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70・やはり俺の異世界ラブコメはまちがっている。

 息苦しさに目が覚めた。

 しかし、視界が真っ暗だった。

 まだ夜か――一瞬そう思って、違和感に気付いた。

 顔に、何かが押し当てられている。

 柔らかくて弾力があり、すべすべして温かい何かからは、仄かに甘い香りがした。

 寝ぼけた頭で状況を掴もうとしていると、声が聞こえた。


「う……ん……」


 それは、聞き覚えがあるようなないような、女性の声だった。

 見て、確かめようとした。

 顔を上げられなかった。

 押さえつけられ、動けないのだ。

 拘束を解こうと、頭をゆっくり左右に振ってみた。


「……ん……ぅっ……」


「うぷっ!」


 しかし、締め付ける力が強くなっただけだった。ますます息が苦しくなる。

 今度は、力を込めて頭を捻った。何度か繰り返していると、また声が聞こえた。


「んっ……! そ……のような……事……!」


 特徴のある口調だった。そして、確かに聞いた事のある声だった。

 少しずつ、頭が動き始める。

 そして――


「もっと……優……し……く……ルキ……ト……」


「っ!!?」


 続く声で、完全に覚醒した。

 力任せに頭を引き抜き、空気を貪った。


「ぶはっ! ……はぁ、はぁ、はあぁ~~っ……!!」


 息を整え、恐る恐る向けた視線の先。

 そこにいたのは――


「っっ!!!???」


 全裸で眠る、見知らぬ女性だった。


「うぅ~……ん……」


 寝返りではだけた寝具の下から、豊かな胸と滑らかに曲線を描く足が覗いている。透けるように白い肌が、朝日の中で輝いて見えた。


「なん……で……」


 パニックのあまり、身動きができなかった。

 真っ白になった頭でただただ見つめていると、閉じていた目がうっすらと開いた。しばらく宙を泳いでいた蒼い瞳が焦点を結び、こちらに向いた。

 無言でむっくりと起き上がった拍子に寝具が滑り落ち、辛うじて隠れていた胸が露になる。

 気にする素振りすら見せず、彼女はいった。


「起きておったのか……早いの、ルキト……」


「だ……れ……??」


「なんじゃ、分からぬのか?」


 にじり寄られ、後ずさった。

 美しい顔と寄せられた胸の深い谷間に、成す術なくベッドの端まで追い詰められる。


「わらわじゃ。ビョーウじゃよ」


 額がつきそうな位に顔を近づけ、蒼い瞳にオレを写しながらいわれた言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

 鼻をくすぐる吐息が、魔法のように思考を麻痺させている。


「ルキト? おい、ルキト」


「…………」


 反応できずにいる顔が、余程ぼけっとしていたんだろう。両手で頬を挟まれ、左右にゆらゆらと揺らされた。


「お主、起きておるか?」


「…………」


「仕方のないヤツじゃのぅ……」


 ビョーウが目を閉じた。

 そのまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 雪原に咲いた桜のような唇が触れる寸前、オレは我に返った。


「ちち、ちょっと待ったあぁっ!!」


 両肩を掴んで、押し返した。

 開いた瞼の下、長い睫毛を写した蒼い瞳が、再び真っ直ぐに見つめてくる。


「なんじゃ。起きておるではないか」


「ビ、ビョーウ!? お前、ビョーウなのか!!?」


「じゃから、そういうたであろう」


「いうたであろうって……今、な、何しようと……!?」


「目覚めの接吻じゃ」


 しれっといわれ、度肝を抜かれた。

 いった本人は当たり前のような顔をしている。


「せ、せせせ接吻!!? どど、どうして、急に、そんな事……て、てか、なんで人間になってんだよ! しかも、は、裸で、オレのベッドで……!??」


「落ち着かぬか。質問は一つづつにせい」


「落ち着いてなんかいられるかっ! ま、まずはなんか着て……」


 コンコンッ!


