24話
24話
(勝った……のか?)
明らかにツバキはまだ戦えるはずだ。それなのに、降参? ダメだ。さっきの奇妙な笑いといい、何一つ理解できない。
「う、つっ……!」
問い詰めようと足を一歩前に進めた瞬間、左肩に激痛が走った。
恐る恐る視線を向けると、俺の左肩は服の下から激しく出血し、その血を腕に滴らせていた。
(喰らって、いたのか……)
おそらくさっきまでは、戦いの最中のアドレナリンで痛みが抑えられていたのだろう。
だが、その戦いはもう終わり。俺はもはや立っているのもギリギリなほどのその痛みに、思わず足が震えていた。
やがて部分擬態を解くと失血のせいで視界まで朦朧とし始めたので、深い傷口にもう一度擬態を加えて止血する。痛みはまだ治る気配が無いが、ひとまずの応急処置だ。
『ツバキ選手の降参により、優勝は……クレア選手ですッッ!!!』
実況者の大きな締めの一言により、大会は終了。続いて主催者であるレオパルドが従者と優勝景品の金、そして鎖で繋いだ獣人を率いて俺の目の前へと現れた。
「優勝おめでとう、クレア君。第一回よりも遥かに素晴らしい、最高の試合を見せてもらえたよ。さあ、景品を受け取ってくれ」
正直今はいち早くツバキを追いたいのだが、辺りを見渡すとその姿は既に消え去り、賞賛の声をかけようとしていたレオパルドも動揺している始末。
(逃げられた、か)
あの異常なほどの強さに、勇者らしからぬ不気味な雰囲気。そして最後の、「見つけた」という言葉。
何一つ腑に落ちないまま、俺は優勝者として観客から讃えられ、獣人と金を貰い受けた。
「さぁ、名誉ある優勝者であるクレア君に、もう一度拍手を!!」
こうして闘技会は終了し、俺は獣人のこの女を助けるという目的だけは、確かに達成したのだった。
◇◆◇◆
「さて……」
それから、約二十分後。獣人の女を連れながら宿に戻った俺は、部屋で痛み止めと適切な処理を自分で施すことによって痛みを回復。ようやく、一息ついた。
「待たせてしまってすまないな。お前、名前は?」
「……ルナ、です」
「そうか。いい名前だな」
俺はまずルナの警戒を解くため、鎖を外してやってから俺の体にかけられた全身の擬態を解き、会話を再開する。
「安心しろ、俺は魔族だ。お前に危害を加えるつもりなんて一切ないぞ」
「ひっ……え……?」
突拍子のない話に状況が読み込めないらしいルナは、キョトンとした様子で俺を見つめる。
「その……ご主人様は私に、何もしないのですか……?」
「ああ、何もしない。お前にだって家族がいるだろう? さっき貰った金なら幾らでも持っていってくれて構わないから、もう自分の家に帰っていいぞ」
「私の、家……」
俺がそう告げると、ルナは暗い顔をして俺から目を逸らす。そしてもう一度涙目になりながら俺の方を向くと、身体を震わせながら答えた。
「私の、家は……いいえ、村はもう、この世に存在しておりません。勇者と名乗る者達に、滅ぼされてしまいました……」
一度涙を溢れさせると、止まらなくなったのか大粒の雫が幾度も床を濡らした。
「すみ、ません……まだ、話の途中なのに……」
「いや、いい。今のは俺の配慮が足りていなかった」
よく考えなくとも分かる話だった。魔族の女奴隷など、滅ぼされた村から連れてこられているに決まっている。
そんな相手に村へ帰れなど、あまりに不謹慎で無責任な台詞だ。
と、しばらく話を止めて待っていると、相当溜まっていたものがあったのだろう。ルナの涙は止まるまでに数分を要した。
その間俺は何もせず、ただじっと待ち続けた。ルナが心を落ち着かせ、そして話を再開する、その時まで。
「このような日が来るなんて、夢にも思っていませんでした。本当にこのご恩は、どう返したらいいのか……」
「気にしないでくれ。それよりも、今はお前の今後についてだ。これから先の自由な人生、お前はどうやって生きていきたい?」
帰る場所もないのにこのまま外に放り出すだけでは、とてもじゃないがコイツを救い切れたとは言い切れない。金は今貰ったのがたんまりとあるのだから、これを利用して何とかしてやりたいが……
「あの、大変図々しい話だとは承知しているのですが……」
「ん?」
ルナはそう言うと、深々と頭を下げて床につけ、土下座の形を取る。そして喉の奥から絞り出す様な震え声で、懇願するようにもう一度言葉を口にした。
「私を、ここに置いては頂けないでしょうか……。私にはもう、帰る故郷はありません。ご主人様のためならば、どんなことでも致します。ですからどうか、この身をもって恩返しする機会を、与えてくださらないでしょうか……」
「おい、頭を上げてくれ。俺はそんな事のためにお前を助けた訳じゃ……」
「お願い、いたします……」
……どうやら、本気のようだった。
帰る場所が無いのであれば、必然的にコイツはこの村で暮らしていくことになる。ただでさえ闘技会に吊し上げられたことで目立っているのだ。一人で生きていく上で、必ず様々な危険がつきまとうことだろう。
それに、この話を受けて俺が困る点など一つもない。むしろ俺なんかが、コイツに何かをしてやれるのだとしたら……
「……分かった。じゃあこの金で、家を買おう。そこにお前も住んでくれて構わない。だから、もう軽々しく何でもするとか言うな。服従を求める気もないから、そのご主人様って呼び方もやめてくれ」
断られると思っていたのか戸惑った様子のルナだったが、すぐに我に帰り頭を上げた。そして嬉しそうに、頭を上げる。
「あ、ありがとうございます……っ! では、これから何とお呼びすれば……クレア様、でしょうか?」
名前、か。ルナは魔族なのだし、何よりこれから一緒に住むというのに偽名を使うのも変な話だな。
「クレアというのは偽名だ。俺の名前は……ロイ。これからは、そう呼んでくれ」
「ロイ様、ですか。なんて素敵なお名前なんでしょう! では、これからよろしくお願いします! ロイ様!!」
様、と言うのもむず痒いのでやめてくれと言ったが、そればかりは譲れないと頑固なので諦めることにした。
まあ何はともあれ、最初よりも随分と明るくなってくれていてこちらとしてはとても嬉しいな。
「ああ。こちらこそよろしくな、ルナ」
俺がそう答えると、ぱあぁっ、ととびっきりの笑顔を向けてくるルナ。顔が整っているから、その姿はとても可愛らしい。泣いている姿よりも、こっちの方がよっぽど似合ってる。
「よし、じゃあ早速家を買いに行くぞ。あとは、服もだ。そんな奴隷の服など、もう着るな」
「はい! ロイ様!!!」
こうして一人の奴隷は、帰る場所と自由を得た。
あの日皆を救えなかった罪は、決して消えはしない。これからも、続いていく。
だが、こうして生きていることで目の前の一人の少女を救えるのならば……生き続ける価値は、あるのかもしれない。




