89・悪夢の中の追憶
「い”い”ぃやあ”あ”あぁぁーーっ!!」
「あがっ! ……っっかっ!! ああぁぁぁーーーっっ!!!」
「い”だい”い”だい”い”だい“い”いいいぃぃぃぃぃーー……っっ!!!」
「ぐぶっ! ぶっ……! げえええぇぇぇぇ~~っ!! 」
「ぎぃいいぃああぁぁぁーーっ!! 助けてえ”ぇ”っ! 助げでえ”ぇぇあ”あ”ぁぁぁーーーっっ!!!」
起きている事が理解できなかった。
それまで弱々しく呻いていただけの女性達が、突如として苦しみ出したのだ。
近くの柵に走り寄った。
中には、不自由な身体を捩り、狂ったように暴れる姿があった。
眼球が飛び出しそうな程に見開いた目から血の混じった涙を流し、口の端にたまった泡にも赤いものが滲んでいる。
「おい! しっかりしろっ! おいっ!!」
「い”い”い”い”ぃぃぃぃーーっ!!」
呼び掛けに応えはなく、代わりに、身体が大きく海老ぞりになった。
巨大な腹部がビクンビクンと歪に痙攣し、すぐに膨らみが下へ移動し始める。
まるで、出口を求めているかのように。
「なん……だ……これ……どうして、いきなり……?」
「ギャキャキャカカカカカアァーーッッ!!」
「!!? ま、まさか……」
親の放つ魔力に、胎児が反応しているのか?
喰らう事で魔力を補充したとするなら、子も相応の魔力を持っているという事になる。二つの力が共鳴し、結果、出産が早まったのだとしたら……。
ばつんっっっ!!!
「い”ひゅっ……!!!?」
「!!?」
びしゃしゃしゃしゃしゃ~~~っっ……!!!
破裂音に鼓膜を叩かれた。
目を戻した先。限界まで開かれた足の間から黄色く濁った液体が流れ出ていた。それはすぐに血と混ざり、赤黒い粘液へと変わっていく。
「ごぷっ……ぶっ!! ……ぶふっ……っ!! ごぼぼぼぼぼぼっっ……!!!」
目、鼻、耳、口、そして、下半身――身体中の穴という穴から、大量の鮮血が吹き零れた。充満した血の匂いに、空気そのものが滑っているような錯覚に襲われた。
愕然とするしかなかった。
無意識に口を押さえたまま何もできずにいるオレの耳に、追い討ちをかけるように不気味な音が聞こえてきた。
めりっ……!
めりめりめりっ……りっ……!!
それは、徐々に引き裂かれる肉の音。
「ごぼっ! ごぼぼっっ!! げえぇぼぼおおぉぉぉ~~……っっ!!」
ごりごりっ……ごきんっ……!!
ごきごきごきききき……っ!!
少しずつ折れ砕かれる骨の音。
「げひゅ……っっひゅっ……!! ぎぎい”ぃひい”い”ぃ”っっっ……!!」
そして――
ぶちぶちっ……ぶちっんっ……!!!
「ぎっ……!!?」
「!!!?」
ぶちぶちぶちぶちぶちいいいぃぃぃぃぃーーーっっっ……!!!
