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37・冴えない勇者の育てかた

 ふっ、と。

 それまで映っていた風景が姿を変えた。

 闘いの爪痕が残る神界樹の元からグラスの家に、視界と意識が戻ってきたようだった。


「ふぅ~……」


 何度か目をしばたたき、オレは息を吐いた。

 なんだかんだいって、やっぱりアイツらは強い。チートの名に恥じない実力は本物だ。

 ザインとの闘いで(たかぶ)り、ノエルを見て呆れ、レイの召喚魔法で恐怖し、ルキフルの激闘で再び熱を帯びた。

 特に、武を極めんとする者ならば、二人の闘神が相まみえる様を見て、何も感じないワケがない。

 いつ以来だろう。

 身体の内から(たぎ)るモノが溢れ出してくるこの感覚――忘れかけていた“熱さ”を思い出させてくれた、そんな闘いだった。


「……強く、なりたいな……」


「っ!」


 熱に当てられ呼び起こされた気持ちが、自然と言葉になって出た。

 心地良い昂りに、胸が満たされる。


「今より、もっと……!」


「ん……」


「ルキフルより……拳帝(ししょう)より……」


「……あっ……」


「この世の、誰よりも……」


「ルキト……様……」


「強く……もっと強くなって……!」


「んぅっ!」


「極めてやる……そして……」


「はぁ……ル……キト……様……」


「その先に……あるものを……!」


「あぁっ!」


「?」


 自分の世界に入り込んでいた意識が、突然、現実に引き戻された。

 原因になった声がグラスのものだと、咄嗟には分からなかった。


「そん……なに……み……耳元で……囁かれたら……」


「……え?」


「それに、あの……強く……抱きしめられたら……わ、わたくし……」


「!!!!」


 完璧な物など、この世にはない。

 今の今までそう思っていた。

 あった。

 これだけは、完璧に断言できる。


「ごっっっっ…………!!!」


 この時グラスから離れたオレ以上のスピードで動けるヤツなんて、例えどんなクソラノベにも存在しない、と。


「ごめええええぇぇぇぇーーーんっっっっ!!!」


 マッハを何乗にもしたくらいの速さで、オレは後ずさった。

 (たかぶ)る気持ちに任せるまま、知らず知らずの内に寄りかかるグラスを後ろから抱きしめていたようだった。しかも、結構強く。

 さらに独り言を、よりにもよって耳元で……。


「ごごご、ごめん、グラス! そ、そんなつもりじゃななくて、あの、ルキフルの闘いを、みみ見てたら、熱くなっちゃって、つつ、つい、力が入っちゃっただけで、け、決して、わざとじゃ、なな、な、なくて……」


 どもり倒しながらもオレは、必死で弁解した。

 しかし、後ろから抱きついた女性の耳元で、ぶつぶついっていた事実は変わらない。

 こんなモン、違う意味で昂って、違う所を熱くしてる変質者の、セクハラ通り越した事案にしか見えない。

 しかし、そんな不届き者にも、グラスが不快感を示す事はなかった。


「い、いえ、大丈夫です……。ただ、少し、苦しかっただけですから……」


 潤んだ瞳を向けてくるうつむき加減の顔は上気し、頬がほのかに赤く染まっている。呼吸が、少し荒くなっているように見えた。


「それで、あの、驚いてしまいまして……つい、こ、声が……」


 恥ずかしそうに目を逸らすグラスを見ている内に、さっきまで手の中にあった柔らかさと温もりが、甘い香りが、甦ってきた。

 チートを倒そうと思ったら、魔王だ魔神だぶつけるよりも、ハニトラの方が早くて確実だよなぁ……。

 そんな下らない考えが浮かんだ呑気な頭を、もう一度、これまた凄いスピードで下げた。


「本当に、ごめんっ!!」


「お、お顔を上げてください、ルキト様」


 支えるように両手を差し出しながらグラスはいった。

 恐る恐る、オレは顔を上げた。


「もう、お気になさらないでください。わたくしにも、お気持ちは少しだけわかります。ましてや、ルキト様は殿方ですものね」


 優しい微笑みを見て、ほっとした。同時に、罪悪感を覚えた。

 それを振り払うように、ルキフルの闘いに思いを馳せた。


「……うん。凄い闘いだった。力の天秤があと少しでもゴズメスに傾いていたら、最後に立っていたのはルキフルじゃなかったかもしれない」


「…………」


 しかし、話題を変えた途端、グラスが黙り込んでしまった。

 それまでの雰囲気から一変した、思い詰めたような表情をしている。


「ん? どうした?」


「あの時……」


「あの時?」


「はい。わたくしがルキフル様を止めようとした時です……」


「あ! あれは、ついカッとなって、キツイいい方をしちゃって、悪かったと……」


「いいえ。ルキト様は悪くありません。差し出がましい真似をしようとしたのは、わたくしですから。ただ……」


「ただ……?」


「思ったのです。ルキト様達をこの世界に召喚したのは、わたくしの勝手な都合です。しかし、世界に秩序をもたらすのは女神の使命であって、ルキト様達の使命ではありません。それなのに……」


