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95・忘れえぬ女性(ひと)

 月明かりを頼りに森の道を歩いた。オレをタクシー代わりにしているマリリアは、すっかりご機嫌の様子だった。


「それにしてもハードな夜だったわぁ。くたくたで歩けなくなるなんてね」


「それはオレも同じなんだけど……」


「何いってんの情けない。それでも冒険者?」


「お前にいわれたくないわっ!」


 背後から笑う声がした。どう見ても元気な様子だったが、自分で歩く気はないらしい。


「まぁまぁ、こんなに可愛い()と密着できたんだしいいじゃない。ある意味ご褒美よ、これ」


「何がご褒美だ。自分でいってりゃ世話ないよ」


「……そんな事いっちゃって……」


 ふいに、マリリアの囁きが耳を撫でた。

 甘い香りと微かな汗の匂いが、ふわりと鼻を掠める。


「意地を張らなくてもいいのに。それとも、緊張してるの?」


「お前を相手に緊張するか。そんだけ元気なら自分で歩けよ」


「ふふ……強がりいうなんて、可愛いとこあるじゃない。なんなら……」


 柔らかい感触を背中に感じた。さらに身体を密着させてきたマリリアが、熱い吐息を言葉と一緒に吹きかけてくる。


「お姉さんが教えてあげようか? 手取り足と……」


「あ、結構です」


 考える前に即答していた。

 僅かな沈黙があって後、マリリアが懲りずに食い下がってきた。


「またまた、そんな事いっちゃってぇ! 素直じゃないなぁ!」


「オレの足なんか取らなくていいから、自分の足を使ってくれよ」


「い、いいっていいって! 照れ隠しなんてしな……」


「手」


「……手?」


「離していい?」


「…………」


「…………」


「……な……」


「…………」


「なんなのよあんたわあぁぁ~っ!!」


 力を緩めようとした途端、マリリアが両腕を首に絡めてきた。

 背後からのチョークスリーパーが、容赦なく頸動脈を締め上げる。


「少しくらい空気読みなさいよ、バカっ!!」


「ぐっ……! ち、ちょっ……! 首を……し、締め……」


「そんなんだからDTなのよっ! 鈍感っ!!」


「お……お前……に……は……関係……な……いだろっ……!! ぐっ……えぇっ……!!」


 ガッチリはまった絞め技に、意識が飛ばされそうだった。

 ブラックアウトする寸前になって、ようやく腕の力が緩んだ。


「もういいわっ! さっさと帰るわよ!」


「げっほ……! げほっ! げほっ……!! だから……なんでお前がキレてんの……」


「うるさいっ! 早く歩きなさいっ!!」


 襲われて、殴られて、足代わりに使われて、首を締められた上、さらにキレられるってんだから、まさに踏んだり蹴ったりだった。

 大きいのから小さいのまで、このトラブルメーカーが生み出す問題は実にバリエーションが豊富だ。


「ホント……なんだってんだよ……」


 その後もしばらく、マリリアは怒りが収まらない様子だった。

 しかし、奴隷の話題を振ってみると普通に応じてくれた。


「奴隷商ギルド?」


「そ。行くあてのない奴隷達の受け入れ先よ」


 答える口調は、いつもの様子に戻っていた。

 終わった事をいつまでも引きずらないこの性格が、マリリアの良いところだ。


「国が認可した正式な組合なのか?」


「うん。奴隷商人っていっても、ザーブラみたいなのばかりじゃないからね。ちゃんとした相手と取引してるまっとうな人達しか加盟できない組織だから、安心して任せられるわ」


