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79・聖なる揺篭と奴隷たち

 店に向かう前、一度宿屋へ戻った。グラスを放心状態のまま連れていく訳にはいかないからだ。

 誤解を解くべく話をしようと思っていたが、考えてみればオレ自身、ビョーウがいっていた事は寝耳に水だった。もちろん、詳しい説明などできない。

 それをそのままグラスに伝え、後で本人から直接話を聞こうという事で納得してもらった。


「あの……すみません。また、わたくしの早とちりで……」


 恐縮してはいたものの、いつもの様子に戻ったグラスを見て安心した。


「あの状況じゃ仕方ないよ。もう気にしなくていいからさ、今夜は飲んで食って楽しもう」


「はいっ!」


 笑顔のグラスと連れ立って、マリリアに教えてもらった店へ向かった。




 歓楽街の外れ、港に面した一角に目的の酒場はあった。

 丸太を組んで造った山小屋のような店構えで、入り口の上に掲げられた年期の入った看板には『白髭亭』と書かれている。

 ぎしぎしと音がする三段ほどの階段を昇って扉を開けると、中は意外と広かった。四人掛けのテーブルが六セット、十分な間隔を空けて配置されている。ランプに灯るオレンジ色の灯りが、室内を明るく暖かく照らしていた。

 しかし、テーブルには空きがなかった。早くも出来上がっている呑兵衛達の陽気な酒が、店内を程よい喧騒で満たしている。

 左手を見ると、カウンターに木製のスツールが六つ。そちらには誰も座っていなかった。

 一番奥にグラスを座らせ、オレはその隣に座った。


「いらっしゃい」


 カウンターの向こう、主人らしき男が手を拭いながらこちらに歩いてきた。

 見事に禿げ上がった頭とは対照的な長い白髭を蓄えた、恰幅(かっぷく)のいい親父さんだった。


「見ない顔だね。冒険者みたいだけど、新入りかい?」


 親しみやすい、穏やかな声だった。

 見た目と相まって、人の好さが滲み出ている。


「ええ。この街には一昨日(おととい)着いたばかりです」


「そうかい。なら、分からない事だらけだろう。ワシで良けりゃなんでも訊いてくれ」


「ありがとうございます。助かります」


「とりあえず、何か飲むかい?」


「そうだなぁ……おすすめってありますか?」


「ジュピー酒の炭酸割りかな。口当たりがまろやかで喉ごしがいい。どんな料理にも合うよ」


「じゃ、それにしようかな。グラスは?」


「わたくしも、同じものを」


「なら、二つ。お願いします」


「あいよ」


 親父さんがにっこり笑って踵を返した。

 体型に似合わず、きびきびした動作だった。


「優しそうな方ですね」


「うん。それに、すごく分かりやすい店名だよね」


「豊かなお髭が似合ってらっしゃいます」


「あの親父さんが一人でやってる店らしいんだけど、料理が旨いんだって。マリリアがいってた」


「それは楽しみですね」


「あいつに奢らせよう。がっつり飲み食いしてやる!」


「ふふふ……」


「おまたせ」


 両手に木製のジョッキを持って、親父さんが戻ってきた。

 出されたジュピー酒は赤みがかったオレンジ色で、炭酸がしゅわしゅわと心地いい音を立てている。


「ありがとうございます」


「へぇ。旨そうですね、これ」


「癖がなくて飲みやすいから口に合うと思うよ」


「じゃ、いただきますか」


「乾杯しましょう」


 ジョッキを小さく掲げてグラスがいった。

 同じく掲げたジョッキを、軽く合わせた。


「とりあえず、お疲れさま」


「はい。おめでとうございます、ルキト様」


「ありがとう。なんか、改めていわれると、ちょっと照れるね」


 炭酸で割ったジュピー酒はさっぱりしていて、ほろ苦さとまろやかさのバランスが絶妙だった。柑橘類のような甘酸っぱさが、炭酸の程よい刺激とマッチしている。


「あ、うまい!」


「とても飲みやすいですね」


「だろ? 調子に乗って()りすぎると二日酔いで目が真っ赤になるもんだから、通称『ルビー・アイ』っていうんだよ」


「確かに、気をつけないと飲み過ぎてしまいますね」


「ゴクゴクいけちゃうよね」


 再びジョッキに口をつけて傾ける。

 空きっ腹で飲むルビー・アイが、身体に染み込んでいくようだった。


「つまみでも作ろうか?」


「もう一人来るんで、料理は少し待ってください」


「分かった。今日は、なんかのお祝いかい?」


「オレの階級(ランク)が上がったんですよ。で、ツレがこの店で待っててくれって」


「ほぉ、そうかい。それはおめでとう」


 シワだらけの顔をくしゃっとしながら、親父さんが笑った。

 人懐こそうな笑顔は、いかにも客商売に向いている。


「そういえば親父さん」


 まだ話し足りなそうな様子だったのを見て、話題を変えた。

 この街に来た本来の目的――いい機会だったんで、訊いてみる事にした。


「小耳に挟んだんだけど、カロンに神様が降臨したって本当ですか?」


「ああ、あんたも聞いたのかい、それ」


 腕を組み、親父さんは小さく息を吐いた。


「何年か前の話だ。夜中に突然、空が光ってね。光の球が落ちてきたんだよ。幸い街からは離れた場所だったんで、惨事にはならなかったがね。まぁ、地震で怪我した人くらいはいたかな」