「ぎゃい”い”い”い”い”い”ぃ”ぃ”ぃ”ぃ”ぃ”ーーーーっっ!!!!」
捻じ切られた魂が吐き出したかのような、断末魔だった。
「……ギキッ……キィッ! キイィッ……!!」
産声を上げたのは、母体を引き裂いて産まれた悪魔の子――内側から捲れた下腹部はもはや、原型を留めてすらいなかった。ドロドロ流れ出す血と赤い肉、乳白色の脂肪の奥から、腰骨の一部が体外にはみ出してしまっている。
悲鳴はもう、止んでいた。
白目を剥いた顔には吐血と鼻血と血涙、激痛と絶望と恐怖が、幾重にも重なってべったりと張り付いていた。
「……っ!!!」
言葉もなく硬直するオレの眼前で、マンティコアの子がもぞもぞと動いていた。顔を地面に擦りつけながら、何かをしている。
聞こえてきた音で気がついた。
ぴちゃ……ぴちゃ……ぴちゃ……
ずずずっ……
ずるずるずるうぅ~……
撒き散らされた血肉を啜っていたのだ。
所々に混じる肉片をにちゃにちゃと噛み、長い舌を蛞蝓のように動かしながら、一心不乱に餌を貪っている。
その顔が、事切れた母体に向いた。
まだ立たない足腰で、半透明な膜と血に濡れた芋虫が這いずっていく。
根本から半ば千切れてしまっている両足の間、撒き散らされた内臓の臭いを嗅いでいたマンティコアが唐突にこちらを向いた。
「キヒィ~……! イィイッヒヒヒ~~……!!」
オレと目が合うと、皺くちゃの顔が笑った。
ご馳走を見つけた子供のように。
生娘を前にした変態のように。
食欲の中に見え隠れしているのは、異常者が持つ性的倒錯――目の前で舌舐めずりしていたのは、忌み嫌われる存在として産まれてきた悪意の肉塊に他ならなかった。
「うっ……うああぁーーっ!!」
ザンッ!!
咄嗟に右腕を薙いだ。
マンティコアの首が転がった。
それでもにたにた嗤っている顔には、ある種の親しみのようなものが浮かんでいた。
「キィ~……ヒィヒィ……ヒッヒ……イィ~……」
「ま……さか……こいつ……」
オレを、親だと思っているのか?
「うっ! ……ぶふっ!!」
胃袋が波打った。
熱い液体が喉を逆流し、酸っぱい臭いがつんと鼻を刺した。
オレは、吐いた。
吐いて、吐いて、空になった胃から、さらに胃液を吐いた。
視界が涙で霞み、鼻水が止まらなくなり、喉が痛み、それでも吐き気は収まらなかった。
「ごはっ! がはぁっ……!! はっ! はっ! はっ! はあぁぁ……っ!!」
やがて胃液すら尽き、吐くものがなくなってようやく、顔を上げる事ができた。
しかし、そこで目にしたのは――
「ッッッキャアアアアァァァァ~~~ッッッ!!!!」
嘔吐感すら忘れさせる阿鼻叫喚だった。
狂笑を上げるマンティコアが、新たな獲物を引き裂いている。喰らっていたのは、二匹目の我が子だった。
目に見える程の濁った魔力が広い地下室を覆い尽くす。周りからは、血を啜る音と肉を噛む音、神経に障る鳴き声が聞こえてくる。
「そん……な……」
産まれてきた子は一匹じゃなかった。全ての女性が下半身を引き千切られ、血肉を貪られていたのだ。
オレの……せいか……?
中途半端な攻撃がマンティコアを刺激し、結果、撒き散らされた魔力が出産を早めてしまった。
救う手があったかもしれない命をむざむざと散らせてしまったのは、オレの甘さが招いた結果だ。
死が優しく思える程の痛みを与えられ、あまつさえ、当の化け物に喰われている――そこには、人としての尊厳などない。
恐怖も、苦痛も、絶望も、無念も、怨嗟も、マンティコアにとっては味付けにしか過ぎない。嗜虐心と食欲を同時に満たせるご馳走を、本能のままむしゃぶり尽くすだけだ。
ただ産む為の道具として扱われ、死して尚、餌となって無惨な最後を迎えた彼女達の魂を救う方法など、どこにもありはしない。
「きゃあああぁぁぁ~~っっ!! なんですかこの! 素敵な表情はっ! 鳴き声はっ! 絶叫はああぁぁぁっ!! 最高ですよ雌肉どもっ!! 最高ですよおおおおぉぉぉ~~っっっ!!!」
狂ったように歓喜するザーブラの声が血に湿った地下室に反響した。
柵から身を乗り出しながら、壮絶な最後を遂げた死に顔を凝視している。
額が付きそうな距離で涎を垂らしている異常者は、下半身を柵に擦り付けていた。
その姿はもはや、人間とは思えなかった。
「キイイィ~~ッッヒャヒャヒャヒャハァアアァァ~~ッッ!! 素晴らしい素晴らしい素晴らしいっ!! 素晴らしいいぃひひひひひいぃぃぃ~~っ!!!」
「アキャハハハハハッ!! キャハハハハハハハハァーーアァァーーッッ!! アアアアアァァァァァーーッッ!!!」
「ギキャハハハッ!」
「ゲキャアーハァーハァーハァーッ!!」
「キャヒィーッ! キャッヒイィィィーーッ!!」
狂人が狂っている。
化物が嗤っている。
忌子達が笑っている。
とぐろを巻く悪意と狂気に、息苦しさを感じた。広いはずの室内がとてつもなく狭く感じた。
――あなたは、生きて……
ふいに、フラッシュバックした。あの時の光景が。
大切な女性にもらった、大切な言葉。
生きる意味をくれた。
闘う理由をくれた。
だから、誓った。
目の前の人々を助け、生きた証を遺す事を。
オレの人生を、あの女性が見ていてくれるように。いつか会う時があったなら、懐かしい笑顔を向けてもらえるように。
そう、誓ったはずなのに――
オレは……何をしているんだ……?