「帰る場所があるなら帰ればいいし、なければそこに行けと。ギルドマスターには話を通してあるの?」


「もちろん、内密にね。どっちにするかは奴隷達次第。本人に決めてもらってるわ」


「なるほど。それならアフターケアは万全だな」


 ただ無責任に解放しているだけじゃない。後の事にもちゃんと手を回しているあたり、思ったほど行き当たりばったりって訳じゃないようだ。


「ん? 待てよ?」


「どうかした?」


「解放した奴隷達って、街に入れるのか? 通行証は渡してあるの?」


「そんなの用意できるはずないでしょ」


「じゃあ、どうやって……?」


「抜け穴があるのよ。秘密の、ね」


「抜け穴? そんなもん良く見つけたな」


「まさか。カロンのセキュリティは厳重で有名なのよ? そんな欠陥、都合良く見つかるハズないじゃない」


「……お前……まさか……」


「…………」


「ま、まぁ、その、あれだ、問題なく入れるならそれでいいんだ、うん」


 続きは、訊かないでおいた。

 知らない方がいい事も世の中にはあるものだ。


「そんな心配より、あんたは大丈夫なの?」


「大丈夫、とは?」


「ザーブラの屋敷にあんな事しちゃって、バレたら大事よ? ここに来るの、誰かに見られてない?」


「そもそも、ラグリス達と揉めてたのを見られてるからな。その後はヤツと一緒に歩いてたし、遅かれ早かれバレるだろ」


「落ち着いてる場合じゃないでしょ! どうするのよ」


「あった事をそのまま話すさ」


「決闘で勝ったから奴隷を引き取りに行ったら闘いになりましたって? そんなの、屋敷を丸焼きにしたいい訳にならないでしょ」


 地下室を調べて、ザーブラのおぞましい計画が発覚するかは微妙だった。

 白浄蒼葬焔灰(はくじょうそうそうえんかい)は、効果領域内の指定したターゲットだけを焼き払う呪文だ。

 対象に生物・不死者(アンデット)の別はなく、亡霊(ゴースト)死霊(レイス)、はては二重人影(ドッペルゲンガー)などといった、実体のないモンスターでさえ塵も残さず消滅させる事ができる。女性達の遺体は髪の毛一本すら発見されないだろう。

