74・“流剣のヴェルベッタ”
目の前に、広い背中があった。
歩くたび、腕の動きに合わせて筋肉がスーツを内側から押し上げるのが見て取れる。
幅と厚み、そして身長のある身体は、どう見ても細剣使いのものじゃない。
大斧ですら片手で振り回しそうなこのギルドマスターが、“流剣”と称される所以はなんなのか。
この後、オレは身を持って知る事になる。
試合場へと続く花道に入った途端、声援が大きくなった。
よくもまぁこの短時間で集まったもんだと感心する程の人数だった。
注意して見ると、冒険者らしからぬ服装をしたギャラリーが相当数いるのが分かった。
「どうやら、部外者も観戦に来てるみたいだな」
「そのようじゃのぅ」
「商業の街ですからね。お祭り事には商人の血が騒ぐのではないでしょうか」
「相変わらず、人間どもは争いが好きなようじゃ。つくづく、業の深い生き物よ」
「お前がいうなっての。まぁ、争いとまでは行かなくても、試合と名のつく物に人が熱狂するのはどこでも一緒か」
「この活気が、カロンの原動力なのかもしれませんね」
仕事をほっぽり出して来たんだろう彼らの顔は、下手すりゃ冒険者達よりも活き活きしていた。
「おまたせ、マリリアちゃん」
直径にして十メートル程といった所か。土俵の倍くらいある試合場に着くと、中央で待ち構えていたマリリアにヴェルベッタが小さく手を振った。
「待ちくたびれちゃったよぉ」
「ふふ、ごめんね。じゃ、ジェイミー。仕切りはよろしくね」
ヴェルベッタからのご指名に、ジェイミーが頷きながら応じた。
「分かりました。ルールはどうしますか?」
「そうねぇ……魔法はなしにしときましょうか。後はいつも通りでいいんじゃない?」
「あら? じゃ、檻姫はいらなかったか」
「檻姫? なんの事?」
「あれの事」
マリリアが指差した先にあったのは、車輪のついた台座に乗った女性の像だった。
一メートルくらいの高さで、一糸纏わぬ身体を巻きついた鎖が隠している。高く掲げた右手に青い水晶を持っていた。
「ひょっとして、魔法道具?」
「そ。対魔法用のね。魔法ありで闘う時にはあれを使って、試合場に結界を張るのよ」
「さすが……抜かりないなぁ」
「せっかく用意してもらったけど、今回はいらないわね」
「じゃ、片付けとこうかな」
そういって、マリリアは席を外した。檻姫を押して反対側の花道に姿を消す。
「それではルールを説明しておこうか、ルキト」
ジェイミーにいわれ、目を戻した。
「基本的には剣と剣の闘いだ。魔法の使用は不可。攻撃・回復・補助も含めて全てだ。一方が戦闘不能になるか降参するか、立ち合い人が一本を取るか、あるいは……」
ジェイミーが、試合場を囲むラインを指差した。
「円から出た時点で試合は終了だ」
「場外負けがあるんですね」
「ああ。どんなに優勢でも、ラインを越えたら敗けになる。気をつけるんだな」
「分かりました」
「それと、使用する武器だが……マリリア! 持って来てくれ!」
「はいはぁ~い! こちらになりますぅ~っ!」
呼ばれたマリリアが、今度は巨大なワゴンを押して現れた。
その上には、様々な武器がずらりと並んでいる。
短剣、双剣、細剣、曲剣、直剣、長剣、大剣、小斧、戦斧、大斧、槍、槍斧、戦棍、戦鎚、星球式鎚矛、等々。
主だった武器は一通り揃っているようだった。
「この中から選んでくれ」
「これだけ並ぶと壮観ですね……」
目を走らせつつ、どれを使うか考えた。細剣が相手なら、手数が出せる武器の方が闘りやすいだろう。
「よし。これにします」
いいながら、直剣を手に取った。
速さと威力の兼ね合いを考えると、直剣が一番使いやすい。
「あら。随分とオーソドックスなのを選んだわね」
「なんだかんだで応用が効きますからね。ヴェルベッタさんの手の内も分からな……あれ?」
刀身を見ていて気がついた。
この剣には刃が付いていない。
「ここにある武器は全て、刃を落としてある。さすがに真剣で斬り合う訳にはいかないからな」
「ああ、それはそうですよね」
ジェイミーのいう事はもっともだった。
考えてみればまぁ、当然の配慮だ。
「じゃ、マリリアちゃん。わたしにもちょうだい」