「それが、神様だったと?」


「いやいや、最初は誰もそんな事いってなかったよ。ただ、王都から派遣された調査隊が何かを見つけたらしいんだけど、それがなんなのか公表されなくてね。あれやこれやと噂が立ったのさ」


「情報を、開示しなかった……?」


「では、神様が降臨したというのもただの噂だったのですか?」


「始めはね。ところが……」


 カウンターの内側からロックグラスを取り出した親父さんが、背後の棚に手を伸ばした。ズラリと並んだボトルから、一本を選び出す。


「わしも、()っていいかな?」


「どうぞどうぞ」


 琥珀色の酒をつぎ、こちらにロックグラスを掲げる。軽くジョッキを上げてオレ達は応えた。


「っっはあぁ~……」


 一口あおった親父さんが、大きく息を吐く。酒好きなのが一目で分かる飲みっぷりだった。

 オレとグラスもジョッキに口をつけ、話の続きを待った。


「で、だ。しばらくしてから、今度は妙な集団の噂が出てきてな。なんでも、『神の代理人』を名乗る人物が代表だってんだ」


「神の、代理人……」


「胡散臭いだろ? 最初は皆もそう思って相手にしてなかったんだよ。聞いたら彼らは宗教団体だっていうじゃないか。それで尚更、興味を持たれなかったんだ。カロンの住民は元々、信仰心が薄いからね」


 歴史のある街や国には大抵、主流となる宗派があるものだ。

 しかし、商売が目的で移住してきた人がより集まってできた新興の商業都市カロンでは、その文化が育たなかったんだろう。

 神様よりも金の方が信用されている土地柄、って訳だ。


「ひょっとしてそれ、あの大きな教団の元ですか? 確か……白光天神教(はっこうてんしんきょう)