「!!??」


 混乱の極みにある中、ノックの音が部屋に響く。

 静かに扉が開き、顔を覗かせたのは――


「おはようございます、ルキト様、ビョー……」


「…………」


「…………」


「……ウ……」


 グラスだった。


「…………」


「……ち……違……これは……」


「…………」


 キイィィ~……


「まっ……!!!」


 ……パタン……


「……待って……!!」


 タタタタタッ……!!


「違うんだグラスうぅぅ~~っっ!!!」


 こうして――。

 ナーロッパ三日目の朝は、走り去るグラスを追いかけて宿の外まで猛ダッシュする所から始まったのだった。




「解せぬ」


 椅子に座って優雅に足を組んだビョーウが、眉間に皺を寄せた。


「目覚めて早々、なぜこのような仕打ちを受けねばならぬのだ?」


 グラスを連れ戻したオレは、部屋の中央で仁王立ちしていた。

 いうまでもなく、尋問するためだ。

 腕を組んで見下ろすと、同じく腕組みしながら蒼い瞳が見上げてくる。


「それはこっちの台詞だ! どうなってんだお前はっ!?」


「どう、とは?」


「だから! その姿の事だよ!!」


「なんじゃ、この身体が不満かえ?」


 いいながら、ビョーウは妖艶な笑みを浮かべた。

 左右に分かれた胸元まである前髪の下、瞳は深い湖より蒼かった。白い肌と筋の通った鼻梁は冷たくも美しい新雪を、長くさらさらストレートの銀髪は輝く絹糸を思わせた。

 細められた切れ長の目と対を成すかのような薄紅色の唇が、緩やかに弧を描いている。

 少女の可憐さと淑女の儚さを持つグラスとは違う種類の浮き世離れした美貌には、魔性が宿っているかのようだった。


「そ、そういう事をいってるんじゃない!」


「ではこの着物か。お主の中にあったわらわの印象を形にしてみたのだがのぅ」


 一糸纏わぬ姿でベッドにいたビョーウだったが、オレ達が帰ってきた時には服を着ていた。

 例えていうならそれは、巫女のような服装だった。

 しかし、いわゆる普通の巫女服ではない。

 胸元は大きく開き、両肩と上腕は丸出しで、肘の位置から和服の小袖を身につけている。腰に巻いた幅のある帯から羽衣のような半透明の布を垂らし、下半身に巻き付けた赤い着物の隙間から覗く太ももの先、白い足には朱色の下駄を履いていた。

 施された刺繍の細かさが着物っぽさを演出していたが、ベースになっているのは明らかに巫女であると思えた。


「オレの中の、印象?」


「そうじゃ。お主の中でわらわが身につけておった着物と似たような代物を、体毛を使(つこ)うて作ったのじゃよ」


 どうやら、オレの巫女に対するイメージはだいぶ拗れているようだ。

 自分の内面を覗かれたような気がして、妙に恥ずかしくなった。


「ち、ちょっと待て。何でそんな事、お前に分かるんだよ?」


「夕べのあれじゃ」


「えっ! あれって……まさか、そのために……?」


「そうじゃ。つまり、これがお主の好み、という訳じゃの」


 赤い襟にかけた指で胸元を開きながら、ビョーウが笑みを大きくした。柔らかな朝日の中、膨らみの白さが眩しいほどだった。


「バ、バカっ! そういうのやめろって!!」


「なんじゃ、照れんでも良いであろう。お主とわらわは、肌を重ねた仲ではないか」


「重ねてねぇだろっ! 誤解されるようないい方する……」


「あ、あのっ!!」


 それまで無言で椅子に座っていたグラスが、突然、声を上げた。

 らしくもない、大きく強い声だった。


「肌を、か、重ねたとおっしゃいますと、ル、ルキト様とビョーウは、その、夕べ、おお同じベッドで、寝てらしたので、つ、つまり、そういう、あの、ごご、ご、ご関係に……!?」


