76・キスより簡単
一気に距離を詰めた。
同時に、ヴェルベッタも前に出てくる。
ガキイイィーーンッ!!
触れ合った剣先から火花が散る。
それを合図に――
ギギッン! ギギギギイィンッ! ギギギギイィーーッン!! ギンッギンッギンッ!! ギャギギギギギギイイィィィーーー……ッン……!!!
あらゆる剣技が乱れ飛ぶ乱打戦が始まった。
オレが打ち込む。いなしたヴェルベッタが返す刀で斬り込んでくる。受け流して突きを出す。躱す動きでカウンターが放たれる。受け止めてカウンターを返す。太刀筋を変えられて防がれる――
オオオオォォォォーーーッッ……!!!
互いに譲らない攻防に、ギャラリー達の興奮が最高潮に達する。
当人であるオレ達もまた、昂る気持ちを抑えきれなかった。
「やるわね、ルキトっ!」
「あんたもな、ヴェルベッタさん!!」
これまでの斬り合いでなんとなく分かってきた。
力の受け止め方と、流し方。
そして、相手が受けにくい斬擊と、流しにくい太刀筋。
技を直接身体に叩き込まれる感じが懐かしかった。父さん、母さん、そして拳帝と修行したあの日々が甦ってくる。
ただ無心で打ち合える瞬間に身を置ける幸せに、オレは満たされていた。
しかし、このまま永遠に斬り合いを続けている訳にはいかなかった。それでは、勝利を手にする事も永遠にできない。
考えを同じくしたんだろう。
交わされる刃の応酬に終止符を打つべく、ヴェルベッタが仕掛けてきた。
「しゅっ!」
ギャイィ……ッン!!
「うぐっ!」
右からの薙ぎ払いを受け、僅かにバランスが崩れた。眼前で、ヴェルベッタの身体が風を巻いて回転する。
ボヒュッ……!
ガイイィィィーー……ッン!!
右横薙ぎの二連擊。
衝撃を吸収しきれなかった上半身が後ろに反り返る。
「……っくあっ!!」
一歩下がりながらも何とか踏み止まった。
しかし、見開いたオレの目に入ってきたのは――
バオゥッ!!
「!!??」
再び回転する広い背中だった。
マズいっ!!
これ以上もらうわけにはいかない。今の体勢で受ければ、間違いなく弾き飛ばされる。
「うおっ……ぉっ……!!」
腹筋に力を込めた。
重心を前に戻し、ベタ足で前傾姿勢に構え、備えた。三つ目の斬擊に。
眼前で激流が渦巻く。黄金の髪の隙間を縫って、青い眼光がオレを射抜く。盛り上がる肩口の筋肉、その向こうから空気を引き裂いて黄金の太刀が姿を見せる――
「!!???」
はずだった。
しかし、そこには――
「剣がないっ!??」
「もらったわっ!!」
ボッッ!!!
「……っく……っ!!」
ズシュウウウゥゥゥーーッ……!!!
まるで、足元から真空の刃が襲ってきたかのようだった。
真上に向かって放たれたヴェルベッタの垂直斬り上げの凄まじい威力に、ギャラリー達から声が上がる。
刃があろうとなかろうと関係ない。こんなのが直撃したら、身体が二つに分断されるだろう。
触れずとも高い天井すら斬り裂きそうな斬擊は、間違いなく必殺の威力を持っていた。
しかし――
「えっ……!!??」
「あっ……! っっぶねえぇぇ……っ!!」
辛うじて身体を捻って躱す事ができた。驚愕するヴェルベッタが目に写る。
「まさか……読まれた……?」
元々、人間の視野は左右に広く、上下は狭い。
そこに、さんざん横の攻撃に意識を釘付けにしておいてからのすくい上げるような一擊。
平常時とは違い、気持ちを置いていない下からの斬り上げは、いわば意識の外からの攻撃だ。
あらかじめ予測できていなかったら、確実に入れられていた。
「今度こそっ……!」
しかし、避けられたならばこのシチュエーションは千載一遇のチャンスになる。
相手の身体を守る剣が、遥か頭上にあるのだから。
「決めるっ!!」
攻撃に転じようとしたまさにその時だった。
微かに綻ぶヴェルベッタの口元が目に飛び込んできた。
「!!!」
背中に冷たいものが走る。
後ろに跳んだ。
ボヒュッ……!!
「!!!?」
ガッギイイィーーッン!!
一瞬の後、目の前に降ってきた細剣の切っ先が地面に穴を穿った。
虚を突かれた身体が、微かな硬直を生み出す。
ヴェルベッタが大きく踏み込んだ。
腰を落とし、身体に引き寄せた細剣の切っ先をこちらに向けている。
来るっっ!!!
直後、それは真っ直ぐに飛んできた。
今のままじゃ避けきれない。
判断した時にはもう、スキルを発動していた。
「高速っ!!」
ボッ……!!
「!?」
ボボボボボボボヒュッ……!!!!
