45・二度生きた男
「……ありゃあ、真冬の寒い日だったな」
思いを馳せるような顔で、ゆっくりとゴズメスは口を開いた。
「試合が近かったんでな、合宿で日本にいたんだよ。で、ロードワークしてたら目の前で金髪の小娘が道路に飛び出したんだ。両親がキャリーバック引っ張ってたから、旅行かなんかだったんだろうな。テンションが上がっちまったのか、交通ルールが分かってなかったのかは知らねぇが、いきなり、パッとよ」
組んだ足に肘を置き、頬杖をつくゴズメスの目は、遠くを見つめている。
「気づいたら身体が動いてたよ。衝撃があって、青い空が見えた。視界がぐるぐる回ってよ、次に見えたのは、オレを覗き込む娘の顔だったな。空よりも蒼い瞳でよ。涙をぼろぼろこぼして何かいってんだけど、何にも聞こえねぇんだよ。ただ、何だろうな。頬に落ちてくる涙がやけに暖けぇなぁ、なんて事を考えてた」
「事故死だったのか……」
「そうなるな。で、そのまま気絶してよ、次に意識が戻ったのは、真っ白い空間の中だった。地面すらねぇ所にふわふわ浮いてんだよ。意味が分かんなくてな、焦るのも忘れてしばらくボケッとしてたよ」
ここまでの話を聞く限り、意識が途絶えた直後にお約束の女神邸で目を覚ましたオレの時とは違っていたみたいだ。
「そこはいわゆる、死後の世界だったのか?」
「いや、そうじゃなかったらしい」
小さく頭を振り、ゴズメスは続けた。
「女の声がしてな、説明されたんだ。オレがいたのは、この世とあの世の中間地点だったんだと。魂をリセットする場所とか何とか、そんな事いってたな」
次の世界に転生するために、魂が持っている記憶や人格を消すための場所、といった感じだろうか。
さしずめ、声の主は女神だろう。
「それを聞いてやっと理解したぜ。ああ、オレぁ死んだんだな、ってよ。何でか分んねぇが、すげぇ冷静に受け止めてたな。まるで、気持ちよくKOされた後みてぇだった。いいの貰って意識が飛んで、目覚めたら医務室のベッドにいた、って感じでな。現実感がまるでねぇんだ」
「理解はできても、実感はなかったんですね」
「ああ。まぁ、娘は無事だったみてぇだし良しとしとくか、くれぇの感情しかなかったな」
「前世に未練はなかったのかい?」
「なかったっちゃあ嘘になるな。しかしまぁ、深く考える前にその声が変な事いい始めたもんだからよ。すぐに忘れちまったぜ」
「変な事って?」
「お礼がしたいとかなんとか」
「お礼?」
「おかしな話だろ? で、聞いてみたらよ、オレが助けたガキってのが将来とんでもねぇ事するとかでな。あそこで死んじまうと、人類の歴史が変わっちまうんだと。それを防いでくれたんで、お礼に違う世界で人生やり直させてやるってんだよ」
「それで、ナーロッパに?」
「そうだ」
「……」
ここで、気づいた事があった。
グラスに目を移し、確認してみる。
「その声って、グラスじゃないよな?」
「……」
返事がなかった。
一点を見つめたまま微動だにしないグラスの耳には、オレの声が聞こえていないかのようだった。
「グラス?」
「あ! は、はい!」
「どうかしたか? ボーっとして」
「い、いいえ。何でもありません。少し、治癒に集中しすぎてしまったようです……」
「そうか。それならいいんだけど」
「すみません……」
「……で? ゴズメスを転生させたの?」
伏し目がちに謝るグラスに、ノエルが先を促した。
気のせいだろうか。
その目が、微かに細められたように見えた。
「いいえ。その声はわたくしではありません」
小さく首を振り、グラスがはっきりと否定する。
「と、すると、やっぱり妙だよな……」
思わず、オレは呟いた。
ゴズメスが怪訝そうな顔を向けてきた。
「何が妙なんだ?」
「その声が女神だったとして、担当でもないナーロッパにお前を送ってきたのか?」
オレの指摘に、皆が困惑の表情を浮かべた。
「そういわれれば……」
「確かに、変な話ですね」
「そんな事って、あるのか?」
再び問いただすと、困惑を浮かべたままの顔でグラスが答えた。
「通常、転生者に説明等を行うのは、受け入れる世界を担当する女神です。ですので、他世界への転生者と会話をする事はありませんし、ましてや、転生者を担当外の世界へ送る事もありません。しかし……」
僅かに間を置いて、グラスが続けた。
「それを自由にできる権限を持つ存在がいます」
「女神の上がいるの?」
「はい。『神』です」
「へ? 女性の神様が女神なんじゃないんですか?」
「厳密にいうと別なのです。わたくし達女神を統括する存在が神、という事になります」
「何だか、ややこしいんですね」
「じゃあ、ゴズメスをナーロッパに送って来たのも……」
無言で、グラスが頷いた。
なるほど、どうりでオレの時とは違ったはずだ。
「グラスさんはそれ、知らされていなかったんですか?」
「神々のそういった行動は、女神達には知らされない事がほとんどです。真意は、あの方達にしか分かりません」
「部下に報告もなしとはね。あまり良い上司とはいえないな」
