましょう」
決められた順番通りに本を動かせば本棚の裏に隠された金庫が現れる仕組み。
「最初に宝石大全集と薬草辞典を交換して……」
本へ手を伸ばしたところで天井から金属が擦れる音がした。
「えっ!?」
ゾワリとした寒気が背中に走る。反射的に手を引っ込めたところで天井の一部が開き、鉄柵が降ってきた。
ガシャン!
重い音とともに柵の中に閉じ込められる。そこにドアが開き、聞き覚えがある声がした。
「こんなにあっさり捕まるとはな。小娘一人に警備兵は何をしていたのか」
白髪交じりの茶髪を頭に撫でつけた壮年の男。ジャラジャラと過剰な装飾で身を包み、ジットリとしたこげ茶の目でコーラルを値踏みする。
(……サボット侯爵)
国王が体調不良で政権から離れるとすぐに反国王派となった貴族の一人。コーラルへの不躾で無礼な態度をとる筆頭。
コーラルは声に出さず、サボット侯爵の背後にいる騎士たちに目を向けた。
(あぁ! やっと近くで会えましたわ!)
水色の瞳に映るのは騎士たち。キリッとした隙のない表情と態度は理想通りの堅物たち。
(この中に運命の騎士がおりますのね)
ときめくコーラルを野暮な声が現実に戻す。
「恐怖で声も出ないか。私の言うことを聞けば悪いようにはせんぞ」
交渉をするような口ぶりにコーラルは視線をサボット侯爵へ戻した。
「まず、今まで盗んだ宝石を隠している場所を言えば命は助けてやろう。それからのことは……」
じっとりとした目でコーラルを眺める。仮面に隠れた顔からスラリと伸びた足先まで見た後、再び視線をあげて豊満な胸で止めた。
「おまえ次第だな」
下心が見え見えの下卑た笑み。理想の騎士とは真逆のだらしない顔。
今すぐにでもその目を潰したい気持ちを抑え、コーラルは柵を見上げた。
「その柵から抜け出すことは不可能だぞ。その柵は最強の硬さを持つアダマンタイトを素材に加えて作ったからな。重さも……」
サボット侯爵の悠々と柵の強度について語るが、それを遮るようにコーラルの耳に声が響いた。
『早く不正の書類を盗んでください。予定が押してきてます』
「わかっておりますわ」
コーラルはサボット侯爵には聞こえない小声で応えた後、右手を挙げた。
『落雷』
目を焼く強烈な光とともにドガンという轟音が響く。
「何事だ!?」
叫ぶサボット侯爵を守るように騎士が前に立つ。しかし、全員が光に視力を奪われたため何も見えない。
時間とともに真っ白だった世界に色がついていく。
「なっ!?」
ようやく見えた光景に絶句の声が落ちる。
砕けた柵と床に散らばる本。そして、壊れた本棚と扉が開いた金庫。
「まさか、魔法だったのか!?」
普段は口数が少ない騎士たちが驚愕の声をあげる。
「魔法は長文の詠唱が必要なんだぞ!」
「たった一言で魔法を発動させるなどあり得ん!」
「まさか、怪盗は魔族か!?」
騎士たちが騒ぐ中、サボット侯爵が金庫に駆け寄る。
「クソッ! 中身を盗まれた! おまえら、さっさとあの小娘を捕まえろ!」
「ハッ!」
声を揃えた騎士たちが一斉に動き出す。
「忌々しい小娘め!」
サボット侯爵が怒りを含んだ声とともに壊れた柵を蹴り上げた。
一方のコーラルは廊下を走りながら腰に付けているポーチに不正の証拠が書かれた書類を収めていた。
見た目は小さい普通のポーチだが、魔力を組み込んで作られた魔道具でどんな物でも収納できる。
「次へ参りましょう」
軽やかな足取りで目的の部屋へ。
「城内ではこんなに走れませんから、気持ちいいですわ」
いつもは裾が長いドレスに歩きにくいヒールだが、怪盗の時は膝丈のスカートに動きやすいブーツ。体を締め付けるコルセットもない。
コーラルは勢いをつけたままドアを開けた。そこには兵どころか人影すらない応接室。
「ここでよろしいの?」
『はい。八歩先の真上に金庫があります』
「では、金庫だけいただきましょう」
右手を天井へ伸ばしたコーラルはそのまま大きく円を描く。
『切断』
天井に丸い穴が開き、床と金庫が降ってきた。