「なっ……!!??」
……ウゥゥ……ゥゥ……
突き終わるまでに瞬き一回の時間も要さなかっただろう。
黄金の閃光が七つ。切っ先が同時に届く、高速の連突きだった。
斬り上げはフェイク。
本当の切り札は、こっちだ。
「ウソ……どうしてこれを……躱せて……?」
「読めてたからです」
試合が始まる前、ヴェルベッタの背中を見て気づいた。
僧帽筋、広背筋は打撃、つまり、突く力を生み出す筋肉だ。
それらの異様な発達が、日常的な鍛練の賜物だとしたなら――得意技が何かは、自ずと分かる。
「うぉっ……!!」
「!!!」
「おおおぁぁぁっ!!」
ギャイイィィィーーッン……!!
渾身の一撃だった。
身体ごとぶつけるように振るった直剣が、動揺するヴェルベッタのバランスを崩した。
「くっ……」
ここで決めなきゃ……!
「ぐうぅっ……!!」
「勝てないっ!!!」
そのまま強引に押し込み、強く地を踏んだ。
顔を歪ませたヴェルベッタに向かって、放った。
「おおおおぉっ……!!」
最大の横薙ぎを。
「らあああぁぁぁーーっ!!!」
最大の速度と、力で。
「青いわね」
「っ!!???」
しかしこの時、目の前にある顔が浮かべていたのは敗者の絶望じゃなかった。
それは、勝者が湛える歓喜の微笑――逃げていく勝利のように、ヴェルベッタの顔が上半身ごと後ろに倒れていく。
ブオオォォッ……ンン……!!
直剣が空を斬った。
真っ赤な唇が、今度は明確に弧を描く。
「これで……!」
「!!!!」
「おしまいっ!!」
超人的な身体能力が、再度発揮された。
半ば後ろに倒れた状態からの右横薙ぎ。またもや悪夢の斬擊が襲ってきたのだ。
水平に振られた剣が氾濫する激流のような激しさを伴って、敗北を運んでくる。
「くぅ……おっ……!!」
決めにいったのが仇になった。身体が大きく前方に突っ込んでいるこの体勢じゃ、後ろには躱せない。
「ならばっ……!!」
後ろに躱さなければいい。
さらに突っ込み、勢いのまま身体を前方に回転させた。
「おおおあああぁぁっ……!!」
ブォッ……!!
「なっ……!?」
ヒュンンッッ……!!!
刀身が後頭部を掠めていく。
ぞくりと背筋に鳥肌が立った。
「極武蜃氣流! 蹴技っ!!」
そんなオレ以上に凍りついているであろうヴェルベッタの顔面に向けて、再び放った。
二度目の胴回し回転蹴りを。
「ぅく……っ!!」
躱せるような体勢でも、ガードできるような状態でもない。
だが、やはりこの人の反射神経と身体能力は並じゃなかった。
右横薙ぎを振った勢いを利用して左に身体を捻り、不意打ちの蹴りを防いだのだ。
ドガッッ……!!
「ぐうぅっ!!」
防御した右肩に左のかかとがめり込む。
しかしその時にはもう、オレは二の矢を放っていた。
肩を踏み台に右足を振り上げる。
狙いは、細剣を握る右腕――夜空に浮かぶ月が湖面にその身を写し、二つの円月となって上下から襲いかかる。
ゴッッ……!!
「湖空双月!!」
オオォォォ……ッ!!!
「ぐあぁっっ……!!!」
垂直に出した右の蹴り上げが、肘を強襲した。
後方に一回転したオレが地面に着地するのと同時に、ヴェルベッタが背中から倒れる。
手を離れて宙を舞っていた細剣が、黄金の軌道を描きながら落ちてきた。
ガラアアアァァ……ッン……!!
「これで……!!」
気づいた時には跳んでいた。
上段に構えた直剣を、身体を起こしかけているヴェルベッタに向かって振り下ろす。
「待てルキトっ! 勝負あ……!!」
「終わりだああぁぁっ!!」
ジェイミーの声が耳を素通りした。
横方向の攻撃に隠した下からの斬り上げと、それすら隠れ蓑にした七連突き。さらに、全てを見破ったと思わせてからカウンターのマトリックス斬り。
幾重にも張り巡らされた戦略という名の罠をかい潜ったオレの集中力は、ひとつの物しか見ていなかった。
目の前にある、勝利。
この一太刀で手にできる。
そしてそれに届くまで、あと僅か。
しかしこの時、勝利を確信したオレの目に飛び込んできたのは、ヴェルベッタの奇妙な行動だった。
「!??」
極限まで高まった集中力がスローモーションで映し出す。太い左腕が、ゆっくりと上がっていくのを。
やがてそれは二本の指で唇に触れる動作へと変わり、次の瞬間――
「エンジェル・キッス!!!」
「!!!!」
ドウッ……!!
「……っぐっ……!!??」
ヴェルベッタの声で、世界が本来の速度を取り戻した。
……ッッンンン……!!!