「あぁああぁぁあっ!! ぎも”ぢい”い”ぃ”~~っ!! ぎも”ぢぃいびぃい”い”い”ぃよお”お”おぉぉぉ~~っ!!」
ここは、どこなんだ?
「ギモッ……ヂッ……イヨッ……!! ギボヂィイ”イ”……ヨ”オ”オ”オォォォォーーーッ!!」
今、何を見ているんだ?
「ヒッキャキャキャキャキャッ!!」
「キャハハハハハッっ!!」
「キャアーッハハハハハハハァーーッ!!!」
何が、楽しい?
「あっあっあ!! イクっ! イクイクイっちゃうっ!!」
何が、嬉しい?
「キャバババアアァァーーッ!! イグイグイグググウゥゥゥーーッ!!」
なんで、こいつらは――
「キャハハハッッ!!」
「ギャキャキャキャッッ!!」
「イ”っ……グう”う”う”ぅぅぅぅぅ~~~っっ!!!」
嗤ってやがるんだっっ!!!
……ッツン……
内から、音が聞こえた。
何が切れたような、弾けたような音だった。
スキルを発動した。
「……光速……」
ッィンッッッ……!!!
刹那を更に数十分の一にした時間の後。身体がここに戻っていた。
両手に感触があった。
しかし刃には血の一滴すらついていなかった。
忌子達の笑いが止んだ。
「っっ!!???」
「ギャッ……キキィィ!!??」
少し遅れて、狂人と化物の嗤いが止まった。
理由はすぐに分かった。
そろそろ細切れにした忌子達が、元の姿を保っていられなくなる頃だったからだ。
「……な……です……れはっ……たしの可愛……イビィちゃん達……」
「……ッギ……キャッ……アッア……ア……」
遠くから、声がした。
何かをいっていた。
何をいっているのか分からなかった。
――いいかい、ルキト……
別の声が聞こえた。
懐かしい声だった。
この声は、そう――
――これだけは覚えておくんだ
父さんだ。
――僕達は、正しい事を成すために力を授かった。しかし、正しければどんな力を使ってもいいわけじゃないんだ
魔王討伐に旅立つ前夜、オレの目を見ていった、父さんの声だ。
――強大な力は、時に力なき者に恐怖を与えてしまう。ましてやそれが、邪な力だったとしたら、尚更ね
――旅の途中、君の前には様々な力が現れるだろう。それは、人であったり、魔物であったり、術であったり、物であったりするはずだ。それらと闘い、あるいは助け合って、君は強くなっていく。旅の、闘いの手助けになる武具やアイテムも手に入れられるだろう。しかし、その中には……
――禁忌の力を宿したものもある。振るうだけで、見た者に恐怖を植えつけてしまう魔法やアイテムが、必ず存在する
――勇者や英雄の勝利とは、人々の希望と安らぎの上になくてはならない。畏怖や不安があってはいけないんだ。そしてそれらは、光に属する力でしか生み出す事はできない
――正しい事を、正しい力で成しなさい。力なき人々を、照らす光になりなさい。それが、この世界に僕達が在る理由なんだ。それを、忘れてはいけないよ
暖炉の炎を瞳に映した父さんの顔が、目に浮かんできた。
昨日の事のような、遥か昔の事のような、曖昧で不思議な感覚だった。
両手から力が抜けた。
滑り落ちた二つの刃が、足元の法印に飲まれていった。
ああ……やっぱり、そうだ……
再び、悪食の法印を開いた。
突っ込んだ右手が、剣の柄を握った。
オレは、勇者でも、英雄でもない……
手から伝わってきたのは、まぎれもない。
ごめん、父さん、オレは……
