84・全員って、それはないでしょう!
「ぎい”ぃぃーーっ!! ああぁあい”い”いぃぃぃーーーっっ!!!」
ラグリスの口からは、尚も言葉にならない絶叫が迸っていた。
激しく暴れ回る身体に揺れるだけの両腕はいかにも不釣り合いで、さながら、奇妙な躍りを踊っている人形のようにも見えた。
「それじゃ、約束を守ってもらおうか」
一応、声を掛けてみた。
返事がなかった。
「って、聞こえちゃいないか」
狂乱するラグリスの髪を掴み、ぐいと後ろに引っ張った。顔を上に向けたまま、それでも暴れ、叫ぶ横っ面を数発ぶん殴った。
「うるさいから黙れ」
顔を近づけて命令すると、喚き声が止まった。
代わって出てきたのは、鼻血と悲痛な泣き言だった。
「いいい、いでぇ……いでえぇおおぉ……たす、助け……え”え”えぇぇ……」
「そう懇願する相手を、お前は助けた事があるのか? 虫のいいこといってんじゃねぇぞバカヤロウ」
「ここ、こ、このままじゃ、オレ、ししし、し、死んじまうよぅ……」
「知るかよ。好きにしろ」
「そそそ、そんなあぁ……」
「ただ、くたばる前に約束は果たしてもらわないとな」
「あ、あの小娘なら、持ってってい、いいから、それよりも、ち、治療を、早く……」
こいつの、人を物としか見ていない言動が本当にムカつく。
ここまで情けをかける気が起きないクズに会ったのも、久しぶりだった。
「何いってんの?」
「は、は?」
「誰があの娘だけなんていったよ」
「そ、それは、どういう……?」
「オレがしたのは、勝ったらお前の奴隷を解放するって約束だぜ? 他にもいるんだろ?」
それまで震えていた身体が、電池の切れたおもちゃみたいに動きを止めた。
パクパクしだした口が、やっとの事で言葉を絞り出した。
「他にも、って……まま、まさ、か……」
「全員解放するんだよ。当たり前だろが」
「じっ……!!」
目玉が飛び出しそうな程に目を見開いて、ラグリスが叫んだ。
「冗談じゃねぇ! そんな真似ができるかっ!!」
「できない? なんで?」
「預かってるだけだからだよっ! 俺のもんじゃねぇ!」
「管理下にあるなら、今はお前の奴隷って事じゃん」
「そそ、そんな理屈があるかっ! ザーブラ様のもんだっつってんだろうがっ!」
「飼い主の奴隷を賭けちゃったのか。意外と大胆なんだな、お前」
「だから賭けてねぇって! 大体、話が違うじゃねぇか! か、解放するのは小娘だけって……!」
「それはグラスとの約束だろ? オレとの約束は『奴隷を解放』だったはずだ。当然、あの娘以外も含まれるよな?」
「さ、詐欺じゃねぇかそんなもんっ!!」
「条件を飲んだんだから、契約は成立してるんだよ。守らなかったら、詐欺はお前だ」
「ふざけんなっ! 嵌めやがったな!!」
「おい」
「い”ぎいぃっ!!」
腕に力を込めてデタラメに頭を振ってやった。悲痛な泣きっ面がさらに醜く歪む。
「やや、やべ、やめ”えぇぇ……!!」
「口のきき方には気をつけろよ? なんなら、続きをやるか?」
「かかか勘弁してくださいぃ……!! ザーブラ様に殺されちまうよぅ……」
「オレには関係ないな。じゃ、アジトに行こうか」
そのまま引き摺って歩き出すと、ズダボロの身体でラグリスが抗った。
どこにこんな力が残っていたのかと思うくらいの必死さで、両足を懸命に踏ん張っている。
「待って! 待ってください! それだけは許してくださいっ!」
「駄目だ。さっさと案内しろ」
「い、嫌だっ! 許してください! おお願いしますっ! 許してくださいぃぃっ!!!」
駄々っ子のように頭を振って抵抗する顔は、涙と鼻血と涎と脂汗でぐしゃぐしゃだった。ブチブチと髪の抜ける感触が手に伝わってくる。
「あっそ」
どうやら、埒があきそうになかった。
仕方ない。
諦めて突き飛ばすと、ラグリスが背中から倒れた。衝撃で走った痛みに悶え、身体を捻る動きが患部を刺激し、さらなる激痛を生み出す。
再び上がった絶叫を背中で聞きながら、落ちていた直剣を拾い上げた。大きく振りかぶると、耳障りな声が止んだ。
「え、え……!??」
「ならもういいや。死ね」