「金庫が消えた!?」
「いきなり穴が開いたぞ!」
「しまった! 下の部屋だ!」
穴を覗きコーラルの存在に気づいた兵たちが騒ぎ出す。
「急げ! 下に降りろ!」
ドタバタと部屋を飛び出し階段へと向かう警備兵たち。
その足音を聞きながらコーラルは微笑んだ。
『解錠』
勝手に金庫のドアが開く。
コーラルは金庫から虹色に輝く宝石を取り出した。手のひらほどの大きさの世にも珍しいブラックオパール。
真っ黒なのに角度によって様々な色が浮かぶ。まるで夜空の月光に照らされた虹のような宝石。
「“夜空の虹”たしかにいただきましたわ」
誰に言うともなく呟くとコーラルは宝石を腰のポーチへ入れた。それから窓を開け、外にある木へ飛び移る。枝を掴み、全身をバネにして上へと跳ねた。
夜空にピンクゴールドの髪をなびかせながら屋根に着地する。
視線の先にあるのは高くそびえたつ別塔。その最上階の窓に華奢な人影が映る。
「あそこですのね」
走り出そうとしたところで頭に直接ジェットの声が響いた。
『魔……う、つか……せん。少……おまち……くだ』
「ジェット? どういたしましたの?」
言葉が途切れて聞き取れない。
状況が分からず周囲を探っていると聞いたことがない低い声がした。
「そこまでだ!」
別塔とは反対側から騎士が屋根に登ってきた。
短く刈り上げたくすんだ金髪に青い目。謁見の間で見たときよりやつれた顔をしているが、警備隊の騎士隊長。
遅れて登ってきたサボット侯爵が騎士隊長の後ろで居丈高にコーラルを指さした。
「阻害魔法を発動した! 魔法では逃げられんぞ!」
その言葉にコーラルが納得する。
「それでジェットの声が聞こえなかったのですね」
試しに魔法を発動させようと魔力を練るがすぐに霧散する。神経を研ぎ澄ませば屋敷全体に魔法封じの魔法陣が敷かれているのが分かる。
「これだけの魔法陣を展開するなんて、魔導師たちはしばらく魔力切れで動けないでしょうね」
コーラルはサボット侯爵たちと向かい合ったまま視線だけを別塔に向けた。予定では魔法で別塔の最上階の窓まで飛び、人質を盗んで逃げるという計画だった。
しかし、魔法が封じられていては実行できない。
「さて、どうしましょう」
白い手を顎に添えて考える。まるでお茶菓子を選んでいるような優雅さと気品。ただし、追い詰められた状況でする態度ではない。
場違いな雰囲気にサボット侯爵が声を荒げた。
「こいつは警備隊の騎士隊長だ! いままでの兵とは実力が違う! 痛い目にあいたくなければ、おとなしく投降しろ!」
「そう言われましても……」
騎士隊長の真剣な眼差しは正直美味しい。捕まってもいいかも、と気持ちがグラつくぐらい。誰にでも愛想を振りまくどこぞの軟派な執事とは違う。
だが、少し視線をずらせば勝利を確信し、下劣で下心丸出しの顔をしたサボット侯爵。絶対、捕まりたくない。
「やはり遠慮いたしますわ」
コーラルが大きくため息を吐いたところで、騎士隊長が剣を抜いた。
「あなたに恨みはありませんが、全力でいかせていただく」
「ダンスのお誘いでしてたら喜んでお受けいたしましたのに、残念ですわ」
騎士隊長が屋根を蹴る。素早い動きで距離を詰め、剣を薙いだ。
「まぁ、せっかちですこと」
コーラルが慌てる様子なく軽く身を翻して避ける。次々と繰り出される斬撃。それをすべて紙一重で避けていく。
「なぜ、当たらない!?」
驚愕する騎士隊長にコーラルが悠然と微笑む。
「剣に迷いがありましてよ。その迷いが一瞬の遅れとなり、私に避ける余裕を与えてくれてますの」
「なっ!?」
思わぬ指摘に騎士隊長の動きが止まる。そこに可憐な声が響いた。
「もうおやめください!」
「ミーア!」
騎士隊長が名前を叫んだ先。別塔の最上階の窓が開き、そこから少女が身を乗り出していた。
「私はこれ以上お兄様の足枷になりたくありません!」
少女の可憐な声よりも、その内容にコーラルは耳を持っていかれた。
(お兄様!? 大切の人とは妹のことでしたの? つまり恋人ではない!)
