71・見える娘(こ)ちゃん
起き抜けの一悶着をようやく解決し、昼食を取った後にギルドを訪れた。
扉を開けて中に入ると、閑散としていた昨日とは打って変わった様子だった。結構な数の冒険者達がいたのだ。
「……しまった」
思わず、オレは呟いた。
ビョーウが、不思議そうな顔を向けてくる。
「どうかしたのか?」
「あ、いや、なんでもないよ。大丈夫」
「?」
口ではそういったものの、これ多分、大丈夫じゃないよな。
その予感が当たった事は、すぐに分かった。
「おい! 見てみろよ、あれ!」
「おぉ~……すげぇいい女が二人も……」
「うわぁ~……綺麗ぇ~……」
「足なっっが! 何よあのスタイル……」
「人形みてぇだな……」
「さらっさらの銀髪……いいなぁ……」
「貴族の令嬢と……舞踏家かしら?」
「どこぞの王族じゃねぇのか? 気品がハンパねぇぞ」
「仕事の依頼にでも来たのかなぁ……」
「そうかもしんねぇな。今日はヴェルベッタさんも来るって話だし」
「たまらねぇ~! 一度でいいからあんな女にお相手してもらいてぇぜっ!!」
「いっちょ、声かけてみるか?」
「やめとけバカ。相手にもされねぇよ」
「なんだってあんな上玉がこんな所にいるんだ?」
「装備を見る限り、冒険者みたいだけど……」
「あ。あれ、昨日の人じゃないっすか?」
「昨日の人?」
「ああ。よく見りゃ武羅苦怒喰のヤツらぶちのめしたルーキーか」
「新入りの分際で極上の女二人もはべらせてお仕事ってか? いいご身分じゃねぇか!」
「ひがむんじゃないよ、みっともない」
「けっ!!」
案の定、注目の的だった。
一昨日の騒動も原因の一端だが、それよりもやっぱりこの二人が並んで歩いてると、どうしても目立ってしまう。
ましてやビョーウは、控え目にいっても派手な格好をしているのだ。
朝のバタバタで、服装を変えるようにいい忘れたのは失敗だった。
「なんじゃ、今日はやけに騒がしいのぅ」
「何かあったのでしょうか?」
しかし、当人達にはまるで自覚がないらしい。揃ってキョロキョロと周囲を見回すばかりだった。
「あ! ルキト、グラス!」
ギャラリー達の視線を一身に受けながら受付カウンターまで行くと、奥のデスクにいたマリリアが席を立った。
「ごめん。ちょっと遅くなった」
「大丈夫。まだマスターは来てないから。取り敢えず会議室に……って……」
まるで、不思議なモノを見るような目つきだった。
途中で言葉を飲み込み、無言でビョーウに視線を向けたまま、マリリアがにじり寄って来る。
「んん~~……?」
「あ、ああ、紹介するよ。こいつはビョーウ。オレの知り合いでさ、この街で待ち合わせしてたんだ」
「以後、見知りおくがよい、娘」
「んんん~~……??」
オレ達の声など、耳に入っていないかのようだった。
顎を撫でながら舐め回すようにビョーウを見るマリリアに、遠慮も躊躇も一切ない。
これには流石の姫様も、少々引いていた。
「……無礼もここまで来ると、いっそ清々しいの……」
しかし、意外な事にその口調からは、怒りも不快感も感じられない。
それどころか、面白がっているようでさえあった。
「あなた……前にわたしと会った事ない?」
正面からビョーウの顔を覗き込みながら、マリリアがいった。
一瞬、ドキッとした。
しかし、問われた本人に動揺はなかった。
「いいや。初対面じゃ」
「そうかなぁ……なんか、最近どこかで会ってるような……」
「なんじゃ、わらわの顔に見覚えでもあるのかえ?」