ノエルの皮肉に、グラスが苦笑いを返した。
まぁ、神なんていうくらいだ。自分勝手に好き放題やってるんだろう。
「つまり、ゴズメスさんを転生させたのは、『女神』じゃなくて『女の神様』って事ですか」
「おそらく、そうだと思います」
「何で女神じゃなかったんだろうな……」
「ゴズメスさんは特別だったんですかね?」
「確かにオレやノエルとは事情が違うけど、特別って程でもない気がするんだよなぁ……」
今一つ釈然としなかった。
何か大切な事を忘れている気がする時のような、妙に落ち着かない感じだった。
「それ、ゴズメスが特別なんじゃなくて、ゴズメスを『転生させる事』が特別だったんじゃない?」
ノエルがしたのは、意外な指摘だった。
全員が無言で先を促す。
「偉人を助けたからうんぬんなんて、黙ってれば分からない訳でしょ? なら、そのまま死なせても問題なさそうじゃない。それをわざわざ説明までして転生させたんだ。恐らく、それ自体に何か意味があるんだと思うよ。神様が自ら出てくるくらいの、重要な意味が」
「……なるほど。一理あるな」
ノエルの推察には説得力があった。
当人であるゴズメスもそう思ったんだろう。すんなり受け止めた様子で、疑問を口にした。
「重要な意味って、何だろうな」
「キミにしてほしい事がここにあった、とか」
「例えば?」
「さぁ。それは分からないよ」
「助けた女の子に関する何か、って可能性はありませんかね?」
「ああ、それはあるかもしれないね。話の印象だと、相当な人物っぽいし」
「ただそれも、結局は推測でしかないんだよなぁ……」
ここでいくら話してみた所で、今の段階では答えが出る事はない。
ならば、あれこれ考えてみても意味がない。頭の隅に置いておく、くらいに留めておけばいいだろう。
「まぁ、この話は一旦保留しよう。その娘が関係してるとしても、現時点じゃ確認のしようがない」
「考えてみればそれも妙なんだけど……」
腕を組んで宙を見上げたノエルが、首を捻りながらいった。
「そんな重要人物が、どうして死にそうになんかなったんだい?」
もっともな指摘だった。
今度は、問われたゴズメスが首を捻った。
「さぁな。理由をいってた気もするが、なんせ頭がボ~ッとしてた所でいきなりファンタジーみてぇな話を詰め込まれたもんだからよ、耳に入っちゃこなかったぜ」
「どういう事なんでしょうね」
「グラス、分かるか?」
「……」
僅かな沈黙の後、グラスがいった。
「いくつかの偶然が重なって、本来の寿命が尽きる前に亡くなる方はいらっしゃいます。例えば、ルキト様やノエル様のように。しかし……」
「しかし?」
「それが、歴史上の重要人物に起こる事はあり得ません。なぜなら、そういう人物の命には、プロテクトがかかっているからです」
「プロテクト? 命を保護してるって事か」
「はい。それと、辿る人生にも、です。そういった特別な使命を持った人物は、産まれてから何を成し、そしていつ、どのように死んでいくかといった事まで、全てを予定通りに運べるよう保護されているのです。世界を変えるために遣わされた天の意思、とでもいうべき存在ですから」
偉人、天才と呼ばれる人物の中には、恵まれた環境下に生まれたとはいえない例も少なくない。
もちろん、全部が全部ではないが、明らかにマイナスからスタートしているにも関わらず、数奇な運命の下、偉業を成した話はいくらでもある。
それが、凡人の及ばない領域であるがゆえに、人智を越えた何者かが手を差しのべた結果であったとしても、何ら不思議はない。
「なるほど。つまり、その辺の事情についてはその声の主……神様に聞かないとわからないんだね」
「はい」
「おい……一番重要な所を聞き流してんじゃねぇか」
「無茶いうなよ……」
ゴズメスが、深いため息をついた。
「ただでさえ頭が動いてなかった上に、かれこれ二百年くれぇ前の話だぜ? こんだけ覚えてたってだけで上等だろうがよ」
「え? お前がいた日本って、そんな昔だったの?」
「いや、死んだなぁ二〇〇〇年代の始めくらいだと思ったな。オメェらがいた頃と大して変わらねぇんじゃねぇか?」
「じゃあ、二百年って、どういう事だよ?」
「その時差は、ゴズメス様が時を遡って転生されたために生まれたのだと思います」
オレが抱いた疑問に、グラスが代わって答えた。
「つまり、十数年前の日本から、二百年前のナーロッパに生まれ変わった、って事?」
「はい。転生先の時代は、指定しない限りランダムに選ばれますので、そのような事は起こり得ます」
補足されて納得できた。
例えば女神や魔神王なら、それを自分の意思で指定できる、という事なんだろう。
「じゃあお前、二百歳越えてるのか」
「ああ」
「生まれ変わるにあたって、種族も選ばせてもらえたって事なんだね」
「なぜ純粋な魔族じゃなくて、半魔人にしたんですか?」
「つまらねぇからさ」
「つまらない?」
足組を解き、両膝に手を置いてゴズメスはいった。




