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和女食堂  作者: 栗原和女
5/7

冷やしたぬき蕎麦

暑いから食欲がないなんてことは、自分には起きないものと思っていた。


都内大学アメフト部出身の僕は、卒業後も食欲は盛ん。ジム通いの成果ゆえ筋肉もなんとか保っている。


しかしさすがにこの急激な暑さの中、スーツで営業まわりをするのはキツい。いくら車のクーラーが効いているとはいえ、強い日差しが止まるわけではない。


大森赤十字病院の先生にご挨拶に伺ったあと、次の予定までに時間が空いた。いつものランチは車の中でサンドイッチかほか弁を食べる程度だが、たまにはゆっくり何か食べるのもいい。


冷たい蕎麦ならツルッと食べられそうだ。「手打ち蕎麦」の旗に惹かれて入った寿々㐂は満席。近くに他の店などあっただろうかとGoogleマップを開くと、徒歩1分の位置にレストランのマークが。「和女食堂 高評価」。本当かね?


こんな場所に食堂などあるのだろうかという疑問を持ちつつ、エレベーターを上がる。


あった。確かに小さな看板が出ている。その横に、「どうぞお入りください」の手書きボードも。


恐る恐る中に入ると、誰かが歌っていた。


「あ、いらっしゃいませ! どうぞ!」


その人は歌うのをやめてすぐに、満面の笑顔で僕を席へと促す。ここまで来たら帰れない。


【お品書き】


ペペロンチーノ 150円

ミートソース 200円

ナポリタン 200円

冷出汁素麺 230円

冷やしたぬき蕎麦 300円

カレーライス 200円

ベビーリーフサラダ 150円

熱いとうもろこし 130円

ズッキーニのソテー 130円

野沢菜 50円

愛の野菜スープ 150円

冷ほうじ茶 20円

アイスティー 40円

アイスカフェオレ 120円

バームクーヘン 200円


お品書きとともに、大きなコップに入った氷入りの水と、白い冷たいおしぼりを持ってきてくれた。オッサンくさいけど、そのおしぼりで顔と首を拭かせてもらった。


30歳はもうオッサンだろうか。やってることは確実にオッサンだよな。そんなもんか。


冷やしたぬき蕎麦、あるじゃないか。これいってみよう。熱いとうもろこし? ゆでとうもろこしとか、焼きとうもろこしじゃないのか。


「すいません、冷やしたぬきと、とうもろこし、冷たいほうじ茶、以上お願いします」


「はーい。お待ちくださいね」


体幹を鍛えてきた人の声をしている。僕も声はごく稀に褒められる。体育会系の人間は、体幹がしっかりしているから声の出る人が多い。声出しも重要な練習だったし。


さっきあの人が歌っていたのは演歌だろうか。両腕をパーンと広げながら、大きなビブラートを展開していた。なかなか変わった趣味をしている。


蕎麦をゆでている鍋が吹きこぼれて、チンチンいっている。しかし野菜を刻むことに集中するあまり、火を弱くする余裕はなさそうだ。


ようやく蕎麦をザルに上げると、冷凍庫から氷を出して放り出した。氷水で蕎麦を締めているのか。そろそろ来るぞ。


「お待たせしましたー。冷やしたぬき蕎麦と熱いとうもろこしです。本当に熱いから気をつけてね」


このとうもろこし、さっき皮ごと電子レンジにボーンと入れているのが見えた。5分ほど加熱して、皮をむいて切る。それは熱いだろう。


アツアツの黄色い粒を歯でもぎ取る。うまい! ゆでたり蒸したりするよりも水っぽくなくて良い。とうもろこしの匂いを濃く感じる。


冷やしたぬき蕎麦は、具が多すぎて蕎麦が見えない。きゅうり、長ネギ、万能ネギ、カニカマ、天かすか。


乾麺にしては香りも味も良く、甘ったるくない蕎麦つゆとの絡みも絶妙だ。たくさんの具材はいずれもさっぱりとしていて食べやすい。キュウリと天かすの歯応えが心地いい。


「そのお蕎麦ね、ばくばくの木曽路御岳そばっていうの。西友まで行かないと売ってないのよ。でもお蕎麦って美味しいのじゃないとダメじゃない?」


「はあ、そうですね。蕎麦屋さんが満員だったから来たのですが、十分に美味しいです」


「おお嬉しい!やった!」


「さっき、歌ってらっしゃいましたよね。演歌ですか?」


「聴いちゃった? そうよー、美空ひばり。大好きなの」


それについては特に何の知識もないので、黙ってやり過ごした。僕が生まれる前に亡くなった歌手だ。昭和の大スターということぐらいしか認識がない。


「ごちそうさまでした。さっぱりして涼しくなりました」


「あーざーっす。450円です」


少し作り笑いのような気がした。もしかするとこの人は、美空ひばりについて語りたかったんだろうか。それはちょっと無理な相談だ。


「まだまだ暑くなりそうだから気をつけてね。今度来てくれるときにはジャズを歌いながら待っていようかな」


「あはは、お好きなんですね、歌。またおじゃまします」


正直、ジャズもよくわからない。音楽にはあまり興味がなくて。カラオケ用に優里の歌を何曲か覚えてみた程度だ。「あなたの声で優里の歌を聴きたいな」と、お世辞でたまに言われるので。声質がわずかに似ているらしい。


とうもろこしと蕎麦は美味しかったけれど、再びここに来ることはあるのだろうか。少し微妙な気持ちで車に戻る。


次は白金か。白金トンネルが空いていることを祈る。


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