「顔? ……いや、顔じゃないわね。あなたくらいの美人だったら、忘れるはずないもの」
「おかしな事をいうのぅ。顔も覚えておらぬのに、会ったような気はするのか」
「なんだろ……。なんていうか……気配?」
「気配じゃと?」
「うん。その感じ……雰囲気っていってもいいかな。覚えがあるのよねぇ……」
いうまでもなく、二人は初対面じゃない。
しかし、昨日会った時、ビョーウは認識阻害を使っていた。
仮にそれが見えていたとしても、人の姿になる前だったのだ。今の姿と結びつけるのは、ちょっと無理がある。
と、いう事は、マリリアがビョーウに対して抱いている既視感は、見た目が原因じゃない。
勘――あるいは第六感とでもいうべきもので感じ取った何かが、獣型と人型、二人のビョーウを結びつけているという事だ。
「おっかしいなぁ……」
釈然としない様子で首を捻るマリリアに向けられたビョーウの目には、好奇心が見て取れた。こいつでも、人間に興味を持つ事があるようだ。
とはいえ、これ以上放っておいたらボロが出そうだった。
そう思って話題を変えようと口を開きかけた時、マリリアがずいと詰めよってきた。
「そういえば!」
「えっ!? な、なに?」
「昨日のモンスター、今日は一緒じゃないの?」
「昨日の……モンスター……」
「ほら、一緒にいたじゃない。真っ白くて綺麗な子」
思わぬ不意打ちにたじろぎながらもちらっと横を見た。
ビョーウが小さく肩をすくめ、グラスがわずかに顎を引く。
「あいつが見えてたのか?」
「当たり前でしょ。目の前にいたんだから」
この台詞ひとつ取っても、常人には生涯いえないだろう。
それがさらっと出てくるのが、マリリアの凄い所だ。
「ビックリしたわよ。プラチナムファングが入ってきたのかと思って。でも、よくよく見たら首の周りに鬣があったじゃない? それで、違うって分かったから安心したけど」
「プラチナムファングじゃないってだけで、モンスターには変わりないんだぞ? それを安心したって……怖くなかったの?」
「まぁ、ルキト達が一緒にいたから。後はそう……目を見たら悪い子じゃないのが分かったからね」
「目を見て?」
「うん。少し冷たい感じだったけど、すごく澄んだ瞳をしてた。賢そうだったし、周りの人も気にしてないから、大丈夫かなって」
「……ん?」
「え? なに?」
「いや……周りの人もって……どういう……」
「だから、危害を加える心配がないから、誰もリアクションしてなかったんでしょ?」
言葉が出なかった。
マリリアは、何らかの方法で認識阻害を見破っていたんじゃない。それどころか、使われていた事に気づいてすらいなかったのだ。
つまり、意識してもいないのにビョーウが見えていた。だから、自分以外の人間も見ていたと当然のように思っている。
これには、ビョーウとグラスも目を見開いていた。
精霊の最上位、神霊の使う魔法を素のままで破る人間を前にした二人のリアクションは、納得のいくものだった。
「あれ? どうかした?」
揃って唖然とするオレ達に、きょとんとした目が向けられる。
こちらの思惑はおろか、魔法に気づきすらしなかったマリリアは、『きれるヤツ』あるいは『できるヤツ』じゃなくなった。
しかし、だからといって彼女に対する評価が下がったわけじゃ決してない。
むしろその斜め上、常識的な物差しじゃ測れない底しれなさが、これまで以上に感じられた。
マジで何者なんだよ、この娘は……?
