8・強者は笑う
壊れた角笛のような声に、鼓膜が悲鳴を上げた。普通の人間ならそれだけで竦み上がって動けなくなるだろう、泣き笑いならぬ鳴き嗤い。
地面をバンバンと叩き、涎を撒き散らし、四つの目をギョロギョロ回転させ、頭をそこらじゅうに叩きつけながら、ザインは笑っていた。
完全にイッちゃってる。
貴族然としていたさっきまでの知的な雰囲気など一片もない。
剥き出しの欲望と本能が命ずるままに、ただただ破壊衝動を満たすだけの純粋な悪魔がそこにはいた。
あの状態じゃあ、人型の時みたいな技は使えないだろう。
代わりに、興奮が収まるまで暴れ続けるだろう。
放っておいたら目につくものは手当たり次第、この大地すら破壊し尽しかねない。
というか、土が飛び岩盤が砕け、立ち上る土煙と相まって、すでに周辺は大惨事になっている。
いくら何でもありのクソラノベとはいえ、物語が始まる前に拠点がなくなっちゃうってのは普通に考えて……。
「まぁ……ダメだよなぁ……」
オレは握っていた柄から手を離した。落下した双剣が、足元に開いた二つの魔方陣に吸いこまれる。
背中に手を回し、再び出現させた魔方陣――『悪食の法印』から、槍を取り出した。
かつて討伐した古代龍の巨大な一角から生まれた竜槍、『キュバイツア』。
ちなみにキュバイツアとはその竜の名前で、『万物を貫く者』という意味があるらしい。
文字通り、空間を歪ませる程の速度で突進してくる厄介な竜だった。
槍を片手に、オレは下に降りた。
足踏みし、地面の固さを確認する。以前この技を使った時、反動で岩盤を踏み抜いた事があったからだ。
十分な強度がありそうだったが、それを戯れに砕くザインの力は、流石というべきか。
「さて。そんじゃあ再開しようか」
右手に魔力を込め、火球を放った。いい気分で狂っていたザインの顔面に直撃する。
動きを止めた化物が、目だけを一斉に向けてきた。
「ゴ……ルるるルル……」
喉の奥で憎悪を転がしていたかと思うと、ザインは大きく天を仰いだ。
「ゴおおガアああアアァぁァァーっ!!」
獄炎のような憤怒が空を覆う。開いた口が、黒く重い魔力に満ちていく。
どうやら、トドメのつもりらしい。
上等だ。
なら、次でケリをつけてやる。
「闘氣創造! 古代龍!」
闘気から、古代龍の闘氣を造り出した。
身体の奥深くから沸き上がってくる古の力に意識を集中し、闘いの記憶を呼び覚ます。
「戦闘流儀! 閃角竜キャバイツア!!」
さらにそのレベルを引き上げ、キュバイツアの闘氣に変質させる事で、固有特殊技、『次元突き』をコピーする。
考えてみれば、これまで闘ってきた敵の中で、究極ともいえる突きを繰り出したのが武器を持たないドラゴンだったっていうんだから、なんとも皮肉な話だ。
「一撃で決めてやるよ」
見上げたザインの喉は膨れ上がり、まだ大きさを増し続けていた。
オレはまっすぐに槍を構え、闘氣を全開した。
大地が振動し、空気がチリチリと焼けていく。
やがて、臨界点に達した魔力を含んだ口を、ザインがこちらに向けた。
開いた地獄が告げている。
「来いっ!!」
決着の時は今、と。
「ガあアアああアァァァーッ!!」
ゴバアアアアアアアァァァァーッ!!
咆哮。そして、轟音。
蒼黒の魔力に視界が塗りつぶされた。
オレは地を踏みしめた。
理の外に存在する神の眷属――『閃光の一角竜』の、空間すらぶち抜く神速突きを放つために。
「閃竜一角次元突!!!」
跳んだ次の瞬間には、視界を覆う魔力が割れていた。
発動と同時にトップスピードに達するこの突きは、物理・魔法の別なく、あらゆる攻撃を真っ二つに切り裂く。
「おおおおぉっ!!」
周囲の空間が、身体に纏わりつくように歪んでいく。
同時に、ザインの身体も歪んでいく。
それは、時間にすれば刹那にも充たない時――しかし、オレの目はスローモーションのように見ていた。
ピキッ……ピキッ……ピキキキキキキッ……!