一筋の光明が降り注ぐ。天にも昇りそうなコーラルとは反対に、騎士隊長の顔は地獄を見たかのように真っ青だ。
今にも飛び降りそうな少女を必死に止めている。
「バカな真似はやめるんだ!」
「どうかお兄様の正義を貫いてください!」
「やめろ!」
悲痛な叫びにのって華奢な体が宙を舞った。騎士隊長が手を伸ばすが届く距離ではない。
「サファイヤ!」
叫び声の隣をピンクゴールドの髪が駆け抜けた。
「まだですの!?」
『お待たせしました』
待望の返事にコーラルが全力で魔法を発動させる。
『飛翔!』
屋根の端を蹴ると同時に風がコーラルを加速させる。見えない翼を羽ばたかせ少女へ手を伸ばす。
あと一歩! あと、半歩!
「届きなさい!」
迫りくる地面。白い指先に少女の手が触れる。
コーラルは掴んだ少女の手を引き寄せると自身の体を下に滑りこませて背中から着地した。
※
「思ったより手間でしたね」
ジェットは汚れを払うように軽く手をはたいた。足元には黒いローブを被った魔導師たちと数人の騎士が転がっている。
肉弾戦の結果、全員一発で地面に沈ませた。
「これで騎士を名乗るとは。もう少し鍛え直したほうがよろしいのでは?」
執事服のジェットだが、いつも羽織っている上着はなく、白いシャツに体の線が見えるベスト。広い肩に厚い胸板。そこから引き締まった腰に、優美な線を描く臀部。男の色気が駄々洩れな容姿。
淑女がいれば黄色い声とともに気絶するほどの艶めかしいスタイルだが、ここにはすでに気絶している男しかいない。
木の枝にかけていた上着を手にしたところで頭に直接声が響いた。
『魔法陣の解除に時間がかかり過ぎですわ! 危ないところでしたのよ!』
澄んだ声による突然の苦情。だが、ジェットは上着に袖を通しながら平然と答えた。
「それは失礼いたしました。少々、うるさい虫がおりましたので」
『まったく。予定通り撤退いたしますわよ』
「はい。私もすぐに戻ります」
話を終えたところで黒い影が飛んできた。旋回をしながら降りてきた黒い鳥にジェットが左腕を差し出す。
「お疲れさまです。おかげで隠れていた魔導師をすべて見つけることができました」
腕にとまった黒い鳥がフンと顔をそらす。
「命令だから従ったまでのこと。労われる覚えはない」
「相変わらずツンデレですね」
「……ツンデ? なんだ、それは?」
「そのうち分かりますよ」
どこか楽しげに話すジェットに黒い鳥が露骨に表情を崩す。
「まったく。いらんところまで人間に染まりおって」
「円滑に目的を達成するためですよ」
「その割には楽しそうだが、いつまでこの茶番を続ける気だ?」
穏やかだったジェットの気配が消え、闇が噴き出す。隠れていた小動物たちが一斉に逃げ出し、生き物の気配が消えた。
深紫の瞳か獰猛に煌めき、口元のホクロが上がる。
「勇者の末裔であるコーラル王女の絶望に染まった血を手に入れるまで、ですよ」
予想通りとばかりに息を吐いた黒い鳥が羽を動かして腕から離れる。
「スキップもできない運動音痴に出来るかね?」
からかい混りの言葉に鋭い空気が緩んだ。
いつもの雰囲気に戻ったジェットが澄ました顔のまま片眉をあげて訂正する。
「リズムが掴めなくて足がうまく運べないだけです」
黒い鳥が周囲に転がっている魔導師と騎士を見下ろした。