と、この時、思い出した事があった。
以前、マリリアの口からポロッと出た言葉。
そうか、やっぱり、この娘は……。
「ルキト? ねぇ、どうしたの? お~い……」
「あ、ああ、いや、なんでもないよ……」
目の前で手を振られてはっと我に帰った。
なんとか体裁を保って答えた。
「あいつは……えっと、ビョーウのペットだよ。先に来て、ついでに仕事も手伝ってもらったんだ」
「え? じゃ、昨日の話に出てきた助っ人って、あの子の事だったの?」
「そう。で、オレ達の居場所をビョーウに伝えてもらって、そのまま帰したんだ」
「ふ~ん……」
説明に納得したのか、マリリアは何度か小さく頷いた。
万一気づかれたら話すしかないと思ってたんだけど、流石にモンスターが人間に化けてるなんて考えには至らなかったようだ。
ならば当初の予定通り、ビョーウの事は伏せておく事にしよう。
「ま、いっか」
とりあえず気がすんだらしい。
大雑把な性格だったのが幸いし、細かくツッコまれずにやり過ごす事ができた。
「じゃ、会議室に行きましょうか。こっちよ」
くるりと向けられた背についていくと、ローザ達が口々に挨拶してきた。それに返しながら事務スペースを通りすぎ、奥の階段を登る。
途中、気になっていた事を訊いてみた。
「そういえばさ、今日はやけに人が多くない?」
「ああ、マスターが来るからよ」
「え? そんな事でみんな仕事を休んで集まったっての?」
「そう。ギルドマスターの定例会議で王都に行ってたんだけど、そういう時ってお偉いさんから依頼を受けてくる事がよくあるの。貴族とか大商人の仕事はおいしいから、あわよくば声を掛けてくれるかもって期待で、皆して顔を出してるのよ」
「なるほど、そういう事か」
「と、いっても、マスターが直接受けてくる依頼なんて大抵は指名だから、集まってもあんまり意味ないんだけどね」
二階に上がると、真っ直ぐに伸びた廊下の左右に扉が並んでいた。
その内のひとつ、一番手前の扉を開けながら、マリリアがいった。
「マスターはまだだけど、他はみんな揃ってるわ。中で待っててね」
室内は広く、中央には巨大な円卓が置かれていた。十脚ほどの椅子の内、例の四人組とジェイミーで右半分が埋まっている。
「おぉ、来たか」
「すみません、お待たせしました」
「こちらこそ、すまないな。呼び出してしまって」
ちらりと目をやった四人組は、背筋をぴんと伸ばして座っていた。顔がガチガチに強張っている。
明らかに、グラスを意識しているのが分かった。
「ルキト達はこっちね」
椅子を引くマリリアに続いて席についた。
席順は、一番奥から、マリリア、オレ、ビョーウ、グラスだった。
最奥の席を一つ空けて向かいには、ジェイミー、ロッグス、僧侶、射手、戦士の順に座っている。
「これで後はマスターだけだな」
「今、呼びに行ってもらってるわ。もうすぐ来ると思うけど……」
「それでは、先にお互いを紹介をしておこうか」
ジェイミーが視線で促すと、表情を固めたままでロッグスが口を開いた。
「あ、ああ……。『灼熱の刃』リーダー、ロッグスだ」
「ア、アシェリーです。よろしく、お願いします……」
「……エレーナよ」
「ダ、ダグだ。よよ、よろしく!」
四人組のテンションは、これでもかってくらい低かった。
『灼熱の刃』っていうのは、彼らのパーティーネームなんだろう。
厳つい見た目から、いかにも無神経そうなダグが一番緊張している様子だったのが少し可笑しかった。
マリリアに目で促され、今度はオレ達が自己紹介をした。
「ルキトです。よろしく」
「ビョーウじゃ」
「グラスです。よろしくお願いいたします」
苦虫を噛み潰したような顔をオレに向け、ビョーウの容姿に目を奪われ、グラスの挨拶で再び表情を強張らせる。
揃って分かりやすい連中だった。
「ん? なんか、固くなってない? あなた達」
マリリアにツッコまれたロッグスが、居心地悪そうにモゾモゾと身体を動かした。
「べ、別に、そんな事はないぜ? 」