「ちちち、違っ……!!」


「当然じゃ」


「!?」


「!?」


 どもり倒すオレとグラスのやり取りを遮って、ビョーウがきっぱりといいきった。

 これでもかって位のドヤ顔をこちらに向けながら。


「男女が寝屋(ねや)を同じくしておったのじゃぞ。何もない訳があるまい」


「おおおおお、おまっ……!! ウソいうなよっ!!」


「ウソではない。なんじゃ、本当に覚えておらぬのか」


「覚えても何も、オレは寝てただろうがっ!」


「意識はなくとも反応するのが……」


 言葉を切った白く美しい顔が、再び妖しい笑みを浮かべる。


「男、というモノであろうが」


「!!?」


「!!!?」


 ビョーウが持つ魔性の色気には、十分な説得力があった。

 この魅力(まりょく)に抗える男なんていないだろうと、確信させるくらいに。


「そ、そんなハズは……」


「ないといい切れるか?」


 蒼い瞳に魅入られ、オレは固まった。

 身体の自由と一緒に、思考能力まで失ってしまったかのようだった。


「眠っていたとしても、感触くらいは残っておるじゃろう?」


 そういわれて思い出した。

 夢の中で感じた温かさ、柔らかさ、心地好さ、そして、身体と心が溶け、誘われるまま深い所に落ちていく感覚――。


 確かに……いや、そんなハズは……でも、いわれてみれば……。


 気づけば、ビョーウのペースに巻き込まれていた。

 知らずにDTを失った結果、グラスの信頼まで失っちゃいましたとかいう、色々とシャレにならない状況に陥っているのだ。

 はっきりいって、大ピンチだった。


「そ、そそそそそそ、そうでで、で、ですか!」


 壊れたレコードみたいな声で我に返った。

 強張った顔に無理やり笑みを浮かべたグラスはまるで、出来の悪いCGのようだった。


「わた、わたくしは、べべ、別に、お、お二人が、どのような、か、関係でも……き、ききき、気に……しては……おりません……ので……」


 声が徐々に小さくなっていき、顔がだんだん下を向く。

 噛みしめた唇が小さく震えているのを見ていると、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。

 不可抗力とはいえビョーウに隙を見せたのはオレの責任だし、結果、グラスを悲しませる事になってしまったのだ。

 これを知らぬ存ぜぬで通すのは、あまりにも無責任に思えた。


「あ……あの、さ……グラス……」


 関係を持ってしまったなら、ビョーウに対する責任もある。

 ならば今のオレにできるのは、グラスに詫び、ビョーウと真摯に向き合う事しかない。


「ごめん! こんな事になっちゃって、オレ、君を悲しませるつもりなんてなかっ……」


「あ、謝っていただく事ではありません! ルキト様は悪くないのですから!」


 顔を上げたグラスの瞳は、滲んで揺れていた。大きな目からは、今にも涙が零れ落ちそうだった。


「わたくしが、か、勘違いしていただけです……ので……」


「グラス……」


「バ、バカみたいですよね! 一人で勘違いして、勝手に舞い上がって、勝手に、あの、ルキト様と……ルキト様……と……」


 零れた涙が頬を伝った。

 何もいえなかった。

 今のグラスを慰める言葉なんて、思いつくはずもなかった。


「わ、わたくしなら平気ですっ! ルキト様とは、あ、あくまで、世界を救うためのパ、パートナーですし、し、私情を挟んではいけな……」


「もうよい」


 テーブルに肘をついたビョーウが、グラスを見て大きく息を吐いた。


「何がパートナーじゃ。まったく……」


 呆れ顔がこちらを向く。

 じっとオレを見つめる目は、何かをいいたげに細められていた。


「な、なんだよ……」


「いざ闘いとなれば相手が何者であろうと臆する事のないお主が、なぜ女子(おなご)相手じゃとこうもへっぴり腰なのかのぅ……」


「へ、へっぴり腰ってお前、この状況じゃ仕方な……!」


「戯れ言じゃ」