「……」


「傷つき、闘われるのは、ルキト様達なのです。苦しい思いをなさって、命をかけて……それが果たして、正しい事であるのか、と」


「……」


「闘われているルキフル様に、わたくしは何もできなかった。死んでしまわれるかもしれないのに! なのに、助ける事もできるのに、わたくしは、見ているしか……!」


「グラス……」


 どうやらあの時から、グラスの中には拭いきれない罪悪感が芽生えていたみたいだ。

 全てを()してでも闘いたいという気持ちは、本人にしか分からない。そして、経験がない事は、想像はできても実感はできないものだ。

 例えあの闘いで命を落としたとしても、ルキフルは誰も恨みはしなかった。むしろ、最後まで手を出さなかった事を感謝しただろう。

 それは、グラスにも分かっているはずだ。

 しかし、頭で理解するのとは別に、心が自分の行動に拒否反応を起こしている。

 頭と心で感じ方が解離してしまっているがゆえのジレンマに、グラスは苦しんでいるのだ。


「それならばいっそ、わたくし自身がこの命を()す事こそが、正しい行いなのでは……」


「それは違うよ、グラス」


 なるべく優しい口調で、オレはいった。

 グラスが顔を向けてくる。


「意図せず召喚や転生させられて闘わされるのが理不尽だってんなら、そもそも、女神が世界を守らなくちゃいけないってのも理不尽だろ。どこのどいつが決めたのか知らないけど、そんなもん、自分でやれっつぅ話だ」


「……」


「むしろ、やるかやらないか決められる分、オレ達の方がマシだ。その上で『やる』っていったんなら、どういう結果になろうと自己責任だよ。例え、死ぬ事になってもね」


「し、しかし、それでは……」


「もちろん、手を貸してもらえるなら喜んで協力してもらうよ。ただし、あくまでもそれは“補助”であって、道を切り開くのは自分の力でじゃなきゃ駄目だ。そのくらいの覚悟がないなら、初めからやらなきゃいい」


「……」


「アイツらが何て答えるかは、まだ分からない。だけど、依頼を“受ける”といったなら、後は任せておけばいいんだよ。そして、行く末を見守って、出た結果を受け止める。それが、女神の本当の使命だと、オレは思うよ」


「ルキト……様……」


「まぁ、小難しくいっちゃったけどさ、要は大丈夫、って事だよ。誰も死ななきゃなんの問題もないんだから」


「……あ……」


 グラスの肩が、小さく震え出した。

 伏せた長い睫毛の下、溢れた涙が頬を伝う。

 押さえていた感情が、(せき)を切って流れ出したようだった。


「……ありがとう……ございます……」


 消え入りそうな声からは、心にのしかかっていたわだかまりの重さが伝わってきた。

 声を押し殺して泣くグラスが、そっと身体を寄せてきた。

 細く、小さかった。

 こんな華奢な身体で一人、これまで世界の命運を背負ってきたのだ。

 その健気さが、(いと)おしかった。

 支えてやりたい。

 そう思った。


「グラス……」


 オレは、自然と白い肩に手を置いていた。

 顔を上げたグラスの涙を指で拭った。壊れ物に触れるような優しさで、ゆっくりと。

 応えるように、グラスが目を閉じた。睫毛が、指先に柔らかい影を落とす。

 心臓が高鳴った。

 今までにも、似たようなシチュエーションはあった。

 しかし、先に進めた事はなかった。

 顔が熱くなって、汗が吹き出して、手が震えて、頭が真っ白になって、身体が硬直する。結果、何もできずに終わる――そんな事を、繰り返すだけだった。

 しかし、この時オレが感じていたのは、これまでとは違った感覚だった。

 当たり前の愛情表現を、愛しい女性(ひと)にする――気がつけばグラスに、ゆっくりと顔を近づけていた。

 目を閉じた白い顔が次第に迫ってくる。

 あと、数センチ。

 オレも目を閉じて、その瞬間に備えた。

 しかし――


 あ……あれ……?


 突然、身体が動かなくなった。

 見えない結界に遮られでもしているかのように、顔が前に進まない。

 なんで?

 分からなかった。

 まだ会ったばかりだから?

 分からなかった。

 こんな事をしてる場合じゃないから?

 分からなかった。

 万が一、拒否されるのが怖いから?

 分からなかった。

 ただひとつ、分かった事があった。

 こと女性に関して、オレはチートどころか、勇者ですらない。

 と、いうか、下手をすれば、モブとどっこい程度の戦闘力すらないだろう。

 不覚にも、手当たり次第にチョロインを喰いまくる悪食系ペラチートが、少し羨ましく思えた。

 しかし、そんな事実に気づいた所で、状況が好転するはずもない。


「っっっっっ!!!」


 グラスをこれ以上待たせる訳にはいかない。

 でも、身体が動かない。

 だからといって、ここでやめる訳にもいかない。

 このシチュエーションで何もしないなんて、女性に恥をかかせる最悪の愚行だ。


 くっ……ぐぐ……くっ……!!


 焦れば焦る程、意識すればする程、身体が硬直し、頭が回らなくなり、なんか嫌な汗まで出てくる始末。


 くっそおおおぉぉぉぉーーっ!!!


 薄々気づいちゃいたんだけど、どうやらオレの『劣等生』って肩書きには、『恋愛に対してピンポイントで』っていうただし書きがついているようだ。


 ……いらねぇよ、そんな設定。


 気づけば、絶叫している自分と、なぜかそれを冷静に分析している自分がいた。

 何かもう、頭の中がカオス状態で収集がつかない。

 こうなったら、最後の手段を使うしかない。

 そう。

 力押しだ。


 行け!


 自らを鼓舞し、持てる限りの気合いをオレはふり絞った。


 行くんだっ!!


 しかし、なんだってこんなトコで、ザインと闘った時以上の本気を出してるんだろうか。


 行けぇっ!!


 それも、分からなかった。


 行けえぇっ!!!


 でも、これだけは分かる。


 行っっっ……!!


「……つになったらキスするんならあああぁぁーーっ!!!」


「…………」


「…………」


「…………へ?」


 今のオレがいろんな意味で真の勇者に成長するには、クソラノベがまともな小説に進化するくらいの時間が必要だろう。

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