 残っているのはマンティコアの死体だけだが、あの火勢ではどこまで判別できるか分からない。

 つまり、オレに向けられる疑惑を晴らすにはザーブラに自白させるしかないのだが、肝心の本人は影に連れ去られてしまっている。

 これだけ見ると、絶望的な状況だった。

 しかし、オレの中に焦りはなかった。影の口ぶりが、悪いようにはしないといっているようだったからだ。

 ザーブラについていたのがクーデター計画を暴くためだとしたなら、少なくとも敵ではないだろう。ヤツの言葉に乗ってみるのも、悪くないと思っていたのだ。


「ま、なんかいわれたとしても、お前の事は黙ってるから安心しろよ」


 そう告げると、心配そうにマリリアが返してきた。


「なんならさ、わたしが証言してあげようか? 正当防衛でしたとかなんとか」


「いいよ。大丈夫だって」


「でも……」


「わざわざ二人で疑われる事もないじゃん。オレだけで済むならそれでいいだろ。お前はいなかった事にしとこうぜ」


「わたしのした事まで被るつもり?」


「ザーブラの一味を壊滅させちゃったんだぜ? 奴隷を解放したのなんて、今さらだ」


「だからって、そんな……」


「どうせ疑われるなら、罪状が一つでも二つでも大した違いなんかないって。それに、身の潔白を証明する方法もないことはないからな」


「……本当?」


「本当だ。心配すんな」


「…………」


「マリリア? 聞いてる?」


「聞いてるわよ」


「つーわけで、今夜の事は忘れろ。後は自分でなんとかする」


 再び沈黙を返してきたマリリアが、ぼそっと呟いた。


「……あんたってさぁ……」


「うん?」


「変な所で優しいよね」


「そんなんじゃない。合理的なだけだ」


「なによ、格好つけちゃって。ルキトのくせに」


「くせにってなんだよ」


「……また、借りができちゃうじゃない」


「なら、飯でも奢ってくれよ。それでチャラだ」


「そんなんでいいわけ?」


「十分だ」


「あんたって……バカねぇ……」


 呆れたような口調だった。しかし、暖かさを感じる言葉だった。

 笑いながら、オレはいった。


「お互い様だ。お前も大概だぞ」


「ふふ……ま、そうかもね」


 耳元でいったマリリアの声は柔らかく、楽しそうだった。

 こうして、嘘つき二人の珍道中は幕を閉じた。




 街が見えてきた所で、マリリアとは別れた。

 出てくる時はラグリスの顔パスで通れた検問所も、通行証を持っていないオレだけでは入れないからだ。それに、どのみちマリリアと一緒の所を見られる訳にはいかない。

 警備の目を盗み、飛翔(フライ)で高壁を越えた。

 深夜を過ぎたカロンのメインストリートは閑散としていた。昼間の賑わいが嘘のように、街は眠りについている。

 月灯りに伸びる影を石畳に写しながら、オレは歩いた。賑やかだったマリリアとのやり取りが拍車をかけているんだろう。響く自分の足音が、いっそううら寂しく聞こえた。


 宿につき部屋の扉を引くと、灯りが漏れてきた。蝋燭に照らされた室内では、グラスが椅子にかけていた。


「おかえりなさい、ルキト様」


「グラス……待っててくれたのか……」


 微笑みに招かれて部屋に入った。椅子に座ると、グラスが温かい飲み物を出してくれた。


「どうぞ」


「あ、うん……ありがとう」


 口をつけた。グリーンティーの優しい甘さが、じんわりと身体に染み込んでくるようだった。

 もう一口飲み、ほっと息を吐いた。


「美味いな……」


 グラスは何もいわなかった。ただ、穏やかな表情で目を向けてくるだけだった。

 ややあって、オレは尋ねた。


「そういえば、ビョーウは帰ってきた?」


「いいえ。お帰りになっていません」


「あの()は?」


「わたくしの部屋です。疲れていたのでしょうね、食事を摂ってすぐお休みになりました」


「一緒に寝てて良かったのに」


 ゆっくりと、グラスが首をふった。


「待っていたかったのです。ルキト様が、お戻りになるのを」


「……そうか」


 カップに目を落とした。蝋燭の灯りに照らされた顔が、微かに揺れるグリーンティーに写っている。


「……何も……訊かないの……?」


 消え入りそうな声だった。自分の口から出たとは思えないほどに。

 目を上げると、グラスの瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。


「ルキト様が無事に帰ってきてくださっただけで、十分です」


 再び、オレは目を落とした。

 両手で持ったティーカップの温かさが、救えなかった命達の残したぬくもりのようだった。触れる資格などない自分が、分かっていながらそれでも手放せない自分が、許せなかった。


「グラス……オレ……さ……」


 気がつけば、震える口から気持ちが溢れ出していた。

 オレは、話した。

 見た事、聞いた事、した事、された事、感じた事。

 今夜、あの場所であった全てを、吐き出すように。そして、懺悔するように。

 グラスは、聞いてくれた。一言も発せず、時折、小さく頷きながら。

 しかし――


「オレが余計な事をしたから、彼女達が……か、彼女達は……!!」


 一度溢れた感情はいつしか、自分でも止める事ができなくなっていた。

 言葉になった後悔が、吐いても吐いても次々に零れてくる。


「なんで助けられなかったんだ! なんで……! 目の前にいたのに! もっと伸ばせば……手が届いたのはずなのに……!」


 あの時、こうしていれば。ああしていれば。

 埒の空かない考えだと理解しながらしかし、押さえられない負の感情が止めどなく膨らんでいく。

 後悔に、押し潰されそうだった。

 身体が震えた。歯を食いしばり、きつく目を閉じた。途端に、彼女達の苦痛に歪んだ顔が瞼の裏に浮かぶ。心を引き裂く断末魔が耳の奥で響く。

 耐えられなかった。


「オレ……もう……」


 逃げ出したい――。


 張り裂けそうな心がそう吐き出しかけた、その時。

 そっと抱きしめられた。


「っ!!?」


 そして、温かく、優しく、オレを包んだグラスが、幼子を諭すようにいった。


「そのように、ご自分を責めてはいけません。背一杯の事を、ルキト様はなさいました。想いは、きっと伝わったはずです」


「でも……で、でも……」


「浄化の炎に導かれたなら、魂はきっと天に()けたでしょう。そして、悠久の時が過ぎて後、やがては生まれ変わって新たな生を営むのです。そのお手伝いを、ルキト様はしっかりとなさったのですよ」


「…………」


「さ。今夜はもう、お眠りなさい。今はまだ、ご自身を許せないかもしれません。しかし、必ず許せる日は訪れます。その時に、しっかり前を見て歩めるよう、今は、ゆっくりとおやすみなさい」


「……グラス……」


 最後まで、その顔から、瞳から、慈愛の光が消える事はなかった。

 胸に抱かれる安らぎの中、何故だろう、懐かしさを覚えた。幼い頃、同じように抱かれた優しい記憶が蘇ってきたのだ。

 この時、ふいにオレは悟った。


 ああ、そうか……。

 だから、グラスに……。


 女神だから。美人だから。優しいから。いつの間にか魅かれていた。

 そう思っていた。

 でも、違ったんだ。

 きっと、初めて逢った時にはもう、オレは魅かれていた。

 何故なら、面影を見たから

 世界で一番、オレを愛してくれた女性(ひと)

 最後の瞬間(とき)まで、オレを愛してくれた女性(ひと)

 グラスが、あの女性(ひと)に似ていたから。


「……ありがとう……」


 他に、返せる言葉がなかった。

 心を締めつけていた物が、重くのしかかっていた物が、嘘のようになくなっていた。

 代わりに、瞼の裏に浮かんだ笑顔が心に広がっていった。


(姉さん……)


 長かった悪夢の夜――最後に見たのは、女神がくれた陽だまりの記憶だった。

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