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第1話 第一章『月下美人』
「とても……」
鈴虫が鳴いている。
蛙が、山鳩が、木々のざわめきも。
田舎の夜の澄んだ空気は、思いもよらないくらい多くの音に震えていた。
「月が綺麗ですね」
目の前の少女は、じっとこちらを見ながらそう言った。
西暦2082年。
地球環境の保全の為に、人が宇宙に人を棄て始めてから50年。
最初は軌道エレベータに繋がれた月の内側に生活圏を求めていた人類は、すぐに月の外側にもその生息域を拡大した。
水も、食料も、吸う空気すらも自給しなければ生存を許されない世界に送られたのは、貧しさに居場所を追われた人々だった。
景観と環境を『資本主義の旗』に守られた『月の表』とは裏腹に、クレーターにまみれた『月の裏』は生存域を広げる為に乱開発され、野放図に廃液と赤錆と油を塗り広げている。
『月が綺麗ですね』。
その言葉は、『外側』の宇宙人から『内側』の地球人へ向けて送られる、定番の皮肉の一つだった。