「はいはい」
ヴェルベッタが手を差し出すと、マリリアが剣を渡した。
鞘から抜かれた黄金の刀身が、照明を反射してギラリと輝く。
細かく細工が施された、きらびやかで美しい剣だった。
しかし、それを見たオレ達の頭には疑問符が浮かんだ。
なぜなら――
「えっ!?」
「ほぅ……」
「ヴェルベッタ様、それは……細剣……ですか……?」
「そうよ。わたしはこれでいくわ」
眼前にあるのが、細剣とは名ばかりのサイズをしていたからだ。
通常の物を、デザインはそのままに巨大化したような刀身は、細剣の細くて軽いイメージとは真逆だった。
むしろ、長剣に近しい重量感がある。
「もちろん、刃は付いてないから安心してね♥️」
刀身を指で撫でながらヴェルベッタがいった。
そもそも、一撃で致命傷を負わせられるくらいの大きさなのだ。斬れる斬れないなんて、なんの意味もない。
安心って、一体……。
「そんなサイズの細剣、初めて見ましたよ」
「カロン冒険者ギルド名物、『飛黄星』。別名、『星砕の細剣』。マスターの愛刀を模したレプリカよ」
マリリアの補足説明を聞いて、武器を変えるべきかと考えた。大きさと重量がなければ、力で押しきられてしまいそうだったからだ。
「今ならまだ、武器を変更できるぞ。どうする?」
オレの様子に気づいたジェイミーが確認してきた。
つかの間迷って、再度、考えを改めた。
どの道、長剣や大剣では、ヴェルベッタ以上に振り回す事はできないだろう。
ならば最初から、機動性に振り切った方がいい。
「いえ、大丈夫です。これで行きます」
頷いたジェイミーがヴェルベッタに顔を向ける。
頷き返され、顔を上げたジェイミーがぐるりと周囲を見回した。
ギャラリー達が口を閉じる。
ざわつきが収まったのを確認すると、よく通る声でいった。
「ではこれより、ヴェルベッタ・ゴールドマイン対ルキトの星獲戦を始める。今回はGだ。よって、ルキトは挑戦者という事になる。勝敗の如何に関わらず、マスターが認めた場合、実力に応じて階級がアップするものとする。皆もそのつもりで、彼の実力を見極めてくれ」
再び、拍手と歓声が沸き起こる。
「立ち合いはこのわたし、ジェイミー・マカロンが勤めさせていただく」
「よ! 姐さん!」
「ジェイミー様ぁ~っ!」
「がんばってぇ、お姉さまぁ~っ!!」
当たり前のように女性の黄色い声援が混ざる中、ジェイミーがマリリア、ビョーウ、グラスに目線を送った。
「じゃ、ガンバってね、ルキト!」
「わらわの言葉、忘れるでないぞ?」
「お気をつけてくださいね」
それぞれに返事を返すと、三人が順に離れて行った。
その背中に、ヴェルベッタが声を掛けた。
「あ、マリリアちゃん!」
「?」
「これ、預かっておいて」
「はぁ~い」
脱いだ上着を受け取り、マリリアが二人に続く。
ヴェルベッタがこちらを向いた所で、両手を広げてジェイミーがいった。
「両者、開始線まで下がって」
いわれた通りに後退し、お互いに距離を取る。
武器を構え、その時を待った。
ジェイミーの右腕がゆっくりと上がっていく。
「それでは……始めっ!!」
勢いよく下ろされた右腕と共に、星獲戦が始まった。
細剣を構えたヴェルベッタは、デカかった。
ただでさえ長身マッチョな身体がひと回り大きく見えるのは、放たれている剣気によるものだろう。
それだけで、実力の一端を垣間見る事ができた。
「どうしたの? かかってらっしゃい」
無論、さっきまでそのつもりだった。速さを生かして闘うなら、先手を取るのが定石だからだ。
しかし、当初の目論見はこの時すでに崩れていた。
隙がないのだ。
ゆったりとリラックスした構えであるにも関わらず、打ち込む場所が見当たらない。
スキルでレベルをサーチしようかとも考えたが、やめておいた。
オレの情報がないヴェルベッタに対して、フェアじゃない気がしたからだ。
「来ないの? なら……」
動けず逡巡していると、こちらを向いてゆらゆらと揺らされていた細剣の切っ先が、いきなり視界から消えた。
「こっちから行くわよっ!」
「!!?」
次の瞬間、右から斬撃が襲ってきた。反射的に直剣で受け止める。
しかし――
ギイイィィーーッン……!!