とはいったものの、本当に殺す気はなかった。足の一本でも斬り落とすくらいで勘弁してやろうと思っていたのだ。
治療が早ければ助かるだろうが、こいつに手を差しのべてくれる人がいるかどうかは日頃の行い次第だ。
「ままま待ってくれっ!!」
「やだよ。お前を生かしとくメリットなんてないじゃん」
「た、頼む! いい命だけは助けてくださいっ!!」
「約束は守らないけど命は助けろってか。ふざけてんの?」
「なんでもしますから! お願いします! 命だけはっ!!」
「じゃあ、アジトに案内しろよ」
「そ……それは……」
「さようなら」
腕に力を込めた。
振り下ろす直前になって、ようやくラグリスが折れた。
「分かった! 分かりましたっ! 案内しますからやめてください!!」
「本当だな?」
「本当です! だから助けてください! 殺さないでくださいぃっ!!!」
「始めからそういえばいいんだよ」
無様に懇願する眼前に直剣を放り出した。
土下座するようにうずくまるラグリスを見下ろしていると、背後から呼び掛けられた。
「ルキト様……」
グラスの声は、これまでと調子が違っていた。妙なスイッチが入った今回の闘いぶりに、戸惑っているように見える。
「大丈夫……ですか?」
「うん。ちょっとやりすぎたかもだけど、オレは冷静だよ」
心配を払拭しようと、努めてあっけらかんと答えた。
曇っていた顔に、安堵の色が浮かぶ。
「そうですか。でしたら良いのですが……」
隣では、少女が怯えた顔をしていた。
彼女にとっても、少しばかり刺激が強すぎたようだ。
「怖がらなくてもいいから、安心して。怪我は平気?」
「は、はい。治していただきましたので……」
どうやら、治癒魔法を受けたらしい。少女の身体には、擦り傷ひとつ残っていなかった。
「なら良かった。ちょっと待っててね」
白目を剥いて気絶するウルズのポケットを漁った。出てきた小さな鍵で首輪を外す。
「これでよし、と」
「あ、ありがとうございます!」
少女がペコリと頭を下げた。
人間でいうと、十四、五歳くらいだろうか。セミロングの白髪から覗く尖った耳がまだ伸びきってない所を見ると、成人してはいない年齢なんだろう。
とはいっても、オレの十倍近くは生きてるはずだけど。
「助けていただいたご恩は忘れません。わたしはソランジェといいます」
「オレはルキト。よろしくね」
「グラスと申します。よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
再び、ソランジェが頭を下げる。
怯えていながらなかなかどうして、しっかりした娘だった。
「じゃあオレはちょっと行ってくるから、二人で宿に戻ってて」
そう告げると、意外そうな顔が返ってきた。
「え? お一人で行かれるのですか?」
「うん。この娘を連れてはいけないし、かといって放ってもおけないでしょ」
「し、しかし……」
いいよどんだグラスの顔が曇った。
さっきはああいったものの、まだ一抹の不安を抱いているようだった。
「大丈夫。心配はいらないよ」
「……分かりました。ルキト様がそうおっしゃるなら……」
黒く暗い闘争本能が、未だ燻っているのを感じた。
我を忘れる程に暴走する事はないだろう。しかし、ザーブラを相手に上品な闘い方ができる自信もない。そんな姿をグラスに見せたくないというのが本心だった。
同様に、この娘にも見せない方がいい。
「君はダークエルフだよね? 事情があってこんな所にいるんでしょ?」
「はい。実は……」
「待って。話は後でゆっくり聞くから、ひとまず宿で休みながら待ってて」
「しかし、そこまでお世話になる訳には……」
「乗り掛かった船だ。気にしなくていいよ」
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
ダークエルフというと高飛車で人間嫌いなはずなんだけど、ソランジェは終始礼儀正しかった。
それがこの娘の性格によるものなのか、はたまたナーロッパのダークエルフは皆こうなんだろうか。
「じゃ、後でね、グラス」
「はい。くれぐれもお気をつけてください」
「……あ。そうだ」
