36話
36話
それは、本来の私の人生の中では絶対に得ることの無かったであろう、魔の力。
魔族が力を激しく欲したときにのみ稀に呼応して生まれる、″魔力″と呼ばれた異能力。
「凄いや……これなら、勝てそうだよ」
手に入れたのは今だというのに、まるで生まれつき手にしていたものかのように詳細な力の情報が頭に染み付いている。心ではなく身体が、既に使い方を知っている。
「そう、だなぁ……じゃあせっかくだし、この血で」
私はその場でしゃがむと、地面にこべりついている男の残した血に触れた。
すると血は宙へと浮き、目の前で一つの塊へと変化を遂げる。
お父さんとお母さんの……私の愛する人達の、愛しい血だ。これを使って、私はあの男を殺す。
「ふふ、ふふふっ♪」
まるで、世界が根本からひっくり返ったかのような力の本流。これを知る前の私にはもう、戻れない。
「ん……まだ、足りない?」
私は外でナツの首を切り落とした男が使用していた剣を血によって形作ろうとするが、量が不足していてまだ肝心の刀身が完成していない。柄だけの剣など、全くの無価値だ。
「……あ、そっか。足りないなら、足せばいいだけの話だよね」
私はぐちゃぐちゃにされた勉強机の引き出しからカッターナイフを取り出すと、カチカチと音を鳴らして刃を露出させる。
そしてその刃先を左腕に当てて、勢いよく切れ込みを入れた。
柔らかな肉は裂け、内側からは大量の血液が吹き出して零れ落ちていく。これだけいっぱいあれば、きっと足りるだろう。
「ふふ、ふふふふふっ。お父さんに、お母さん。そこに私のも加えてぇ……」
魔力を発動して出血した血を全て浮かせ、血塗られた柄に刀身を繋げていく。
「……綺麗♡」
ドクドクと脈打つ左手の感触など目にも止めない私は、目の前で出来上がった一本の剣に心を奪われていた。
私のような非力な女の子の腕力では決して扱えない、重量と切れ味、美しさを兼ね備えた、この世に一本の剣。
「自分で振れないのは残念だけど、仕方ないかぁ」
欲を言えばこの手でしっかりと剣を握り、直接あの男に突き立てたかった。
だが、ないものねだりはしていられない。非力な私が男に勝つためには、この魔力を使うしかないのだから。
「じゃあ、早速あの人のところに……」
剣を宙に携え、隣の部屋へと移動しようとしたその時。開きっぱなしの扉の向こうから、男が顔を覗かせた。
男は不敵な笑みを浮かべて、部屋の中へと侵入してから剣を抜く。
「ここにいたのか、クソガキ。……って、なんだ、その剣は。宙に、浮いてるのか?」
「うん♪ 綺麗でしょぉ? あなたが殺した私のお父さんとお母さんの血で作った、自信作♡ 今からこれであなたを殺すけどぉ……その前に何でこんなことしたのか、教えてよ」
男の笑顔に私も笑ってそう返すと、一瞬間を開けて男は語り始める。
「はは、いいぜ。冥土の土産に教えてやるよ。……俺はな、異世界から来た勇者なんだよ。人間の術士とかいう連中に召喚されて、この世界に来た」
あまりに突拍子の無い話を始めた男に、私は首を傾げることしかできない。
「最初は俺もキレちらかしたよ。なんたって俺にも元いた世界での暮らしがあるからな。それを急に呼び出して魔族を殺せだのなんだの……正直ふざけんなって思ったぜ。でもな……」
「でも……?」
「俺は気づいちまったのさ。この世界の本質……そして、その美しさにな!」
美し、さ……?
「この世界では俺は勇者で、お前らは魔族。どれだけ殺しても犯しても、浴びせられるのは非難じゃなくて賞賛。俺たちはお前たち相手なら、どれだけ酷ぇことをしても褒められる。
承認欲求、肉欲、征服欲。元いた世界では手に入らなかった欲求が、今では簡単に手に入るんだ。ひゃははっ! 気持ちいいったらないぜ!!」
気持ちいい、か……。この人はお父さんとお母さんを殺して、そんな風に思ったんだ。
「っつーわけだ。まあ長々と話しちまったが……オメェみたいなガキを犯す趣味は俺にはねえからなぁ。せめて父ちゃん母ちゃんと同じように、気持ちよーく首を刎ねて殺してやるよ」
苛立つ話を聞かされているはずなのに、心は何故か冷静で。寸分の狂いも無く、私の身体は為すべきことを為すためだけに……
「こちらこそ。ぐちゃぐちゃに、殺してあげるねっ♡」
ただ笑顔で、剣の切先を男に向けていた。