「ぐっ……!」
威力を吸収しきれず身体が横にズレる。
力に逆らわず、左へ跳んだ。
着地したと同時に、今度は左からの斬り上げが脇腹めがけて打ち込まれてくる。
「うわっ!」
背後に跳んだ。
かろうじて躱すと、眼前にヴェルベッタの背中があった。横に身体を回転させ、二擊目の勢いをそのままに左からの斬り下ろし。肩口に刃がめり込む寸前、大きく身体を反らして後方に逃れた。バク転し、膝をついて顔を上げる。
見ると、ヴェルベッタはすでに体勢を整えていた。
しかし、追撃してくる様子はない。
おぉ~~っ……
ギャラリー達が感嘆する声が聞こえてきた。
左手でポンポンと刀身を弄びながら、ヴェルベッタがいった。
「流石に動けるわね。直剣でわたしの剣を受け止める使い手なんて、そうそういないわよ」
顔には笑みが浮かんでいる。
しかし、過度に油断してる訳じゃない事は、見ただけで分かった。
「でも、受けてるだけじゃ勝てないわ。ウォーミングアップが済んだなら、攻めてらっしゃいな」
「……ふうぅ~……」
オレは、大きく息を吐いた。
確かにその通りだ。
攻めなきゃ、勝てない。
「分かりました。じゃ……行きます!!」
低い体勢から、一気に間合いを詰めた。
左からの横薙ぎ。受け止められる。
ギイィーッン!
「えっ!??」
そのまま、刀身が右に流された。
崩れかけた体勢を踏ん張って建て直し、手首を返した。今度は右から横に斬り戻す。再び受け止められ左に流される。
勢いに逆らわず身体を横に回転させた。低い位置から突きを繰り出す。腹部を狙った切っ先が受け止められ、またもや上に流される。
上半身ががら空きになった。
「しまった!」
ヴェルベッタが追撃体勢を取った。
細剣が振られる寸前、横蹴りを放った。
「ちぃっ!」
ドガッ!!
「!?」
ガードされた両腕を踏み台に、後ろへ跳んで距離を開けた。
僅かに上体を反らしたヴェルベッタの顔に、驚きの表情が浮かんでいる。
「いい蹴りね。武道の心得でもあるのかしら?」
「少々かじってまして」
「ふふ……太刀筋も素晴らしいわ。少し粗いけど、柔軟だし速度も威力も申し分ない。でも……まだ本気じゃないみたい」
再び構えて話しかける顔には、余裕があった。
しかし、目が笑っていない。
お褒めに預り、光栄……といいたい所だが、柔軟という意味では、きっとオレはヴェルベッタの足元にも及ばない。それは、ここまでの攻防で分かった。
手応えがないのだ。
受け止められた刀身から伝わってくる感触が、あまりにも軽い。これは、力のほとんどを受け流されている証拠だ。
長剣と見まごうサイズだったが、細剣の特性を活かした闘い方は、基礎をきっちりと抑えた正統剣術といえるだろう。
「もちろん。こんなもんじゃありませんよ」
「ふふふ……それは楽しみね」
とはいったものの、さて、どうするか。
こちらの攻撃はほぼ無効化され、体勢の崩れた所で速く重い一撃が飛んでくるのだ。
剛柔合わせ持つ剣は、流れる水のようでもあり、渦巻く激流のようでもあった。
“流剣”の二つ名と名声に恥じない実力は、まごう事なき本物だ。
さて。
本当に……どうしよう。
魔法やスキルで力押しできない生身の真剣勝負は、久しぶりだった。
徐々に昂っていく感覚が心地良かった。
「それじゃここからは、本気で行きます」
宣言に向けてきたヴェルベッタの顔に浮かんでいたのと同じ表情を、恐らくはオレもしていただろう。