行こうとして、思い出した事があった。背後を親指で指しながらオレはいった。
「親父さんにさ、ジョッキの代金もマリリアのツケでよろしくっていっといてくれる?」
「分かりました。お伝えしておきます」
僅かに微笑みながら、グラスが頷いた。
街外れの森を少し歩いた所に、ザーブラのアジトはあった。
広大な敷地の中、煌々と松明に照らされていたのは屋敷というよりも、ちょっとした城のようだった。
しかし、ゴテゴテと飾り付けられた装飾は派手で安っぽく、いかにも成金好みといった悪趣味さだ。
「お前の飼い主、こんな所に住んでるのかよ……」
城塞並の高さと厚みがある正門を眺めながら話しかけたが、返事がなかった。
隣に目を向けると、ヨロヨロと覚束ない足取りのラグリスは顔色が真っ青だった。大した距離を歩いた訳でもないのに肩で息をし、尋常じゃないくらい汗をかいている。
「そろそろ限界か。じゃ、倒れる前にちゃっちゃと……」
いいかけた時だった。
突然、ラグリスが駆け出した。
両腕をプラプラさせたまま、足元をもつれさせながら必死で走っていく。
「お、お~い! おおぉ~~いっ!!」
「なんだ、意外と元気じゃん」
「敵襲だあぁ~~っ!! 敵が襲ってきたぞおおぉぉぉ~~~っ!!!」
たった一人を指して敵襲というのも大袈裟な気がしたが、それほど必死だったんだろう。
力を振り絞るようにして叫び続ける声を聞きつけた仲間が数人、巨大な門の脇にある出入り口から姿を見せた。
「あ~ん? 敵襲だぁ?」
「えっ!? ラグリスさん!?」
「ど、どうしたんすか、その怪我はっ!?」
「敵だ! あの野郎、奴隷を奪いに来やがった!」
「あの野郎?」
「って、あのガキの事っすか?」
「そうだ! 全員集めろ!」
「待ってくださいよ。たかが一人に大袈裟な……」
「いいから集めろバカヤロウ! 早くしやがれっ!!!」
「は、はいっ!!」
ラグリスの迫力に気圧されたように、一人が小走りで屋敷に戻っていく。
「は、はっはあぁぁ~~っ! 調子に乗りやがってバカがっ!!」
「お仲間のご登場か。なんで無駄だって分かんないかな」
「強がってんじゃねぇぞ! こっちにゃ百人からいるんだ! 嬲り殺してやるからなあぁっ!!」
元気を取り戻した死に損ないがイキり倒す中、ガチャガチャと金属の擦れる音が複数の足音と共に聞こえてきた。開いた通用口から、人相の悪い連中が姿を表す。
ざっと見た限り、三十人程といった所だった。
「お~お~、悪人ヅラがゾロゾロと」
「な、なんだ、おい! これしかいねぇのかよ!?」
「奴隷狩りに行った連中がまだ帰ってないんすよ」
「ガ、ガランは!? 武羅苦怒喰のヤツらはどうしたっ!?」
「冒険者ギルドで叩きのめされて、まだ……」
「あのムダ飯食らいがあぁ……!!」
そんなに強くぶっ叩いたつもりはなかったんだけど、ガラン達はまだ現場に復帰していないらしい。
ちょっとやり過ぎたかと思うと、思わず苦い笑いが出た。
「何を笑ってやがんだ、テメエェ……!!」
「いや、知らない方がいいよ。ところで、奴隷を解放するって話はどうなったんだ?」
「はあぁ~~? この状況で何を寝ぼけてやがる! 奴隷よりテメェの心配しやがれっ!!」
「まぁ、そうなるわな。じゃ、さっさと終わらせようか」
「終わるのはテメェだよ! この人数を素手で相手できると思ってんのか!?」
「ん?」
指摘されて気がついた。
そういえば、剣をグラスに預けたままだった。
「あぁ。忘れてた」
「どこまでも舐めやがってクソガキがぁっ……! おう、テメェらっ! こいつは得物をもってねぇ! 一斉にかかってズタズタにしてやれやっ!!」
部下達が、半円を描くように大きく広がった。赤々と灯された松明が、ニタニタ笑う顔と手にした武器を物騒に照らし出している。
弱者をいたぶる事に喜びを感じる生粋のクズども。
こいつら全員、同じ穴の狢だ。
「ぶっ殺せええぇぇっ!!」
おおおぉうっっ!!!!
ラグリスの一声で、獣どもが一斉に突進してきた。
好都合だ。これなら、一瞬でカタがつく。
「そんじゃまぁ、さくっとクリアしとこうか」
ゆっくりと屈み込み、オレは地面に両手をついた。




