表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/184

69・ダーリン・イン・ザ・ファニーキス

 宿に戻ると、受付のおばちゃんに声を掛けられた。隣の部屋が空いたという。グラスがそちらに移動し、二人部屋はオレとビョーウで使う事にした。

 話の流れで、近くにある大衆浴場の場所を教えてもらった。早速、グラスと連れだって行ってみた。

 銭湯くらいの広い浴槽に張られたお湯は、炎の力を宿したメルメスストーンで温めているらしかった。足を伸ばして浸かった湯船で、汗と疲れを流した。

 一階の酒場で早めの夕食をテイクアウトし、部屋に戻る。ビョーウがいては、外食する訳にはいかないからだ。

 食事をしながら、これまでの経緯(いきさつ)とナーロッパでの目的を話した。


――魔帝とはまた、大層じゃの。これは楽しめそうじゃ……


 皿に開けた果実酒を旨そうに舐めていたビョーウが笑みを浮かべた。


「楽しむヤツがあるか。遊びじゃないんだぞ」


――同じ事よ。遊びも闘いも、わらわにとってはな


 このふざけた台詞が冗談に聞こえないのが、こいつの恐ろしい所だ。

 以前いた世界では、とてもじゃないが連れ歩く気になんてなれなかった。


――女神が直接干渉するぐらいじゃ、さぞ手応えもあろうて。くくくくく……


「あの、ビョーウ様」


 酒も入ってご機嫌な姫君に、グラスが声を掛けた。

 蒼い瞳がすっと動く。


――……ビョーウでよい。女神であるなら、お主はわらわと同格じゃ


「あ……わ、分かりました」


――それで? なんじゃ


「ルキト様とは、どのような関係なのですか?」


――どのような……?


「お二人を見ていると、その……召喚者と召喚獣という以上の間柄に見えますので……」


 ビョーウの視線が、木製のジョッキを両手で弄ぶグラスからこちらに向いた。


――……ふむ……


 確かにオレ達は、契約の儀式によって結んだ通常の主従関係とは少し違う。

 出会いからして普通じゃなかったし、お互いを認め合うようになった理由も、協力関係になった経緯(いきさつ)も、少々特殊なのだ。

 要は、この場で全て説明できるような話じゃない、って事だ。


――その時が来れば話してやろう。今はまだ、知らなくて良い


 突き放すようないい方に、グラスが僅かに目を伏せた。

 こいつの彼女に対する態度がやけに冷たく感じるのは、気のせいだろうか?


「ごめんね。そんな大した話でもないんだけど、ちょっと複雑でさ。いずれちゃんと話すから。ね?」


 フォローを入れると、グラスが目を上げた。


「分かりました。わたくしこそすみません。立ち入った事をお訊きしてしまったようで……」


「いやいや、本当に大した話じゃないんだよ。ただ、話すと長くなるからってだけなんだ。な、ビョーウ?」


――……そういう事にしておこうかの……


 ぶっきらぼうな答えが帰ってきた。

 何故だろう、酒を舐める横顔が、少し寂しそうに見えた。


「まぁ、なんだ、お前もずっと姿を隠してて気疲れしただろ。今夜はゆっくり寝てくれよ」


 意識して明るく声を掛けると、ビョーウが顔を上げた。何かを思い出したような表情だった。


――そういえば、受付にいたあの娘は何者じゃ?


