35話
35話
もう、これまでの日常は帰っては来ない。お父さんとお母さんがどうなったかは分からないけれど、少なくとも一番の友達は……殺された。
「もう、やだ……」
カーテンを再び閉めた私は、崩れ落ちるようにベッドの上に身体を倒す。
私が、何をしたって言うんだろう。何か、悪いことの一つでもしただろうか。
……こんなの、あまりに理不尽すぎる。明日も明後日も、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに。
これまでのことを受け止めきれていないせいか、私の目からは涙の一滴も溢れない。早く、誰かにこれは夢だったんだと言ってもらいたい。私の願いはもう、それだけだ。
「そうだ。このまま、目を瞑れば……」
そうして目の前の現実から目を背け、逃避しようとした瞬間。それを許さないとばかりに、玄関の方から大きな音が響く。
バキィィィッ!!!
木が叩き割られ、金属が押し曲げられる。それら全ての崩壊音を一つにまとめたそれは、即ち玄関扉が破壊されたことを意味していた。
「ひっ……!?」
あまりの衝撃と舞い戻る恐怖に、脳が覚醒する。
私は本能に身を任せ、物音を立てぬよう、それでいて迅速に。ベッドの下へと、身を隠した。
(お父さん……お母さんっ!!)
縋るように心の中で二人を呼びながら、段々と近づく金属音混じりの足音に身体を震わせる。
そしてその音はやがて私の部屋の前で止まり、勢いよく開いた扉の悲鳴と共に、私の眼前まで迫った。
「クソ、どこだガキ……確かにこの家には、一匹いると聞いたんだがな……」
息を殺し、己の心臓の音を聞くことしか許されない時間。物音の一つでも立ててしまえば、次は私が首を飛ばされる。
(早く……早くどこかへ行ってよ!!)
男は私の部屋の押し入れや机の下なんかを重点的に探りながら、色んなものを散らかしてぐちゃぐちゃにして回る。
「チッ、手間ァかけさせやがって。ぶっ殺したアイツらは明らかにこの家に俺を入らせまいとしていた。それに加えてこの部屋……ガキがいるのは間違いねぇ筈だよな」
ぶっ、殺した……? この家に、入らせまいとしていた……? それって、まるで────
「さっさと見つけ出さねぇと。あの女のガキとありゃあ面は悪く無さそうだが……ま、俺の好みじゃなけりゃ他の奴にでも……」
男はそう言いながら、私の部屋を後にした。
(お父さん、お母さん......)
男が部屋を去っても、私の心臓の鼓動は激しいまま。心の許容量を超える言葉の数々に、身体がはちきれそうな気分だった。
(嘘、嘘だ......お父さんとお母さんは......きっと、生きてる)
何度も何度も自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。
男は今、隣の部屋を物色している。さっき一度ここには来ていたし、もう一度戻ってくるとは思えない。上手くいけば、撒くこともできるかもしれない。そしたら、そしたら……
(……え?)
だがその希望は、一瞬にして絶望に変わった。
「あれ……って……」
男が入ってきた所には、血が伝っている。その血の上に、お父さんとお母さんがいつもしていた、指輪が落ちていた。忘れもしない、印象的な緑色の指輪。あんな色のをしていたのは、二人以外にいない。
「っ……あぁ……ッ!」
まだ子供の私にも、その絶望は確かに伝わってしまっていく。血塗れで誰かを殺したと言っている男が、お父さんとお母さんの指輪を持っていた。それは紛れもない事実であり、あの返り血がお父さんとお母さんのものであることへと紐付くまでに、そう時間は掛からなかった。
「あ、う……」
プツン。
まるで糸が切れるかのような軽い音が、脳内で反響した。
同時に心の奥底から、自分でも制御し切れないほどに膨大な量の感情が溢れ始める。
屈辱、悲しみ、怒り……そして、憎しみ。
「はは、はははははははっっ」
指輪を拾いベッドから這い出た私は、己の心情とは真逆のはずの笑いに身体を侵食されながら立ち上がる。
私の愛する人達は全員死んだ。そしてその仇が今、壁を一つ挟んだだけの隣の部屋にいる。
ならばする事は、一つしかない。
「力……力だ。あれを殺せるだけの、力……!!」
現実を受け入れ、心の底からそう願った刹那。私の視界は黒に染まり、次に私が目を開けた時にはもう……私は私では、無くなっていた。