解呪して尚、刀身を色濃く包む黒い遺志。
やっぱり、劣等生みたいだ……
ズッ……
父さんのようには、なれそうにないや……
ズズズズズズズズズ……
姿を表した途端、『そいつ』は撒き散らし始めた。
この世の全てに絶望し、世界の全てを憎んでいるかのような、深く、濃く、重い、負の感情を。
「ッギ!??」
あるいはそれは、同族嫌悪だったのかもしれない。
反応したマンティコアが牙を剥き出し、目を見開いて威嚇してきたのだ。
「ギャッギギャッ! ギャギャァッ! ゴフッ! ゴフッ! ゴフッ! ゴフフウウウゥゥゥ~~……ッ!!」
明らかに興奮しているとおぼしい荒い呼吸を繰り返していたかと思うと、翼を広げて宙に浮かび上がった。
「ギャギャギャギャギャアアアァァァーーッッ!!!」
ボボッ!!
ボボボボッッッ!!!
上から、火球が降ってきた。
三つ、四つ、五つ、六つ。
全てを『そいつ』で掻き消した。
灼熱の魔力を喰らうたび、より黒く、暗く、重たい感情が、刃から滲み出てくる。
「ギュグルルルルルル……ッ!!」
邪な気配に、マンティコアは敏感に反応していた。焦っているようにも、怯えているようにも見えた。
「ギュアアアアアァァァァーーッ!!!」
火球の乱れ撃ちが通用しない事が分かったんだろう。今度は前足を振りかぶり、尻尾を伸ばした体勢で一直線に落ちてくる。
「アギャキャキャキャキャアァーーーッッ!!」
咆哮を上げるマンティコアの下半身には、歓喜と興奮の余韻が刻まれていた。
勃起しているのだ。
凶悪にそそり立ったどす黒い陰茎は、力ずくで捩じ込み、あるいは肉を掻き出す螺旋状の形をしており、その表面には網目のような血管が脈打っている。
両手で『そいつ』を構え、オレは跳んだ。
ボッッ!!
ミチッ……!!
「!!?」
ミチミチミチミチッ……!!
「……ッッヒッ!!?」
ブチブチブチブチブチイイイィィィーーッッ!!
「ヒッギャアアアアアアァァァァァーーーッッ!!!」
ゴドオオォォーー……ッン……!!
マンティコアが、頭から落ちて石畳を砕いた。
少し遅れて着地し、オレは剣を振った。
ぺちゃんっ!!
刀身にこびりついていた螺旋状の肉片が、地面に落ちて情けない音を立てた。
背後から、魔獣の絶叫が聞こえてきた。
「ッッッッッキャアア”ア”ア”ア”ァァァァァーーーッッッ!!!!」
正面に、ザーブラが見えた。
興奮と快楽が去った顔は、驚愕と恐怖に塗り替えられている。
見開いた目が、オレの右手に釘付けになっていた。
「な……なん……なんですか……その……剣は……?」
「聖剣だよ。悪者を切り刻むための……な」
凶悪な光を放つ『そいつ』が、歓喜に震えたような気がした。放つ気配が一層どす黒く、早く喰らわせろと催促しているようだった。
「バババカなっ!! そ、そんな禍々しい聖剣なんて聞いたこと……」
「どうでもいいんだよそんな事。始めるぞ」
「は、始める? 何を……?」
ゆっくりと右腕を上げ、『そいつ』を正面に向けた。
ザーブラを指している刃は、一つじゃなかった。
直剣より長く広い刀身にビッシリ並んでいるのは、小さく鋭い無数の刃。
「地獄に堕ちる前のリハーサルだよ」
“四騎士の人差指”、聖剣『アデュクテス』。
「お前らまとめて……」
またの名を――
「生き地獄を味あわせてやる」
肉掻包丁といった。