キュバイツアが、張力の限界を越えた空間にゆっくりと突き刺さっていくのを。
一点から徐々に大きさを増していく亀裂は、さながら、獲物を捉えた蜘蛛の巣のようだった。
「おああああぁぁぁっ!!」
パッ……キイイイイィィィィ……ンッ……!!
聞こえたのは、骨を砕いた音じゃなかった。
伝わってきたのは、肉を断った感触じゃなかった。
それは、ザインの身体を、存在していた空間ごと貫いた音と感触だった。
加速を終え、着地した。
しかし、踏みしめた地表を削りながら尚も身体が前に進み続ける。
「くっ……おおおぉぉ……!」
キュバイツアを地面に突き刺し、強引にブレーキをかけた。
ようやく停止すると、遠くから何かが倒れる巨大な音が聞こえてきた。
振り返って見ると、数百メートルほど離れた場所で土煙が上がっている。
飛翔を使って引き返した。
「……っか……かかっ……あ……」
自らの狂乱によって砕いた地に、ザインは伏していた。
人の姿に戻った身体は、下半身と左腕の肘から先がなくなっている。切断面から、障気がどす黒い血と共に流れ出していた。
残った右腕で身体を支え、ザインが顔を上げた。
「こ……れは……ゆ……夢……か……?」
口元は血で、白い顔は驚愕で、べっとり塗りつぶされている。
向けてきた目は、焦点が合っていなかった。
「残念ながら現実だよ」
「ばか……な……わ……たし……を……倒せ……る……人間……など……い……いるは……ず……がな……い……」
「そいつは思い上がりだ。現にいたわけだからな」
ザインの瞳が、焦点を取り戻した。
屈辱。憎悪。憤怒。混乱。そして、畏怖。
あらゆる負の感情が混ざりあった瞳だった。
「お……のれ……よく……も……わ……われら……を……謀り……おって……ば……けも……のが……」
「勘弁してくれ。お前にはいわれたくない」
ザインの首ががくんと下を向いた。
力尽きたか。そう思った。
しかしすぐに、間違いだと分かった。
「ひ……ひひ……ひ……」
笑い声が聞こえてきたからだ。
それは徐々に大きくなり、やがて狂笑と化した。
「ひゃあ~っはははははああああああぁぁぁ~っ!!」
瀕死の身体とは思えなかった。
まるで、最後の力で呪いを振り撒いているような、不吉で不快な笑い声だった。
「……おい」
本当に……不快だった。
「何でお前が笑ってるんだよ」
「な……何で? 決まってんだろうがっ! テメエらの……み……未来が……見えるからだよっ! いくら強いといっても……し……所詮は下等種族! あ……のお方には……勝てねぇ! 勝てるわけがねぇっ! 恐怖と……ぜ、絶望に塗れ……無惨で無様な死を迎えろ……ゴミ共があぁっ!」
ザインの顔は醜かった。山羊の化け物だった時よりも、更に。
そう見えた理由を、オレは分かっていた。
「勘違いしてんじゃねぇよ」
「勘違い? バカが! あ……あのお方こそ……神だ! テメエらなんかじゃ相手に……なんねぇんだよ! ひ……ひひゃひゃ……! ひゃああ~っはははははあああぁぁぁ~っ!!」
こいつは、何も分かっていない。
「んなこたどうでもいいんだよ」
オレは、キュバイツアを振った。
「あ?」
愚かな敗者の、醜い笑いが途絶えた。
足元に悪食の法印を出した。
落としたキュバイツアが飲みこまれていくのに合わせるように、ザインの身体が徐々にズレていく。
「……え?」
「黙って死ね」
「……ぇ……?」
ぐるんと白眼を向いたザインが、細切れになって崩れ落ちた。
オレ達の未来とやらを見る事ができる慧眼を持ってしても、自分の身に何が起きたのかを知る事はできなかったようだ。
流れ出た血と肉片が、渦巻いていた憎悪と憤怒が、呪詛の嘲笑が、障気となって霧散していく。
踵を返した。
「笑っていいのは強者だけ。それが、闘いに身を置く者のルールだろ?」
聞く者のいなくなった言葉が、風にさらわれ、空に散っていった。