「受付の娘って……マリリアの事? 何者、とは?」


――わらわが見えておったようじゃ。普通の人間ではあるまい


「え!? 見えてた?」


――なんじゃ、気付いておらんかったのか


「気づくも何も、そんなはずは……いつから見えてたんだ?」


――始めからじゃ。部屋に入ってすぐ、こちらを凝視しておったじゃろう


「そうか……だからあの時、固まってたのか……」


――更に驚くべきはその後の態度よ。まるで気にする素振りすら見せず、平然としておった。並の神経ではない


 見えていたのであれば、ビョーウが強力な力を持っている事などすぐに分かる。普通なら不安に思い、質問するだろう。

 しかし、存在を隠したかったオレの意図を汲み、あえて見えないフリをした。その上で、説明に出てきた召喚獣と目の前にいる獣を結び付け、仲間だと結論づけた。

 つまり、直接触れずに、オレ達とビョーウの関係を理解したのだ。

 状況を分析する能力と、相手の思惑を悟る能力――この二つが高い事は、頭の回転が早い証拠といっていい。

 度胸もさることながら、マリリアの人間的な能力の高さが垣間見える出来事だったといえるだろう。


「あいつは一体、なんなんだ……?」


 幻覚(イリュージョン)認識阻害(オブストラクト)に対する高い耐性と合わせて考えると、ますます正体が分からなくなってくる。

 ある意味、不気味に感じるくらい異質の存在だった。


「なんか、特殊なスキルでも持ってるのかな」


「そういえば、職業(クラス)を訊いていなかったですね」


「勝手に魔術師(ウイザード)タイプか、僧侶(クレリック)タイプだと思ってたんだけど……」


精神魔法(メンタルマジック)の中でも、視覚に作用する魔法を無効化できるというと……暗殺者(アサシン)盗賊(シーフ)でしょうか」


「どっちもあのキャラと真逆じゃん」


――個々の実力や特性など、見かけで判断する物ではあるまい


「そうなんだよなぁ……ああ見えてあいつ、気配断(けはいだ)ちができるんだぜ? あっさり背後を取られたよ」


――お主が……背後を?


「うん。普通じゃないのは間違いない」


 考えてみれば、イメージに合わないというだけで暗殺者(アサシン)盗賊(シーフ)の片鱗は垣間見えるのだ。

 ビョーウのいう通り、見かけで判断しない方がいいのかもしれない。


「まぁ、そのうち本人に訊いてみよう」


――ふむ……


「そうですね」


 二人が揃って頷いた。

 残った果実酒を飲み干し、ジョッキを置いてオレはいった。


「じゃ、今日はこの辺で寝ようか。明日は噂のギルドマスターとの対面もある事だし、ゆっくり休んでおこう」


「はい」


――噂のギルドマスター?