「その通り」


 親父さんが、ロックグラスから残りの酒を口に放りこんだ。

 新たにボトルからつぎ、今度はちびちび舐めながらいった。


「今じゃあ近隣諸国にまで知れ渡ってるみたいだね」


「なんだってまた、そんなに大きくなったんですか?」


「理由は二つ。聖女と奴隷だよ」


「聖女と奴隷?」


 およそ関連性があるとは思えない存在同士だった。

 聖なる乙女と虐げられし者。

 対極に位置している事を考えれば、当然といえば当然だ。


「ああ。(くだん)の代理人ってのが、どこかから連れてきた聖女様ってのがいてね。彼女の存在が信者を増やせた理由のひとつだ」


「その聖女様というのは、特別な力をお持ちなのですか?」


「う~ん……それが良く分からないんだよ。奇跡を起こしたとかなんとかいってるんだけど、噂でしかないからね。見たって人も信者ばかりなんで信憑性がないのさ」


「じゃあ、どうして聖女って認められてるんです?」


「見た目、かな」


「え? なんとなく聖女っぽいからとか、そういう事ですか?」


「いや、そうじゃない。妊娠してるんだよ」


「妊娠?」


「ああ」


 意外な単語を訊いて、グラスと顔を見合わせた。

 一口含んだ酒を飲みこんだ親父さんが、息を吐いて続けた。


「腹の中にいるのが、神様なんだそうだ。それも、もう何年もね。だから彼女は車椅子に乗って生活してるんだよ」


「妊娠してる? 何年も?」


「と、いう事は、聖女様のお腹が大きくなったのは……」


「そう。あの夜、神様が腹に降臨したって事らしい」


 突拍子もない話だった。

 確かに、異界の存在が実体を得るため媒介となる物や生物に宿る事はある。

 しかし、女性の腹に宿るなんてそれこそ、伝承や神話の中でしか聞いた事がない。

 グラスの顔を見た。

 困惑の表情が返ってきただけだった。


「神を宿し、育む大役を担った聖女様、か……」


「崇拝する対象が物ではなく生身の人間であるならば、説得力は増しますね」


「偶像としちゃあ満点だけど……明らかに異常だな」


「その異常さがむしろ、神の奇跡として崇められている理由なのではないでしょうか」


「なるほどねぇ……」


「信者の間じゃあ、“揺篭(ゆりかご)の聖女”なんて呼ばれて、大層人気があるらしいよ」


「揺篭の聖女……」


 妙に不安を掻き立てるられる響きだった。

 理由は分からない。

 しかしこの時、胸中にもやのようなものが広がっていくのをオレは感じていた。


「それともうひとつが奴隷の境遇改善運動だ。どちらかといえばこっちは、一般に受け入れられた理由になるのかな」


「境遇改善? 宗教団体がなんでそんな事を始めたんですか?」


「神に仕える立場として、全ての人々に救いの手を差しのべるのが使命だから、って事らしい」


「解放ではないのですね」


「この国じゃあ奴隷は貴重な労働力だからね。解放するとなると大変な事になっちまう」


 一口に奴隷といっても、役割は様々だ。貴族や商人に仕えている場合もあれば、劣悪な環境で働かされている場合もある。

 安価で売り買いされているケースが多いため、雇用主の中には使い捨ての道具くらいにしか考えていない輩も少なくない。

 しかし、非人道的ではあるが、必要悪ともいえる側面を持つのが、この制度の複雑な所なんだろう。

 労働力を安く抑えられるからこそ成り立っている商売があるのもまた、事実なのだ。


「そこで連中が提案したのが、折衷案だったんだ。解放はできないが、ちゃんと人間扱いしようって法律ができたんだよ」


「奴隷にも人権を、って事か」


「そう。元々、奴隷の扱いについては皆、眉をひそめてたんだ。特に奴隷商人達はやってる事が酷かったからね。ただでさえ粗暴な連中が金まで持つようになっちまったら、やりたい放題だよ」


 親父さんが苦虫を噛み潰したような顔をした。見ただけで、彼らの狼藉がどれほど酷かったのかが容易に想像できた。


「具体的には、どのような法律なのですか?」


「仕事を強要しない事。適度な休息日を設ける事。賃金をきちんと払う事。理由なく危害を加えない事。殺すなんてもっての他だ。破ったら罰金か、悪質な場合は牢獄行きになる」


「へぇ。ちゃんとしてるんだ」


「後ろ楯に大臣がいたくらいだ。国王の認可を受けて制定された正式な法律なのさ」


「大臣? 教団にそんな大物とのパイプがあったんですか?」


「なんでも、奥方が信者だったとかで、その繋がりらしい。詳しくは分からないけどね」


 話し終わった親父さんが、酒で喉を潤した。

 吊られてジョッキを傾けると、ちょうど一杯目を飲み終えた。


「おかわりいるかい?」


「ください。グラスは?」


「わたくしは、まだ大丈夫です」


「じゃ、オレだ……」


「おまたせ~っ!!」


 その時、騒がしい声と共に勢いよく扉が開いた。

 見て確認する前に、誰が来たのかが分かった。そんな事をいいながら店に入ってくるヤツなんて、そうそういやしない。


「いらっしゃい、マリリアちゃん」


 オレ達が顔を向けた時にはすでに、マリリアはずんずんとこっちに向かってきていた。


「はぁ~い親父さん! 久しぶりっ!」


一昨日(おととい)来たばかりじゃないか」


「あれ? そうだっけ?」


 マリリアの顔が、苦笑を返す親父さんからオレ達に向いた。ハイテンションのまま、どすんとスツールに尻を乗せる。


「いやぁ~やっと終わったわ仕事! (つっか)れたぁ~!!」


「賑やかだなぁ、お前は……」


「お疲れさまです、マリリア」


「二人とも、何飲んでんの?」


「ルビー・アイだよ」


「じゃあわたしも! 濃い目で!!」


「あいよ」


「あれ? 何もつまんでないの?」


「お前を待ってたんだよ」


「なんだ、気にせず食べてて良かったのに」


「なんか作るかい?」


「うん! おまかせでヨロシク! じゃんじゃん持ってきて!」


「分かった。せっかくのお祝いだ。腕によりをかけるとしようか」


 ウインクをひとつよこした親父さんは、すぐにおかわりを持ってきてくれた。ジョッキを二つ置いて、調理スペースに取ってかえす。


「では改めて、乾杯しましょう」


「おめでとう、ルキト!」


「うん。ありがとう」


「かんぱ~いっ!!」


 合わせたジョッキを、マリリアが豪快に傾ける。

 一息で半分くらいは飲んだだろうか。口を離し、至福の息を大きく吐いた。


「っっっぷはあぁぁぁ~~っ!! 生き返るうぅぅ~~っ!!」


「おっさんかお前は」


「ふふふ……美味しそうに飲みますね」


「この一杯こそ、人類が生み出した叡智の結晶よねっ!!」


「随分とスケールのデカい話になってるなぁ……」


 こうまで旨そうに飲まれると、吊られてこっちまでピッチが上がりそうだった。

 楽しい酒の場にこれ程ふさわしいヤツもなかなかいないだろう。


「で? 親父さんとなんの話してたの?」


 もう一口あおったマリリアが、口元を拭いながらいった。たったの二口で、早くも一杯目が終わりそうなペースだった。


「いや、この街に神様が降臨したって噂があったんで、本当かどうか訊いてたんだよ」


「ああ、その事ね。本当よ」


「え? そうなの?」


「うん。わたしだから」


「…………」


「…………」


「…………んん?」


「あの、わたしとは……どういう意味ですか?」


「降臨した神様がわたしって意味」


「…………は?」


「…………え?」


 時を止めた張本人は、なんでもない事のような顔で酒を飲んでいる。

 口を開くまでに、オレはしばらくの時間を要した。


「神様って……へ? マ……マリリアが?」


 こちらの動揺など気にする素振りすら見せず、これまたなんでもない事のようにマリリアはいった。


「ええ。神ですが、なにか?」

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