 オレの抗議には耳も貸さず、ビョーウがグラスに向き直った。

 唐突な言葉に、かけられた当の本人はぽかんとしている。


「ざ、戯れ言……?」


 かろうじて応じたグラスの声は、消え入りそうだった。

 二人揃って呆気に取られていると、頭の後ろで手を組んだビョーウが、のけ反らせた身体を背もたれに預けながらいった。


「そう、戯れ言じゃよ。お主が思うておるような事などしてはおらぬ。安心せい」


「で、では、肌を重ねた、というのは……?」


「忘れてよい。大体、この唐変木にそのような甲斐性などありはせぬわ」


 手をひらひらさせながらそういわれて、正直、返す言葉もなかった。

 しかし、どうにも納得がいかなった。


「何もしてないのに、どうしてそこまでいわれなきゃなんないんだよ……」


「じゃから、それが問題なのじゃ。あの状況で何もせぬ男子(おのこ)がおるか」


「で、でも、おかげで身の潔白を証明できた訳だし……」


「どうせ、グラスに対しても中途半端な態度でおったのじゃろうが。そのヘタレっぷりがそもそもの原因じゃというておる」


 ピシャリといいきられ、いよいよもって返す言葉がなくなった。

 まさか、精霊の王と白鬣の姫に同じダメ出しをされるとは思ってもみなかった。


「そう……ですか……」


 頬を指先で拭いながら、グラスがいった。


「す、すみません、取り乱してしまいまして……」


 顔には、安堵の表情が浮かんでいる。

 見ていたオレも、おそらく同じような表情を浮かべていたただろう。


「それにしてもお前の冗談、シャレになってなかったぞ。本当にやめろよな、こういうの」


 心の底からそう思った。

 下手すりゃ、闘っている時よりも生きた心地がしなかった。


「これしきの事でああもおたつくとは、青いのぅ……」


「あ、青いとかじゃなくて、オレ達はそもそも、そういう関係じゃ……な、なぁ、グラス?」


「あ、あの……はい……」


 下を向いたグラスが、耳まで真っ赤にしながらいった。


「今は……まだ……」


「!!?」


「今はまだ……か……」


 ビョーウの顔には自虐めいた笑みが浮かんでいた。

 それの意味する所がなんなのか、動揺するオレには分からなかった。


「し、しかしまぁ、なんだ。とりあえず誤解も解けた事だし、良かったよ」


「すみません、わたくしの早とちりで、お騒がせしてしまいまして」


 少し照れくさそうな笑みを見て、ほっとした。

 やっぱりグラスには、癒しの微笑みがよく似合っている。


「謝る必要なんてないよ。オレも驚いてオタオタしちゃったし」


「ほんに大げさなヤツよ。事があったかどうかなど、分かりそうなものではないか」


「そ、そうだよな。いや、おかしいと思ったんだよ。なんていうか、それらしい感触が残ってなかったというか……」


「当たり前じゃ。接吻しかしてはおらぬのじゃからのぅ」


 瞬間、場の空気が凍った。

 オレと一緒に。


「…………え?」


 そして、グラスの笑顔も凍りついていた。


「接……吻……?」


「その後は一晩中、裸で抱き合っていただけじゃ。感触など残っていようはずもないわ」


「…………」


 恐ろしかった。

 反応のないグラスに声を掛けるのが。

 しかし、意を決したオレは、油の切れた人形のようなぎこちなさで無理矢理口を開いた。


「グ……グラス……?」


「…………」


「あ、あの……」


「…………」


 呼び掛けに応える事なく、静かにグラスが立ち上がった。

 そのまま、音もなくドアに向かって歩いていく。


 キイィィ……


「……は……」


 ……パタン


「話を……!!」


 ダダダダダダダダッッ!!!


「話を聞いてグラスうううぅぅぅ~~~っっ!!!!」




 結局――。

 本日二本目の猛ダッシュの後、やっとの事で誤解が解けたのは、日が高く空に昇る時間になってからだった。

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