「リズム音痴なだけで、運動音痴ではないってか? まあ、魔族であんたに勝てる奴はいないし、その通りだな」
「そういうことです」
「ま、せいぜい正体がバレないように頑張りな。魔王様」
声とともに黒い鳥が闇夜にとける。
「……言われるまでもありませんよ」
漆黒の髪をなびかせ、ジェットも姿を消した。
※
翌日。
「背中が痛いですわ」
王城の一室でソファーにだらしなく臥せるコーラル。
塔から飛び降りた少女を助けた時に背中を強打して痛みに苦しむ様子にジェットが呆れたように声をかけた。
「ご自身を盾にしなくても相手に風の魔法をかければよろしかったのでは?」
「魔法の加減が難しいのですわ。それに、魔力が強すぎれば魔法をかけた相手を……」
続きは顔を押し付けたクッションに消える。
ジェットは肩をすくめて言った。
「助けた少女は無事でしたし、騎士隊は正常に戻り、サボット侯爵は捕縛されました。騎士隊長の処罰については脅されていたため、と情状酌量が適応されそうですし、結果としては上々でしょう」
コーラルが盗み出した不正の証拠にくわえて、騎士隊長への脅迫の罪状も追加されたサボット侯爵。今後、国王派からの厳しい弾叫と処罰が待っている。
「騎士隊長といえば……痛っ!」
勢いよく顔をあげたが再びクッションに沈む。
「どうかされました?」
ジェットの問いにコーラルがゆっくりと頭を動かす。
「私が助けた少女は騎士隊長の妹でしたの! 大切な方とは妹のことで、恋人ではありませんのよ!」
「そうですね」
「ですから、これを機会に硬派な騎士隊長と恋愛を……」
バラ色の未来への期待で豊満な胸をますます膨らませるコーラル。
そこに淡々とした声が降ってきた。
「コーラル王女が助けた少女は、騎士隊長の婚約者の妹君でしたね」
「…………コンヤクシャ? ダレの?」
呆然とするコーラルにジェットがにっこりとトドメを刺す。
「騎士隊長の婚約者ですよ。なんでも幼馴染で幼い頃に将来を誓い合っていたとか。婚約者の妹とも実の兄妹のような関係だったそうで、お兄様とはお義兄様ということだったようです」
たっぷり時間をかけて考えるコーラル。
ジェットが話している内容は耳に入っているし、理解もしている。けれど、どうしても受け入れたくない。
「結婚式の日取りも決まっているそうです」
それでも現実は非常で。
「あんまりですわぁぁぁあ!」
コーラルがクッションを抱きしめて泣き叫んだ。
その様子を眺めながらジェットがカップに茶を注ぐ。湯気とともにフワリと漂う香りはいつもの紅茶ではない。土臭さの中にスッとした爽やかな匂いが混じる。
「……紅茶ではありませんの?」
「打ち身に効く薬茶です。どうぞ」
肩にかかったピンクゴールドの髪を払いながら体を起こした。
持ち手がない真っ白なカップに琥珀色の茶が映える。水面にはピンク色の細い花びらが数枚。
コーラルは包み込むように両手でカップを持った。ほんのりとした温もりが沈んだ心に沁みる。
「いただきますわ」
独特の苦みの後、蜜の甘さが優しく包む。
ホッと表情を緩めるコーラルにジェットの口元のホクロがあがった。
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