「なんでも、この国でトップクラスの女剣士らしい」


――ほぉ……剣士か……


 ビョーウの瞳がきらりと光った。

 目は口ほどに物をいうとは、まさにこの事だった。


「……変な気、起こすなよ?」


――変な気とは、なんじゃ


「斬り合いとかダメだからな」


――戯れ言を。そのような真似をするか


「安請け合いしてすぐ、ロッグスをチビらせてたじゃんか、お前」


――見くびるでない。場をかわきまえる分別くらいあるわ


「どうだかなぁ……」


 いつの間にか、皿に入れた酒がなくなっていた。しかし、ビョーウに酔っている様子はない。

 つまり、素面(シラフ)でいった台詞だったが、前科がある事を考えると、信用はできない。


「とりあえずは、大人しくしててくれよ。絶対に姿は見せないように」


――分かっておる


 面倒くさそうな応対が返ってくると、ジョッキを置いてグラスが立ち上がった。


「それでは、わたくしは部屋に戻りますね」


「うん。明日の朝はゆっくりでいいからね。ギルドには昼食を食べてから行こう」


「分かりました。お休みなさいませ、ルキト様、ビョーウ」


「お休み」


――……うむ


 部屋を出る寸前、グラスが小さく手を振った。

 振り返すオレに、ドアが閉まった途端、冷めたい声が浴びせられた。


――デレデレするでない


「デ、デレデレなんかしてねぇし! 何いってんのお前!」


――鼻の下が伸びきっておるわ。不埒な事にうつつを抜かしておるから、わらわの動きも見えぬのじゃ


「不埒って……手を振り返しただけじゃんか……」


――まったく、情けないのぉ……


「ぐっ……!」


 しかし、ため息を吐くビョーウに反論出来ないのもまた事実だった。

 親鼠の腕を斬り落とした斬撃を、オレの目は捉える事ができなかった。十二分に余力を残した一撃だったにも関わらず、だ。


「あ、そういえば……」


 あの時、疑問に思った事があったのを思い出した。

 話を逸らしがてら、訊いてみた。


「お前、前より動きが早くなってたよな。なんで?」


――お主に借りずとも、豊富な魔力を好きなだけ取り込めるのじゃ。力も増そうというものよ


「そういう事か……」


 考えてみれば、ここは本来、ビョーウが棲む世界じゃない。いわば今は、魔力によって生み出した仮の身体を使っているような物だ。

 取り込む魔力量が増せば、身体機能そのものが上がるのも当然だった。


「しかし、人間嫌いのお前が人間界に残るなんていい出すとは思ってもいなかった。どういう風の吹き回しだ?」


――いうたであろう。お主から借りを回収する為じゃと


「その借りってさ、何を返せばいいの?」


――……気になるか?


 ビョーウが、真っ直ぐにこちらを向いた。二つの蒼い瞳の中で、蝋燭の火がゆらり揺らめく。

 見ている内に、魂ごと魅了されてしまいそうな錯覚に襲われた。


「そりゃあ、まぁ……」


 半ば強引に目を逸らした。

 ビョーウといいグラスといい、高位の存在が持つ瞳には、引力のような輝きが宿っている。


「何をさせられるのかなぁ、とは思ってるけど……」


――では……まずは一つ、返してもらうかの……


「え? 今返せるの……」


 ぺろっ……


「……か……」


――……ふむ。なるほどのぅ……


「…………へ?」


 目の前にビョーウの顔があった。

 状況を理解するのに、数秒の時間がかかった。


――これが、お主の中のわらわか……


「っっっ!!!??」


 大きくのけ反るあまり、椅子ごとひっくり返りそうになった。おさえた口に残っていた感触が、何をされたか教えてくれたからだ。

 温かく、柔らかく、少し湿って、微かに甘い。

 オレの唇を撫でていったもの。

 それは――


「おっ……おおおおお、お前っ……!!」


 ビョーウの舌だった。


「な、なな、何……何してっ……!!!?」


――寝る前の挨拶じゃ。我ら白鬣(はくりょう)の、な


「へ? そ……そうなの?」


――嘘じゃ


「なんじゃあ、そりゃあっ!!!」


――くくく……まぁ、良いではないか。これで一つ、返してもらった。わらわは寝るぞ


「ちょっと待て! どういう意味……」


 オレの呼び掛けに応える事なく、ビョーウはふわりとベッドまで跳んだ。大きく伸びをし、そのまま丸くなる。


「おい、寝るなビョーウ! 説明しろ!」


――……


「おい! おいってばっ!!」


――静かにせぬか。わらわは眠たいのじゃ


「だから! ちゃんと説明しろっての!」


――……ならば教えてしんぜよう。あれはな……


「あ、あれは……?」


――接吻じゃ


「!!!??」


――良き夢を。くくく……


 それだけいって、ビョーウはすやすやと寝息を立て始めた。

 それはそれは安らかな寝顔だった。

 対して、オレは――


「……マジすか……」


 またもや、もんもんとしながら過ごす夜を迎える事になりそうだった。




 白い場所だった。

 純白以外の色彩がない、どこまでも続く白い世界にオレはいた。

 微睡(まどろ)みの中を漂っているような感覚は、覚醒しているのか眠っているのか、目を開けているのか閉じているのか、よく分からなかった。

 ここにいる自分を認識した時からずっと、撫でられていた。

 柔らかくて暖かい何かに、頬を、額を、鼻を、耳を、そして、唇を。

 動けなかった。

 押さえられている訳でも、縛られている訳でもない。

 しかし、ぬるい粘液の中に浸されているような心地好さに、身体の自由がきかなかった。

 そのうち、全身が溶け始めた。

 溶けて、白い世界にゆっくり染み込んでいくと、次第に意識も溶けてなくなっていくようだった。

 緩やかな微睡みから深い眠りに落ちていくように、オレの自我は形を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