「そう? なんか、いつもと様子が違うみたいなんだけど」
「ヴェルベッタさんと会うんで、ちょっと緊張してるだけだ」
「ああ、そういう事ね。まぁ、あの人の前だと、大抵の男子は緊張するよね」
ジェイミーと四人組が揃って頷く。
いっぱしの冒険者を緊張させる程って、余程の美人なのか、あるいは、厳格な性格なのか。
今更ながら、興味が湧いてきた。
「なぁ、マリリア」
「ん?」
「そんなに凄いのか、そのヴェルベッタさんって」
「うん。元々、貴族の出身だからね。オーラがあるのよ。一目見たら忘れられなくなるわよ、きっと」
「忘れられなくなるくらい綺麗な女性なのか……」
と、その時、ノックする音が聞こえた。
全員の視線を集め、扉がゆっくりと開く。
「お待たせしました」
立っていたのは、知的で整った顔立ちに眼鏡をかけた女性だった。
「やっとご到着ですか」
「遅いよ、マスター」
ジェイミーとマリリアの言葉に応える事なく、無言のままクイッと眼鏡を押し上げる。
これが、リーベロイズに名を馳せる剣士、“流剣のヴェルベッタ”か……。
件のギルドマスターは、艶やかな黒髪をポニーテールにし、ウグイス色のジャケットと細身の白いパンツを身につけていた。
書類の束を小脇に抱えた体格は小柄で、剣士には見えないくらい華奢だったが、細剣の使い手なら力は必要ないんだろう。
育ちの良さを感じさせる洗練された仕草は確かに、見る者の目を奪う上流階級特有の優雅さと美しさに満ちていた。
「遅くなりまして、申し訳ありませんでした」
全員が揃って席を立った。
しかし一人だけ、足を組んで座ったままのヤツがいた。
「おい、ビョーウ。立てよ」
「立つ? 何故じゃ?」
「バカ。座ったままじゃ失礼だろ」
「誰にいうておる。そもそも、人間風情が白鬣たるわらわと同じ卓に……」
「ストップ! 分かった、もういいから!」
皆の注目が集まる。
ビョーウが口を滑らせた事に慌てたオレは、ヴェルベッタに向き直った。
「す、すみません、こいつ、礼儀を知らなくて……」
しかし、肝心の本人はというと、気にもしていない表情だった。
「とにかく入ってください」
ジェイミーに促されたヴェルベッタだったが、部屋に一歩入ると、何故か扉の横に立ったまま微動だにしなかった。
「マスター! 早く席についてくださいよっ!」
「……」
声を張るマリリアに対しても、やっぱり反応がない。
不思議に思っていると、扉を見つめていたヴェルベッタが、無言で部屋を出ていってしまった。
「えっ?」
やっぱり、怒っているんだろうか。
不安にかられてマリリアを見ると、ため息をついて肩をすくめていた。
ジェイミーも呆れた顔をしている。
訳がわからないままでいると、廊下から話し声が聞こえてきた。
やがて見えた顔に、もう一度あやまった。
「すみませんでした、ヴェルベッタさん! コイツには、後でいって聞かせますの……」
「早くしてくださいマスター」
「へ?」
意味が分からなかった。
後ろに顔を向けたヴェルベッタが、『マスター』に話しかけているのだ。
どういう事かと考えていると、手を引かれて部屋に入ってくる人物がいた。
「ま、待ってよ! お化粧直しが終わってな……」
「直しても同じです。誰も見ていません」
「ちょっと! それヒドくない!? 化粧はレディのたしなみ……ん?」
「っっ!!?」
「あぁっ!! 」
その人物と顔を会わせた瞬間、全身が硬直した。
「あなたはっ……!?」
「な……ん……で……??」
辛うじて口から出てきたのは、首を締められたような掠れ声だけだった。
トラウマが、むくむくと頭をもたげてくる。
「紹介しよう、ルキト」
フリーズするオレに向き直り、冷静な声でジェイミーがいった。
「カロン冒険者ギルドマスター、ヴェルベッタ・ゴールドマインだ」
我が目を疑った。
しかし、見間違いでも幻覚でもない。
紛れもなく、そこにいたのは――
「ダーリンっ!!!」
路地裏で助けた、金髪のオッサンだった。