「……ああぁぁっっ……!!!」
凄まじい衝撃に襲われた。
腹部を貫く激しい痛みがそのまま身体を押しやる力となり、なす術なく後方に吹き飛ばされる。
「……っっ!!???」
何が起きたのか分からなかった。
飛ばされながら遠ざかっていくヴェルベッタが見えた。
見覚えがあった。
そう、あのポーズは……
「投げ……キッ……ス……?」
着地する寸前になって、ようやく理解した。
闘気か剣気か、あるいはスキルの類いか。見えない飛び道具をヴェルベッタは持っていた。
奥の奥の、さらに奥。しかし、そこまで潜っても迷宮の最深部には到達していなかった。一番深い場所に潜ませた罠が、最後の最後に牙を剥いたのだ。
「くっ……そおぉっ……!!!」
しかし、身体に風穴が空いたかとさえ思える程のダメージにあって尚、オレの心は折れていなかった。
まだだ!!
まだ闘れるっ!!!
分泌されたアドレナリンが呼吸すらままならない身体に力を注ぎ込む。疲労を忘れさせる。苦痛を忘れさせる。
一秒か、あるいは、二秒か。
その僅かな時間で、身体が、心が、本能が、目覚めるのを感じた。
低い体勢で着地すると同時に力を込めた。
地についた両足と、左腕。
そして、剣を握る右手に。
「うっっ……!!」
知らず知らずの内に、オレは雄叫びを発していた。
「おおおああぁぁぁーーーっ!!!」
「勝負ありっ!!」
「!!!??」
しかし、溜めた力を解放しようとしたまさにその時、宣告する声に押し留められた。
意味が理解できずジェイミーを見やる。
大きく上げられた右手がゆっくりと降りていき、指した先は――
「勝者……!」
ウッッッ……!!!
「ヴェルベッタ・ゴールドマインっ!!!」
オオオオオオォォォォーーーッッッ……!!!
大歓声に包まれるヴェルベッタだった。
「な……なんで……?」
今だ理由が分からず唖然とするオレに、ジェイミーがいった。
「場外だ」
「!!?」
指差された先に目を落とすと、着地した位置が白線を越えているのが分かった。
円の中央に座り込んだヴェルベッタが、肩を押さえながらいった。
「ふうぅ~……。危なかったぁ……」
「やっ……!」
急速に、身体から熱と力が抜けていった。
吐き出した言葉と一緒に。
「やられた……」
ゆっくり立ち上がったヴェルベッタが、笑顔でこちらに歩いてくる。
これが、最後の罠の真の目的――。
「始めから、場外を狙ってたんですか……?」
「いいえ。最初はそんなつもりはなかったわ。ただ……」
「ただ?」
「状況が状況だったから、闘いの着地点を変えただけ。これは試合だからね」
この時になってようやく、オレは自分のミスに気がついた。
熱くなるあまり、忘れていたのだ。これが、『勝負』じゃなくて『試合』だという事に。
決められたルールの中で闘うという事は、ルールを利用した闘い方が求められるという事だ。
一番重要な部分を失念していたオレと、そうじゃなかったヴェルベッタ。
その差が、この結果を生み出した。
「どの段階で、闘い方を変えようと……?」
「学んでいるのが分かった時かしら。あなたが、わたしの剣術をね。それを見て、思ったの。この子は『見る』じゃなくて、『観察する』タイプなんだって。なら、こっちの思惑も見抜くかもしれない。でも一方で、熱くなって『勝負で勝つ事』にこだわってしまっているから、場外ルールは頭から抜けてるんじゃないかと思って、ね」
熱くなるとのめり込む。
そして、技を吸収する速度が常人よりも遥かに早い、生まれながらのチート持ち。
長所が仇となった。
結果、性格と性質の読み合いでも敗けてしまった。
「くっそぉ……そんな事で……」
「でも、流石だったわよ、ルキト。まさかアレを使う事になるなんて思ってもみなかった。紙一重の決着だったわね」
「いいえ。技術でも戦略でも、オレは全然及ばなかった。やっぱりあなたは凄いですよ、ヴェルベッタさん。特に、切り札の隠し方と使い方が完璧でした」
「ふふ……『エルフの村の麗人』よ。奥の手は、普通の手じゃ隠せない。別に用意した奥の手でじゃなきゃ、ね」
「エルフ……? ああ、木を隠すなら森の中、って事ですか」
「あら。あなたの国じゃそういうの?」
楽しそうに、ヴェルベッタは笑った。
あれだけの策略を巡らせておきながら、最後まで『試合で』勝つ事を忘れなかった冷静さ。
一方で、終始持ち続けていた、勝ちを取りにいく熱が反映された剣術。
熱い心と、冷たい頭脳。
両方が備わった、お手本のような闘い方だった。
「場外に押し出すだけなら、いつでもできたって訳ですか……」
「それじゃ試験にならないから、アレを使うつもりはなかったんだけど、そうね……まぁ、押し出すだけなら……」
腰に手を当て、ウインクしながらヴェルベッタはいった。
「キスするより簡単だったかしら……ね♥️」
納得するしかなかった。
オレの、完敗だ。




