7・刃凮爪嵐~お家がなくなる前に~
ザインの殺気が濃度を増した。黒く、重く、火傷しそうな程に冷たい。背後の風景が、陽炎のように揺らめいていた。
「人間風情と侮っていたが、どうやら貴様は強者のようだ。よかろう、ならばわたしも、そのつもりで闘うとしよう」
おもむろに上げた両腕を、左右に広げながらゆっくりと下ろす。
二、四、六……八。
手品のように腕が増えた。
見えてる手より奥の手の方が多いって、どういう事だよ。
「これでさらに難易度アップというわけだ。さて、今度もかわせるかな?」
脱力しながらザインは笑った。殺気と同じく、冷たい笑みだった。
こういうスピードと手数で押してくるタイプは、調子に乗せるとたちが悪い。こちらが守れば守る程、ギアが上がるからだ。
「いや、躱さない」
ならば、トップに入る前にギアをへし折るしかない。
「ふふふ……なんだ、やる前から敗北宣言か?」
「勘違いするな。躱せない、じゃない。躱わさない、だ」
オレは構えを解き、足を踏み出しながらスキルを発動させた。
「瞬速」
速度を一段階上昇させる。
そして、イメージした。
力みを溶かし、肉体を溶かし、流水と化した五体を。そこからさらに細胞の結合を緩め、空気中に霧散する己を。
『瞬速』に究極の脱力を融合する事で可能になる超高速移動術で、空間に意識と剣気をばら蒔き、無数の蜃氣体を作り出す。
かつて父さんの仲間だった『拳帝』の武術を応用した、オレのオリジナル複合剣術。
「極武蜃氣流! 終之初式・改! 刃凮佰捌閃!!」
「うっ……おおおおおっ……!」
ギャガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!
攻守交代。
先に手を出せば攻撃をかわす必要なんかない。出し続ければ反撃もされない。
単純な理屈だ。
百八種の斬撃を連続で叩きこむこの技は、初手から百八手までの組み合わせによって無限のバリエーションを生み出せる。
「くっ……ぐうう……ぐ……」
流石に奥の手を六本も出しただけの事はある。蜃氣体が繰り出す連撃を、ザインは全て受け止めていた。
しかし、それも時間の問題だろう。
さて、どう出る?
「に、人間ごときがあ! 調子に……」
急速に、周囲が魔力で満たされていくのが分かった。
マズいっ!
オレは、後ろに大きく飛び退いた。
「乗るなあああぁっ!!」
バガアアァァァァ……ン……ッ!
破裂と共に、ザインの身体が紫色の煙幕に覆われた。異様なまでに濃度が高い煙だった。
念のためさらに距離を取ると、地の底から響いてきたかのような呪詛が聞こえた。
「コロ……しテ……ヤる……」
どろりとした紫煙がゆっくりと割れていく。姿を現したのは、異形の怪物だった。
「バラバラに千切ッてヤルゾ、人間ガアああアアァァァァッ!!」
ユニコーンのような一角、四つの目、長く垂れた耳、コウモリのような四枚の羽、間接が二つある長い八本の腕、そして、山羊の頭と紫色の剛毛に覆われた、十メートルはある巨体。
どうやらザインの正体は、悪魔族のようだ。
「ゴおアアあああァァァァっ!」
衝撃波のような咆哮に、草が千切れ、木々がしなる。空気がビリビリと震える。
ザインが前傾姿勢を取った。
来る!
そう思った時にはもう、巨大な爪が頭上を覆っていた。
「ちっ!」
ゴバアアァァァァッ……ン!!
かわした……と思った一瞬の後、オレは後ろに吹き飛ばされた。
ザインの一撃は地面を砕き、広範囲に渡って大地を沈めた。その余波を食らったようだ。
「ぐっ……なんてヤツだ」
驚愕が口をついて出た。
物理攻撃無効化でもダメージを受ける攻撃なんて、そうそうお目にかかれるもんじゃない。
なにより、あの巨体でスピードが落ちてないとか反則だろ。
「ゴるルアアああァァァっ!」
着地すると、間髪入れずにザインが間合いを詰めてきた。八本の腕が上下左右から次々に襲いかかってくる。
「があアアあァァァァァッ!」
拳風が竜巻のように吹き荒れた。一撃ごとに地形を変える、災害みたいな連続攻撃だった。
かわすたびに、風圧でバランスが崩れる。次の動作が一瞬遅れる。後手に回る羽目になる。
これじゃあ、埒があかない。
一端、上空に逃れた。
バオゥッ!!
一瞬前までオレのいた場所を挟みこむようにザインが両腕で薙いだ。生み出された真空の衝撃波が、地面を抉りながら遥か後方まで飛んでいく。直撃を受けた岩山が四つに斬り砕かれた。
上空からザインの背中を見下ろし、降りかぶった双剣に闘気を込めた。
「大地神斬剣!」
身体ごと一気に振り下ろす。
山をも両断する大地神の一撃が、ガラ空きの首筋に直撃した。
しかし、刃が入っていかない。
密集した剛毛が斬撃を吸収し、闘気を分散させているようだ。
これじゃあ呪文も効きそうにない。
さてどうするか。
なんてゆっくり考えてる暇なんて、もちろんない。はっとして首筋を踏み台に左へ飛んだ。
バアアァァァンッ!
二つの間接をあり得ない角度に曲げて、巨体な手が首筋を叩いた。衝撃で空気が震える。
「蚊の気持ちが分かるな、こりゃ……」
地面に着地するより前に、目のひとつがオレの方に向いた。ひとつだけが、だ。他の三つは違う方向を見ている。
四つの目玉をそれぞれ独立して動かす、いわゆる『散眼』を使えるようだ。
「ガアぁッ!!」
「ぐぅっ!!」
咆哮と共に見えない念動力が飛んできた。
ガードごと後ろにふっ飛ばされた。飛翔でブレーキをかけ、顔を上げた。
待っていたのは、洞窟のように開いた口だった。禍々しく赤い口腔で、魔力が膨れていく。
ヤバいっ!
交差させた両腕でガードし、スキルを発動した。
「絶対魔法防御!」
ゴバアアアアアァァァァーー……ッ!!
蒼い炎に、視界と全身を覆われた。
飛ばされないように、魔力と力をこめる。轟音と高熱と衝撃が通り過ぎるまでを異様に長く感じた。
視界が晴れると今度は、背後からの強烈な光で周囲が白く染まった。
ズドドドオオオオォォォーー……ォォ……ン……!!!!
地面を揺らす爆発音だけで、爆心地の惨状が想像できた。山のひとつやふたつ、消えていても不思議じゃない。魔法防御の表面がちりちり焼ける音が、それを雄弁に語っていた。
オレは焦った。
この闘い、長引かせちゃマズい。
だってこのままチンチラやってたら、グラスん家が庭ごとなくなっちゃうかもしれない。
ヒロインが家なき女神なんて、シャレになんないだろ。
「ボめ"え"エ"エええェェェェェ~っ!!」
空気を震わせ、ザインが鳴き声を上げた。
勝利を確信した、歓喜の雄叫びのような鳴き声だった。